そしてまた鐘は鳴る
ヴァンガルに三日ほど滞在した後、ベルノルトらは再びヘラベートへ向かった。そしてヘラベートからまた船に乗る。ただし来たときは別の船で、行き先も西ではなくて東だった。彼らはこれからクルシェヒルへと向かうのだ。
『クルシェヒルに戻ったら、ライルも少し休むと良い。ずいぶんと長く、しかも休みなしで付き合わせてしまったからな』
『あ~、そうですね。部屋の掃除もしなきゃいけないでしょうし、殿下がお説教されている間は護衛も必要ないでしょうし』
『おい』
『いや~、お給金いくらになっているか、楽しみですね。殿下がお説教くらっている間に、わたしは前々から行きたかったレストランでお洒落なディナーとしゃれ込もうかと思います』
『裏切り者! 誘う相手もいないくせに!』
ベルノルトはキャンキャン吼えたが、メフライルの余裕げな顔色は変わらなかった。ちなみに件のレストランは閉店していたことが発覚するのだが、それはそれとして。
船に乗ってからというもの、いやヴァンガルでジノーファと会談してからというもの、サラは何だか妙に大人しい。ヘラベート行きの船旅ではベルノルトと一緒にマストに上ったりしていたが、今回はそういうこともない。かといって体調が悪いわけでもなさそうだ。それでベルノルトは思い切ってこう尋ねてみた。
「サラ、どうしたんだ? なんか最近、ぼんやりしていることが多いぞ」
「あ~、ほら、陛下からアースルガム再興のお墨付きを貰ったから。気が抜けちゃったのかも知れないわ」
甲板で海を眺めていたサラは、隣に立ったベルノルトの方へ視線を向けてそう答える。それを聞いてベルノルトは「ああ、なるほど」と納得した。
サラとジノーファが会談をしたのは、親子の語らいが一段落してからである。より正確に言うと、二人の会話がただの雑談になってきたところへサラが案内されてきたので、話は一旦打ち切ったのだ。
『サラ殿下と、リリィさん、だったね。どうぞこちらへ。ベルとメフライルは下がっていいよ』
『アースルガム関係の話であれば、わたしもいた方が良いかと思いますが……』
『まずはサラ殿下から話を聞くよ。それよりベルはまず手紙の返事を書いてきなさい。少しはお説教の時間が短くなるかも知れないよ。……それとも、首謀者が二人揃ったことだし、辛口の採点がお望みかな?』
ジノーファが悪戯っぽくそう言うと、ベルノルトは颯爽と身を翻して退散した。サラが悲壮な顔をしながら目で「残って!」と訴えていたが、彼は気付かないフリをする。そしてメフライルが苦笑を堪えながら一礼して扉を閉めた。リリィもなんだか不安げな顔をしていたが、彼も主に倣って気付かないフリをした。
そうやって退出したので、サラと父王がどんな話をしたのか、ベルノルトは知らない。ただ後で、アルアシャンの裁定をジノーファが承認した、という話は聞いた。見捨てられた恨み言と一緒に。どうやらお説教は鋭く厳しいものだったようだが、それはともかく。
西方遠征について、その仕置きは「王太子の存念次第」ということになっている。そしてアースルガムに関してアルアシャンが下した裁定は、「旧領を回復し、主権を持つ独立国として認める」というものだった。
ただしその裁定に異を唱えて撤回させることのできる人物が一人だけいる。他でもない、イスパルタ王ジノーファその人である。また彼はベルノルトの独断専行を庇うため、「アースルガムの再興はイスパルタ王の約束であり、その履行は西征軍総司令官の権限よりも優先される」という見解を出している。それを考え合わせれば、「最終的にジノーファの承認が必要」というのは、自然な理解だ。
そしてジノーファはアルアシャンの裁定に頷き、それを承認した。この瞬間ようやく、アースルガムの再興は確約されたと言って良い。サラの悲願が成就したのだ。気は緩むだろうし、思うところもあるだろう。ぼんやりしているように見えるのも仕方がない。ベルノルトは勝手にそう納得した。
だがサラがぼんやりしているように見える理由は、実のところそれだけではなかった。彼女にはそれとは別に悩み事があったのだ。それはベルノルトには相談しにくい事柄で、その発端はやはりジノーファとの会談だった。
『陛下。その、一つお願いがあります。ベルを、ベルノルト殿下をアースルガムにください』
『ふむ。それはあの子を貴女の夫に迎えたい、ということかな?』
