ペシュガルモ救援
イスパルタ西征軍はクリシュナの支配領域に進軍することになった。マドハヴァディティアがその地域に攻め入り、暴虐の限りを尽くしているからである。
だがしかし、イスパルタ軍はすぐさま進軍することはできなかった。準備が足りなかったのである。大量に発生していると思われる流民。進軍すれば、望むと望まざるとに関わらず、彼らを保護しなければならなくなるだろう。端的に言って彼らに食わせるだけの兵糧がなかったのだ。
とはいえ、十分な量の兵糧が揃うのを待っていたら、その間にマドハヴァディティア軍はクリシュナの支配領域を焼き尽くして焦土としてしまうだろう。そうなればまた大量の難民が発生するだろうし、放置されたダンジョンなどの後始末にどれほどの手間がかかるか分からない。
動くと決めたからには、迅速に動くべき。アースルガム方面軍を任されたベルノルトはそう考えた。しかし流民の問題を避けては通れない。この二つをどう両立させるのか。彼らは頭を悩ませることになった。
「本隊に全て任せるのは、さすがに無理です」
渋い顔をしながら、エクレムがそう釘を刺す。多量の流民を押しつけられては、本隊は身動きが取れなくなるだろう。本隊の戦力抜きで、つまりアースルガム方面軍だけでマドハヴァディティア軍を撃退するのは難しい。彼はそう言った。
「クリシュナ軍は、アテにできないか?」
「そうは言いません。ですが彼らの位置は、我々の反対側です。緊密に連携するのは難しいでしょう」
エクレムの言葉にベルノルトも頷く。しかしそうなると、アースルガム方面軍でもある程度は流民を引き受けなければならなくなる。だがそれで軍事行動を妨げられては元も子もない。
「現地の問題は、現地にも分を負ってもらいましょう」
そう発言したのはシェマルだった。彼の案は「現地で拠点となる街か城砦を急ぎ救援し、そこに流民を受け入れる」というものだった。確かにこれならアースルガム方面軍の、ひいてはイスパルタ西征軍の負担は軽くなる。
そのために選ばれたのは、「ペシュガルモ」という辺境の街だった。軍事的要衝とは言いがたい街だが、大規模なダンジョンを擁しており、ペシュガルモはそのおかげで発展した街だった。
ペシュガルモが選ばれたのには幾つか理由がある。第一の理由は戦力だ。前述した通り、ペシュガルモにはダンジョンがある。つまりそこを攻略し、日常的に経験値を吸収している者たちが多数いるのだ。籠城戦ともなれば彼らも戦うはず。相手が数千程度なら一月くらいは持ちこたえられるだろうと思われ、つまり救援が間に合うと判断されたのだ。
第二の理由は街の位置だ。ペシュガルモはクリシュナの支配領域の北西に位置しており、マドハヴァディティア軍から見ても距離的に最も遠い街の一つだ。見逃されている可能性があるし、そうでなくともそこへ行くまでに時間がかかる。この理由によっても、救援が間に合うと判断されたのだ。
ただペシュガルモを救援して、後は全て丸投げ、というわけにはいかない。数万規模の流民を押しつけられては、ペシュガルモも受け入れ能力が破綻するだろう。特に食料は全く足りないはずだ。イスパルタ軍の方で支援してやる必要がある。
つまり補給線を繋ぐ必要があるわけだが、その補給のしやすさというのが、ペシュガルモが選ばれた第三の理由だった。ペシュガルモの近くには川が流れているのだ。決して大きな川ではなく、そのため大型船は使えないが、それでも中・小型船が使えれば輸送は格段にしやすくなる。
粗は残るものの方針を定めると、アースルガム方面軍は直ちに出陣した。ちなみに今回の戦、サラはシークリーに残る。彼女自身も、戦に赴くことを強く希望したりはしなかった。アースルガムを再興したことで、彼女が戦う理由はなくなったのだ。留守番中は、ルドラと一緒に内政に力を注ぐ予定だった。
「気をつけてね」
