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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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348/364

会戦の後に


「兄上!」


「王太子殿下。武運長久をお喜び申し上げます」


「アースルガム方面軍こそめざましい戦い振りであったと報告を受けています。さすがは兄上です」


「王太子殿下が遣わしてくださった、エクレム将軍と兵たちのおかげです」


 マドハヴァディティア軍を壊滅させたその翌日。イスパルタ西征軍本隊とアースルガム方面軍はジャムシェド平原で合流した。決戦が終わってから合流することになろうとは、アルアシャンもベルノルトも考えていなかったが、それでも勝ったのだから問題はない。二人はお互いの健闘をたたえ合った。


 イスパルタ西征軍の全軍が揃ったところで、さっそく軍議が開かれた。軍議ではまず、本隊とアースルガム方面軍のそれぞれの戦いについて報告がなされる。そのなかで最も関心を集めたのは、やはりマドハヴァディティアの行方についてだった。


「では、マドハヴァディティアは逃げ延びた、と?」


「恐らくは。ラーヒズヤが猛追したが、捉えられなかったそうだ」


 ハザエルがアーラムギールにそう答えると、ラーヒズヤは重々しく頷いた。もちろん、マドハヴァディティアの生きている姿を誰かが確認したわけではないから、もうすでに野垂れ死んでいる可能性もある。だが軍議の出席者は誰一人として彼が死んでいるとは考えていなかった。討ち取ったのでなければ逃げ延びたに違いない。彼にはそういうしぶとさがある。


「逃がしてしまった以上、マドハヴァディティアが今どこにいるのかは問題ではありません。奴の向かう先は決まっています」


「ガーバード、か」


「御意」


 ユスフがアルアシャンの考えを肯定する。他の幕僚たちも一様に頷いた。ガーバードは堅牢な城壁を備えたマドハヴァディティアの本拠地で、さらに一万程度の兵がいるものと推測されている。身の安全を求めるにしろ、再起を期するにしろ、ガーバード以上の場所はないだろう。


「直ちにガーバードへ向かうべきです。奴に時間を与えるべきではありませぬ!」


 そう強く訴えたのはラーヒズヤだ。彼はヴァンガルの宝物庫を見たことがある。その中身をマドハヴァディティアが全て持ち出したのであれば、ガーバードにはまだ多額の軍資金が残っているはず。彼はそう話した。


「ガーバード周辺は、ここ十年ほどは戦火を免れています。つまり底力がある。金と時間さえあれば、もう一度兵を集めることは可能です。これを座して許してはなりませぬ!」


 ラーヒズヤは声を上げてそう主張した。頷いて彼に同意する参謀らの姿も多い。実際問題、もう一度兵を集めたからと行って、マドハヴァディティア軍がこれまでのように戦える保証はない。先の大敗で多くの部隊指揮官を失っているからだ。


 しかしだからといって、楽観してよい理由にはならない。ガーバードに残っていると思われる一万の部隊。そこにはまだ多くの部隊指揮官が健在なはず。彼らを昇進させるなりすれば、態勢は整えられる。その上で、例えば籠城戦なら、経験の浅い部隊指揮官でもできることは多いだろう。


「……なるほど。兄上はどう思われますか?」


「ガーバードはマドハヴァディティアの本拠地。奴がそこに居ようが居まいが、攻め落とすなり降伏させるなりする必要があるのは明白です。ただその前に、ナルドルグ城のことも考えるべきではないでしょうか?」


 ナルドルグ城はクリシュナ方の城で、ジャムシェド平原とガーバードの間にある。ちなみに、距離的にはジャムシェド平原からの方が近い。小勢なら無視して脇を通り抜けることもできるだろうが、大軍でガーバードへ向かうとなるとさすがにこの城のことは無視できない。


「兄上は、ナルドルグ城が敵方に回るとお考えなのですか?」


「さすがにそれはないでしょう。ですが現状、味方とも言いがたい。これも事実です。旗幟をはっきりさせる必要があります」


 本隊と合流するまでの間に捕虜から聞き出した情報によると、ナルドルグ城にはおよそ二〇〇〇の兵が詰めている。さらにクリシュナの寵姫たるナディナ姫も、今はその城にいるという。そのことを説明した上で、ベルノルトはこう提案した。