『はい。わたしと一緒に共同支配者になって欲しいと考えています』
サラはジノーファの眼を真っ直ぐに見ながらそう答えた。これはシークリーでルドラとも話し合ったことだ。
アースルガムを再興し、サラが女王として即位する。ここまでの流れはすでにできあがっている。問題はその先だ。次の世代をどうするのかを考えなければならない。つまりサラ女王の結婚相手をどうするのか、という問題だ。
サラとルドラが話し合った結果、彼女の配偶者として最も相応しいのはベルノルトである、という結論に至った。アースルガムにとってイスパルタ朝との関係は最優先課題であるし、イスパルタ朝においてベルノルトほどアースルガムと縁の深い人物はいない。
そもそもベルノルト以外の人物を選べば、「どうしてベルノルトではないのだ」という声が上がるだろう。彼はアースルガムの軍事にも外交にも内政にも、深く関わっている。サラの配偶者として万人が納得し、また支持を得られる人物というと、もう彼以外には考えられないのだ。
何より、サラ自身がベルノルト以外の配偶者を受け入れがたく思っている。亡国の姫となった彼女の悲嘆と祖国への想いを理解し、なんだかんだ言いつつもそれを決して否定せず、それどころか祖国再興の苦労を分かち合ってくれたのは、ベルノルトだけだ。そしてこれからの未来を共に歩んで行きたいと思うのも。だがジノーファは二つ返事で「いいよ」とは言ってくれなかった。
『王配ではなく共同支配者とした点は評価しましょう。でもね、サラ殿下。それであの子にどんなメリットがあるのかな?』
『それは……!』
『どんな形であるにせよ、ベルはいずれイスパルタ王家を出ることになる。その時わたしなら、新たな公爵家を立てて五州かそれ以上の領地を与えることができる。ではサラ殿下。貴女はあの子にそれを上回るものを、何よりイスパルタ朝に対してアースルガムが得るのと同等以上のものを、提示することができますか?』
サラは咄嗟に答えられなかった。アースルガムの国土は一州と少し。まさに吹けば飛ぶような小国だ。そんな小国へ大国の大貴族という地位を捨ててまで来てもらうほどのメリット、また大切な第一王子を外へ出しても良いと思えるほどのメリット。それは一体なんなのか。
政略結婚なら当然考えるべきポイントだろう。だがアースルガムが提示できるメリットなどほとんど無い。共同支配者というのが、最大にして唯一のカードである。だがそのカードでさえ、諦めてもらうものや得るものに比べ、大変に見劣りしてしまうというのが現実だ。
『まあ、本人がそれを希望するなら、わたしとしても前向きに考えるのはやぶさかではないけどね』
俯いてしまったサラに、ジノーファはどこかおどけるようにそう告げる。それを聞いてサラはパッと顔を上げた。そんな彼女にジノーファは悪戯を企む子供のように微笑みながらこう告げた。
『だからね。あの子が欲しいならまずは本人を口説き落とすことだ。それができたらベルノルトの婿入り、わたしとしても前向きに検討してあげよう』
以来、サラはいかにしてベルノルトを口説き落とすのかを考えている。
○●○●○●○●
クルシェヒルに帰還すると、ベルノルトは真っ先にエマのもとへ向かった。彼女は目に涙をいっぱいに浮かべてベルノルトを出迎える。そして娘のメリエムをベルノルトに抱かせた。彼はその小さな身体を受け取り、赤子の体温を腕と胸で感じる。彼の顔は自然とほころび、目には涙がにじんだ。
「この子を生んでくれてありがとう、エマ。それから、ただいま」
「はい。お帰りなさいませ、ベルノルト様」
メリエムを片手に抱きながら、ベルノルトはもう片方の腕でエマを抱き寄せる。エマは進んで彼に身を任せた。いま腕の中にいる人たちがたまらなく愛おしく思えて、ベルノルトは二人を強く、けれども優しく抱きしめるのだった。
その後すぐ、ベルノルトはシェリーに捕まった。久方ぶりに会った彼女は笑顔に怒気を滲ませていて、ベルノルトは思わず一歩後ずさりしそうになった。そうしなかったのは西方で鍛えた胆力のおかげ、ではない。抱きしめていたはずのエマに、しかししっかりと捕まえられていたからである。
シェリーに連行されていくベルノルトを、エマはメリエムを抱きながら笑顔で見送る。ベルノルトのいない間、ずいぶんと世話になったのだろう。エマはすっかりシェリーのシンパになっていた。
