総括とお説教2
ジノーファの説教は続く。紅茶を一口啜って喉を湿らせてから、彼はまた口を開いてこう言った。
「さて、と。後はだね……」
「まだあるんですか……?」
「うん。この機会だから、しっかりと話をしようかと思ってね」
ジノーファがそう答えると、ベルノルトはしょんぼりとした。そんな息子の様子に内心で忍び笑いをしながら、ジノーファはひとまとめになった書類を手に取る。ベルノルトのやらかしリスト、ではない。まあ似たようなモノだが。その書類には、再興宣言後に彼があちこちで重ねた借金の概要がまとめられている。
これらの借金については、一時的にイスパルタ朝が一括して立て替え、しかる後にアースルガムが返済していくことになっている。ただし「無利子かつある時払いの催促なし」だ。実質的に再興のご祝儀と言って良い。
これからアースルガムを率いるのはサラで、彼女は返済の意思を示している。ただそもそもの話をすれば、これらの借金をしたのはアースルガムでもサラでもない。ベルノルトである。
その裏には「イスパルタ朝第一王子」の肩書きがなければまともに借金もできなかったというアースルガムの実情があるのだが。それでも借金をしたりツケ払いをしたりしたのは、あくまでもベルノルト個人なのだ。
よって本来ならば、ベルノルトがその借金を返すのが筋である。それでもイスパルタ朝が国として立て替えたのは、一つにジノーファがベルノルトには返済能力がないと判断したからだ。
「当たり前の話だけどね。返せないほどにお金を借りてはいけないよ」
「ですが父上。アレは必要なことでした」
ベルノルトはそう反論する。実際、彼が金策に走り回らなければ、アースルガムは国として立ちゆかなかっただろう。何か事を起こそうとすれば、まず必要になるのはお金だ。小国とは言え亡国を再興するとなれば、多額の費用が必要になることは想像に難くない。ジノーファもそのことは分かっている。それを認めた上で、しかし彼はこう指摘する。
「そうだね。お金は必要だったろう。でも借金をするなら保証人でも良かった。それならお金を借りる主体はあくまでもアースルガムにできた」
形としては、その方がはるかに自然だろう。仮にアースルガムに返済能力が無かったとしても、最初から関係者であれば、改めてイスパルタ朝が貸す、もしくは立て替えることが容易だ。これならばあくまで国と国の関係であり、ベルノルトという個人の立場は守られる。
「大げさだと思うかい? だけど借金というものは厄介だよ。例えばだけど、お金を貸した商会が君を介してイスパルタ朝の国政に関与しようとする、なんてことまで考えられるんだよ?」
父王にそう言われ、ベルノルトは「はっ」と息を呑んだ。実際問題として、辺境の小国アースルガムの一商会が、借金を盾にイスパルタ朝の国政に関与しようとすることなど考えられない。だが可能か不可能かで言えば、それは可能なのだ。
また別の可能性として、その債権をイスパルタ朝の大商会が買い取ればどうか。その場合、債権を持つ商会はベルノルトへ何かしらの接触をしてくるだろう。それも、恐らくはあまり良くない思惑を抱いて。要するにベルノルト個人が多額の借金を抱えるというのは、彼にとって大きな隙になるのだ。
「それにね。アースルガムの再興はイスパルタ朝が国として約束したこと、つまり国家事業なんだ。それなのに、王族とはいえベルが個人として動いて、しかもやり遂げてしまうと、国の面目が立たない」
ベルノルトの借金をイスパルタ朝が立て替えた、最も大きな理由が要するにコレだった。そうしなければ国家の面目が潰れてしまうのだ。つまり借金を引き受けることで、個人の協力でしかなかったものを国家事業に置き換えたのである。
無論、ベルノルトに出しゃばる意図はなかっただろう。だが国として動く前に彼が動いてしまったことは確かだ。そして彼は自分の名前でお金を借りた。「勝手に国の名前を使うわけにはいかない」と考えたわけだが、しかしそのために彼が個人の判断でアースルガムの再興に手を貸したことがより鮮明になってしまった。
「……では、イスパルタ朝の名前を使えば良かったのでしょうか?」
「まあ、そうだね。特に今回の場合は、事前に約束事があったわけだしね。もちろん無駄遣いは困るけど、見た限りそういうわけでもなさそうだし、最初から国を矢面に立たせた方が良かったかな。そのほうがベルを守ることにも繋がったと思うよ」
「……すみません」
「うん。……それで、ベルが気付かなかったのであれば、メフライルに気付いて欲しかった」
「いたらず、申し訳ございません。この処分はいかようにも……」