「ナルドルグ城に対して、遁走したマドハヴァディティアの捜索と捕獲をお命じになられてはどうでしょうか?」


 どのみちナルドルグ城にも、決戦の顛末やクリシュナが戦死したことは伝えなければならない。その上で落ち武者狩りを命じれば、ナルドルグ城の兵士たちも命令に従いやすいのではないだろうか。


「ふぅむ……。ハザエル、どう思う?」


「良き案と存じます。ベルノルト殿下の言うとおり、ナルドルグ城には旗幟を明らかにしてもらわねばなりませぬ。その上で、彼らならば周辺の地理にも通じているでしょうし、今から早馬を飛ばせば、マドハヴァディティアを捕らえられる可能性は十分にあるでしょう」


 ハザエルはそう答えた。またマドハヴァディティアの捜索にナルドルグ城の兵を使えるのであれば、イスパルタ西征軍はガーバードの攻略に集中することができる。加えて補給路の安全のためにも、ナルドルグ城はしっかりと味方に引き込んでおく必要がある。アルアシャンが見渡しても反対意見はでない。それで彼はこう言った。


「分かった。ではそのようにしよう」


 アルアシャンがナルドルグ城へ送る書状をしたためている間に、使者の選定が行われた。選ばれたのは本隊所属の士官だったが、彼と一緒にもう一人、クリシュナ軍の士官も同行させることになった。


 選ばれたのは高位の騎士で、クリシュナ軍では一〇〇騎ほどの騎兵を率いていたという。ちなみに面通しはラーヒズヤが行った。彼に期待されているのは、クリシュナ軍の側から見た決戦の様子をナルドルグ城に説明し、その上で彼らをイスパルタ軍の側に引き寄せることである。


「マドハヴァディティアめを追えるのであれば、是非もありませぬ!」


 彼は自分の役割について説明を受けると、意気込んでそう答えた。彼と一緒に、彼の部下である七三騎が一緒にナルドルグ城へ向かうことになった。マドハヴァディティア探索のためには機動力が必要で、彼らはそこで力を発揮するだろう。


 使者らを送り出した後も軍議は続いた。マドハヴァディティアの探索はナルドルグ城にやらせるとして、それでもガーバードを放置しておくことはできない。軍を差し向け、攻め落とすか降伏させるかする必要がある。


 しかしその一方で、荒れ果てたこの地域をそのままにしておくこともできない。いや荒れ果てているだけなら「後は勝手に復興してくれ」と突き放すこともできる。だがこの地域にはまだマドハヴァディティア軍の残党が多数残っているのだ。これを放置していては、後日禍根の種となることは目に見えている。


 また直近の問題として、「武装解除した捕虜たちをどうするのか」という問題もある。彼らが全員クリシュナ兵であるなら、このまま解放するか、もしくはナルドルグ城へ戻らせるかしても良かった。しかし捕虜たちの中にはマドハヴァディティア兵も混じっている。となればまったく自由にさせるわけにはいかない。


「ある程度は、戦力を残しておく必要がありますな」


 参謀の一人がそう発言する。結局、ガーバードの攻略は本隊が行うことになった。戦力もそうだが、その都市のことを熟知しているラーヒズヤがいたことが大きい。彼はいよいよマドハヴァディティアに引導を渡せると意気込んでいた。


 一方で、アースルガム方面軍はこの地域の平定と治安の回復を進めることになった。ナルドルグ城が臣従した場合も、アースルガム方面軍の指揮下に入ることになる。逆に反抗した場合は攻め落とさなければならないのだが、その心配はほぼ無いだろうと思われた。


「では兄上。後の事はお任せします」


「王太子殿下もお気をつけて。ご武運を願っています」


 最後にそう言葉を交わしてから、アルアシャンとベルノルトは分かれた。南へ向かう本隊を見送りながら、ベルノルトは感慨深い思いを抱く。「男子三日会わざれば刮目せよ」というが、久しぶりに会ったアルアシャンはずいぶんと逞しくなったように見えた。


