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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
商人の国のダンジョン

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援軍派遣2

「……と、いうわけでな。国境近くでスタンピードを起こされるわけにはいかん。次も被害が出ないとは限らんからな。それでロストク帝国としても、ランヴィーア王国に援軍を送ることに決めたのだ」


 一連の説明を終え、ダンダリオンはすっかり冷めてしまったお茶の残りを飲み干した。一方のジノーファは、彼の話を聞いているうちに、だんだんと表情が引き締まっていた。自分がなぜこうして呼び出されたのか、その理由を察したのだ。


「ついてはジノーファ。そなたには客将としてこの援軍に加わってもらいたい。ダンジョン攻略なら、お手の物だろう?」


「わたし一人加わったところで、戦力的には大差ないでしょう。本命はシャドーホールですか?」


 ジノーファが逆にそう尋ねると、ダンダリオンは苦笑して「可愛げのない奴め」と嘯いた。確かにジノーファは聖痕(スティグマ)持ちであり、最高峰の武人だ。しかし所詮は一人。攻略を行える範囲には限りがある。一万人という全戦力からすれば、無視できる程度のものでしかないだろう。


 だが戦闘能力だけがジノーファの取り柄ではない。むしろこの場合、シャドーホールを用いた物資の輸送能力こそ、彼の真価であるとダンダリオンは考える。シャドーホールは魔法なのでダンジョンの中でしか使えないが、しかし今回はそのダンジョンへ赴くのだから何の問題もない。


「援軍の名目はダンジョン攻略のため、だがな。イブライン軍を相手取ることになる可能性も十分にある」


 つまり戦闘が激しくなった上に派遣が長期化するかもしれない、ということだ。しかも援軍が派遣されるのは異国。輜重は用意していくものの、補給はランヴィーア王国に頼る事になる。それはある意味で、命綱を他人に預けるようなものだ。


「『腹が減っては戦はできぬ』というがな。まさにその通りで、兵士を連れて行けば戦力になるわけではない。兵士を戦わせるには、それを支える輜重が必要なのだ」


「それを、わたしに預ける、と?」


「無論、全てではないぞ。そもそも、派兵部隊には十分な輜重を持たせる。それで十分だとは思うのだが、万が一と言うこともある。それでお主には予備分をシャドーホールに納め、持って行ってもらいたいと考えている」


 そう言ってダンダリオンはジノーファのことを真っ直ぐに見据えた。彼の眼差しは真剣だが、威圧感はない。むしろ自分のことを気遣ってくれているようにさえ、ジノーファには感じられた。


「承知いたしました。わたしとしても、この国がスタンピードの災禍に見舞われるのは見過ごせません。微力なれど、協力させていただきます」


 ジノーファはそう答えた。実際のところ、ダンダリオンからこうして直接要請されたからには、断ることはほとんど不可能だ。だが彼は決していやいやに協力を承知したわけではなかった。


 アンタルヤ王国王太子の身分を失い、すでに一年以上。無位無官ながらも気楽で穏やかなこの生活が、ジノーファは結構気に入っている。しかし心の奥底で誰かが問うのだ。「このままでいいのか?」と。


 地位や名誉が欲しいわけではない。ガーレルラーン二世やイスファードに復讐したいわけでもない。何をすればいいのか、いや何をしたいのかさえ、定かではない。だが問われるたびに心は急く。このままではいけない、と。


 自分にできることがあるならやりたい。ジノーファはそう思っていた。だからダンダリオンから協力を要請されたとき、むしろ彼の心は湧き立った。穏やかだった彼の瞳に力強さが加わる。それを見てダンダリオンはにやりと笑みを浮かべた。


「よし。すでに物資の準備は始めさせている。順次ダンジョンへ運ばせるゆえ、そなたも向かってくれ」


「分かりました」


 ジノーファがそう答えると、ダンダリオンは満足そうに一つ頷いた。そして兵士に命じて彼をダンジョンへ案内させる。その後にシェリーが音も立てずに従った。


 ダンジョンに到着すると、すでに物資が山積みされていた。ジノーファはそれの物資を次々にシャドーホールへ収めていく。山積みされていた分を収納し終えても、荷物はさらに運ばれてくる。その分もジノーファは全てシャドーホールに収めていく。