シェリーのお説教は長かった。手紙を読んでいなかったことはあっけなくバレて、ベルノルトは大変いたたまれない思いをした。しかもそこへ妹のエスターリアまで乱入し、泣くわ責めるわなじるわで収拾がつかない。結局、お説教は二日間に及んだ。ちなみにその間、メフライルはまったく姿を見せなかった。
お説教から解放されると、ベルノルトは疲労困憊になりながらも各方面への挨拶を行った。特に王妃マリカーシェルへの挨拶は欠かせない。娘に「メリエム」という名前をつけてくれた事を含め、ベルノルトは丁寧な挨拶を行った。
その中で、「実はアルに婚約の話が来ている」とマリカーシェルは話した。本人にはまだ伝えていないが、お相手はランヴィーア王国の姫だという。そこには「ロストク帝国を牽制して欲しい」という意図が見え隠れする。それでマリカーシェルは苦笑気味に話していたが、しかし頭から反対というわけでもなさそうだった。
(アルが婚約、か……)
マリカーシェルに挨拶をしたその帰り、ベルノルトは胸中でそう呟いた。相手が誰になるのかは別として、アルアシャンに婚約の話が来るのはごく自然なことだ。そして婚約が成立すれば、彼の次期王位継承者としての立場はまた一つ確たるものとなる。
ベルノルトはそのことをごく自然に受け止めた。これが例えば初陣の前であったなら、彼の心中はざわついたかも知れない。だが今はただそういうものなのだと受け入れている。
彼は「王位を望んではなりません」と言い聞かせられて育った。そして同時に彼は「王になれないのなら、なぜ自分は王家に生まれたのだろうか」という疑問を抱えながら生きてきた。
その答えは、今もまだはっきりとしない。だが西方での経験は、王座に伴う責任とそれを背負う者の覚悟を、彼に教えてくれたように思う。そして王家に生まれたからこそ、できたことが多くあるのも事実だ。今はそれを喜ぼう、とベルノルトは思っていた。
さてクルシェヒルに帰ってきたベルノルトは、のんびりと休暇を楽しめたわけではなかった。アースルガムの再興に関わる事務手続きを、彼が中心となって行うよう父王から命じられていたのである。
その中にはアースルガムに支払われる報奨金や、立て替えることになっている借金分のお金などの予算を確保すること、さらには通商条約や犯罪者の引渡条約の制定準備をすることも含まれている。当事者であるサラの要望を聞いたりしながら、彼は方々を回って必要な書類を集めたり、また予算の交渉を行ったりした。
さてそんなある日の事、ベルノルトはサラに呼び出された。場所は王宮を囲む城壁の上である。夕日が街を赤く染めるころ、ベルノルトが約束の場所へ向かうとそこにはすでにサラが待っていた。
「どうしたんだ、こんなところに呼び出して」
「うん……。なんだか懐かしくなっちゃって。こんな気持ちでこの街を眺められるようになるなんて、あの頃は思ってもみなかったわ」
感慨深げにそう呟いて、サラはクルシェヒルの街並みを眺める。亡国の姫の目に、この街はどう映っていたのだろうか。ベルノルトは想像することしかできない。だが今の彼女の目は優しげで、そして満足げだった。
「いろんな事が、あったわね」
「そうだな」
思い出は次から次へとあふれてくる。初めて顔を合わせたのはほんの数年前なのに、もう何十年も一緒にいるかのようだった。
「……わたしはアースルガムの女王に即位したら、そう遠くない未来に結婚しなくちゃいけない。だけどアースルガムにとってわたしの結婚は、ほとんど唯一の外交カード。滅多な相手は選べないし、何より再興に協力してくれた人たちと国民が納得する相手じゃないといけないわ」
「ハードルが高いな」
「ええ。そしてわたし自身も、顔も知らないような相手と結婚するのはイヤなの。わたしはわたしの想いを理解してくれて、一緒に歩んでいける人と結婚したい。だけど女王になるからには、国益を無視するわけにはいかないの。……だからベル、わたしと結婚してアースルガムに来てください」
「…………」
「わたしがあなたに上げられるのは、共同支配者の地位しかないわ。だけどそれさえも取るに足りないモノだと分かっている。でも、それでも、わたしはあなたが欲しい。あなた以外は考えられないわ」
「それは、個人的に? それとも国益的に?」
