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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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戦後処理1


 ――――ゴーン、ゴーン、ゴーン……。


「な、なんだ?」


 ガーバードから鐘の音が鳴り響くと、アルアシャンは少し焦った様子で腰を浮かせた。彼が率いるイスパルタ西征軍の本隊は、現在ガーバードに対して攻囲陣形を敷いている真っ最中だ。つまり隊列が整っているとは言いがたい。その時に響いた鐘の音に、彼は不吉な予感を覚えた。


 すわ敵の攻勢か。敵は数的に劣勢と考えられるが、マドハヴァディティアなら打って出てきてもおかしくはない。そう考えた者はアルアシャンだけではなかったようだ。イスパルタ軍の各隊は臨戦態勢を整える。だがマドハヴァディティア軍が攻めかかってくることはなかった。


「……もしかしたら、マドハヴァディティアが死んだのかもしれません」


 鐘の音が鳴り響く中、しかしガーバードに動きがなくてアルアシャンが怪訝な顔をしていると、その傍らでユスフがポツリとそう呟いた。アルアシャンは思わず「え?」と声を上げユスフの顔を見たが、彼はいたって真剣な表情だ。そして彼はさらにこう言った。


「ガーバードから使者が来るかも知れません。念のため、謁見の準備をしておきます」


「あ、ああ。よろしく頼む」


 アルアシャンはそう答えたが、本当に使者が来るのか、彼は懐疑的だった。このタイミングで使者が来るとすれば、それは降伏の使者だろう。だがイスパルタ軍はまだ降伏を促す使者を出していない。それは攻囲陣形を整えてから出す予定だった。ということは、敵方は自発的に降伏を決めたことになる。


(あの、マドハヴァディティアが?)


 アルアシャンは内心で首をひねる。むしろマドハヴァディティアなら、最後の最後まで意地汚く生き足掻くのではないだろうか。勝手なイメージと言われればそれまでだが、アルアシャンは彼についてそんなふうに思っていた。


 だが正鵠を射ていたのはユスフのほうだった。鐘が鳴り止んでからおよそ一時間後、ガーバードの正門が開き、使者らが現われてイスパルタ軍の陣内に入った。彼らは降伏を告げる使者であり、マドハヴァディティアの首をアルアシャンに差し出した。


「マドハヴァディティア陛下の御首級に間違いありません」


 ラーヒズヤがそう断言する。それを聞いてアルアシャンは頷いた。そして改めてマドハヴァディティアの首を検分する。彼はひどく満足げで、そして穏やかな死に顔をしていた。


 使者によると、マドハヴァディティアの最後の要望は「他の者たちの命の保証」であるという。それが容れられるか分からないというのに、彼は自分の首を差し出した。アルアシャンはそこに彼の凄みを見た気がした。


「良いだろう。この首に免じて、他の者たちの命は保証してやる。マドハヴァディティア軍はただちに武装解除せよ」


「ははっ。ありがたき幸せにございます」


 使者はそう言って深々と一礼すると、マドハヴァディティアの首を置いてガーバードへ戻っていった。それから少しして、都市を守っていたマドハヴァディティア軍の武装解除が始まる。それが完了したとの報告を受けてから、アルアシャンはガーバードへ入城した。事実上、この瞬間に第二次西方戦争は幕を閉じたと言って良い。


 さてガーバードを掌握すると、アルアシャンは南の貿易港へ一隊を差し向け、そこも掌握させた。そして海路にてヴァンガルのジノーファへ、ガーバード降伏の一報を届けさせた。さらにこの船は兵糧を満載して帰路につき、こうしてイスパルタ軍は海上においても補給線をつなげることに成功したのだった。


 少し先の話になる。アルアシャンはマドハヴァディティアの首を蜜蝋漬けにして、ジノーファのもとへ送った。ジノーファはそれを確認すると、首を今度は後継者であるナレインに返還した。