 収めた物資は大雑把に分けて三種類。食糧と武器と、そして医薬品である。食糧は大量に持っていった場合、腐って無駄になってしまうこともあるのだが、シャドーホールの中に収めておけばその心配もない。この場合、兵士が腹をすかせてしまうことのほうが大問題なのだ。


 武器も重要だ。特に今回はダンジョン攻略がメインになると思われている。つまり敵は人間ではなくモンスター。ある種のモンスターを相手にする場合、人間を相手にする場合より武器の消耗は激しくなる。十分な予備が必要だった。


 そしてなによりも医療品。これがないと傷口が化膿するなりして、死なずに済んだはずの兵士まで死んでしまう。食糧や武器と同じくらい、重要な物資なのだ。医療品が十分にあることを知れば、兵士たちも安心して戦えるだろう。


 医療品には水薬(ポーション)も多く含まれていた。ジノーファがダンジョンからの取水を積極的に行っていたおかげで、ポーションの備蓄には余裕がある。その余裕が潤沢な物資として今回の派兵を支えることになるのだ。魔法の傷薬は死亡率を大きく下げてくれるだろう。ジノーファ自身もその恩恵を受けるわけで、そう考えると自給自足をしていると言えなくもない。


 それにしても、運びこまれる物資の量は多い。これとは別に十分と思える量の輜重を持っていくのだから、こうして準備した分の大半は余るのではないか。物資を用意した直轄軍の担当者はそんなふうにさえ思っていた。


 仮に余ったとしても、何も問題はない。シャドーホールに入れておけば腐ることもないので、また取り出せばよい。無駄にはならない。分かってはいるのだが、それでも過剰なように思える。派兵部隊の規模がそれほど大きくないので可能な力技だった。


「いやはや……。自分の目で見ても信じられませんな……」


 荷物の運搬を行っていた兵士の一人がそう言って苦笑する。大量の物資は全てシャドーホールに収納されてしまった。彼はその一部始終を見ていたのだが、それでも「物資は最初からなかった」と言われた方がまだ信じやすい。


「これが、収納魔法、ですか……」


 彼は戦慄した。彼はおもに兵站に関わる役職だったから、その衝撃の大きさもひとしおである。ジノーファといえば聖痕(スティグマ)ばかりが注目されているが、実際のところこのシャドーホールのほうが、使い方によっては影響力が大きいのではないだろうか。彼はそう考え、そしてそのことを見抜いていたダンダリオンの慧眼に、改めて感服するのだった。


 さて、今回の派兵についてだが、騎兵五〇〇、歩兵二〇〇〇の部隊を送ることに決めた。指揮官はルドガー。本来ならば役不足なのだが、あるいは政治的な判断を求められる場合もあるかも知れぬ。それを見越しての人選であり、彼には今回の一件に関して全権委任大使として、つまりダンダリオン一世の代理人として振舞うことが許されていた。


 この人選を聞き、ジノーファも多少の安堵を覚えていた。直轄軍に知り合いは少ないが、ルドガーならば人となりも知っている。今回ジノーファは客将という特殊な立場で派兵に協力するわけだが、彼とならば上手くやれそうだった。


 そして大統歴六三六年七月十四日、ルドガーらは帝都ガルガンドーを出立した。ただし、出立したのは騎兵五〇〇のみ。歩兵二〇〇〇の部隊とは、ランヴィーア王国との国境近くの砦で合流することになっている。騎兵の足をいかし、移動日数を短縮するためだった。スタンピードが起こってすでに一ヶ月以上。攻略は始まっているとはいえ、どの程度進んでいるかは分からない。時間との勝負だった。


 帝都から出撃する五〇〇騎のなかに、ジノーファの姿もある。彼に従うのは、シェリーとユスフの二人。当初ジノーファは二人に、屋敷に残ってもらうつもりでいたのだが、彼らは頑として承服しようとはしなかった。


