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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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ジャムシェド会戦4


「ふふ、あの小僧が、なぁ」


 馬を駆けさせながら、マドハヴァディティアは楽しげにそう呟いて笑った。彼はベルノルトのことを覚えていた。いや、ついさっきまで忘れていたのだが、顔を見て思い出した。


 あの時はまだ、睨み付ければ腰を抜かしそうな、ひ弱な小僧だった。だが彼は時間を無駄にしなかったらしい。槍を振るって迫る彼の顔つきは精悍だった。こちらの予測を違えさせたことと言い、もう侮って良い相手ではない。


(小僧がいっぱしの男になる。俺が歳を取るわけだ)


 胸中でそう呟き、マドハヴァディティアは喉の奥で笑った。戦場で、それも敵将に斬り込まれて、それで何を考えたかと言えば自分の歳のことだとは。彼はそれがおかしかった。


(思えば……)


 思えば、駆け抜けるようにしてここまで来た。ありふれた小国でしかなかったヴェールールを率いて西方を席巻し、そして一時はヴァンガルまでも掌中に収めた。立ち止まった時など、少しもなかった。常に前進し続け、それを妨げるものはねじ伏せ、付いてこられないものは切り捨てた。それがマドハヴァディティアの人生だった。


 拙速であったろうか。そう思うことがないわけではない。せめて西方六十余州はヴェールールの旗の下に統一するべきではなかったか。そうでなくとも、もっとしっかり足場を固めていれば、ヴァンガルから撤退するようなこともなかっただろう。


(だが……)


 だがそうするとして、一体どれだけの時間が必要になるのか。ヴェールール軍を率いて征服を進める中でマドハヴァディティアが気付いたのは、人は変化を嫌がる生き物だということだ。


 西方では長らく小国が乱立し、凌ぎを削り合ってきた。興亡が激しく、戦乱が絶えず、下克上がまかり通る。そんな時代があまりにも長く続きすぎた。いや、続けすぎた、と言うべきか。誰もがこの混沌が永遠に続くと勘違いしていた。


 もしかしたらそういう者たちは、西方が混沌の中にあるとは思っていなかったのかも知れない。むしろ自分たちが秩序を作り、それを守っていると考えていただろう。だからこそ彼らはヴェールールとマドハヴァディティアが現われた時、選択を迫られたのだ。これまでの秩序を固守するのか、それとも新たな秩序を受け入れるのか、その選択を。


 そして多くの者は前者を選んだ。世の中が変わろうとしていることを深く考えたのかは分からない。いや、大多数のものはそんなことは考えなかっただろう。考えなかったからこそ、今までのやり方が通用しなくなることが、受け入れられなかったのだ。


 そのことは、ヴェールール一強が明白になってからも、降伏しようとしない国が多数あったことから分かる。彼らはヴェールールを拒んだのではない。新しい秩序を拒んだのだ。マドハヴァディティアも今ならばそうだと分かる。


 そしてその時、マドハヴァディティアもまた選択を迫られることになった。古い秩序に固執する者たちを滅ぼすのか否か、という選択である。そして彼が選んだのは後者だった。それらの者たちを滅ぼすのではなく、譲歩して取り込むことで、マドハヴァディティアは西方の覇者となったのである。


 だが同時にそれは、新たな秩序の確立を後回しにしたとも言える。マドハヴァディティアは古い秩序を一新する前に東を目指した。ただ彼自身、この時点でそれをはっきりと認識していたわけではない。彼がそのことに気付いたのは、クリシュナとラーヒズヤが叛いたときだった。


 西方の悪しき習慣をそのままにしてきてしまったことに、マドハヴァディティアはこのとき気付いたのである。そして突き詰めて言えばその根は譲歩したことに、つまり王を王のまま臣従させたことにある。言ってみれば〈王の中の王〉の称号が彼の足を引っ張ったのだ。


 しかしマドハヴァディティアは後悔していない。彼ならば西方を完全に掌握し、悪しき習慣を断ち切ることができただろう。だがそこまでだ。今度は老いが彼の足を引っ張る。さらに東へ進むことはできなかっただろう。彼が東進するには、あのタイミングしかなかったのだ。


