教皇の最期2
アースルガム方面軍がペシュガルモを救援する少し前。ベルノルトはハシムから、ペシュガルモの次の目標である、ラーカイド城について中間報告を受けていた。現在ラーカイド城を占拠しているのは、なんとミールワイスと彼が率いるルルグンス人部隊であるという。
『それで、数は?』
『およそ四〇〇〇と聞いております』
ハシムがそう答えるのを聞き、ベルノルトは思わず眉間にシワを寄せた。そしてその怪訝な顔のまま、こう疑問を口にする。
『四〇〇〇? ミールワイスに従うルルグンス人部隊は、約三〇〇〇と聞いていたが……』
そもそもミールワイスはマドハヴァディティアに従い、幾つかの戦いにも参加しているはずである。それなのに、数が減るならばともかく逆に増えているとは、一体どういうことなのか。その理由をハシムはこう説明した。
『西方にもルルグンス人は暮らしております。どうやらそういう者たちをかき集めたようでございますな』
西方に住むルルグンス人たちの多くは、やはり女神イーシスを信仰している。そして崇拝のため、街ごとにいわゆる「聖堂」を建てて、定期的にそこへ集まる習慣があった。つまり宗教を基盤にしたコミュニティーがあるのだ。
ミールワイスが目を付けたのはこのコミュニティーだった。個々人を勧誘するより、コミュニティーを通じて人を集める方が効率的なのは自明だ。また女神イーシスへの信仰を基盤としているだけに、これらのコミュニティーには「教皇」の肩書きが有効だった。
なにしろ教皇は「枢密院の代表」である。枢密院と枢機卿の権威は、この西方においても根強く浸透していたのだ。だがその話を聞いて、ベルノルトは首をかしげざるを得なかった。
『いや、ちょっと待ってくれ、ハシム。ミールワイスはフサイン猊下を弑逆した張本人だし、なによりもう破門されているだろう。そんな奴に信徒たちが従うのか?』
『殿下。ヴァンガルでのことは、西方にはまだほとんど伝わっておりません。情報が錯綜していて、フサイン法王が死んだことさえ正確には伝わっていないのです。どうやら多くの人がヌルルハーク法王の崩御と混同しているようです』
つまり立て続けに二人死んだものだから、法王が死んだことは知っているが、誰が死んだのかは分かっていないのだ。大半の信徒は、未だにヌルルハーク法王の喪に服している。それで「法王の死」と「弑逆の大罪」が結びつかない者がほとんどだった。
そして「ミールワイス破門」の情報を知っている者は皆無だという。「ジノーファ、ヴァンガルを解放」の報が大きすぎて、完全にその影に隠れてしまった格好だ。しかも枢密院を頂点としたネットワークは壊滅状態にあり、それでこの情報は全くと言って良いほど西方に浸透していなかった。
ちなみに枢機卿を破門することができるのは法王ただ一人だ。ただすでに法王はいないし、枢密院も閉鎖されている。それでヴァンガルの主立った僧職者たちに諮問してから、ジノーファがその職権を代行する形でミールワイスを破門していた。
要するに一種の緊急措置だったわけだ。それでミールワイスには、「そんなものは無効だ!」と言い張る余地が多少は残っている。もっともこの措置は対外的なものというよりは国内向けのもの。それでミールワイス自身も自分が破門されたとはまだ承知していなかった。
まあそれはそれとして。ハシムの報告によると、ミールワイスは大人しくラーカイド城を守っているだけではないらしい。たびたび兵を出しては、周辺の街や村から兵糧を集めているという。それを聞いて、ベルノルトは盛大に顔をしかめた。
『僧職者が略奪か。世も末だな』
『すでに弑逆の大罪を犯しておりますからな。今更とも言えます』