「ああ。そっちも、大丈夫だとは思うけど、敵が攻めてきたらさっさと逃げろよ」
交わす言葉もそこそこに、ベルノルトは時間を惜しんで出陣した。「兵は拙速を尊ぶ」というわけではないが、今回の作戦の肝は時間なのだ。何しろペシュガルモが陥落していたら、全て台無しなのだから。
「もしかしたら……」
「殿下、どうかしましたか?」
ペシュガルモへ向かう行軍中、メフライルがベルノルトの呟きを拾い、視線を彼の方に向ける。ベルノルトは自分の腹心に、ふと思いついた考えをこう話した。
「もしかしたら、これも全てマドハヴァディティアの計略なんじゃないかと思ったんだ」
物資を現地調達することになれば、その過程で大量の流民が発生するであろうことは、マドハヴァディティアも承知していたはずだ。彼はそれを、むしろ前向きに捉えたのではないか。つまり流民をイスパルタ軍に押しつけることで、その動きを阻害しようと考えたのではないか。ベルノルトはふとそう疑ったのだ。
「あり得ますね……」
メフライルが険しい顔でそう呟く。マドハヴァディティアの行動を分析していくと、まずは粗暴で残虐で直情的という印象を受ける。だがその実、彼の行動の裏にはしっかりとした計算も存在しているのだ。それを考えれば、流民を使ってイスパルタ軍を足止めする策を彼が立案したとしても、なんら不思議はないように思えた。
「何にしても、はた迷惑な野郎だ」
「その意見には完全に同意しますが、同時に恐ろしくもあります。マドハヴァディティアは世評を気にしていません。いえ、分かった上でやっているというべきでしょうか。酷薄さを見せつけた上で、勝てば評価なんてどうとでもなることを理解しているんです」
「ああ、確かに。そんな節はあるな」
メフライルの話に、ベルノルトも大きく頷く。悪評を恐れない、とでも言えば良いのか。いや、それでは聞こえが良すぎる。どれだけ戦争で残虐な事をしても、広大な領地を支配できれば名君と呼ばれる。マドハヴァディティアはそれを承知しているのだ。
歴史的に見ても、その考え方は当たっている。国土を広げ、名君と呼ばれた王には、往々にしてそういう側面がある。殺し合いを取り繕うというのだから、そういう流れになるのはある意味で必然なのだ。
ただベルノルトは、特に今回のマドハヴァディティアの軍事行動からは、そういう強者の驕りが感じられないように思う。ことの始まり、第一次西方戦争のころから時系列に沿って物事を眺めれば、マドハヴァディティアが徐々に追い詰められていっているのがよく分かる。
今回の軍事行動もそうだ。新たな国土の獲得を最初から放棄して兵を動かすなど、まったくマドハヴァディティアらしくない。つまりそうしなければならないほど、彼は切羽詰まっているのだ。
仮にマドハヴァディティアが西方統一で満足していれば、その過程でどれだけ街を焼こうとも、彼は偉大な名君として評価されていただろう。だが彼は東への野心を抱き、そしてイスパルタ王ジノーファと対立した。それが全てだ。
結果を残した者が名君と呼ばれるのなら、結果を残せなかった者は流した血の量に応じて断罪されることになる。マドハヴァディティアは今、その瀬戸際にいるのではないか。ベルノルトはそんな気がした。
(マドハヴァディティアが「名君」……)
ないな、とベルノルトは思った。他人の功績にケチを付ける気はないが、それでもマドハヴァディティアが名君と呼ばれるのはなんだか受け入れがたい。ここはさっさと奴を谷底に蹴り落とし、下で亡者の如くに待ち構えている後世の歴史家たちに、こっぴどく酷評してもらうことにしよう。ベルノルトはそう思った。
さて、肝心のペシュガルモの救援だが、こちらは簡単に成功した。現在マドハヴァディティア軍は物資の現地調達の効率を上げるため、分散進撃している。ペシュガルモを襲った分隊はその内の一つで、数はおよそ五〇〇〇程度だった。