 マドハヴァディティアの身体はすでにガーバードで葬られている。加えてこの時にはもう、ナレインは戦後の仕置きでガーバードを離れることが決まっていた。そこで彼はガーバードを離れる際に父の首を持って行き、新たな領地に葬った。それで、マドハヴァディティアの墓は二つある。



 ○●○●○●○●



「マドハヴァディティア、自決。ガーバードは降伏」


 その一報は瞬く間に西方を駆け巡った。当然ながら、ベルノルトのところにも報せが来ている。伝聞による噂などではなく、アルアシャンからの直接の書状だ。情報の精度は最高度と言って良い。


「終わったな」


「はい。これでマドハヴァディティアの臣下だった者たちも、こぞってイスパルタ軍の軍門に降るでしょう」


 ベルノルトとメフライルはそう言葉を交わした。西方六十余州はイスパルタ朝の旗のもとに統一されることになる。長きにわたる、いや長すぎた群雄割拠の乱世が終わるのだ。歴史的な偉業と言って良いだろう。


 これでアルアシャンの武功についてとやかく言う者はいなくなるだろう。イスパルタ朝の次期王位継承者は名実ともにアルアシャンで決まりだ。この大国はきっと長続きするのだろう。ベルノルトはふとそう思った。


 正直に言えば、一抹の寂しさはある。もともとゼロに等しかったとは言え、これでベルノルトが王位に就く可能性は完全になくなった。とはいえそのことにホッとしている部分もある。


 王が果たすべき仕事と責任は大変なものだ。それを好きこのんで背負いたいのかと言われると、躊躇う自分がいる。ベルノルトはそのことを自覚していた。そしてそれがきっと答えなのだろう。


 さて、実質的に第二次西方戦争は終わったとは言え、しかしだからこそ戦後処理は続いている。特にこの地域はマドハヴァディティア軍に荒らされたため、やるべきことが多い。ベルノルトはシンドルグ城を拠点にしながらその仕事を続けた。


 ちなみにこの城はマドハヴァディティアが火をかけたために一度焼け落ちており、そのため居住性はあまりよろしくない。ただ地理的に都合が良いので、アースルガム方面軍は応急処置をしながら使っていた。


 そのシンドルグ城へ、ガーバードのアルアシャンから使者が来た。なんでもサラと一緒にガーバードまで来て欲しいという。シークリーのサラのところへは別の使者が向かっているということなので、シンドルグ城で彼女と合流してからガーバードへ向かうことになった。


「ベル、久しぶりね!」


「ああ、久しぶりだな、サラ」


 シンドルグ城で再会すると、二人は親しげにそう挨拶を交わした。サラの表情は明るく快活だ。話を聞く限り、シークリーでの仕事は大変だが、それよりもやりがいが勝るらしい。


 城で一泊してから、翌日二人はガーバードへ向けて出立した。二人とも馬車は使わず、甲冑を身に纏って騎乗している。サラはシンドルグ城に来たときもこのスタイルだった。「まだ戦火がくすぶっていることを考慮した」と言っていたが、不自由な馬車を嫌がったのではないかとベルノルトは思っている。


 二人の護衛には、アッバスとシェマルが付いた。二人で二〇〇〇の兵を率いている。エクレムは少ないと言ったが、アースルガム方面軍も任務にたいして戦力が充実しているわけではない。ベルノルトは「これで良い」と言い、エクレムも無理にとは言わなかった。


「……ところで、用件については何か書かれていたか?」


「戦後体制のことを話し合いたい、みたいなことが書いてあったわ。それに、ウチには一応独立勢力だから、『挨拶に来た』っていう事実が必要なのかも知れないわね」


 二人は馬上でそう言葉を交わす。確かにこれまで、イスパルタ朝はアースルガムに再興支援を約束していた。だが今回の戦いに限って言えば、正式な約定を結んだ上で協力態勢を取ったわけではない。言ってしまえば、ベルノルトが強引にねじ込んだ部分が大きいのだ。