 それでも、後継者に期待できれば、彼も足場固めを優先したかも知れない。彼自身、父王が手に入れた貿易港を飛躍の翼とした。同じように彼が統一した西方がヴェールール躍進の礎となるなら、それを期待することができたのなら、わざわざ大国イスパルタ朝に挑むようなことはしなかったかもしれない。


 だがマドハヴァディティアはそれを期待できなかった。ヴェールールの名の下に西方諸国を統一したとして、クリシュナにしろナレインにしろ、彼の後継者はそれを維持するだけで精一杯であろう。彼が長らく王太子を定めなかったのは、子供たちの力量を物足りなく感じていたからでもあったのだ。


 だからこそ彼は自分の手で東を掴みに行くことにした。その結果をわざわざ語る必要はない。後世において「この東進の失敗は必然であった」と書かれるのだろうか。そうだとしても彼は東へ進んだことを悔やまない。その結果ヴェールールが、いや自分の築き上げてきたモノが全て崩れ去るとしても。


「俺が築き上げたのだ。俺が潰して何が悪い」


 マドハヴァディティアは唇の端をつり上げてそう嘯いた。だいたい、過去を眺めて文句をつけるだけなら猿でもできる。未だ定まらざる未来を切り開こうというのだ。批評家ごときの出る幕ではない。


 第一、マドハヴァディティアはまだ諦めていなかった。前方のクリシュナ軍の防衛陣地さえ突破できれば、南へのガーバードへの道が開けるのだ。今回の遠征が理想的な展開にならなかったことは事実だが、損害はまだ許容できる範囲に留まっている。ここを切り抜けさえすれば、彼はまだ戦えるのだ。


「退けぇえ!」


 ゆえに、マドハヴァディティアは馬を駆けさせる。雑兵を払いのけ、騎兵を馬からたたき落とし、壕を一息で飛び越えて、彼は前へ前へと疾駆する。その姿に味方の兵たちも奮起して、彼らはよりいっそう勢いを強めた。


「クリシュナ! 愚かな我が息子よ、どこにいる!? 出てこい!」


 マドハヴァディティアはそう叫んだ。前方への脱出も重要だが、彼にもう一つやるべきことがある。彼の面子を大いに潰してくれた、謀反人を討ち取ることだ。彼はさらにこう言葉を続けてクリシュナを挑発する。


「徹頭徹尾、他力本願であったな! 貴様を王太子としなかった我の見る目の正しさを、貴様自身が証明したのだ! 最後までコソ泥のように逃げ回るか! それも良かろう。そら〈王の中の王〉が通るぞ、避けて逃げるがいいわ!」


「言わせておけば!」


 嘲笑に耐えかねたのか、クリシュナがマドハヴァディティアの前に姿を現す。彼は確かに頭に血が上っていたが、冷静な判断力は失っていなかった。クリシュナ軍はもはや壊滅状態にある。イスパルタ軍が追撃するよりも、マドハヴァディティア軍が前進する方が早い。ここから逆転する方法はただ一つだ。


「ここで貴様を討ち取れば、全ての帳尻は合うのだ! 覚悟!」


 そう言うが早いか、クリシュナは槍を構えて馬を駆けさせた。マドハヴァディティアは唇の端をつり上げると、槍の握りを確かめてからそれを迎え撃った。二人は何度も槍をぶつけ合う。思いかげず重たい手応えに、マドハヴァディティアはニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。


「なかなかやる。女の尻を追いかけ回すばかりが能の男ではなかったか。父として嬉しいぞ!」


「黙れ! 貴様の血を受け継いだこと、我が人生最大の汚点だ!」


 そう叫ぶのと同時に、クリシュナは槍を突き出した。マドハヴァディティアはその切っ先を、余裕を持って回避した。そして二人はまた槍をぶつけ合う。その攻防のなかで、マドハヴァディティアはふとあることに気がついた。


