第一王子の傍付き1
ベルノルトの傍付きとなったメフライルだが、しかし彼は四六時中ベルノルトの傍にいたわけではない。第一王子の傍付きとなれば、将来的には側近として大きな責任を任される可能性が高い。だが彼は近衛軍士官としてはまだまだ未熟だ。それでよくあちこちへ研修へ行かされていた。
「殿下。今度、防衛線に行くことになりました」
「どれくらいかかるんだ?」
「予定では、行って帰ってくるのに三ヶ月と少しですね。実際には四ヶ月と言ったところではないでしょうか」
「長いな……」
「大人しくしていてくださいよ。特に、一人でお忍びに出ちゃ、ダメですからね」
「二人でもダメだと、この前叱られたばかりだろう」
ベルノルトがそう言うと、メフライルはスッと視線を逸らした。それからメフライルがいない間のことを話し合い、お土産を買ってくる約束をして彼は防衛線へ向かった。往復も行軍訓練の一部であり、軍隊の仕事はまず歩くことだと彼は学んだ。
防衛線での戦闘は、まさに激戦と言って良い。魔の森に築かれた簡易的な砦にモンスターを誘引して叩くのだが、その際には攻撃魔法が乱れ飛んで轟音が鳴り響く。またモンスターに撤退という選択肢はない。文字通りに殲滅するまで戦いは続く。その過酷な戦場でメフライルは必死に剣を振るった。
「前方の敵に魔法を一斉掃射! 敵の勢いを殺げ!」
「バリスタは大物狙いだ!」
「歩兵を前に出せ! 敵を押し返すぞ!」
「弓兵隊、援護しろ!」
貴族の子息として、またベルノルトの傍付きとして、メフライルはこれまでに何度もダンジョンに潜っている。しかし魔の森での戦いは、想像していたよりもはるかに異質な戦いだった。
無数のモンスターがまるで津波のように押し寄せる様は、まるで地獄の門が開いたかのようだ。同じモンスターと戦っているのだが、ダンジョンでの戦い方がまるで通用しない。かといって人同士の戦いというわけでもない。「これは生存競争だ」と言われていた言葉が、しみじみと腑に落ちた。
「エリアボスクラスだっ!」
「突破させるなっ、火力を集中させろ!」
「第四、第五抜剣隊、突撃っ」
メフライルもこれまでに、ダンジョンでエリアボスを何体も討伐している。だが魔の森で現われるエリアボスクラスはひと味違った。無論、単純な強さだけを比べれば、大きな違いはないのだろう。だが環境が大きくことなる。混沌とした戦場でこの強敵を打ち倒すのは、確かに至難の業であるとメフライルは思い知らされた。
「これでもずいぶん楽になった方さ」
「そうだな。兵力を集中して運用できるからな。昔は陣容に本当に厚みがなかった」
「それに、後ろに下がればゆっくり休める」
「何より、戦闘のタイミングをコントロールできるのがいい。突発的な戦闘を最小限にできる」
「それもこれも、陛下のおかげだ」
アンタルヤ王国時代の防衛線を知る古参の将官らは、メフライルら経験の浅い士官たちにそう話して聞かせた。それもまた彼らにとっては得がたい学びの機会だった。実感のこもった話というのは、真に迫るものなのだ。
それだけではない。特にここでは末端の兵士の一人にいたるまで、「自分は国を守るために戦っているんだ」という気概に満ちている。実家から逃げるようにして近衛軍に入ったメフライルの目に、彼らの誇りは輝かしく映り、そして彼自身の意識を変えるきっかけにもなった。
「そう言えばメフライル。お前は収納魔法が使えるんだったな? では補給の仕事も経験しておけ」
「了解しました」
収納魔法が使える関係で、メフライルは後方で補給の仕事もすることになった。集積所に集められた物資を、収納魔法に収納して防衛線の各所に配達するお仕事だ。普通に輜重部隊を編成して輸送するよりはるかに簡単なのだが、いかんせん防衛線は長大だ。メフライルは馬を駆って西へ東へと駆けずり回った。
駆けずり回るということは、移動時間が長くなると言うことだ。そして北部にいるからなのだろうか。馬を走らせるメフライルの脳裏に、ふと実家のことが思い浮かんだ。休暇を申請すれば、恐らく顔を出すことくらいはできるだろう。ただ彼はそうしようとは思わなかった。
(もう、家には戻らない)
メフライルは胸中でそう呟く。家を出るとき、彼はそう心に決めたのだ。だから彼は、例え一時でも家に帰ろうとは思わなかった。自分が片意地を張って意固地になっていることを、彼はまったく自覚していなかった。
さて、防衛線での実戦訓練を終えてクルシェヒルに帰還すると、メフライルはまたベルノルトの傍付きとして彼の傍らに立った。しばらくぶりに顔を合わせたベルノルトは、顔つきが少し精悍になったように思えた。
