シークリー救援2/ラーヒズヤの臣従
連合軍はシークリーを救援した。マドハヴァディティアの動かしたシークリー攻略部隊は、別働隊の敗北とイスパルタ軍の到来を知り、またその時点で城壁を破れていなかったため、撤退を余儀なくされたのだ。
サラを先頭にして連合軍が帰還すると、シークリーの住民達は歓声を上げてこれを出迎えた。敵が去り、味方が戻ってきたのだ。これでようやく、シークリーは安全になった。住民達は歓喜と安堵の涙を流していた。
「ベルノルト殿下、そしてサラ殿下。無事のご帰還とお味方の大勝利、お喜び申し上げます。おかげで我々も、何とか耐えることができました」
「礼を言うのはわたし達のほうです。ルドラ、良くシークリーを守ってくれました」
サラたちが王城に入ると、留守居役のルドラが彼女らを出迎えた。ルドラは味方の勝利を祝ったが、サラはむしろ彼の奮闘を讃えた。実際、後詰めが間に合ったその訳は、彼の働きによるところが大きい。
何しろシークリーにはまともな戦力が残っていなかったのだ。そんな中でも、シークリー攻略部隊の接近が報されると、ルドラは迅速に動いた。民衆に対して情報を開示し、その上で志願兵を募ったのだ。
『マドハヴァディティアは再び、我々のアースルガムを、我々のシークリーを踏みにじろうとしている! これは待てば過ぎ去る嵐だろうか? いいや、これは嵐ではない! 彼らがかつてこの地で何をしたのか、それはあなたたちがよく分かっている。
彼らは侵略者だ! 略奪者だ! 殺戮者だ! 我々は悲劇を払いのけなければならない。愛する家族と隣人を守らなければならない。この都市が再び火で焼かれるのを許すわけにはいかない! そのためにどうか、力を貸して欲しい!
心配はいらない。三日、三日耐えれば、必ずや味方が戻ってくる。サラ殿下が味方を連れてお戻りになる。亡命先から舞い戻られたように、王女殿下は決してこの地とアースルガムの民を見捨てない!』
ルドラはそう、民衆に訴えたという。その点で言えば、すぐさま後詰めを主張したサラの方が正しかったと言えるだろう。ルドラに逃げる気はなかった。いや彼の方こそサラのことをよく分かっていたと言うべきか。彼は「サラ殿下は必ずお戻りになる」と言って味方を鼓舞していた。いずれにしても、これでサラが戻らなければ彼女は人心を失っていただろう。
こうして集めた志願兵を指揮して、ルドラはシークリー攻略部隊に抗った。いや、戦ったのは志願兵たちだけではない。炊き出しや負傷者の看護など、籠城戦はあらゆる面で人手が必要になる。シークリーの住民はまさに一丸となって戦った。
そういうわけだから、ルドラはシークリーという一つの都市を丸ごと指揮していたと言っていい。そして彼は確かに有能な指揮官だった。武器さえ十分にない中、寄せ集めの兵を戦わせて恐るべきマドハヴァディティアの尖兵を防いだのだから。名将と呼ぶべきか、それとも名相と呼ぶべきか。大したものだとベルノルトは思った。
ただ、実際に戦闘が行われた時間は、ルドラが想定した「三日」よりも少なかった。およそ一日半と言ったところだろうか。攻略部隊は別働隊を動かしたところで、一旦攻撃を中止していたのだ。ベルノルトの狙いが当たったといえる。
とはいえ別の見方をするならば。シークリーの抵抗が激しく、そう簡単には落とせないと思ったからこそ、敵の指揮官はバラットの内通に乗って別働隊を動かしたのだ。つまりシークリーの奮闘があって、ベルノルトの策が成功したとも言える。その意味ではやはり、ルドラの働きは大きかった。
「ルドラ。あなたをシークリーの太守に任じます」
サラは空席になっていたシークリーの太守に任じることで、ルドラの働きに報いた。山守衆出身である彼を外様視する者は、実は少なくない。だがこの決定に異議を唱える者はいなかった。そのくらい彼の功績は文句の付けようのないものだったし、またサラもそれを利用して彼に大任を任せることに成功したのだった。
「シークリーの民については、一年分の租税を免除します」
シークリーの民衆に対しては、サラは税を免除することで恩賞とした。戦死した者の家族への補償などは、これとは別に行われる。しかしその分の予算はどう確保するつもりなのか。