「本当はガーバードの攻略に加わりたかったのではありませんか?」


「まあ、そっちの方が楽しそうではあるな」


 ベルノルトは苦笑しながらメフライルにそう答えた。ガーバードの攻略は西方遠征のまさに大詰めと言って良い。またガーバードを落とせば、その南にある貿易港も使えるようになる。戦略的な意義としては、むしろこちらの方が大きい。


 なぜならこの貿易港が使えるようになれば、海路でヘラベートと、そして本国と結ばれるようになるからだ。西方諸国をイスパルタ朝へ恒久的に併合する上で、これは大きな意味を持つ。


 そしてだからこそ、ガーバードの攻略はアルアシャンがするべきだと、ベルノルトは思っている。最も意義のある勝利はアルアシャンが掴まなければならない。そうして初めてこの遠征という事業は完成する。ジノーファの後継者としてのアルアシャンの立場は揺るぎないものになるだろう。


「さて、と。こちらもこちらの仕事に取りかかるとしよう」


 ベルノルトは頭を切り替え、メフライルの方を向いてそう言った。彼がまず取りかかったのは、武装解除した捕虜たちについてだった。前述した通り、この中にはクリシュナ兵とマドハヴァディティア兵が混在している。そしてこの両者を峻別することは不可能と言って良い。それでベルノルトは彼らの元の所属には拘らないことにした。


「諸君らの中には、クリシュナ殿の下で戦った者も、マドハヴァディティアに従った者もいるだろう。だがクリシュナ軍もマドハヴァディティア軍も、すでにこの西方には存在しない。クリシュナ殿は戦死し、遁走したマドハヴァディティアに対しては徹底的な捜索が行われている。諸君らを率いる者も、諸君らに報いる者も、もはやいないのだ。


 代わって、この西方において唯一確たる力を持っているのは、我々イスパルタ軍である。しかしこの西方は、諸君の故郷は未だに混乱と混沌の最中にある。我々は力ある者の責任として、これを収めて秩序を回復しなければならない。この地を、諸君の愛する故郷を荒廃したままにしておくことは、我々としても望むところではないのだ。


 それで諸君においては、是非とも我々に協力して欲しい。戦禍を鎮め、混乱を収め、秩序を回復するのだ。そのためには諸君の力が必要だ。諸君の力を貸して欲しい。諸君らが昨日、誰の指揮下で戦ったのか、そのような些事にわたしは一切拘らぬ。これから行おうする事柄のためには、過去を振り返るわけにはいかないのだ。


 もう一度言う。諸君、どうかわたしに力を貸して欲しい。なすべきことはあまりに多く、しかもそのどれもが重要である。それを行い、そして成し終えるには諸君の力が必要なのだ。イスパルタ軍は共に戦った者を決して見捨てない。諸君らの働きには、必ずや誠意をもって報いることを約束する。そして諸君は歴史の栄光に浴するだろう!」


 捕虜たちは、元クリシュナ兵も元マドハヴァディティア兵も、揃って歓声を上げた。こうしてベルノルトは捕虜たちの元の所属に関わらず、彼らをアースルガム方面軍に組み込んで戦力化することに成功したのである。


 これにより、アースルガム方面軍も戦力は二万六〇〇〇を超えた。ただしこの中には多数の怪我人が含まれており、実際に戦える者となると二万四〇〇〇を下回る。とはいえ元の戦力から一万ほど積み増したことになり、大幅な戦力強化と言えた。


「上手くいって良かった。本当に良かった。もしも失敗していたら、一体どうなっていたことやら……」


 演説を終え、堂々とした足取りで自分のテントに引き返すと、メフライルと二人きりになった途端にベルノルトはそう安堵の言葉を口にした。捕虜たちが演説に反感を示してしまったら、最悪彼らが暴徒に化ける可能性さえあったのだ。それも、人数の上ではアースルガム方面軍と同等以上の捕虜たちが、である。首尾良く終わって本当に良かった、とベルノルトは心底安堵した。


「お疲れ様でした、殿下。なかなか演説もお上手ですね」


「茶化すな、ライル。こんな綱渡り、もう二度とやりたくないぞ」


 ベルノルトは渋面を浮かべてそう答えた。彼は自分が演説が得意だとは思っていない。自分は父親とは違うのだ、と彼は思っている。もっとも、ジノーファが聞けば「わたしだって演説は得意じゃないよ」と答えたに違いない。