「お久しぶりにございます、殿下」
「ああ、久しぶりだ。ライル、防衛線はどうだった?」
「良い勉強になりました。やはり現場を知ることは大切だと痛感しました」
メフライルがそう答えると、ベルノルトは大きく頷いた。彼に請われて、メフライルはさらに魔の森での戦いについてさらに詳しいことを話す。いずれはベルノルトも魔の森での戦いを経験することになるだろう。彼は真剣にメフライルの話を聞いた。
「……ところで、殿下はいかがお過ごしでしたか?」
「うん。父上からステーキの焼き方を教わって、母上からは鉤縄の使い方を教わった」
「……左様でございますか」
メフライルは微笑んでそう答えた。微笑む以外にどう答えれば良いのか分からなかった。内心では「第一王子がそんなことを覚えてどうするんだ」と首をかしげている。なおこの数年後、シェリーに仕込まれた鉤縄の業が大活躍するのだが、この時の彼はそれを知るよしもなかった。
あと、ドロップ肉のステーキはとても美味しくて、ダンジョン攻略の度の楽しみになった。
そして年月は流れ、西方に一人の英雄が現われた。ヴェールールのマドハヴァディティアである。彼は西方六十余州をまとめ上げて〈王の中の王〉を名乗り、その矛先を東へと向けたのだ。
後の世に言う、「第一次西方戦争」である。イスパルタ朝の建国以来、久しくなかった大規模な対外戦争であり、またジノーファが親征するとあって、クルシェヒルの王宮はにわかに熱を帯びた。そしてこの戦争は、ベルノルトの人生において大きな節目の一つともなった。すなわち初陣である。
「ライル、初陣が決まった!」
父王ジノーファに直談判して初陣をもぎ取ると、ベルノルトはそのことを嬉しそうにメフライルへ告げた。年齢的なことを考えても、ベルノルトの初陣は何らおかしなことではない。それでメフライルも素直に彼を祝福した。
一度話が決まれば、あとの物事はとんとん拍子に進んでいく。兄の初陣を知った王太子アルアシャンが「自分も!」と駄々をこねたらしいが、それはメフライルの関知するところではない。ともかく彼はベルノルトと一緒に、出陣に向けての準備を進めた。
そんな中で、メフライルは側妃シェリーに呼ばれた。ちょうどベルノルトが勉強の時間であったので、メフライルにだけ用があるのだろう。おそらくは初陣に関わることであろうがさて何用であろうか。そう思いつつメフライルはシェリーのもとへ向かった。
「メフライル殿。あの子のことを、よろしくお願いしますね」
シェリーは少し困ったように微笑みながら、メフライルにベルノルトのことを頼んだ。そしてお茶で唇をぬらしてから、さらにこう言葉を続ける。
「初陣ともなれば、武功を得ようとして、あの子も気が急くでしょう。ジノーファ様もいらっしゃいますし、滅多なことにはならないと思いますが、メフライル殿もあの子が無茶をしないように気にかけてあげて下さい」
「もちろんにございます」
「本当はベルに直接、自重するように言えば良いのでしょうけど……。あの子も母親にあれこれと言われるのを疎ましく思う年頃ですから」
「……シェリー殿下のお心は、ベルノルト殿下にも伝わっているものと思います」
無難にそう答えつつ、メフライルは内心で「自分はどうだったろうか」と考える。彼が家を出たのは、ちょうど今のベルノルトくらいの年齢の時だった。自分が家を出たのは、俗に言う「反抗期」のせいだったのだろうか。そんな疑問が頭をもたげたが、今はシェリーの話に集中することで彼はそこから目をそらした。
「そうだと良いのですが……。あの子は本当に無鉄砲なところがあるので心配です。ジノーファ様もそういうところがあるのですが……」
それから小一時間ばかり、メフライルはシェリーの愚痴と惚気が混じった話に相づちを打ち続けた。シェリーは終始困り顔だったが、それでも彼女が本当に夫と子供を愛していることは充分に伝わった。
(わたしの母は……)
自分の母はどうだったのだろうかとふと考え、メフライルは内心で頭を振った。今更埒もない、と自分に吐き捨てる。答えが出ないことが、答えだった。
「ジノーファ様も、あの子にばかり構ってはいられないでしょう。ですからメフライル殿、わたしの代わりに口を酸っぱくして注意してあげて下さいね」
「はっ。お任せください」
力強くそう請負い、メフライルはシェリーのもとを後にした。そしてその三日後、イスパルタ軍はいよいよ西へ向けて出陣したのだった。