ベルノルトがいぶかしく思っていると、サラは彼ににっこりと笑って見せた。どうやら「よろしく」ということらしい。「コイツもだんだん遠慮がなくなってきたな」と、ベルノルトは苦笑するのだった。
さて、シークリーに戻った連合軍だが、戦勝の余韻に浸る間もなく、彼らは次なる戦いに備え始めた。マドハヴァディティアは一軍を割いてシークリーに兵を送ってきた。これは退けることができたわけだが、次に来るのは恐らく本隊だ。これを退けなければアースルガムに未来はない。
「ハシム。隠密衆を走らせて、エクレムに合流を急がせてくれ」
「承知いたしました」
エクレム率いる先遣隊の本隊が合流すれば、連合軍の戦力は一万五〇〇〇に迫る。ここにシークリーの志願兵も加えれば、敵が四万の大軍であろうとも十分に戦えるだろう。マドハヴァディティアが直卒しているという点が不安要素ではあるが、連合軍の側にもイスパルタ西征軍本隊という、強力な援軍のアテがある。条件としては五分ではないだろうか、とベルノルトは思っていた。
ただ結論から言えば、マドハヴァディティア軍はシークリーに襲来しなかった。ベルノルトは敵の動向を探ろうとして多数の斥候を走らせたのだが、一向にその姿は見当たらなかったのだ。彼は怪訝に眉をひそめながら、合流したエクレムにこう尋ねた。
「エクレム。どういうことだと思う?」
「マドハヴァディティア軍が北上していたことは事実です。そして我々はその目的がシークリーであると考えていました」
エクレムの言葉にベルノルトは一つ頷く。確かに今まで、彼らはそのつもりでいた。しかし斥候からの報告によると、どうもそれは違うらしい。そのことをふまえた上で、エクレムはさらにこう言葉を続けた。
「シークリーを目指していないのであれば、マドハヴァディティアの狙いは別にあることになります」
「それは、何だ?」
「マドハヴァディティアが最初、シークリーを窺う動きを見せ、さらに別働隊まで差し向けたのは、恐らくイスパルタ軍の目先をそちらへ誘導し、動きを制限するためです。両殿下に危機が迫るならば、我々は何を差し置いてもシークリーへ駆けつけねばなりませぬ。逆を言えば、マドハヴァディティアの狙いはその“差し置かれる側”なのでしょう」
言ってみれば、マドハヴァディティアにとってシークリーは囮なのだ。別働隊が落とせるならそれで良し。落とせなくとも、ベルノルトとサラを適当に追い詰め、イスパルタ軍が駆けつけざるを得ない状況を作り出す。その隙に本命を狙う。それが彼の作戦であろうと思われた。
問題はその本命である。シークリーを、つまりベルノルトとサラの身柄が狙いでないとするなら、マドハヴァディティアは一体何を狙っているのか。可能性としては二つ。ラーヒズヤの首か、もしくはクリシュナの首か。
ラーヒズヤはすでにイスパルタ軍に降伏している。彼の首を狙うとすれば、イスパルタ軍と戦わなければならない。またマドハヴァディティアがそそのかしたバラットはラーヒズヤ配下の武将だった。エクレムはそのことを指摘した上で、マドハヴァディティアの本命をこう予測した。
「ラーヒズヤ方を引っかき回し、それによってイスパルタ軍を足止めし、その隙にクリシュナ方を攻める。恐らくはこれが、マドハヴァディティアの狙いでしょう」
「だがエクレム。もしそうだとすると、マドハヴァディティアはかなり大がかりな迂回コースを取ったことになる。そんなことをして、兵站が持つのか?」
ベルノルトはそう疑問を差し挟んだ。仮にマドハヴァディティア軍の行軍コースがそのまま敵の補給線になると仮定する。するとマドハヴァディティア軍は、補給線の無防備な横っ腹をイスパルタ軍にさらしているに等しい。
補給線を寸断するのは容易に思えたし、またそうなればマドハヴァディティア軍は干上がるしかあるまい。マドハヴァディティアの壮大な戦略は、一瞬にして壮大な愚挙に変わるだろう。
「ついにマドハヴァディティアもヤキが回ったか」とベルノルトは思ったが、まさかそんなはずはないだろう。エクレムも表情が険しい。そして彼はその険しい表情のまま、ベルノルトにこう答えた。