 まあそれはともかくとして。捕虜たちを丸ごと味方に引き込むと、アースルガム方面軍はまずシンドルグ城へ向かった。そしてこの城を拠点としつつ、各地に部隊を出してマドハヴァディティア軍の残党を討伐させた。


 同時に各地の復興を支援し、流民をそれぞれの土地へ返していく。こうしてこの地域は徐々に治安を回復していった。ただし完全に平穏を取り戻すには、少なくとも一、二年はかかる見込みだ。


 人々の心の傷が癒えるまでとなると、さらに十数倍は時間がかかるだろう。壊すのは一瞬だが、立て直すのには多大な時間がかかる。ベルノルトはしみじみとそれを噛みしめた。



 ○●○●○●○●



 ナルドルグ城以北の地域は、マドハヴァディティア軍のために大きな戦禍を被っているという。だがナルドルグ城の周辺は、比較的平穏を保っている。それでナディナはひとまず身の危険を感じることなく、クリシュナの帰還を待ちわびていた。だが彼は帰ってこなかった。代わりにもたらされたのは、彼女が一番聞きたくなかった知らせだった。


「クリシュナ陛下、お討死にございますっ!」


 ジャムシェド平原から戻ってきた騎士がそう叫ぶのを聞いたとき、ナディナは地面が崩れ落ちたかのように感じた。騎士はさらに詳しい状況について説明したが、彼の声はナディナの耳を素通りする。ただ、クリシュナを討ったのがマドハヴァディティアその人であることだけは分かった。


「イスパルタ軍の総司令官、アルアシャン王太子殿下より書状をお預かりしています」


 騎士に同伴していた使者が、そう言って書状を差し出す。そこには「遁走したマドハヴァディティアを捜索し、捕獲するかもしくは討ち取れ」と命じられている。回ってきたその書状を読んだとき、ナディナは叫ぶようにしてこう命じた。


「すぐに兵を出してマドハヴァディティアを探しなさい!」


「しかしナディナ様。マドハヴァディティアを捜索するということは、イスパルタ軍の命令に従うということです」


「命令に従えば、イスパルタ軍は我々が降ったものと見なすでしょう」


「要請ならばともかく、命令される謂われはありませぬ。そもそも奴らがもっと早く来てくれていれば、こんなことにはならなかったのです!」


「では何もせずにこのままマドハヴァディティアを見逃し、イスパルタ軍と敵対すると言うのですか!」


 渋る居残り組の参謀たちを、ナディナはそう叱責した。ここでナルドルグ城の兵士たちが動かなければ、イスパルタ軍はそれを敵対行動と受け取るだろう。ナルドルグ城側が「中立を守ったまで」と主張したとしても、彼らはそれを受け入れないに違いない。そのことを指摘した上で、ナディナはさらにこう言った。


「貴方たちには、主君の仇を討とうという気概はないのですか!」


 そう焚き付けられて、留守居役の参謀たちは奮い立った。確かに主君の仇を見逃したとなれば、武人の面目が立たぬ。末代までの恥となるだろう。また最大の手柄首を獲ったとなれば、イスパルタ軍もそこのことは無視できないはず。ただちに探索の兵を出すことになった。そしてその返事をもらい、使者は満足げにナルドルグ城を後にした。


 さて、参謀たちの実務的な話が始まると、ナディナはそっと立ち上がって自分の部屋へ戻った。そして侍女たちを部屋から出して一人になる。一人になると、彼女はもう涙を堪えることができなかった。


「クリシュナ、様……! クリシュナさま……!」


 ベッドに倒れ込み、枕に顔を押し当てて、ナディナは泣いた。マドハヴァディティアに祖国を蹂躙されたとき、彼女はもう一生分泣いたと思っていた。しかし枯れ果てたはずの涙はとめどなく流れ落ちる。その止め方を、彼女はもう忘れてしまっていた。



ベルノルト「足、震えてなかったよな?」

メフライル「さて、どうでしょう?」

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― 新着の感想 ―
[一言] ベルノルトとアースルガムは欲張らずに元々の領土に近いレベルで止めて置かないとね。
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