 それで事後承諾になるとはいえ、イスパルタ西征軍総司令官アルアシャンの承認が必要、というのはおかしな話ではない。またアースルガムの国境線をどこまでとするのかも、はっきりと決めておく必要がある。それを考えれば、サラを呼び出すというのもおかしな話ではない。


「ベルの方はどうなの?」


「わたしの方は、特に用件は書かれていなかったなぁ。まあ、サラと一緒に来いっていうんだから、アースルガム関係のことだろう」


 ベルノルトは肩をすくめ、気楽な調子でそう答えた。さて、ガーバードへ向かう途中、彼らはナルドルグ城へ立ち寄った。この城はすでにイスパルタ軍の指揮下に入っているが、人員の入れ替えは行われておらず、つまりクリシュナが配置した者たちがそのまま残っている。


「ようこそ。ベルノルト殿下、そしてサラ殿下」


 ナルドルグ城ではナディナが二人を出迎えた。クリシュナの死後、彼女は塞ぎ込んでいると聞いていたが、出迎えてくれた彼女の表情は穏やかだ。その理由については、彼女自身がお茶の席でこう話した。


「実は先日、身ごもっていることが分かったのです」


「それは、まさか……」


「はい。クリシュナ様のお子です。まさかこんな形で戻ってきてくださるなんて……」


 そう呟いて、ナディナは幸せそうに腹部を撫でる。その姿を見て、ベルノルトは胸のつかえが一つ取れたような気がした。結果的にクリシュナが討ち取られてしまったことは、彼の中で小さなしこりになっていたのだ。


 何度も繰り返すが、イスパルタ軍とクリシュナ軍は正式な共闘態勢を築いていたわけではない。だからベルノルトにはクリシュナを助けるべき義理も義務もなかった。その意味で言えば、彼にクリシュナの死の責任は何一つとしてない。


 だがマドハヴァディティアという共通の敵と戦っていたのは事実だ。さらにベルノルトは政治判断を絡めて迂回進路を取った。もしもシンドルグ城からジャムシェド平原へ直行していたら、クリシュナは死ななかったのではないか。彼はその可能性を否定できない。それで彼はナディナにこう言った。


「おめでとうございます、ナディナ様。このことはわたしから王太子殿下にお伝えしておきましょう」


「ご配慮、感謝します。ベルノルト殿下」


 座ったまま、ナディナは深々と頭を下げた。お腹の子供の性別は分からない。だが無事に生まれてきてくれさえすれば、クリシュナの血筋を繋ぐことができる。それだけが今の彼女の生きる理由だった。


 愛おしげにお腹を撫でるナディナの姿を見ながら、ベルノルトはふとエマのことを思い出していた。彼女が懐妊したとの報せを聞いたのは、もうずいぶんと前のことだ。きっと今頃はもう生まれているに違いない。エマは、そして子供は無事だろうか。ベルノルトは会いたさが募った。


 ナルドルグ城に一泊してから、ベルノルトらはガーバードを目指してさらに南下する。そして五日目に彼らはガーバードに到着した。王城に到着すると、二人はすぐにアルアシャンの執務室へ通された。


「兄上、そしてサラ殿下。呼びつけるようなまねをして申し訳ありません。お二人とも、ようこそおいでくださいました」


 ベルノルトとサラの姿を見ると、アルアシャンは椅子から立ち上がり笑顔で二人を出迎えた。それから軽食を用意させ、それをつまみながら三人は近況を話し合う。その中でベルノルトがナディナの懐妊のことを伝えると、アルアシャンは一つ頷いて「あとで手紙と、何かお祝いの品を贈っておく」と答えた。それからしばし雑談に興じた後、アルアシャンは居住まいを正してこう切り出した。


「さて、そろそろ本題に入りましょう。ユスフ、頼む」


 アルアシャンがそう言ってユスフに視線を向けると、彼は「はい」と答えてアルアシャンの傍らに立つ。ベルノルトとサラが立ち上がろうとすると、ユスフは「座ったままで」と言ってそれを制した。そしてこう話を続ける。