ハシムがそう言うと、ベルノルトは嫌な顔をしながら頷く。ミールワイスめ、僧職者のくせに俗世にズブズブに浸かっているではないか。いや、破門されているからもう僧職者ではないのか。そんなことを考えながら、ベルノルトはハシムにさらなる情報収集を命じた。
さてペシュガルモ救援後、ラーカイド城とミールワイスについて、二回目の中間報告が行われた。その中でベルノルトが眉をひそめたのは、「ミールワイスが現地住民を強制的に改宗させている」という報告だった。嫌悪感がなかったわけではない。ただ彼が眉をひそめたのは、それよりも意味が分からなかったからである。
『ハシム。これはどういうことなんだ?』
『女神イーシスを信仰するよう、強制しているようです。拒否する者は処刑しているとか』
『いや、それは分かる。分からないのは、今それをやる意味だ』
ベルノルトは本気で首をかしげた。これが宗教戦争であるというのならまだ分かる。だがマドハヴァディティアはそんなこと少しも考えていないだろう。そもそも彼はこの地域を支配するつもりがないのだ。遠からず彼はこの地域を去る。その時、ミールワイスはどうするつもりなのか。まさか残るわけではないだろうに。
『食料調達のためかも知れませぬ』
ハシムはそう答えたが、彼も確信がある様子ではなかった。報告によれば、ミールワイスは街や村を襲う際、まずは改宗を迫るという。改宗すれば焼かれることはないが、その後は“寄付”を求められることになる。その“寄付”には当然食料も含まれていて、兵站確保のためと考えれば、確かにある程度納得できる。
ただその一方で改宗を拒否した場合、その街(もしくは村)は焼き払われることになる。住民も多数殺されるが、しかし全てではない。「見所がある」者たちは捕虜としてラーカイド城へ連れて行かれるのだ。
そしてラーカイド城では「改宗のための教育」が行われるという。一体何が行われているのか定かではないが、これまですでにかなりの数の住民がラーカイド城へ連れて行かれた。ルルグンス人部隊と合わせると、城内の人数は一万をゆうに超えると言われている。
これを食料調達と関連させて考えると、ミールワイスはやっていることが矛盾しているようにベルノルトには思えた。食料を集めると同時に、養うべき人数を増やしているのだから。ハシムも同感であるようで、彼は怪訝な表情をしていた。
『まあ、ミールワイスの中では矛盾していないのでしょう。もしかしたら、戦力強化の意図があるのかも知れませぬ』
ハシムが取って付けたようにそう説明すると、ベルノルトも一応頷いた。ミールワイスが何を考えているのかは分からない。ただ付け入る隙があるようにベルノルトには思えた。それで彼はハシムにこう尋ねる。
『ラーカイド城に人を入れられるか?』
『可能です』
ハシムはそう答えた。“寄付”を送るため、ラーカイド城には人の出入りがある。そこに紛れ込ませれば、ラーカイド城に人を入れるのは容易だ。それを聞き、ベルノルトはハシムにこう命じた。
『では、城内に噂を流せ』
【ミールワイスは法王を弑逆した大罪人である。彼はすでに破門されており、彼に従えばむしろ女神イーシスの恩寵を失うだろう。現在ルルグンス法国はイスパルタ軍の保護下にあり、むしろイスパルタ軍に協力することこそが、女神への信仰を表明する最善の方法である。
またイスパルタ軍はペシュガルモを救援し、その街をマドハヴァディティア軍の魔の手から救った。ペシュガルモには食料も十分にあり、そこまで行けばイスパルタ軍の庇護を受けられる。もはやマドハヴァディティア軍は敗走し、大罪人ミールワイスを恐れる理由は何もない】
ベルノルトは上記のような噂を流すよう指示した。この噂はラーカイド城内だけでなく、「改宗」を強制された街にも流すことになった。噂を流すことができた期間は短かったが、この噂は瞬く間に広がっていった。