「両方よ」
サラはそう言い切った。それを聞いてベルノルトは小さく苦笑を浮かべる。いっそ潔いその返事はなんとも小気味良い。彼は「う~ん」とわざとらしく悩み、それからニヤリと笑みを浮かべる。イヤな予感を覚えるサラに、彼はこう答えた。
「実は最近、さっさと臣籍に下って年金貰って、あとは余生をのんびりすごそうかと思っているんだ。ほら、西ではもう一生分働いただろう? それに俺が余計なことをするとアルの立場が悪くなるかも知れないし」
あ、コイツ逃げる気だ。サラはそう直感し、反射的にベルノルトの胸元を掴む。
「ダメよ、逃がさないわ! そもそもアルアシャン殿下の立場を気にするなら、さっさとウチに婿入りしなさいよ!」
「はははは」
わざとらしい笑い声を上げて、ベルノルトはのらりくらりとかわそうとする。そんな彼を逃すまいと、サラは彼の胸元をぎりぎりと締め上げるのだった。
○●○●○●○●
王太子アルアシャンのクルシェヒル帰還をもって、イスパルタ朝の西方遠征及び第二次西方戦争はその幕を下ろした。そしてそれとほぼ同時に、サラとベルノルトの婚約が発表される。慶事が重なり、クルシェヒルの街は大変なお祭り騒ぎになった。
ベルノルトはアースルガムに婿入りすることになったわけだが、ジノーファは彼に歴史上類を見ない規模の持参金を持たせた。「西方三〇州」である。西方六十余州の内、およそ半分を彼に与えた格好だ。しかもその中にはガーバードとその南の貿易港まで含まれていた。
これによりアースルガムは一挙におよそ三〇倍の国土を持つようになった。しかもイスパルタ朝の第一王子を共同支配者に迎えたわけだから、その立場はもはや「辺境の小国」には収まりきらない。雄国と呼ぶに相応しい規模を持った国家、アースルガム王国がこうして誕生したのである。
一見するとアースルガムばかりが得をしたように見える。しかし二人の結婚ではイスパルタ朝も利を得ていた。
第一に、これまでの経緯からすれば、アースルガム王国で最大の発言力を持つのは間違いなくベルノルトである。サラの共同支配者だとしても、実質的には彼が第一人者だ。誤解を恐れずに言えば、ジノーファは要するに息子を使ってアースルガムを乗っ取ったのである。
また第二に、ベルノルトに与えられた三〇州の内、一〇から十五州程度の範囲は実のところ、マドハヴァディティア軍が荒らし回った領土だ。つまりイスパルタ朝はこの荒廃した地域を体よくアースルガムに押しつけたと言える。
しかもマドハヴァディティア軍が略奪し、イスパルタ軍が接収した宝物類に関しては、そのままイスパルタ朝の国庫に納められている。ガーバードの宝物庫にあった宝物も同様だ。つまりアースルガム王国にはお金がなく、しかも当面は十分な税収も見込めないことになる。
こうなるとアースルガム王国はイスパルタ朝を頼るしかない。つまり借金をして荒廃した地域を復興していくことになる。ただしこの借金については、さすがに無利子とはいくまい。さらに荒廃にともない、この地域では生産能力も払底している。必要な物資は当面、他所から調達しなければならないだろう。そしてどこから調達するのかと言えば、それはやはりイスパルタ朝だ。
つまりイスパルタ朝としては、宝物を回収して遠征の収支を黒字化しつつ、荒廃した地域の復興をアースルガムに押しつけて多額の出費を抑えたのだ。しかも復興のための物資を輸出することで、「復興特需」をさえ取り込もうとしている。そしてその裏には、この機会を利用して新たに併合した地域をイスパルタ朝の経済圏にしっかりと組み込んでしまおうという意図すらあるのだ。これがイスパルタ朝の得る、第三と第四の利だ。
そして第五に、この大盤振る舞いはロストク帝国を意識したものでもあった。第二次西方戦争でイスパルタ朝は領土を拡大しすぎた。ロストク帝国は友好的な同盟国ではあるが、隣国の国力が増大しすぎればさすがに危機感を持つ。それを回避するために、ジノーファはあえて三〇州をベルノルトに与えたのだ。
「『貧乏暇なし』だな、こりゃ」
執務室でベルノルトはそうぼやく。彼が今いるのはガーバードだ。アースルガム王国に婿入りすると、彼はすぐに王都をシークリーからガーバードに移した。王国国内でこの都市の規模が最も大きかったことも理由の一つだが、物流の重要拠点となる貿易港に近いことが最大の理由だ。
