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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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教皇の最期3


 ベルノルトはシェマルとアッバスに兵を二五〇〇ずつを与え、彼らに別働隊として動くように命じた。ラーカイド城は現在、強制的に「改宗」させた周囲の街や村からの“寄付”に、その補給を頼っている。これを寸断することで、ラーカイド城を干上がらせることが別働隊の任務である。


 とはいえ別働隊が補給を止めようとすれば、ラーカイド城側が黙ってそれを見ているはずがない。必ずや兵を出して別働隊を排除しようとするか、もしくは直接“寄付”を取りに行くかするだろう。別働隊はこの動きに対処する必要がある。


「さて、どうするかね」


「最初から敵をおびき出すつもりで動けば良かろう」


 シェマルとアッバスは出陣前にそう話し合っていた。思えば二人がこうして語り合うのはずいぶんと久しぶりだ。軍事作戦について話し合っているのだが、二人の間に懐かしさが漂うのはそのためだろう。彼らは余計なことは話さず、しかしその時間を噛みしめるようにしながら、作戦案を詰めていった。


 さて二人が立てた作戦は概ね次のようなモノだった。まず“寄付”を強要されている街や村に人を送り、「イスパルタ軍が来たので、もう物資を供出する必要はない」と伝えさせる。その上で二人はそれらの街や村に協力を求めた。


「寄付は用意したが、イスパルタ軍のために城まで運ぶことができない」


 ラーカイド城のミールワイスにそう伝えさせたのだ。“寄付”が届かないとなれば、それはミールワイスにとって由々しき事態である。彼はすぐにイスパルタ軍を排除することを考えたが、問題はその数だ。彼はこう尋ねた。


「それで、イスパルタ軍の数は?」


 その問いにある者は「一〇〇〇」と答え、またある者は「五〇〇」と答えた。人によって答える数はバラバラで、ラーカイド城の参謀達は首をかしげることになった。排除するべきイスパルタ軍の数が、見えてこないのだ。


「つまり敵は分散しているのだ」


 ペシュガルモに現われたイスパルタ軍が一万以上であったことは、合流した敗残兵らの話からミールワイスもすでに知っている。一〇〇〇や五〇〇では到底それに足りず、ということは本隊はペシュガルモに置いたまま、幾つかの別働隊を動かしているに違いない。彼はそう結論づけた。


「分散しているなら各個撃破すればよい。いや、それなりの数を動かせば、連中もわざわざ仕掛けては来るまい」


 ミールワイスはそう考え、自身の部隊から二〇〇〇の兵を動かして「改宗」させた街や村を巡らせ、寄付を回収させることにした。二〇〇〇という数にしたのは、「敵分隊は多くても一〇〇〇」と聞いたからだ。その二倍も出せば十分であろう。


「分隊一つ一つは多くても一〇〇〇かもしれないが、合流すれば二〇〇〇を越えるかも知れない。もっと出すべきだ」


 そういう声もあったが、ミールワイスは「二〇〇〇で十分」と聞き入れなかった。ルルグンス人部隊は四〇〇〇。二〇〇〇以上出すことになれば、ラーカイド城に残るのは半分以下になる。彼はそれを懸念したのだ。


 これはただ単に城の防衛だけを考えてのことではなかった。ラーカイド城にはペシュガルモで敗走した敗残兵たちも合流している。その数がおよそ二〇〇〇。つまりミールワイスは城内の主導権を彼らに奪われることを危惧したのだ。


 それならば“寄付”の回収にこれらの敗残兵を使っても良いようなものだが、ミールワイスはそれも気が進まなかった。「信者からの寄付はすべからく神聖なものであり、よってそれは教皇たる自分が管理しなければならない」というのが彼の考えだった。要するに「寄付は自分のモノだから、他人は触るな」というわけだ。


 こうしてミールワイスは二〇〇〇の兵を動かした。そしてそれこそがアッバスとシェマルの狙いだった。ラーカイド城から敵をおびき出し、それを叩く。“寄付”の回収が叶わなければ、つまり敵は補給を受けることができない。つまり補給線の寸断である。


