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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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教皇の最期4


 アースルガム方面軍本隊がラーカイド城に肉薄してから三日後。アッバスとシェマルの別働隊から伝令が到着し、「敵の物資回収部隊を撃退した」と報告した。その少し後、敗残兵と思われる者たちが、城へ逃げ込むのを遠巻きに監視していた斥候達が確認する。それらの報告を受けて、ベルノルトは大きく頷いた。


「さて、どう動くかな?」


「敵は何としても補給を行いたいはずです。しかしそのためには、別働隊に対処できるだけの戦力を城から出さなければなりません。つまり城の戦力が減ります。好機かと」


 そう話す参謀の言葉に、ベルノルトはもう一度頷く。それでアースルガム方面軍本隊の方針としては、ラーカイド城の監視を強化しつつ、いつでも総攻撃を仕掛けられるよう準備しておくことになった。


 しかしそれから数日経っても、ラーカイド城に大きな動きはない。堅く城門を閉ざして守りを固めている。ただ時間を浪費しているようにしか思えないその行動に、ベルノルトは首をかしげた。


「増援を待っているのかも知れませんよ」


 そう言ったのはメフライルだった。少数の伝令を夜陰に紛れて走らせれば、監視している者たちの目をごまかすことは可能だろう。そして後詰めを待っているのであれば、守りを固めていることにも納得がいく。


「アッバスとシェマルに確認して見るか」


 ベルノルトはそう呟くと、別働隊に伝令を送り、ラーカイド城に近づく敵部隊がないかを確認させた。また本隊の斥候も動かして周囲を探らせる。その結果分かったのは、ラーカイド城を救援できそうな敵部隊は存在しない、ということだった。


「何を狙っている? いや、何がしたい……?」


 敵の、ミールワイスの意図が分からず、ベルノルトは困惑する。彼がまさか城内で「教皇ごっこ」に興じているとは、さすがにベルノルトの想像の埒外だった。まあ、本人はいたって真剣で、だからこそタチが悪いわけだが。


 それはともかく。ラーカイド城に動く気配はなく、さりとて後詰めが来る様子もない。ベルノルトは首をかしげつつも、仕掛けることはせずに警戒と嫌がらせの小細工を続けさせた。補給を受けられない以上、根比べをして不利なのは城の側。焦って動く必要はない、とベルノルトは自分に言い聞かせた。


 そしてある日の晩、状況は唐突に動いた。ラーカイド城の周囲に増設されている掘っ立て小屋の区画の一つで、火の手が上がったのだ。その様子はアースルガム方面軍の本陣からもはっきりと見えた。


「殿下!」


「主立った者をすぐに集めろ」


「御意!」と答えてメフライルが走り出す。幸いエクレムらも同じ事を考えていたようで主立った者たちはすぐに集まった。席に着く手間も惜しんでベルノルトはこう尋ねる。


「それで、状況は? 分かる範囲でいい」


「ラーカイド城周辺の、掘っ立て小屋が密集している場所から火の手が上がりました。原因は不明ですが、かなり混乱している様子です。柵も何カ所か破られているようでした」


「暴動か……」


 ハシムの報告を聞き、ベルノルトは険しい顔をしながらそう呟いた。小細工が効いたのか、それとも減っていく兵糧に耐えられなくなったのか。いずれにしても蒔き続けてきた種が唐突に芽を出したらしい。


「捕虜達が、こっちに逃げてくるかな?」


「恐らくは」


 エクレムがそう答えると、ベルノルトは難しい顔をしたまましばらく考え込む。そして顔を上げると、矢継ぎ早にこう指示を出した。


「バラット。逃げてくる捕虜達を保護しろ。ただし、武装解除して一カ所にまとめておけ。勝手に動こうとする者は、間者と見なして良い」


「はっ。では本陣から離れた場所に集めておきます」


「うん。次にアーラムギール。卿は別の掘っ立て小屋の区画の柵を破り、そこの捕虜達を逃がしてやってくれ。そしてしかる後に火を放て。混乱を拡大させる」


「了解です。城内に入れそうなら、入ってしまって良いでしょうか?」


「そうだな。その場合は中から城門を開いてくれ」


「畏まりました」


「それからハシム。今火の手が上がっている区画から、城内に人を入れられないか試してみてくれ。入ることができたら、やはり内側から城門を開け。アーラムギールの部隊とも協力して事に当たってくれ」