しかもこの分隊は、幾つかの分隊が合流してできたもののようで、つまり指揮系統がバラバラだった。名目上の指揮官は存在していたようだが、全体を統率できておらず、各部隊の持ち場だけを決め、あとはそれぞれが好き勝手に攻めているような状況だった。恐らくだが、戦争ではなく狩りをしている気分だったのだろう。
そのような状況であるから、周囲の索敵はなおざりで、敵は街の北側から現われたアースルガム方面軍にまったく対応出来なかった。戦う前から逃げ出す者がいる始末で、アースルガム方面軍は彼らを鎧袖一触に打ち払った。
「エクレム。追撃は任せる。徹底的にやれ。ただし深追いしすぎるな」
「はっ! ではイスパルタ軍のみで追撃いたします。アッバスとシェマルを残していきますので、何かあれば二人をお使い下さい」
エクレムはそう言い残すと、イスパルタ軍一万を率いてマドハヴァディティア軍分隊の追撃を開始した。ベルノルトはそれを見送ると、オムとバラットの部隊に敵が残していった物資の回収を命じる。これまで略奪に勤しんできたらしく、彼らの陣地には大量の貴重品と食料が残されていたのだ。
「これで少しは流民対策の足しにはなる、か」
回収中の物資を眺めながら、ベルノルトがそう呟く。ただこれが全て現地調達、つまり略奪された物だと考えると、彼の内心は複雑だった。
そこへメフライルがやって来て、ペシュガルモの領主と会談の準備が整ったことを伝える。ベルノルトは一つ頷くと、設置されたアースルガム方面軍のテントへ向かった。
「やあ領主殿。呼び立てて済まなかった」
「いえ、お目にかかれて光栄にございます、殿下。またペシュガルモの街を助けていただいたこと、厚く御礼申し上げます」
領主はすでにテントの中にいた。彼は恭しく挨拶し、ベルノルトも鷹揚に頷いて応える。二人が座ると、すぐに飲み物が用意された。それを一口飲んでから、ベルノルトは会談を始めた。
ベルノルトはまずマドハヴァディティア軍の動向について尋ねた。ただペシュガルモは辺境の街。あまり詳しいことは知らないだろうと期待はしていなかったのだが、領主は思った以上に情報を持っていた。
それらの情報の出所は流民である。ペシュガルモにはすでに、少なくない数の流民が逃げてきていたのだ。もちろん、彼ら一人一人が持っている情報など大したことはない。だがそれをつなぎ合わせて分析すれば、全体像の輪郭くらいは見えてくる。
そして領主らが分析によると、マドハヴァディティア軍は分散進撃するに際し、ある程度攻撃目標を絞っているらしい、ということが分かった。もちろん、ついでとばかりに襲われた村や街も多い。だがこの分散進撃がきちんと計画された作戦であることを、領主達は確信していた。
「まあ、あのマドハヴァディティアだからな。行き当たりばったりに兵を動かしている、と言われるよりは納得できるか」
ベルノルトはそう言って一つ頷いた。そもそもマドハヴァディティアの狙いは、荒らすだけ荒らし回り、その後クリシュナを討ち取ってそのままガーバードへ帰還することだろう。つまりそれぞれの分隊は火付け役の囮なのだ。
クリシュナ軍と戦う際の主力は、言うまでもなく彼が直率する本隊に違いない。そうなると分隊が略奪に精を出しすぎて本隊に置いていかれたら、その分隊は敵地で孤立することになる。イスパルタ軍と戦うことになったら勝てないだろうし、何より住民達の恨みを大いに買っているのだ。その末路は悲惨なものになるだろう。
それを避けるためにも、各分隊の行動計画は必要だ。それに分散進撃は各分隊を放し飼いにするわけではないのだ。マドハヴァディティアは全体の統率を取りたいだろう。だがそれぞれの分隊がどこにいるのか分からなければ、そもそも伝令の出しようもないのだから。
「ふむ。なら、次にどこが襲撃されるのか、予測することも可能か?」