「次に生かしてくれればいいよ。まあ、次の機会なんてそうそうあってもらっては困るのだけど」
ジノーファがそう言って小さく笑うと、空気が少し軽くなった。ベルノルトとメフライルもつられて笑う。そんな二人の様子を見てから、ジノーファは手元の書類にもう一度視線を落とす。そして半ば呆れながらこう言った。
「それにしても、たくさん使ったねぇ。個人でこれだけ借りるなんて、なかなかできる事じゃないよ」
「無駄遣いはしていません」
「それは分かっているけれど。でもこれ、君のお小遣いの何年分だい?」
「ええっとですね……」
「およそ四七年分ですね」
言いよどむベルノルトの横から、メフライルがしれっと具体的な数字を答える。ベルノルトはなんだか裏切られた気分になった。
「四七年後なんて、ベルももう六〇を過ぎているじゃないか! まさかその歳になってもまだお小遣いをもらうつもりでいたのかい?」
「働きますよ!」
ベルノルトは思わず大声になって答えた。ただ彼は王族だ。六〇を過ぎても王家に籍を残してあるなら、歳費つまりお小遣いを貰っていてもおかしくはない。また臣籍に下って公爵なり大公なりになったとして、その時に領地を与えられていないのなら、生活のための年金が国から支給されることになる。これも広義の意味ではお小遣いと言えるだろう。
つまりベルノルトが六〇過ぎて「お小遣い」を貰っていても、それは別におかしなことではない。そもそもジノーファだって歳費(お小遣い)制なのだ。他でもない、彼自身がそれを定めた。
だから要するに、ジノーファは息子をからかったのだ。ベルノルトもそれを分かっていて、しかし少々むくれている。「お小遣い」という言葉のチョイスが、なんだか子供扱いされているようで癪だった。
「ふふ、期待しているよ」
だがジノーファはそう言って穏やかに微笑むのみ。しかも解釈によっては「これからこき使ってやるぞ」とも受け取れる。このあたりはやはりまだまだ彼の方が上手だった。そしてひとしきり息子をからかってから、彼は話題を変えてこう言った。
「ところで、ベル」
「……まだ何かあるんですか?」
「ああ。とても大切なことだ。君、手紙の返事をほとんど書いていないね?」
「う……」
ジノーファが少々咎めるような視線を向けると、ベルノルトはバツが悪そうに黙り込んだ。西方にいた間、確かに彼は何通もの手紙を受け取っている。そして父王の言うとおり、その返事はほとんど書いていない。心当たりがありすぎるわけで、彼は視線を彷徨わせながらこう言い訳した。
「その、忙しくて……」
拙い言い訳だが、ベルノルトが忙しかったのは事実だ。実際、カリカットの街を解放してからは常にやるべきことがある状態で、手紙の返事はどうしても後回しになりがちだった。だがジノーファは嘆息しつつ息子をこう諭す。
「手紙を一枚書くくらい、大した手間でもないだろう」
「それはまあ、そう、なのですが……」
「シェリーがね、『返事が来ない』ととても心配していたよ。筆圧高めで」
「筆圧高めで」
「そう。見てみるかい?」
そう言ってジノーファは立ち上がり、ひとまとめにしてあったシェリーからの手紙をベルノルトの前に並べ、いや積み上げた。その量といい、一通ごとの厚みといい、ただ事ではない。ベルノルトは促されてその内の一通を手に取った。
中身を読むと、確かに母親のシェリーがとても心配している様子が伝わってくる。報告書は書き送っていたし、その内容は彼女にも伝わっていたはずだが、それだけでは安心できなかったようだ。エマのことにも触れられていて、ベルノルトは自分の事で手一杯だったことを恥じた。あと、確かに筆圧高めだ。
ただ、ちょくちょく惚気ていくのはどうにかならないものか。しかも同じく筆圧高めで。子供としては大変気まずいのだが。これはもしかしたら、父上がヴァンガルにいるせいで長期間会えないことの不満も混じっているのではないか。ベルノルトはそんな気がした。
とはいえ、ベルノルトはあえてそこに触れようとは思わない。親の惚気というのは子供にとって手に負えないモノなのだ。これはイスパルタ王家の王子・王女に共通の認識である。それで彼は手紙を封筒に戻すと、やや話題を逸らしつつこう言った。
「……エマの子供は、女の子だったんですね」
しかしそれはやぶ蛇だった。たちまちジノーファの眉間にシワが寄る。「あれ、何か拙いことを言ったかな」とベルノルトが内心で焦る中、彼は息子にこう尋ねる。