「御意」


「エクレム。残りの部隊を統率して臨戦態勢を整えさせろ。城門が開いたら突撃する。あるいは敵が打って出てくるかも知れない。その場合も残りの戦力で対処する」


「はっ。ただちに」


 ベルノルトの命令を受け、アースルガム方面軍は慌ただしく動き始めた。バラットとアーラムギールがいわば両翼として動き、作戦行動を開始する。ベルノルトもエクレムと一緒に本陣を率い、兵を前進させてラーカイド城に圧力をかける。夜陰の静寂は、もはや月空の下に残っていなかった。


 しばらくすると、アーラムギールが向かった先で火の手が上がった。それを見てベルノルトは一つ頷く。さらに待つと、アーラムギールから伝令が来た。曰く「入れそうなので突入する」とのこと。ベルノルトはもう一度頷いた。そして伝令を見送ってから、小声でこう呟く。


「少し順調すぎる気もするが……」


「それだけ敵が混乱しているのでしょう」


 ベルノルトの呟きに、メフライルがそう答える。もしかしたら暴動は城の中でも起こっているのかも知れない。だとすれば本当に好機だ。ベルノルトは馬上から大きな城門を睨み付け、その時が来るのを待った。そして……。


「っ、殿下!」


「ああ! 全軍突撃!」


 そしてついにラーカイド城の城門が開いた。ベルノルトはすかさず全軍に突撃を命じる。これまで温存されていたアースルガム方面軍の主力部隊が、堰を切ったかのように動き出した。



 ○●○●○●○●



(こんなはずではなかったのだがな……)


 ババールは胸中でそう苦く呟いた。ラーカイド城は内も外も大変に荒れている。その状況は決してババールの望んだものでも、意図したものでもない。ただしその発端は間違いなく彼だった。


 彼はラーカイド城の現状に強い危機感を抱いていた。補給を受けられないこと、そのくせ大量の非戦闘員を抱え込んでいること、そして何よりミールワイスが戦況を楽観視しすぎていること。そのどれもが大問題だった。


 何とかしなければならない。必要とあらば、多少強引な手を使ってでも。ババールはそう考えた。全ての問題を解決することは難しい。ましてイスパルタ軍を追い払うことなど。だが少しでも状況を良くしなければ、まともに戦うことすらできなくなってしまう。


 ババールが考えたのは非戦闘員の数を、つまり捕虜の数を減らすことだった。だが捕虜を管理しているのはミールワイスだ。彼は“信者”が減るのを嫌がり、捕虜の解放には同意していない。


 そこでババールは城の外の掘っ立て小屋の区画で、小さな暴動を起こすことにした。暴動のせいで柵の一部が破損し、混乱に乗じて一部の捕虜がそこから逃げ出してしまった、という筋書きだ。


 これにより捕虜の数が減れば、兵糧の減りも緩やかになる。同時に、ミールワイスに捕虜は「従順な信者」などではないことを突きつけ、多少なりとも危機感を抱かせる。それで彼が現実を見るようになれば、少々強引な手を使ったかいもあるというものだ。


 ババールはそう考えていたのだ。しかし蓋を開けてみれば、事態は彼の予想をはるかに超えて推移していた。小規模で収めるはずだった暴動は、しかしそこかしこへ飛び火して燃え上がった。混乱は流血に繋がり、それがまた混乱を呼んでいる。率直に言って、もはや制御不能な状況だった。