 さらにアッバスとシェマルの狡猾なところは、ラーカイド城に使者を出させる街や村をある程度限定することで、敵部隊の移動ルートを予測しやすくしたところである。これにより敵部隊の捕捉が容易になった。


「じゃ、動くか」


「うむ」


 シェマルの軽い調子の言葉に、アッバスは重々しく頷いた。敵の数は約二〇〇〇。味方の半分以下であり、まともに戦えばほぼ負けることはない。だが二人は慢心することなく必勝を期した。


 索敵を徹底的に行わせたことで、敵部隊の移動ルートはほぼ特定されている。二人はその途中に兵をひそめさせ、敵を待ち伏せすることにした。それも二手に分かれ、敵を挟み撃ちにできるようにして。


「来たか……。放てぇぇぇ!!」


 待ち伏せされているとも知らず現われた敵部隊に対し、最初に仕掛けたのはシェマルの部隊だった。彼は弓兵を前列に並べておき、命令と同時に一斉射を行わせた。銀色の雨が空気を切り裂いて降り注ぐ。側面を突かれたこともあり、敵部隊はたちまち混乱した。


「突撃!」


 敵が混乱したのを見て、すかさずアッバスが突撃を命じる。それは弓矢が飛んできたのとは反対方向で、これにより敵部隊の混乱は決定的になった。シェマルもそれを見て、弓兵らを下げてから麾下の兵を突撃させる。


 アッバスとシェマルそれぞれ二五〇〇の兵に挟まれて、ラーカイド城から出撃したルルグンス人部隊二〇〇〇はもはや打つ手がなかった。大混乱に陥り、組織的な抵抗はできず、それぞれが勝手に逃げ出す。二人はそれを厳しく追撃した。ラーカイド城の戦力を少しでも削るためである。


 さんざんに叩きのめされたルルグンス兵らは、命からがらラーカイド城へ逃げ込んだ。そしてミールワイスに敗北と“寄付”の回収の失敗を報告する。彼は取り乱したりはしなかったものの、さすがに頬を引きつらせた。


「ミールワイス卿。どうされる?」


 そう尋ねたのは、ババールという男だった。ペシュガルモで破れたマドハヴァディティア軍の敗残兵らをまとめているのが彼だ。大敗であったことや、ラーカイド城へ逃げ込んできたときには兵の半分以上を失っていたこともあり、ミールワイスはこの男のことをこれまで「無能な指揮官」と見下していた。


 いや、ミールワイスにとってババールはそもそも異物だった。自らが苦心して作り上げた、このラーカイド城という聖域に入り込んだ、女神イーシスの恩寵を信じようとしない異教徒。それがババールであり、ミールワイスが彼に好意的になる理由は一つもなかった。


 そのババールがにたつくように嗤っている、ようにミールワイスには見えた。それは彼にとって耐えがたい屈辱だった。「ミールワイス卿」という呼び方も気に入らぬ。なぜ「教皇猊下」と尊称しないのか。そんな思いばかりが彼の胸の中で渦巻いた。


 同時にミールワイスは危機感を覚える。ババールはこの失敗をあげつらってラーカイド城での主導権を、つまり彼が積み上げてきたモノを奪おうとしているのではないか。そう思ったのだ。


「……何を恐れることがある。我らには女神イーシスの恩寵がある。我らは負けぬ。我らは勝利する。汝はただそれを信じれば良いのだ」


 いかにも宗教家らしく、ミールワイスはそう返答した。一方でババールは眉間に深いシワを刻んで困惑を表現する。彼はそんな精神論が聞きたいわけではないのだ。だが彼のその様子は、ミールワイスにとって不信仰な異教徒そのものに見えた。


(これだから……)


