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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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決戦にむけて2


 マドハヴァディティアが戦力を集結させているという情報は、クリシュナもまた掴んでいた。彼が戦力を集結させているのはシンドルグ城。そこにマドハヴァディティア本人もいる。


 とはいえクリシュナにシンドルグ城を攻めるつもりはなかった。情報によれば、敵の戦力はマドハヴァディティアが率いる本隊だけで二万。一方でクリシュナ軍は幾度かの戦闘を経て、参戦可能数が一万一〇〇〇を割り込んでいる。数で上回る敵が、しかも城砦に籠もっていては、さすがに勝ち筋が見えない。


「焦ることはない。奴の帰る先はガーバードだ。それさえ分かっていれば、やりようはある」


 自信を滲ませながらそう言って、クリシュナは地図を広げた。シンドルグ城からガーバードへ、しかも大軍を率いて向かおうとすれば、その行軍ルートはおのずと限られる。そのなかで要衝と言って良く、さらに兵を展開させるのに適している場所となると、それはもう一つしかない。そこを指さしてクリシュナはこう言った。


「ジャムシェド平原だ。マドハヴァディティアは必ずここを通る。ここに防御陣を築き、敵を待ち受ける」


 そしてイスパルタ軍が来るのを待つ。それがクリシュナ軍の基本戦略となった。消極的と思われかねない作戦ではある。だがあのマドハヴァディティアが指揮する、ともすれば二倍以上になる敵と野戦で正面から戦ったのであれば、勝ち目など無いに等しい。それで幕僚たちはクリシュナの作戦を、敵を退けるための最善手と評価した。


 この作戦計画はイスパルタ軍にも伝えられることになった。クリシュナとしては彼らを心底信じる気にはなれない。これまで散々待たされてきた、そして後回しにされてきたという思いがあるからだ。


 だが現実問題として、クリシュナ軍単独でマドハヴァディティア軍を退けることは難しい。勝つためにはイスパルタ軍の力が要るのだ。それにイスパルタ軍とて、ここまでマドハヴァディティアに振り回されっぱなしでは面子に関わるだろう。彼らは勝利を必要としている。ならば来るだろう。そこは信じてもよいはずだ、とクリシュナは思っていた。


 こうして方針が決まると、早速クリシュナ軍はジャムシェド平原へ向けて移動を開始した。さらに可能な限りの人足を集める。マドハヴァディティア軍を防ぐための防御陣地は短期間で造らなければならない。そのためには人手がいるのだ。


「せっかく人を集めるのです。一部はそのまま戦力に組み込みましょう」


 副将のハルバシャンがそう提案し、クリシュナはそれを容れた。確かに戦力は必要だ。それにこれまでマドハヴァディティア軍が暴れ回ったこともあり、士気の高さは期待できる。その上で防御陣地があれば、多少の練度不足は補えるだろう。


 ジャムシェド平原に到着すると、クリシュナ軍はすぐに防御陣地を造り始めた。人足は漸次合流してくる予定で、最終的にはおよそ二万人態勢になる予定だ。急ピッチで進む土木工事の様子を視察しながら、ふと北へ視線を向けた。


「…………」


 この向こうにマドハヴァディティアがいるのだ。無論、ジャムシェド平原からはシンドルグ城の姿を臨むことはできない。それでもクリシュナはその視線の先に父王の存在を確かに感じていた。



 ○●○●○●○●



 ――――決戦の舞台はジャムシェド平原。


 クリシュナ軍の使者からその話を聞き、さらにパーティーの招待状を受け取ると、アルアシャンは一つ頷いた。そして招待状を検めてからもう一度頷き、それから彼は使者にこう声をかける。