 しかもイスパルタ軍の動きが早い。一隊を動かして逃げ出した捕虜たちを保護させ、さらにもう一隊を動かして別の掘っ立て小屋の区画を狙っている。それでいて主力と思しき部隊は温存されているので、ババールも迂闊には動けない。結果として、好き勝手にやられてしまっている。


「それにしても……」


 それにしても、ミールワイスは一体何をしているのか。捕虜達が逃げ始めた際、ミールワイス麾下のルルグンス兵が暴動鎮圧のために動いていたから、彼に混乱収拾の意思があるのは間違いない。それなのに、ババールが部下に探らせてみても、彼が積極的に動いている様子がないのだ。


(まさか……)


 まさか、この期に及んで「教皇ごっこ」に興じているのか。混乱の収拾は部下に丸投げして。ババールは即座に「ありえない」と否定したが、しかしよくよく振り返ってみればそれらしき“フシ”が幾つかある。


「…………っ」


 そのことに思い至り、ババールは盛大に顔を歪めた。前述した通り、此度の騒動は主にミールワイスの目を覚まさせることを目的にしている。現実を見せて危機感を抱かせ、その上で今後のことを考えさせる。いわばミールワイスの意識改革が目的だったのだ。


 だが当のミールワイスはこの騒ぎの中でも「教皇ごっこ」を止めようとしない。それは彼がどうあっても現実を見ようとしない、幻想と妄執に囚われていることを示唆している。ババールはそのことに激しい憤りを覚えた。


(まだだ、まだそうと決まったわけではない……!)


 ババールは自分にそう言い聞かせ、何とか怒りを抑え込む。そして彼は肩を怒らせて歩き始める。向かうのはミールワイスが聖堂と呼んでいる一室だ。恐らく彼はそこにいる。ババールはそう直感していた。


 廊下を歩くと、騒がしい喧騒が聞こえてくる。城外だけでなく城内でも、人々が右往左往しているようだ。小規模な暴動から始まった混乱は、拡大を重ねて拍車がかかり、すでに収拾不能な状態に陥っている。


 火付け役となったババールだが、この状況には忸怩たるものを覚える。こんなはずではなかったし、もっと上手くやれるはずだったのだ。とはいえこうなってしまっては、何を言っても言い訳にしかならないだろう。


 このままいけば、太陽が高く昇るまでにラーカイド城は落ちるだろう。そのきっかけとなってしまったことはババールの失策であり、無能のそしりは免れない。彼自身、そのことは自覚している。


 だがそれでも、ババールは後悔していない。どのみちミールワイスがあのままでは、遠からずラーカイド城は落ちていただろう。誰かが何かをする必要があったのだ。だがミールワイスの配下では動けまい。となればババールがやるしかなかった。


 落城という結果が避けられないのなら、せめて次に繋がるものとするべきだろう。ミールワイスが夢から覚めて、現実を見ながら軍事作戦を行うようになってくれれば、ラーカイド城を捨てたかいもあったというものだろう。


(そもそも……)


 そもそもマドハヴァディティアは猫の額ほども土地を得るつもりはないのだ。つまり最終的にはこのラーカイド城も放棄することになる。ずっとこの城に留まることはできない。つまり撤退するのが少し早いか遅いかの違いだ。


 それにこれだけ混乱していれば、城に入ったイスパルタ軍も事態の収拾に手間取り、撤退する兵たちを追撃する余裕はないだろう。そう考えれば、この混乱も悪いことばかりではない。


(あとはいかに時間を稼ぐか、だな……)


 そんなことを考えている内に、ババールは聖堂へ到着した。二枚扉は閉じられているが、中からミールワイスの声が漏れ聞こえる。ただ、何を話しているのかは分からない。とはいえ檄を飛ばしているような雰囲気ではない。ババールは顔を険しくしながら二枚扉を開けた。


「……恐れることはありません。全ては女神イーシスの思し召しなのです。……」


 聖堂の中に入ると、ミールワイスの穏やかな声が響く。だがババールにはそれが詐欺師の声に聞こえた。詐欺師でなければ気狂いだ。この非常時、陣頭に立って指示を出すべき立場の人間が、得意げな顔をして一体何をしているのか。