 これだからこの男は救いようがないのだ。ミールワイスは内心でそう吐き捨てた。そしてそのまま身を翻し、城内に設けた聖堂へ向かう。彼はこれから敬虔な信徒達に説諭を行わなければならないのだ。ババールはその背中を、ため息を吐いて見送った。


 “寄付”の回収、つまり補給に失敗して以降、ラーカイド城からは動きがなくなった。つまり周囲に兵を出して何かをするということがなくなった。これはもちろん、アースルガム方面軍の別働隊を警戒してのことだ。


 下手に兵を動かせば、別働隊の餌食になる。だが別働隊を追い払おうとしてそれが可能なだけの戦力を動かせば、ラーカイド城の防備が手薄になる。別働隊を追い払っても、城が落ちてしまえば本末転倒だ。


 それでこの場合、「動かない」というのは決して悪い選択ではなかった。ただし補給と援軍のアテがあるならば、だが。そしてババールの見るところ、ラーカイド城の置かれた状況は厳しい。


(援軍が来ないと、決まったわけではないが……)


 ババールはため息を吐きながら胸中でそう呟く。そう、決まったわけではない。だがこのままではその可能性は低い。ババールはそう見ていた。だからこそなんら有効な手を打とうとしないミールワイスには、怒りにも似たもどかしさを覚える。


(兵糧は減っていく一方なのだぞ……!)


 新たに補給を受けてない以上、ラーカイド城内の兵糧はただ減っていくだけだ。それなのにミールワイスは聖人ぶって説教ばかりしている。彼の麾下の兵にするならまだ良い。だがわざわざ捕虜を集めてきて改宗させ、その上で説教を聞かせるとは、一体彼が何をしたいのかババールにはさっぱり分からない。


 しかも捕虜達はミールワイスの説教を決してありがたがっているわけではない。改宗しなければ殺されるから、ありがたがってみせなければ拷問を受けるから、仕方なく“おままごと”に付き合っているだけだ。ババールの目から見てそれは明らかだった。


 いやむしろ捕虜達は本心では、ミールワイスのことを憎んでいるだろう。故郷を滅ぼされ、親類縁者に友人達を殺されたのだ。さらにラーカイド城に連れてこられてからも、虐待の末に殺された男がいて、陵辱されて泣いた女がいる。こうして考えてみると、好かれる要素も尊敬される理由も、ミールワイスには皆無だ。


 要するにミールワイスは「立派な教皇」という姿に自己陶酔しているのだ。だが彼の言う「敬虔な信徒」が彼のことをどう思っているのか、それは上記の通りである。さらに最近では、イスパルタ軍の宣伝工作もあってミールワイスからは急速に人心が離れている。子飼いのルルグンス人部隊の中からも、彼のことを疑う者が出始めているのだ。


 そういうミールワイスの追い詰められた状況が、一歩引いた立場のババールにはよく見えてしまう。だからこそ「さっさと現実を見ろ」と怒鳴りつけてやりたくなる。そして現実を見さえすれば、打てる手はまだあるのだ。


 事ここに至れば捕虜など何の役にも立たないのだから、さっさと解放してやれば良い。そうすればその分だけ、城内の兵糧を節約できる。そして逆に捕虜をイスパルタ軍に押しつけ、彼らの補給線を圧迫する。そうすればこちらの兵糧が尽きる前に、敵が撤退してくれるかも知れない。


 また少数の伝令兵を出し、別の地域で活動している味方たるマドハヴァディティア軍の分隊に救援を要請することもできる。イスパルタ軍の別働隊さえ追い払えれば、また補給を受けることが可能なのだ。さらにラーカイド城の戦力を増強できれば、この城はそう簡単には落ちない。


 戦力の増強なら、後詰めを待つだけでなく、捕虜を使う手というもある。つまり彼らを戦力化するのだ。質に不安はあるが、今は一兵でも戦力が欲しいのだ。贅沢は言っていられない。


 ただ単に徴兵して武器を持たせるだけではいつ裏切るのか分からない。繰り返すが、基本的にマドハヴァディティア軍は捕虜達に憎まれているのだ。それでも多少金を握らせて雇ったことにすれば、ある程度手綱は握れるはず。同時に少し待遇を良くしてやれば、簡単には裏切るまい。それなら城の守りくらいには使えるだろう。


(だというのに……!)