「ご苦労だったな、使者殿。パーティーには出席させていただこう。クリシュナ殿にもそう伝えてくれ」


「ははっ」


「ただし間に合うかまでは保証できない。妨害があるかも知れないし、敵が予想より早く動くこともあり得る。そこは留意してもらいたい」


 やや冷ややかな声でそう口を挟んだのは、アルアシャンの傍らに立つハザエルだった。アルアシャンはチラリと彼を見上げたが、しかし何も言わず、そのまま使者に視線を戻す。使者は顔を強張らせたが、結局文句は言わず、そのまま頭を下げた。


 使者が去ると、アルアシャンは早速軍議を開いた。使者から聞いた話を説明し、さらに招待状を回覧させる。決戦の舞台がジャムシェド平原と聞いても、それを不審がる幕僚はいない。イスパルタ軍が検討した際にも、有力候補として名前が挙がっていた場所だからだ。


 さらに使者はジャムシェド平原の詳細な地図も持参していた。その地図にはクリシュナ軍がどこに防御陣地を築くのかも記されている。参謀たちはその地図を見ながら、マドハヴァディティア軍の予想進路や、それに対してどう戦うのかなどを話し合った。


「そういえばハザエル。先ほどはどうして、『間に合うかまでは保証できない』などと言ったのだ?」


 参謀たちの議論を聞きながら、アルアシャンはふとハザエルにそう尋ねる。わざわざそんなことを口にすれば、「イスパルタ軍は間に合わせる気がない」と受け取られかねない。それともハザエルは本当に間に合わせない方が良いと思っているのだろうか。


「言葉通りの意味です、王太子殿下。実際に間に合うかどうかなど、確たることは誰も言えません」


 ハザエルはしれっとそう答えた。まあ確かに彼の言うとおりではある。彼も言っていたが、妨害や敵の予想外の動きなど、不安要素は幾つも考えられる。クリシュナ軍がさっさと蹴散らされてしまう、という可能性もあるのだ。


「そもそもこれから向かうのですから、予定は立てるとしても、数日程度の誤差は当然です。後詰めを請う以上、そこは呑み込んでもらわねば……。と言うのがまあ建前ですな」


「なら、本音は?」


 苦笑するハザエルに苦笑を返しながら、アルアシャンはそう尋ねる。するとハザエルは肩をすくめてこう答えた。


「遅いだの何だのと、キーキー文句を言われても面白くありませんからな。それに少しばかり脅しつけておいた方が、クリシュナ軍も必死に戦うでしょう」


「まあ、そうだな」


「それと少し真面目な話をしますと、この話を聞けば、クリシュナは私が好意的ではないと思うはずです。一方で王太子殿下は『パーティーには出席する』と即答なさいました。であればこの先、クリシュナは王太子殿下を頼りとすることになるでしょう」


 つまりその分だけアルアシャンの影響力が増す、というわけだ。ハザエルの話を聞いて、アルアシャンも真剣な顔で頷いた。ただし本当に「頼りになる」と思わせるためには、パーティーに遅れるわけにはいかない。


「ではともかく、わざと遅れるようなことはしなくて良いのだな?」


「はっ。釘は刺しました。それで十分でしょう」


 ハザエルは畏まってそう答えた。それを聞いてアルアシャンは頷く。そして軍議を適当なところで切り上げると、まとめた情報をアースルガム方面軍にも送るよう指示する。それから彼は本隊を率いてジャムシェド平原に向け行軍を開始するのだった。



 ○●○●○●○●



「ジャムシェド平原、か……」


 シンドルグ城の一室にて、マドハヴァディティアはニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。クリシュナ軍がそこに防御陣地を造設しているとの報告を受けのだ。どうやらクリシュナはそこを決戦の舞台と定めたらしい。


 ジャムシェド平原は大軍を動かすのに適している。それでその平原での決戦は自軍に有利だ、とマドハヴァディティアは考える。ただしそれはクリシュナ軍のみを相手にした場合だ。


 大軍を動かすのに適しているということは、イスパルタ軍もまた自由に動けると言うことである。イスパルタ軍は現在二手に分かれているが、数の少ない方ならばともかく、本隊が到着してしまうと数的な優位は逆転してしまう。