「殿下。支配するつもりがないのなら、やりようはあります」
「まさか……」
ベルノルトにエクレムが頷く。要するに補給は現地調達によって賄う、というわけだ。とはいえまさかお金を払って物資を購入することなどするまい。現地調達とはつまり略奪のことだ。
「……地獄になりますな……」
アッバスがぽつりと呟く。シンとした部屋の中、その声は妙にはっきりと響いた。だが誰もその言葉を否定することはできない。四万の大軍が食料を求めながら進むのだ。彼らが通った後は、焼き尽くされ、奪い尽くされ、殺し尽くされるだろう。
「……ベルノルト殿下。いかがいたしますか?」
「いかがしますかも何も、本隊の方針次第だろう」
ベルノルトはメフライルにそう答えた。マドハヴァディティア軍に蹂躙される人々のことを思えば、心は痛むし義憤も覚える。だが現実問題として、ベルノルトの手元にある戦力だけではマドハヴァディティアとは戦えない。
これは戦力だけの問題ではない。エクレムの予想が当たれば、クリシュナの支配領域は難民であふれることになる。手を出すなら、彼らを養うことも視野に入れなければならないのだ。それを可能とする能力は、今のアースルガムにはなかった。
そもそもアルアシャンが掲げたイスパルタ軍の戦略方針は、「ベルノルトとサラを救出し、アースルガムを再興させること」だ。そしてそれは達成されたと言っていい。今後どうするのかその方針は、改めてアルアシャンが定める必要があるだろう。
「では、こちらでまとめた情報を王太子殿下のもとへ送りましょう。サラ殿下もそれでよろしいですか?」
エクレムがそう尋ねると、サラは硬い顔をしながら一つ頷いた。彼女としては、クリシュナには思うところがあるものの、その支配領域の人々には共感を覚えている。その地域はいわゆる反マドハヴァディティア勢力の活動が活発だったからだ。広義の意味で同志と言える人々が蹂躙されるのを、見て見ぬフリをしたいとは思わない。
しかしながら、それが個人的なワガママでしかないことも、彼女は弁えていた。アースルガムの再興を宣言したとは言え、その実態はイスパルタ朝に頼り切っている。戦力にしても、その大部分はイスパルタ軍なのだ。サラの一存で「他国の民を助けるために戦え」とは命じられない。
ベルノルトはそんなサラの内心に気付いていたが、何も声はかけなかった。力がないのに手を広げすぎれば、せっかく再興したアースルガムさえ潰れかねない。物事には優先順位がある。そして自国が優先されるのは当然の話だ。
軍議の後、ベルノルトはアルアシャンのところへ送る報告書を作成した。主にシークリーを出撃してからの経緯を説明し、そこからマドハヴァディティア軍の動向へとつなげる。事実を述べた上で、皆で検討した予測を書き加え、そして最後にこうまとめた。
「現在の我々の戦力でマドハヴァディティア軍と戦うことは難しく、また国外の情報を収集するのも限界があります。また当初の戦略方針は達成されたと言え、それをふまえれば国境を越えてマドハヴァディティア軍と戦う意義は乏しいと言わざるを得ません。我々は当面、シークリーの防備を固めますので、本隊で統一的な意思決定をお願いします」
最後にエクレムにも確認して貰い、ベルノルトは報告所書を隠密衆の一人に託した。これで別命があるまでは、シークリーとその周辺で待機することになる。マドハヴァディティア軍が動いていることを考えると少し落ち着かない気持ちにもなるが、それでもひとまずアースルガムは平穏を取り戻したのだ。今はそれを喜ぼう、とベルノルトは思った。
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客観的に見て、イスパルタ軍の西方遠征は順調に進んでいると言って良い。ただ総司令官たるアルアシャンの意見では、とても順調とは思えなかった。彼の主観では次々に問題が起こっているように思え、その処理に忙殺され気味だった。
『まあ、軍隊は巨大組織ですからね。それが異国にいるんですから、問題も起こるってもんです』