そしてアーラムギールがペシュガルモのアースルガム方面軍に合流したその二日後。ベルノルトは出陣前最後の軍議を開いた。その席でまず、ラーカイド城の絵図が示された。隠密衆がこれまでに調べた情報をまとめたものである。
「時間が足りず、不完全なモノで申し訳ありませぬ」
ハシムはそう言って謝罪したが、ベルノルトはむしろ「短期間でよくぞここまで調べてくれた」と言って彼を褒めた。中に人を入れることができたおかげで、絵図には内部構造まで描かれている。もちろん全てではないが、攻城戦のさいにはこれらの情報が大いに役立つことだろう。
さて、ラーカイド城を調べた隠密衆の報告によると、城の収容人数はおよそ五〇〇〇人。詰め込んでも八〇〇〇人が限界であろう、という話だ。それを聞いてベルノルトはふと首をかしげた。現在城内にいると思われる人数は、確かそれを超えていなかったか。
「はい。ミールワイスのルルグンス人部隊と、奴らが連れ去った捕虜ですでに一万人を超えています。さらにペシュガルモを襲ったマドハヴァディティア軍の残党も、ラーカイド城に逃げ込みました」
その数、およそ二〇〇〇。ということは現在ラーカイド城には一万二〇〇〇を超える人数が収容されていることになる。城内はひどいすし詰め状態であろうと予想された。ハシムも一つ頷いてそれを肯定し、それからさらにこう述べた。
「住環境は劣悪です。それで連中、城の拡張工事を行っております」
そう言ってハシムは絵図を指し示して説明する。彼は「拡張工事」と言ったが、実際に行われていることはもっと無計画だ。城の外に掘っ立て小屋を幾つも建て、その周囲を柵で囲っているに過ぎない。そうやって城内に入りきらない者たちを外へ放り出しているのだ。
「ペシュガルモを襲った部隊の残党が合流してからは、掘っ立て小屋を建てるのも間に合わず、着の身着のまま外へ放り出されています」
「……逃げないのか、その連中は」
「柵がありますし、見張りもおりますからな。それでも逃げようとした者は、捕まって火あぶりにされたとか」
ハシムがそう答えるのを聞いて、ベルノルトは顔をしかめた。雨風を防ぐ掘っ立て小屋より、逃がさないための柵を優先するとは。ミールワイスは捕虜のことを家畜程度にしか考えていないのだろう。
火あぶりにされた者も、果たして本当に逃亡を企てたのか。見せしめのために反抗的な者を選んで処刑したのだとしてもおかしくはない。さらに密告の奨励や連座制が用いられていることが話され、ベルノルトの気分はますます重くなった。
「そのおかげで、我が軍が流した噂は短期間のうちに良く浸透しました。城内は煮詰まっておりますぞ、殿下」
そう言ってハシムはニヤニヤとした笑みを浮かべた。どうやら城内の不満は高まっているらしい。不満を煽るために噂を流させたのは確かだが、現状の全てを自分のせいにされたような気がして、ベルノルトは少し不本意だった。
とはいえ、好機であることは間違いない。ラーカイド城の拡張された部分も、防衛設備と呼ぶにはあまりにも貧弱で、城の防御力を高めるようなものではないという。逆に攻城戦に利用できるかも知れない、と参謀の一人は話した。
いずれにせよ、この機を逃すべきではないだろう。軍議の翌日、アースルガム方面軍一万五〇〇〇は日の出と共に出陣した。行く手を阻む敵の姿はない。時折、流民の集団に遭遇したが、ベルノルトは彼らにペシュガルモへ行くように告げた。
出陣から五日後。アースルガム方面軍一万はラーカイド城に肉薄した。城には旧法国の宗教旗が掲げられている。ベルノルトが馬上から望遠鏡で眺めると、ハシムの言っていた通り城の周囲に掘っ立て小屋と柵が見えた。