『わたしはジノーファ様の専属メイドです。置いていかれてしまっては、お給料泥棒になってしまいますわ』


『それなら、ぼくもジノーファ様の従者です! 留守を守るのは、従者の仕事ではありません!』


『今回はダンジョン攻略がメインだとか。パーティーメンバーが変われば、連携を確認するのも一苦労です。ここはやはり、いつものメンバーで臨むべきです』


『ジノーファ様が戦に赴かれるのに、お供をしないのでは、何のためにここへ参ったのかわかりません。父にも叱責されてしまいます』


『ダンダリオン陛下からも、ジノーファ様のことを頼まれています。報告書も出さなければいけませんし、やはり置いていかれては困りますわ』


『そもそも、お供の一人も連れないで参陣すれば、ジノーファ様が軽く見られてしまいます。ぼくたち使用人だって、いい笑い者ですよ』


『分かった、二人共分かったから』


 ジノーファは苦笑しつつそう言った。彼としても、本音を言えば、二人がいてくれれば心強い。それでどうしても居残るようにとは言えなかった。


 さて、帝都を出立した五〇〇騎は、わずか三日で最初の目的地に到着した。ランヴィーア王国との国境近くにある直轄軍の砦である。この砦から国境までは、徒歩でおよそ一日の距離だ。


 この砦で、ルドガー率いる五〇〇騎は、歩兵二〇〇〇の部隊と合流した。これらの歩兵はもともとこの砦に配備されていた兵たちだ。彼らの士気は高い。志願者を募ったと言う話だが、定員を大きく超える応募があり、抽選になったという。そのせいなのか、選ばれなかった兵士の中には、悔しそうにしている者もいた。


 ランヴィーア王国とロストク帝国の間には同盟が結ばれており、そのためかの国と戦端が開かれる可能性はかなり低い。それはつまり、この砦に配備された兵士は武功を立てる機会になかなか恵まれない、という意味でもあった。


 そんな兵士たちにとって、この派兵はまたとないチャンスなのだ。奇しくも昨年は、旧フレゼシア公国に配備されていた一軍が、炎帝ダンダリオン一世の指揮下で大きな戦果を上げた。自分たちだって、という思いが強いに違いない。


「ダンジョン攻略がメインであり、手柄首を上げる機会などそうそうないと、説明したのですがなぁ」


 城砦司令官は苦笑しながらそう説明した。その言葉にルドガーも苦笑して応じる。ただ、兵士たちの士気は低いよりも高い方がいいに決まっている。そういう意味では、ルドガーにとって悪い話ではなかった。


「それも、ダンダリオン陛下への忠勤の念の現れでしょう」


「左様。戦場働きからは遠ざかっているとはいえ、我ら、訓練にいささかの怠りもありませぬ。定期的にダンジョン攻略も行わせておりますゆえ、兵どもは此度も十分に働きましょうぞ」


「それは心強い。……それと、輜重のほうはどうなっていますか?」


「すでに用意してあります。ご安心召されよ」


 城砦司令官の返答を聞き、ルドガーは一つ頷いた。直轄軍において、兵站の重要性を理解していない者が指揮官になることはない。城砦司令官ともなれば、人一倍兵站の重要性は理解しているだろう。その彼が「用意した」というのだから、何も心配はなかった。


「ところでルドガー将軍。今回の派兵には、あの聖痕(スティグマ)持ちのジノーファ殿も加わっているとか。紹介していただけませんかな?」


 少年のように目を輝かせながら、城砦司令官はそう頼んだ。その様子を見てルドガーは苦笑する。何となく、こうなりそうな気はしていたのだ。


 直轄軍の士官や兵士たちの間で、ジノーファの評判はすこぶるいい。それはスタンピードの際の彼の振る舞いに起因するものだが、なによりダンダリオンが彼を気に入っているのが大きかった。つまりダンダリオンへの畏怖と敬愛が、そのままジノーファへの評判に繋がっているのだ。