 そのことを踏まえ、クリシュナ軍がジャムシェド平原に防御陣地を造っていることを考えると、どうやら愚息は自力で勝つことを諦めたらしい。代わりに敵を逃がさないことを優先し、イスパルタ軍の合流を待つことにしたのだろう。マドハヴァディティアはそう判断した。


(面白みのない奴め)


 口の端に小さく嘲笑を浮かべ、マドハヴァディティアは声に出さずそう呟いた。堅実であることは確かだ。だがこの場合、自分の運命を他人に委ねているに等しい。その考え方は、彼には理解できないものだった。


「ここで博打を打てないようでは、そもそも謀反など成功するはずもなかったな」


 今度は声に出して、マドハヴァディティアはそう嗤った。とはいえ現状のことを考えれば、嗤ってばかりもいられない。前述した通り、クリシュナ軍とイスパルタ軍の本隊が合流したら、マドハヴァディティア軍は数的に不利になるのだ。何より、イスパルタ軍と真正面から戦うのはまだ早い。


 マドハヴァディティアの思い描く展望はこうだ。まずこのクリシュナの支配地域を荒らし回って混乱した状況を作り出す。これはほぼ完了したと言って良い。そしてクリシュナ軍を打ち破ってこの地域を脱出し、そのままガーバードへ帰還する。


 この時、クリシュナの首を取れれば一番良い。ただマドハヴァディティアはそこに執着するつもりはなかった。生き残ったとして、クリシュナを待ち受けるのは茨の道だ。彼はむしろ「死んだ方が良かった」と思うだろう。せいぜい苦しめば良い、とマドハヴァディティアは思っている。


 まあそれはそれとして。マドハヴァディティア軍が撤収すれば、この地域に残るのは荒廃した大地と流民の大群、そしてイスパルタ軍である。つまりマドハヴァディティアは後始末を全てイスパルタ軍に押しつける気なのだ。


 秩序と治安が失われたこの地域を立て直すのに、イスパルタ軍は一体どれほどの手間と時間をつぎ込むのだろうか。それを想像するだけでマドハヴァディティアは楽しくなる。しかも当面、物資は外から持ってこなければならない。補給線にかかる負担は甚大であろう。


 つまり当面の間、イスパルタ軍は身動きが取れなくなると見て良い。その間に己の支配領域を広げる、というのがマドハヴァディティアの戦略だった。これまでに多数の兵を失っているが、何も問題は無い。


 ガーバードにはまだ一万の兵が残っているし、必要とあらばまた雇えば良いのだ。ヴァンガルの大聖堂から持ち出した資金がまだ残っているし、つい最近に荒稼ぎした分もこのシンドルグ城に積み上げられている。それらの資金を使えば、戦力を回復させることは容易だ。


 そしてある程度支配地を増やしたところで、イスパルタ軍の補給線を断つ。補給を受けられなくなったイスパルタ軍は、混乱したこの地域を持て余すだろう。何より彼らはこの異国の地で孤立することになる。


 その時イスパルタ軍はどうするのか。損切りしてこの西方諸国から撤退する、というのが、マドハヴァディティアにとって最も望ましい展開だ。その場合、追撃して「叩き出した」という格好を整える。その時彼の、そして〈王の中の王〉の権威は不動のものになるだろう。


 一方ですぐには撤退しないことも考えられる。この場合は持久戦だ。焦らず、イスパルタ軍が十分に弱るのを待つ。むしろイスパルタ軍が無様な姿をさらせばその分だけ、マドハヴァディティアの名声は高められることになるだろう。


 あるいはイスパルタ軍が短期決戦を挑んでくることも考えられる。そうだとしても、マドハヴァディティアは恐れない。「アルアシャン如き小僧、ひねり潰してくれる」と彼は意気込んでいる。


(懸念があるとすれば……)


 懸念があるとすれば、ヴァンガルに残るイスパルタ王ジノーファの動きだ。自軍の補給線が寸断されれば、彼が後詰めする可能性は高い。だが逆を言えば、彼を打ち破ればマドハヴァディティアの勝利は確定する。