「より広範に情報を集めることができれば、恐らくは」
「本隊の王太子殿下に具申してみよう」
ベルノルトがそう言うと、領主は表情を明るくした。アルアシャンに、イスパルタ朝の次期国王に自分の事が伝われば、躍進の道が開けるかも知れない。あるいはそんなことを考えたのかも知れなかった。
一方でベルノルトは別のことを考えていた。マドハヴァディティア軍の分散進撃が綿密に計画されたものであるなら、そこにはただ物資を現地調達すること以上の目的があるのではないか。
ではその狙いは何か。陽動か、クリシュナ軍を引っ張り出すことか、流民を使ってイスパルタ軍の動きを妨げることか。あるいは、荒廃した土地をイスパルタ朝に押しつけ、ヴェールール本国に侵攻する余力を失わせることを意図しているのかもしれない。
(まあ、狙いが一つとは限らない、か……)
一つの作戦が複数の目的を持っていることは良くある。それでベルノルトは考察をそこで一度打ち切った。
(何にせよ、重要なのは……)
重要なのは、マドハヴァディティアが直率する本隊の動きだ。そこさえ押えておけば、戦況を見誤ることはないだろう。「ハシムと相談しておこう」とベルノルトは思った。
そしてもう二、三、気になることを話し合ってから、ベルノルトはいよいよ本題に入った。大量に発生していると思われる流民を、ペシュガルモで積極的に受け入れて欲しい、という話だ。
「流民の受け入れ、ですか……。まあ確かに、思うところはありますが……」
領主の反応は渋い。ペシュガルモは現在すでに多数の流民を受け入れているのだ。そのせいで問題が起こったりもしているのだろう。この反応も無理はない、とベルノルトは思った。
とはいえアースルガム方面軍としては、受け入れてもらわないと困るのだ。それで彼はこう説得を始めた。
「もちろんイスパルタ軍が積極的に支援する。引き受けてもえないか?」
「それなら、イスパルタ軍が主体となられた方が……」
「こう言ってはなんだが、我々は流民を保護するために兵を動かしているわけではない。一刻も早くマドハヴァディティアを討ち取り、この地から脅威を取り除くこと。それが我々の目的だ」
「それはもちろん承知しております。ですが……」
「何より原因を取り除けば、流民問題も収束するだろう。むしろ奴を好き勝手にさせていたら、状況はさらに悪くなるぞ」
マドハヴァディティア軍がこの地に居座る時間が長くなればなるほど、流民の数は増えていくだろう。そうなればペシュガルモにも自然と流民が集まってくることになる。領主は苦虫をかみ潰したような顔になった。
「全員を街に入れる必要はない。街の外にテント村でも造ればいいだろう。何なら、周囲の街や村に割り振っても良い」
ともかく陣頭指揮を取ってもらいたいのだ、とベルノルトは頼み込む。領主は黙り込んだ。本音は断りたいのだろう。今はその理由を探しているに違いない。だが断られては困るのだ。それでベルノルトはさっさと詰ませることにした。
「領主殿。我々が主体となっても良いが、その場合でもペシュガルモの領主に陣頭指揮を取らせることに変わりはないぞ」
「……っ」
領主が顔を引きつらせる。要するにベルノルトは「必要なら領主の首をすげ替える」と言ったのだ。それを正しく理解し、領主はついに折れた。
「協力、させていただきます」
「そうか。よろしく頼む」
ベルノルトは満足げに頷いた。ただ数はなるべく少なくして欲しいとのことだったので、ある程度人数が集まったら志願兵を募ろうと彼は考えた。友人や家族を殺され、住み慣れた土地を追われた者たちだ。マドハヴァディティア軍には強い憎しみを抱いているだろう。それは戦う動機になる。「後でエクレムと相談しよう」と彼は思った。
メフライル「俺たちの戦いはここからだ!」
ベルノルト「まあ、そうなんだけどさ」