出陣したとは言え、当面はイスパルタ朝国内の移動である。来る日も来る日も、彼らは歩き続けた。そして移動中、ベルノルトはだいたい父王ジノーファの傍にいて、あれこれと話をしていた。国内の移動なので緊張感はあまりなく、雰囲気は和やかだ。二人は普段あまり取れない親子の時間を楽しんでいるようだった。
「いいかい、ベル。これはかの炎帝ダンダリオン陛下の言葉だけどね。将たるものの仕事は第一に兵を飢えさせないことであり、第二に落伍者を出さずに兵を目的地まで連れて行くことだ。この二つを満たせないのであれば、そもそも兵を動かしてはならない。戦略だの戦術だのを考えるのは、その後だよ」
「はい、父上」
メフライルもベルノルトの傍で二人の話を良く聞いた。勉強になる話もあれば、微笑ましい話もあった。馬上で言葉を交わす二人の様子を見て思うのは、「仲の良い親子だな」ということだ。
メフライルには、このようにして父親からあれこれと教えてもらったり、また親しげに話をしたりした記憶はない。実の父はそうする前に死んでしまったし、義理の父である叔父とは距離を取っていた。
(もしも……)
もしも父が生きていたら、一体どんな話をしたのだろうか。自分はまだあの家にいたのだろうか。あり得なかった可能性を考えても仕方がないと思いつつ、それでも彼は思考を制御するのに苦労するのだった。
マドハヴァディティアがルルグンス法国へ宣戦布告すると、イスパルタ軍はただちに西の国境を越えて法国へ入った。そしてさらに西へと向かう。異国の地での行軍を支えたのは、あらかじめヘラベートに備蓄してあった物資だ。ベルノルトもメフライルも、ジノーファの周到な準備に舌を巻いた。
百国連合軍は総勢十万の大軍であるという。この大軍に対してジノーファが選択した戦い方は速攻だった。つまり敵の集結が完了する前にこれを強襲するのだ。そしてこの作戦は大成功を収めたと言って良い。
イスパルタ軍は油断しきっていた百国連合軍に襲いかかり、そしてこれを追い散らした。マドハヴァディティアがその場にいなかったことも大きい。彼を欠いた百国連合軍は、要のない扇と同じで、つまり何の役にも立たなかった。
「父上っ、わたしも戦わせてください!」
味方の勝利が確定した戦場で、しかしベルノルトは焦った顔をしながら父王にそう頼み込む。このままでは戦場へ見学に来ただけになってしまう。彼はそんなのは嫌だった。彼は自分で手柄を立てたかったのだ。
ジノーファは苦笑しつつも、最後には息子の出撃を許した。当然ながら、メフライルもそれに従う。メフライルはベルノルトの傍に馬を付けつつ、彼が焦って飛び出しはしないかとヒヤヒヤしていた。
「殿下、焦りは禁物です」
「分かっているっ」
ベルノルトがやや苛立ちながらそう答える。彼は手柄が逃げてしまわないか心配だった。だが距離があるのに突撃を命じれば、敵と戦う前に味方の息が上がってしまう。タイミングを見極めることは重要だ。
幸いにして、ベルノルトは自分を抑えることができた。満を持して彼が突撃を命じると、味方が怒濤の勢いで敵に襲いかかる。そして鎧袖一触に蹴散らした。その光景を見て、興奮したのかベルノルトは馬上でぶるりと身を震わせる。彼はもう堪えきれなくなって、一気に馬を駆けさせた。
「……っ! はあ!」
「殿下っ!」
その背中を、メフライルは急いで追う。味方が大勝するなかで、しかしベルノルトだけが死ぬということは十分にあり得る。何気なく放たれた矢が喉元に刺されば、それだけで人は死ぬのだ。そしてそれを防ぐのが、メフライルの仕事だった。
ただ結論から言えば、その心配はいらなかった。敵は総崩れで、反撃は皆無だったのである。そもそもベルノルトが敵兵と戦うことすらなかった。当然ながら、メフライルも同様である。ベルノルトは不満げだったが、メフライルは安堵していた。護衛対象が敵陣に突っ込むとか、彼の立場からすると勘弁して欲しいのだ。
さて、第一次西方戦争において百国連合軍はイスパルタ軍の速攻の前に敗れ去った。百国連合軍は全軍の集結が完了する前にイスパルタ軍に強襲され、兵は散り散りに逃げ去り、集めた物資を奪取されたのである。
マドハヴァディティア自身が兵を指揮して負けたわけではなかったが、彼は今回の東進を断念。イスパルタ軍との講和に応じた。そしてベルノルトにとって、初陣の思い出の中でも特に印象深い出来事が起こることになる。
メフライル「イスパルタ朝の王族教育に物申す」
ベルノルト「ちゃんと役に立っているから問題なし」