報告にもあったが、一目見ただけでその無計画さは明らかだ。乱雑な拡張工事のため、ラーカイド城そのものが難民キャンプになっているようにベルノルトには見えた。そのせいで見た目の威圧感さえ薄れている。
このまま攻めかかっても落とせそうな気がしたが、ベルノルトは遮二無二に突撃を命じたりはしなかった。ラーカイド城攻略のための作戦は、すでに動き始めているのだ。その作戦を思い出しながら、彼はエクレムにこう声をかけた。
「さて、別働隊は上手くやってくれるかな?」
「あの二人なら、問題はないでしょう。上手くやってくれるはずです」
エクレムのいう「あの二人」とは、シェマルとアッバスのことだ。ベルノルトは今回、この二人に二五〇〇ずつ兵を与え、それぞれを別働隊として動かしていた。彼らの任務はラーカイド城の補給線を断つことである。
この作戦が上手く行けば、ラーカイド城内では兵糧が不足することになる。そうなれば城内で分裂が生じるだろう。ラーカイド城は内側から崩壊することになる。それを避けるには打って出るしかなく、つまりイスパルタ軍は面倒な攻城戦をしなくて済む。
もちろん、一度の野戦で敵を屈服させられるかは分からない。だが目と鼻の先でミールワイスが敗れる光景を見た、ラーカイド城の捕虜たちはどう思うだろうか。彼らは募らせた不満を抑えきれなくなるに違いない。その瞬間、ミールワイスの統制力は消え失せる。城内では暴動が起こるだろう。
暴動が起これば、アースルガム方面軍の勝利は決まったようなものだ。混乱に乗じて城内に攻め込み、そのまま制圧すれば良い。それでラーカイド城はアースルガム方面軍のものだ。
まあ、そこまで上手く行くのかは分からない。ただベルノルトとしても、ラーカイド城の力攻めはしたくなかった。ラーカイド城にマドハヴァディティアがいるわけではないのだ。今後のことを考えれば、損害は最小限に抑えたかった。そして別働隊はそのためのものだ。
「そうだな。まずは二人を信じよう」
ベルノルトは自分に言い聞かせるようにそう言って大きく頷いた。とはいえ彼は別働隊の成果を、何もせずにただ待つようなことはしなかった。ミールワイスの権威を失墜させ、彼の統率力を喪失させるべく、ベルノルトは小細工を始めた。
「ミールワイスは法王猊下を弑逆した大罪人!」
「ミールワイスは女神イーシスに逆らう背教者だ!」
「ミールワイスはすでに破門されている!」
「敬虔な信徒諸君、イスパルタ軍に協力してくれ! それが女神イーシスのご意志だ!」
城内に流した噂とほぼ同じ内容を、ベルノルトは兵士たちに叫ばせた。さらにあることないこと並べ立ててミールワイスを侮辱する。ちなみにこちらはメフライルが喜々としながら原稿を考えた。「ミールワイスは女神イーシスではなく、マドハヴァディティアに尻尾を振っている。きっと男色家に違いない」と言った具合だ。
もちろんこれだけでルルグンス人部隊がミールワイスを見限るとは思っていない。しかし何もしなければミールワイスの面子はボロボロになっていく。そして叫ぶ兵士たちの口を閉じさせるためには、城から打って出るしかない。それがベルノルトの狙いだった。
また彼は別の小細工も弄した。無秩序に建てられた掘っ立て小屋の並ぶ区画に、大量の矢文を放り込ませたのだ。そこにはやはり噂で流したように、ペシュガルモを救援したことや、そこまで行けばイスパルタ軍の庇護を受けられること、また十分な食料が用意されている事などが書き記された。
(これで……)
これで種は撒いた。ベルノルトは胸中でそう呟いた。城内の兵糧が不足したとき、種は芽を出すだろう。彼は別働隊からの報告を待ちつつ、今は静かにその時を待った。
ミールワイス「おのれベルノルト! 虚仮にしやがって!」
ベルノルト「いやいやいや、俺かよ?」
メフライル「命じたのは殿下ですからねぇ」