(思えば……)


 思えば、互いに兵を率いてジノーファとぶつかり合ったことはない。それが叶うかも知れぬと考えたとき、恐怖を感じるよりもむしろ血が沸き立つのが、マドハヴァディティアという人間だ。それどころか「どうやって引っ張り出してやろうかな」などと、そんなことまで考えてしまう。


 まあ、何もかも思い通りになることなどないだろう。マドハヴァディティアもそれは弁えているし、またヴァンガルに籠城していた時分から嫌と言うほど思い知らされてもいる。それで計画には適時変更が必要だろう、と彼も覚悟している。手痛い失敗は彼の眼差しを研ぎ澄ましていた。


「とはいえ、こんなにも初期にけつまずくわけにはいかんな」


 この先の展望を一旦打ち切り、マドハヴァディティアは表情を引き締めてそう呟いた。前述した通り、彼としてはここでイスパルタ軍と決戦する気はない。彼の狙いはクリシュナ軍のみであり、クリシュナ軍のみと戦うことを望んでいる。確実に勝つためだ。そしてそのために鍵となるのは時間だった。


 つまりイスパルタ軍がジャムシェド平原に到着する前に、クリシュナ軍を蹴散らして突破する必要がある。そのためには十分な戦力が必要なのだが、ここでこれまでの分散進撃が仇になる。戦力の結集には相応の時間がかかるのだ。


「致し方なし。動くか」


 マドハヴァディティアはそう決断した。全軍が結集するのを待っていては、イスパルタ軍がクリシュナ軍と合流してしまうだろう。それに時間を与えればその分だけ、クリシュナ軍の防御陣地は強固になる。つまりこの場合、拙速こそが最善手だ。


 万が一の時の行動計画は、すでに各分隊に伝えてある。それに沿ってそれぞれが動くだろう。ジャムシェド平原で合流できれば戦力の結集は叶うし、最悪でもガーバードへ戻ってくればその後に幾らでも使い道がある。


 もしかしたら行動計画に従わず、この地に残って独立を目指す者がいるかも知れないが、それはそれで構わない。彼らは懸命にイスパルタ軍の足を引っ張ってくれるだろう。働き次第では本当に王にしてやっても良い、とマドハヴァディティアは鷹揚に考えた。


 マドハヴァディティアは明朝の出陣を命じた。結集させた戦力は三万強。これだけあればクリシュナ軍を打ち破るのになんの不足もない。彼は力強く頷いた。


「あとは、もう一手打っておくか」


 マドハヴァディティアは楽しげな口調でそう呟き、机の上に地図を広げた。彼はイスパルタ軍が表れる前に、クリシュナ軍を叩くつもりでいる。そして今動けば、それは叶うだろうと思っている。


 だがイスパルタ軍が彼の思うとおりに動いてくれるかは分からない。予定通りに事を運ぶにはイスパルタ軍の行軍を遅れさせるために、つまりは時間稼ぎのために何か手を打っておいた方が良いだろう。


「うむ。ここだ。ここが良かろう」


 地図上のある一点を指さし、マドハヴァディティアは満足げに頷いた。そして彼は早速ペンを取り、命令書をしたためる。この日、明朝の出陣に先立ち、五〇人ほどの部隊が一つシンドルグ城より出撃した。


マドハヴァディティア「では、そろそろ帰るとしよう」

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― 新着の感想 ―
[一言] イスパルタ軍がマドハヴァディティアと全力で戦うかは解らんけどな。 イスパルタ軍が居なければまともな戦いにも成らん連中を助けても利益が少ないわ。 マドハヴァディティア・クリシュナ・アースルガ…
[良い点] 更新ありがとうございます^_^ 前提として、イスパルタがどこまでこの地域を支援するかって話もありますけどね 損得勘定で、割りに合わないなら支援などせず帰れば良いんだし ましてやまた戦争の…
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