「貴様、時間を稼いでいるな?」


「……っ!」


 マドハヴァディティアがそう詰問すると、クリシュナは顔を歪めて舌打ちをした。彼の言うとおり、クリシュナは時間稼ぎをしていた。彼を足止めし、イスパルタ軍が追いつくのを待っていたのだ。


 確かにマドハヴァディティアを討てば状況は一気に変わる。クリシュナはそれを期待して彼の前に出た。彼の挑発に激昂したと思わせ、遮二無二に攻めているかのように見せかけた。マドハヴァディティアが受け身に回れば、彼を足止めして時間を稼ぐことができると思ったからだ。


 イスパルタ軍が追いつけば、より確実にマドハヴァディティアを討ち取れる。クリシュナはそう考えたのだろう。息子のその思惑を見抜いた上で、しかしマドハヴァディティアはこう吐き捨てた。


「つまらんな。興ざめだ」


 なぜそこで「自分が討ち取る」という気概を持てないのか。クリシュナの武芸はそう捨てたものではない。それはいま槍を交える中で十分に分かった。それなのになぜ、時間稼ぎなどと言う消極的な真似をするのか。マドハヴァディティアにはまったく理解できなかった。


 いや、クリシュナ本人は成功率の高い安全策を選んだつもりなのだろう。だがこの土壇場で安全策に走るという考え方が、マドハヴァディティアには理解できない。なぜここで他人を頼るのか。


 相手が死ぬのか、それとも自分が死ぬのか。それが運命の分かれ道であるとクリシュナも分かっているはず。それなのになぜ、その決定的な部分を他人に委ねるのか。なぜ自分の手で未来を掴みに行かないのか。


 その点、ベルノルトは良かった。彼には自分の手でマドハヴァディティアを討ち取るのだという意思と気概があった。彼は後方にいたのだから、そのまま部下に任せてしまうこともできただろう。だが彼はそうしなかった。自分で動かねば大魚を逃がすと分かっていたのだ。


(いざという時に安全策に走る。それが此奴の限界か)


 マドハヴァディティアはすとんとそう納得した。同時にクリシュナを王太子としなかった自分の見立ての正しさを再認識する。彼にずっと感じていた物足りなさの正体が、今はっきりと見えたような気がした。


 ともかく、クリシュナの狙いが分かった以上は、わざわざそれに付き合ってやる理由はない。マドハヴァディティアは猛然と彼に襲いかかる。たちまち、クリシュナは防戦一方となった。兜は飛ばされ、髪が乱れる。激しい攻撃のために、騎手も騎馬もすぐに細かな傷でいっぱいになった。


 両者の間合いが一旦離れると、クリシュナは大きく肩を上下させながら荒い呼吸を繰り返した。しかしそれでも、彼はまだマドハヴァディティアの前に立ち塞がっている。彼の眼光は未だ鋭く、マドハヴァディティアはそれが気に入らなくて小さく舌打ちをした。そんな彼にクリシュナは嘲笑を向ける。


「どうした、マドハヴァディティア。ガーバードへ逃げ込みたいのなら、私のことなど無視すれば良い」


 マドハヴァディティアは僅かに顔を険しくする。クリシュナの言うとおり、南下することだけを考えるなら、彼のことなど無視すれば良い。クリシュナ軍は大いに混乱している。どのみち追っては来られない。そしてそのチャンスは一騎打ちが始まってから何度もあった。だがマドハヴァディティアはそうしなかった。


「くくく、逃げられるわけないよなぁ。私に背を向けるなど、お前はできない。ここで逃げれば、いいや私が生きている限り、お前は永遠に負け犬だ!」


 マドハヴァディティアは自分を討ち取ることに拘っている。そうしなければ面目が立たないからだ。クリシュナが生きている限り、彼は「息子に女を寝取られた」と嗤われ続ける。それを黙らせるためには、どうしてもクリシュナの首が必要なのだ。