「ミールワイス殿。こんなところで一体何をしているのですかな……?」


 ババールは頬を引きつらせながらそう尋ねた。聖堂の中を見渡せば、ここにいるのは甲冑を身につけていない捕虜達ばかり。どう見ても兵士たちに指示を出している様には見えない。そしてミールワイスもこう答えた。


「おやババール殿。今は信徒たちの不安を和らげていたのです。これも教皇の務めですので」


 それを聞いた瞬間、ババールの中で何かが切れた。これでも彼はミールワイスに期待していたのだ。いざとなれば兵を率いる者として相応しい働きをしてくれる、とそう思っていたのである。


 そうではないか。実際、ミールワイスは四〇〇〇もの兵を率いていたのだ。四〇〇〇と言えば大変な数である。一つの街にさえ匹敵する。彼はそれだけの者たちに対して責任を負っているのだ。それを軽々しく考えてほしくはないし、また彼自身そんなことは重々承知しているはず。ババールはそう思っていたのだ。


 しかしババールの期待は裏切られた。ミールワイスは現実を見ておらず、幻想の世界に浸っている。そしてそこから抜け出すつもりがない。何もかもが無駄だった。そのことを理解したとき、ババールが感じたのは失望よりも怒りだった。そして怒りのままに、彼はこう叫ぶ。


「いつまで遊んでいるつもりだ! 破門された者が僧職者ぶって片腹痛い! 現実を見ろっ。敵が! すぐそこまで! 来ているのだぞ!!」


 ババールの怒鳴り声が聖堂に響く。それを聞いた瞬間、ミールワイスの顔から表情が抜け落ちた。しかしババールは取り合わず、さらにこう続けた。


「女神女神女神! 女神がお前に一体何をしてくれたというのだ! お前が教皇面していられるのは誰のおかげだ!? マドハヴァディティア陛下のおかげではないか! 兵を率いてふんぞり返っていられるのも、この城を手に入れることができたのも、金品を集めてニヤついていられるのも、全て陛下のおかげだ! 女神ではなく陛下を崇めろ! 陛下をお助けしろ! 陛下のために働け!」


「……す、全ては……」


「貴様の説教など聞きたくもないわっ! やる気がないのなら兵権を寄越せ! 言っておくがな、貴様が遊びほうけている間にも戦局は動いているのだ。私も私の兵も、貴様に付き合って取り残されるのは御免だぞ!」


「…………っ」


 ババールの罵倒に、ミールワイスは顔色を悪くして頬を引きつらせる。彼は言葉を探すように視線を彷徨わせた。しかし反論の言葉は出てこない。それを見て、ババールは盛大に舌打ちして「役立たずが」と吐き捨てた。


「もう良い。貴様にはもう何も期待せぬ。貴様はここで死ぬまで遊びほうけておるがいいわ!」


 そう言い捨てて、ババールは身を翻した。遠からずイスパルタ軍が城内に突入してくる。ミールワイスがこの様子では、まともな抵抗などできないだろう。蹂躙されることになる。ババールはそれに付き合う気など少しもなかった。


「その異教徒を捕らえよ!」


 ババールが聖堂を立ち去ろうとしたとき、ミールワイスのヒステリックな声が響いた。彼の目は血走り、妖面な光を放っている。ババールがそのことに気付いたのは、すっかり取り押さえられてしまってからのことだった。


ミールワイス「ババール! キレやすい中高年め!」

ババール「ほら吹きの夢想家よりはマシだ!」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >まあ、本人はいたって真剣で、だからこそタチが悪いわけだが。 > >まあそれはともかく。 [一言] 誤字脱字以外まで口出してスミマセン。
[一言] 側近とか部下を連れずに1人でやってきたのかしら…。
[良い点] ババールさん甘いな。 今日教皇様死ぬかたと思ってた。
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