おかげでイスパルタ朝の連携は取りやすくなっているが、アースルガム王国の経済状況はやはり如何ともしがたい。しばらくは借金頼みの生活で、収支の黒字化に成功したら、今度は返済生活が待っている。
「それでも先は見えているんだから、気は楽でしょう?」
打ち合わせに来ていたサラがそう言うと、ベルノルトは小さく肩をすくめた。気が楽なのは否定しない。だが「先が見えている」とは言っても、それは十年二十年のスパンだ。とはいえそれは、十年二十年先を見通せるくらい国政が安定している、という意味でもある。
実際、アースルガム王国の情勢は安定している。「このままいけば十五年ほどで経常収支を黒字化でき、その後二十年ほどで借金を完済できる」というのが、宰相となったアーラムギールの見解だ。
「ユーヴェル商会とファラフ商会をそのまま使えたのが大きいわね」
サラがそう言うと、ベルノルトは頷いて同意する。両商会はもともと、アースルガム解放軍が隠れ蓑とするために作った商会だ。アースルガムが再興されたことでその役割は終わったわけだが、両商会は解体されずそのままヴァンガルとヘラベートにおけるアースルガム王国の経済的な拠点として用いられている。
アースルガム解放軍が残したのは二つの商会だけではない。反マドハヴァディティア・ネットワークも、解放軍が残した遺産の一つだ。そしてそのネットワークは、今やアースルガム王国の外交資産とも言うべき宝へと成長している。アーラムギールはこれを駆使して、アースルガム王国の立場を確たるものとするべく、日々奔走している。
「今まで積み上げてきたもの、築き上げてきたものは、決して無駄にはならないわ」
「まあ、そうだな」
ベルノルトはもう一度、サラの言葉に同意した。今まで積み上げてきたもの、築き上げてきたものの中には、第二次西方戦争で一緒に戦った仲間たちもまた含まれている。
オムはアースルガム王国の全軍を統率する大将軍になった。ルドラはシークリーから呼び寄せられてガーバードの太守となり、リリィは近衛隊を預けられて王城の警備を担当している。
「そういえば、メフライルは?」
「昨日から港の方へ行っている」
ベルノルトにとって股肱の臣とも言うべきメフライルは、主君の婿入りに合わせて近衛軍を辞し、一緒にアースルガム王国へ赴くことを選んだ。今ではベルノルトの筆頭補佐官となり、主に交易と物流に関する仕事を任されている。
しかもその中には軍の補給関連の仕事も含まれており、つまり彼はイスパルタ軍で言うところの兵站計画部のトップも兼ねているのだ。その権限は宰相にさえ匹敵すると言われており、間違いなくアースルガム王国にとって欠くことのできない人物の一人だった。
イスパルタ朝からアースルガム王国へ籍を移したのは、ベルノルトだけではない。ジノーファは彼におよそ五〇〇人からなる官僚団をつけた。彼らはみな志願した者たちで、アースルガム王国の情勢が早い段階で安定したのは、間違いなく彼らの働きのおかげだ。
ただベルノルト個人としては、エマとメリエムを連れて来られたのが最も嬉しかった。エマは二つ返事で「行く」と行ってくれたのだが、シェリーが渋ったので、話をまとめるためにベルノルトは大変苦労する羽目になったのだ。
エマは現在、正式に側室として冊立されている。メリエムはアースルガム王国の王女であり、しかもイスパルタ王ジノーファの孫娘でもある彼女は、間違いなくアースルガムの至宝だ。ただし今はまだ、レディ未満の幼子だが。
さて、ベルノルトとサラの話が終わったころ、ちょうど窓の外で鐘の音が響いた。正午を報せる鐘の音である。鐘の音を使って時間を知らせる施策は、ルドラがサラの許可を得て始めたことだ。住民たちからも評判が良く、他の街の太守や代官の中にも真似をする者が現われているというが、それはそれとして。
「もうお昼か」
「じゃあ、一緒に食べる?」
「ああ、そうするか。だけど仕事の話は無しにしてくれよ」
ベルノルトがそう頼むので、サラは明るく笑って頷いた。彼女の見たところ、ベルノルトはいい具合に肩の力が抜けたと思う。何者かになりたくてもがいていた少年は、今確かに居場所を得たのだ。それが自分の隣であることが、サラはたまらなく嬉しかった。
―完―
ベルノルト「あ、ライルはリリィと結婚しました」
メフライル「事後報告!?」