 クリシュナはそれを十分に理解していた。だからこそこうして姿を現したのだ。自分の存在がマドハヴァディティアを足止めする最も効果的な餌であると知っていたからだ。そして実際に今、マドハヴァディティアは足止めを喰らっている。彼の目の前でクリシュナがまだ生きているからだ。


 後方からは騒乱が近づいてくる。マドハヴァディティアの耳にもそれは届いていて、彼は残された時間が短いことを悟った。「時間稼ぎ」と馬鹿にしたが、そこに徹せられると確かに厄介である。彼はそれを認めた。


「まあ、良い」


 マドハヴァディティアは口元に小さく笑みを浮かべながらそう呟いた。そして手綱から左手を離し、その手に剣を握る。両手に武器を持った彼を見て、クリシュナは警戒を露わにした。「そろそろ仕舞いにする」。彼のその覚悟を感じ取ったのだ。


 睨み合いは一瞬。マドハヴァディティアはすぐに馬を駆けさせて突撃した。彼は両手に持った武器を翼のように広げて構える。そのせいか彼の姿が一回りも二回りも大きく見えて、クリシュナは背中に冷や汗を感じた。


(あんなもの、虚仮威しだ)


 クリシュナは自分にそう言い聞かせる。お互い、二本の足で立って戦っているわけではない。むしろお互い、騎乗しているのだ。両手に武器を持ったからと言って、それで単純に手数が増えるわけではない。それどころか手綱を手放すことになるのだから、馬の操作に支障が出かねない。


(最初の一撃を受け流して、後ろを取る)


 クリシュナはそう考えた。背後を取ることができれば、圧倒的優位に立てる。時間稼ぎをする必要もない。そのまま槍を一突きしてやれば良いのだ。彼とて自分の手でマドハヴァディティアを討てるのならそうしたかった。


 鍵になるのは、交差してからの手綱さばきだ。そう思い、クリシュナは左手に力を入れる。そのことにマドハヴァディティアが気付いたのかは分からない。だがその瞬間、彼はニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。


「はぁ!」


 その獰猛な笑みを浮かべたまま、マドハヴァディティアは裂帛の声を放つ。威嚇ではない。左手に持っていた剣をクリシュナ目掛けて投擲する。それと同時に声を放っていたのだ。


「っ!?」


 まったく頭になかった不意打ちに、クリシュナは一瞬怯んだ。同時に彼の身体は反射的に動く。つまり右手に持っていた槍で、投げつけられた剣を払いのけた。その間にマドハヴァディティアは間合いを詰めていた。


「……シィィ!」


 鋭く呼気を吐きながら、マドハヴァディティアは槍を繰り出した。クリシュナはそれを防ごうとするが、マドハヴァディティアは槍の穂先を強引に彼の首もとへねじ込んだ。


「ごふっ……」


 クリシュナの口から血があふれ出す。それとどちらが早かったのか、マドハヴァディティアは振り抜いて彼の首を刎ね飛ばした。


「ふは、ふははははは!!」


 マドハヴァディティアは会心の笑みを浮かべる。彼は笑い声を上げて、そのまま駆け抜けた。クリシュナの身体が馬の背から落ち、一拍遅れて彼の首も地面に落ちる。だがマドハヴァディティアはそれを振り返ることもせず、ただ南へ向かって馬を駆けさせた。



マドハヴァディティア「物足りんなぁ」

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― 新着の感想 ―
[一言] 物足りない物足りないではなくもっと後進の教育が必要だったのでは?俺の息子なら俺と同じ考え方で同じ素質を持ってると思うのはいささか傲慢だったなぁそれが彼の性格だったんだろうね
[良い点] マドハヴァディティアの変化を嫌う考察を変化の中で行うの好き。思考をアドレナリンの中でダダ流れさせるの好き。もっとあふれさせる感じのほうが個人的には好き。マドハヴァディティアだからこそ。 […
[良い点] 結局マドハヴァディティアも侵略、拡張路線から変化させられなかったと感じました。 そうするとすごい皮肉だなぁと。 [一言] まぁクリシュナも生き残ったところで周りの国に殺られそうだしこれで良…
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