ユスフはそう言ってアルアシャンを宥めた。アルアシャンも神妙に頷く。遠征軍総司令官が華々しいだけの役柄ではないことは、彼ももう十分に分かっていた。憧れと現実は別物なのだ。
さて、そのアルアシャンが現在最も頭を悩ませているのは、言うまでもなくアースルガムとラーヒズヤの問題だった。当初アルアシャンはラーヒズヤに臣従を求めていたが、ラーヒズヤは自立に拘っていた。そんな時にサラとベルノルトがアースルガムで名乗りを上げたのだ。
ラーヒズヤの問題でいたずらに時間をかければ、ベルノルトとサラの身に危険が及びかねない。アルアシャンはそう考え、ラーヒズヤの自立を認め、譲歩することを決めた。ただしその条件として、彼はラーヒズヤにこう厳命していた。
『決してアースルガムに手を出すな』
当然ながら、ラーヒズヤはその条件を呑んだ。決してアースルガムには、そしてベルノルトとサラには手を出しません、と誓ったわけである。そして実際、配下の武将たちに「アースルガムへは手出し厳禁」とする命令書を送っていた。
例えばこれがイスパルタ朝であれば、この命令は完璧に遵守されたであろう。イスパルタ朝において、ジノーファの命令は非常に重いからだ。そしてアルアシャンはそれを基準に考えていた。
ユスフはそれを分かった上で、アルアシャンにやんわりとこう釘を刺していた。「部下を抑えられていないから、統率力が落ちていると言われるのですよ」と。そして彼の懸念は的中した。
ラーヒズヤ配下の武将、バラットが暴発したのだ。彼は一五〇〇の兵を率い、バルフル城から北上してアースルガムに攻め込んだのである。それを知ったとき、アルアシャンはまず呆然とし、そして次の瞬間、怒りを露わにした。
「どういうつもりだ、ラーヒズヤ!」
アルアシャンはすぐさま兵を動かした。ただし彼が向かったのはバルフル城ではない。そちらは先遣隊の方が位置的に近いので、エクレムに任せるしかない。彼が向かったのはラーヒズヤが本拠地としている、マドラス城だ。
マドラス城に肉薄すると、アルアシャンはラーヒズヤに使者を送った。攻囲しているわけではないとはいえ、イスパルタ軍は明らかに戦闘態勢を整えている。そして戦力差は十倍近い。ラーヒズヤはかなりの圧迫感を受けていただろう。そして使者もまたその圧迫感を背景にしてこう告げた。
曰く「バラットがアースルガムに攻め込んだ。この件について弁明があるのなら、イスパルタ軍の本陣まで来い」
事実上の最後通牒だと言っていい。ラーヒズヤはそれを正しく理解し、寸鉄を帯びずにアルアシャンのもとへ現われた。
ラーヒズヤはバラットが動いたことを知らなかった。そして「自分はバラットに対し、確かにアースルガムへ手出しするなと命じた」と弁明する。しかしそれを聞いても、アルアシャンの冷たい表情は変わらなかった。
「つまり卿は部下を統率できなかったわけだ。これでは卿の指導力に疑問を抱かざるを得ないな」
「王太子殿下っ、それは……!」
「不満か、ラーヒズヤ。だがわたしも不満だ。わたしと約定を結んだのは卿だぞ。何より『手出しするな』と命じてそれを守らせることができなかった以上、卿には統率力も指導力もない。そのような者に大領を任せることはできないな」
「……っ」
「それに監督責任というものもある。部下の暴発や裏切りは、それを許した卿の責任だ。その分は負ってもらう」
そしてアルアシャンは、現在の支配領地を全て召し上げることを、ラーヒズヤに通告した。当然ながらラーヒズヤは不満だったろう。だが「不満なら城に戻って戦支度をしろ」と言われては、受け入れるより他になかった。
「承知、いたしました」
ラーヒズヤは意気消沈し、細い声でそう答えた。アルアシャンは満足げに一つ頷く。そしてこう話を続ける。
「うむ。ところでラーヒズヤ。城にはどれくらいの戦力がいる?」
「四〇〇〇と少し、でしょうか」
「ではそれを率いてイスパルタ軍の戦列に加われ。働いた分については報いる」
「っ! ははっ!」
ラーヒズヤの声に力が戻る。こうしてイスパルタ西征軍はラーヒズヤ軍を呑み込んだ。そしてその矛先は、さらに西へと向けられていた。
ベルノルト「エクレムが来ちゃったとなると、もう好き勝手はできないな」
メフライル(ホントかなぁ?)