 ただ、あのスタンピード以来、ジノーファはずっと帝都ガルガンドーで暮らしている。あちらこちらへと出向くことはなく、地方にいる直轄軍の士官や兵士たちは彼と会う機会がない。


 それでこの機会にぜひ、彼と話をしてみたいと思う者は多かった。この三日間の間でさえ、わざわざ挨拶に出向いてくる隊長格が後を絶たなかったくらいだ。もしやダンダリオンはジノーファの顔見せのために、彼を今回の派兵に同行させたのではないだろうか。ルドガーは思わずそんなことを考えてしまったほどだ。


 ともかく、城砦司令官の頼みを断る理由もない。それにこうして直轄軍の士官たちと誼を得ておくことは、将来ジノーファの役に立つだろう。それでルドガーは一つ頷くと、彼をジノーファと引き合わせた。懇親の席ではお酒も出され、結局、夜遅くまで続くのだった。


 翌日、日が昇るのとほぼ同時に、ルドガーは部隊を引き連れて砦を出立した。ここからは歩兵二〇〇〇に加えて、輜重を積んだ荷車も連れて行くことになる。ランヴィーア王国との国境も目の前であるし、ここからが今回の遠征の本番だ。


「司令官殿、世話になりました」


「ご武運を。ルドガー殿」


 馬上から敬礼を返すルドガーの顔も、武人のそれへと変わってきている。目指す戦場はまだ遠い。しかしこれから軍勢を引き連れて異国の地を踏むのだ。いささかも油断するわけにはいかない。


 そして指揮官の纏う空気の変化は、部隊全体にも影響を与えていた。兵士たちは皆、背中に鋼の支柱を差し込まれたかのように背筋を伸ばしている。精兵と呼ぶに相応しい顔つきだった。


 そんな中、ユスフはどこかそわそわとしている。彼は遠征どころか行軍自体が初めてだったから、周りの空気にあてられてしまったのだろう。その様子に苦笑し、ジノーファは彼にこう声をかけた。


「大丈夫だ、ユスフ。昨日までより、今日からの方がきっと楽だよ」


「は、はぁ……」


 ジノーファのちょっとずれた言葉に、ユスフは微妙な顔をして頷いた。今日からは歩兵に合わせた行軍速度になる。馬に乗っている彼らにとっては、確かに昨日までよりずっと楽だろう。


 だが、そういうことではないのだ。戦いの気配を首筋に感じるような空気に圧倒されていたというのに、なんだかピクニックの話にすり替えられてしまったかのようである。緊張感の収まりがつかなくて、ユスフは内心で嘆息した。


(なんだかなぁ、もう……)


 少々恨めしい気持ちで、ユスフはジノーファの方を見た。彼の様子は、昨日までと少しも変わらない。至って自然体だ。ユスフはついこう尋ねてしまった。


「ジノーファ様は、緊張なさらないんですか?」


「今から緊張していても仕方がないさ。それに、今のわたしは兵を指揮するわけでも、大きな決断をするわけでもないからね。気楽なものだよ」


 それを聞いて、ユスフはハッとした。ジノーファはすでに極限の戦場を、しかも指揮官と言う立場で経験している。その経験の差が、つまり今のジノーファとユスフの差だった。


(……ッ)


 ユスフは手綱を強く握った。ジノーファの背中は遠い。しかしせめてその背中を守れるようにならなければ、彼がジノーファに仕える意味はない。いや、最低限度の水準で満足しているわけにはいかないのだ。


 ジノーファに仕える者として相応しくあらねばならない。ユスフは自分にそう言い聞かせた。そして彼は馬上で背筋を伸ばす。それは虚勢ではあったけれども、彼にとっては必要なものだった。


 さて、この翌日。ルドガー率いる遠征部隊はランヴィーア王国に入った。



シェリーの一言報告書「言葉巧みにご主人様を翻弄する! これぞメイドの醍醐味その2! あ、あと出張手当ください」

ダンダリオン「どっちが本題だ?」

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