「エマに子供が生まれたことや、その子が女の子だったことは、シェリーが手紙で書き送っているはずだけど……。ベル。まさか、返事を書いていないだけじゃなくて、そもそも読んでいないのかい?」
「う……」
ベルノルトが顔を引きつらせながら視線を彷徨わせる。その態度が図星であることを如実に物語っている。目を合わせようとしない息子の様子に、ジノーファは大げさにため息を吐く。そして彼にこう言った。
「せめてもの情けだ。わたしの方からは黙っておいてあげよう。せいぜいボロを出さないようにするんだね。勘付かれてしまったら、シェリーのお説教はきっと一日では終わらないよ」
「……はい、がんばります」
ベルノルトが弱々しくそう答えると、ジノーファも重々しく頷く。「いや、そこを頑張るのはどうなんだ」とメフライルは思ったが、口には出さなかった。
ちなみにこの件はしっかりバレて、お説教は一日では終わらなかった。隠し立てしようとしたことがシェリーをさらに怒らせることになってしまったわけなのだが、まあそれはそれとして。
「それで、その、子供の名前は……?」
「子供が生まれる前に、男の子と女の子の名前を一つずつ考えておけという手紙が、君のところに行っているはずなのだけどね」
「うう……」
ベルノルトが呻く。肩身が狭い、などというものではない。これでエマとシェリーまでこの場にいたら、まさに針のむしろであったろう。ジノーファは呆れたように肩をすくめてから、さらにこう話した。
「わたしに考えてくれという手紙も来たけどね。手紙のやり取りにはどうしても時間がかかるから、そちらで良い名前をつけて欲しい、と書いておいたよ。それで先日、子供の名前を決めたと報せが来てね。〈メリエム〉とつけたそうだ」
「メリエム……」
ベルノルトがその名前を呟く。妙な話ではあるが、この瞬間、彼の中で「子供が生まれた」という実感がわいた。まだ腕に抱いたこともない我が子だが、それでも「メリエム」という名前を与えられて、個人として存在するようになったのだ。彼は何度もその名前を呟いた。
「うん。名前はマリーが考えてくれたそうだ」
「マリカーシェル様が……」
「ベルが別に名前を考えているなら、〈メリエム〉はミドルネームにするつもりらしいけど……」
「いえ。良い名前だと思います」
ベルノルトははっきりとそう答えた。実際、「メリエム」というのは率直に言って良い名前だと思う。ただそれ以上に、王妃マリカーシェルがベルノルトの娘に名前をつけてくれたことは大きな意味を持つ。
一般的な観点から言えば、マリカーシェルとベルノルトの間には緊張関係があってしかるべきだ。そしてもしそうであったなら、彼女はベルノルトの娘の名前など、頼まれても考えたりはしなかっただろう。
だがマリカーシェルはベルノルトの娘に「メリエム」と名前をつけた。これは彼女とベルノルトの間に、またシェリーと間にも隔意がないことを意味している。王家の中に緊張関係がないのは良いことだ。
また、メリエムの立場というのは不安定だ。母親のエマはジノーファの古参の家臣の娘とはいえ、実家に大きな力は無く、またベルノルトと正式に結婚しているわけでもない。「第一王子のお手つきになって私生児を産んだ」というのが今の彼女の立場であり、メリエムは私生児そのものだ。
普通であれば、王家の一員として認められずともおかしくはない。だがマリカーシェルが名前をつけたことで、王妃がメリエムの一種の後ろ盾になったといえる。それは「自分の子供同然に可愛がる」と言っているのと同じだからだ。これでメリエムが軽く見られることはないだろう。
もちろんマリカーシェルには打算も思惑もあるだろう。全くの善意など、かえって危険なのが王家という場所だ。そしてこの場合の思惑とはベルノルトの頭を抑えることであり、打算とは彼を王座から遠ざけることだ。とはいえそんなこと、今更新たに手を打つまでもないことなのだが。
だからこの場合、比重としては善意のほうが圧倒的に大きいと言える。ベルノルトはすぐにそのことを理解できた。だからこそ、それを無下にするようなことはしたくない。それで彼は新たな名前を考えるつもりはまったくなかった。
「そうか。ではクルシェヒルに戻ったら、マリーにも礼を言っておきなさい」
「はい。そうします」
「まあ、その前に手紙を書くべきだと思うけどね」
「うっ……。はい、近いうちに」
やや視線を泳がせながら、ベルノルトはそう答えた。それを見てジノーファは楽しげに笑っている。その後しばらく、親子の語らいは続いた。時々お説教を交えながら。
ベルノルト「隠蔽工作しないと」
メフライル「その努力は別方向へ傾けてください。どうせ無駄ですから」