「まずはサラ殿下にお伝えすることがあります」


「はい」


「サラ殿下の亡命以来、イスパルタ朝は一貫してアースルガムの再興を支持してきました。それで我が国は殿下のアースルガム再興宣言を有効なものと考え、主権を持つ独立国として貴国を承認します」


「……っ、はい! ありがとうございます」


 ユスフの言葉を聞き、サラは顔一杯に喜色を浮かべた。その横ではベルノルトも大きく頷いている。この瞬間、アースルガムの再興は確たるものとなった。


「国土については、ヴェールール併合前の領土を回復する、ということでよろしいでしょうか?」


「はい。それで構いません」


 サラがそう答えると、ユスフはちらりと視線をベルノルトに向ける。それを受けて彼は小さく頷いた。それを確認すると、ユスフは内心で安堵の息を吐く。アルアシャンも肩の力を抜いた。実のところ、アースルガムの国境線をどこに引くかについては、少なからず議論になっていたのだ。


 その中には、「シークリーだけを与え、自治都市としてイスパルタ朝に組み込む」という案まであった。仮に一から十までイスパルタ軍の力で再興したのであれば、その線で話をまとめることもできただろう。


 だが実際には、アースルガムはほとんど自力で再興を果たした。ベルノルトの存在が、つまりイスパルタ朝の後ろ盾が大きな影響力を持っていたことは間違いない。だが再興事業の主体はあくまでもアースルガムの人々だったのだ。


 こうなると、再興というよりは独立と言った方が正しいかも知れない。「最低限、旧領については認めないと、独立戦争に勝利したアースルガムの人々は納得しないだろう」。ハザエルらイスパルタ西征軍の首脳部はそのように考えていた。


 ただしそれ以上については、話は別である。イスパルタ軍が合流する前、アースルガム解放軍は旧領の外を切り取って従えたりはしなかった。となると少なくとも国土については、旧領以上のものを認めることはできない。


 ただここで問題になったのがベルノルトだ。彼はずいぶんとアースルガムに、そしてサラに肩入れした。その彼が「より広い領土をアースルガムに」と言い出した場合、どうするのか。実は答えは出ていなかった。


 何しろ、ベルノルトはアースルガム方面軍を率いてそれなりの戦果を上げている。第一王子という立場もあるし、彼が「どうしても」と言えば、頭ごなしに拒否することは難しい。それでベルノルトがごねた場合に彼を穏便に説得するのがユスフの仕事だった。ただ彼はすぐに頷いてくれたので、ユスフの仕事も簡単に終わった。


「……ありがとうございます。ではその線で話を進めさせていただきます。西方についてはアルアシャン王太子殿下の存念次第と陛下よりお言葉をいただいています。ただサラ殿下の場合、事情が事情ですので、一度ヴァンガルの陛下とお会いになって事の次第を説明された方が良いでしょう。こちらでも王太子殿下のお名前で書状をしたためておきますので、それをお持ちください」


「はい。後の事はルドラに任せてきたので、このお話が終わったらすぐにでもヴァンガルへ向かおうと思います」


「良かった。すでに船の準備もできています。どうぞ海路で向かわれてください」


 流れるように進む二人の会話を聞きながら、ベルノルトはふと引っ掛かるものを覚えた。話を聞く限り、サラはガーバードからさらにヴァンガルへ向かうことを承知していたように思われる。だがここまでの道中、彼女はそんなことは少しも匂わせなかった。これは一体どういうことなのか。ベルノルトは嫌な予感を覚えた。


ユスフ「ベルノルト殿下がごねるか否か。それが問題だ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] これは、外堀が既に埋められている予感……
[一言] 条約を破ったマドハヴァディティアの要望なんて律儀に守る義理はない。血族ごと滅ぼしたほうが後腐れなく済むと思うけど、戦後処理か長引きそうだからこの辺が落し所だよね。 とりあえず、マドハヴァデ…
[一言] ベルノルト、サラのお婿さんルート確定かな? 深入りしてたから仕方ないね!
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