 ババールは内心で歯がみする。彼はすでにこれらの打開案をミールワイスに話していた。しかしミールワイスはそれを却下している。


 彼は「信徒の数が減れば女神イーシスに祈りが届かなくなる」と言って捕虜の解放や戦力化を拒み、また「マドハヴァディティア陛下の作戦を妨げるわけにはいかぬ」などいろいろと理由を付けては救援の要請もしていない。


(自分の都合ばかり考えおって!)


 ババールは胸中でそう吐き捨てる。捕虜を解放したくないのは、自らが陶酔する教皇像が崩れるから。金を払って戦力化したくないのは、自分の懐が痛むから。ミールワイスは寄付された金品を全て自分で管理していて、余人に触れさせようとはしないのだ。


 そして救援要請をしたくないのは、ラーカイド城とその周辺における自分の影響力を犯されたくないから。ミールワイスのそういう利己的な内心を、ババールはしっかりと見抜いていた。


「何が僧職者か! 何が教皇か! 物欲も権力欲も丸出しの俗物ではないか!」


 そう叫んで罵ってやりたいのを、ババールはぐっと堪える。口に出してしまったら、彼とミールワイスの対立は決定的になるだろう。イスパルタ軍と睨み合っているこの状況で内部分裂するわけにはいかない。


「困ったものだ」


 今度こそ声に出して、ババールはそう呟いた。ミールワイスは彼のことを見下し、また目の敵にしている。だから彼がどんな献策をしてもそれを受け入れない。意固地になり、結局何もしないまま状況は悪くなり続けている。


(このままでは……)


 このままでは、遠からずラーカイド城は落ちるだろう。兵糧が尽きれば城内で暴動が起こる。いや、実際には尽きる前に起こるだろう。食料が減っていくことが恐怖なのだし、また残りが少なくなれば捕虜に分配する分は減らさざるを得ない。彼らはそのことにも不満を募らせるだろう。


 まして城の外にはイスパルタ軍がいるのだ。そこへ逃げ込めば、飢えずに済むと多くの者が考えるに違いない。それを示唆するような矢文が幾つも打ち込まれていることを、ババールは当然知っていた。ミールワイスはそれを「偽りだ」と言い切り、矢文の回収を命じてはいるが、その内容はすでに捕虜達の間に知れ渡っている。


 暴動が起これば、城門は内側から開かれるだろう。イスパルタ軍が城内に入れば、それで終わりだ。仮に暴動を防げたとしても、外にいるイスパルタ軍の脅威は変わらない。そして現在補給を受けられていないことも。兵糧が尽きれば、待っているのは地獄だ。


(その前に……)


 その前に、この状況を打開しなければならない。そのためには多少強引な手も使わざるを得ないだろう。


 ババールはこれまでミールワイスとの間に、なるべく波風を立てないようにしてきた。ミールワイスを城主として立て、自分は職業軍人として参謀に徹する。現状ではそれが最も良い形であろうと思っていたのだ。


 だが前述した通り、ババールはミールワイスに疎まれた。献策は無視され、状況は悪くなる一方だ。もう「波風は立てないように」などと、悠長なことは言っていられない。 


 ――――この日の夜、城壁の外の掘っ立て小屋の区画から火の手が上がった。



アッバス「シェマルは抜け目がなくなったな」

シェマル「アッバスは悪辣になったな」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 以前はミールワイスは狡猾な人物だったが、権力がここまで人を堕落させるのか? さすがにここまで愚かではなかったはずだが、、、 [一言] マドハヴァディティアはミールワイスを捨て駒にす…
[一言] だってしょうがないよね俗物だもの。 法国の民=搾取できる言いなりの奴隷だったから宗教を勘違いしたんだろうな。
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