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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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330/364

シークリー救援1


「さてバラット。本題に入ろう。実は、マドハヴァディティア軍が動いたとの報告があった。数は五〇〇〇。狙いはシークリーだそうだ」


「…………」


「間の悪いことに、シークリーはいま空でな。迎え撃つための戦力がほとんど残っていない。理由は、まあ言わずとも分かるだろう?」


「……はっ」


 ベルノルトの話を聞き、バラットはやや硬い顔で小さく頷いた。シークリーの戦力が皆無な理由。それはこうしてバラット軍を迎撃するために全軍で出撃したからに他ならない。つまり別の見方をすれば、バラットはマドハヴァディティアのためにシークリーの戦力をおびき出した格好になる。


 ただしそれは、両者の間であらかじめ取り決められていたことではない。もしそうならバラットは降伏などしなかっただろう。つまり彼はマドハヴァディティアに利用されたのだ。バラット軍を囮にして、マドハヴァディティア軍は易々とシークリーを攻略しようとしている。ベルノルトの言いたいことは、しっかりとバラットに伝わった。


「さすがはマドハヴァディティア。食わせ者だな。……これはわたしの勝手な想像だが、奴は卿にアースルガムの王位を与えるつもりなど、最初からなかったのではないかな」


「そうかも、知れませぬ」


 バラットはベルノルトの言葉を否定できなかった。もしもマドハヴァディティアがバラットをしっかりと味方に引込み、その恩賞としてアースルガムの王位を与えるつもりだったのなら、五〇〇〇の別働隊の動きについて詳しい作戦を彼にも教えていたはずだ。しかしそれがまったくなかったということは、最初から囮にしようと考えていたと判断せざるを得ない。


「こうなると、降伏は英断だったな」


「恐れ入りまする」


「うむ。……ところで卿はイスパルタ朝近衛軍への仕官を望んでいるのだったな?」


「はっ。叶いますれば、是非」


「卿が降伏したのはアースルガム解放軍だ。本来ならば、今後はそちらに仕えるのが筋のはず。違うかな?」


 ベルノルトがそう問い掛けると、バラットは困ったように沈黙した。彼としては、「はい」とも「いいえ」とも答えづらいだろう。「はい」と答えれば近衛軍への仕官は叶わなくなってしまう。だが「いいえ」と答えれば、ベルノルトに口答えすることになる。故に口を閉ざした、というわけだ。


「まあ、引見したのがわたしだったからな。それに解放軍がイスパルタ朝の支援を受けているのは事実だ。イスパルタ軍の一部に見えたとしてもおかしくはないし、率いているのがわたし一人であれば、卿の願いを叶えても良かった」


「…………」


「ただ、この場にはサラ殿下もいる。サラ殿下の功績をわたしが、ひいてはイスパルタ朝がかすめ取るわけにはいかない。やはり卿にはアースルガムに仕えてもらうのが一番収まりが良いと思うのだが、どうだ?」


「お、恐れながらお尋ねいたします。ではベルノルト殿下の功績は、どのように扱われるのでしょうか?」


「ふむ。つまりわたしの分の功績で卿を引き取れと、そう言うのだな。だがわたしで良いのか? わたしは王位継承権を持たない王子だぞ。その上、王太子殿下とは腹違い。いずれ臣籍に下ることになるだろう。


 王の子といえども、王家を離れれば近衛軍への影響力などあってないようなもの。卿を取り立ててやることはできまい。それどころかわたしに近いと思われて、疎まれることになるかも知れぬぞ」


「……っ」


 バラットだって叶うならば出世したい。それなのに先行きの暗さを語られ、彼は一瞬言葉に詰まった。そんな彼を見て、ベルノルトは笑い声を上げる。


「ははは。バラット。そこはウソでも良いから『構いませぬ』と言っておかないと、今度は俺の不興まで被ることになるぞ」


「も、申し訳ありませぬっ! 決して、そのようなつもりは……!」


「まあ良い。ともかくわたしが卿を引き取るのはお勧めしない。だが卿が一働きしてくれるのであれば、わたしから王太子殿下に卿のことを推挙しよう。このことはサラ殿下も承知している」


 ベルノルトがそう言うのを聞いて、バラットは思わず顔を上げた。イスパルタ西征軍の総司令官が王太子アルアシャンであることは、すでにバラットも知っている。これは王位継承を見越し、後継者に武功をあげさせる狙いもあると思われた。それを考え合わせればジノーファがアルアシャンの意向を無視するはずがなく、つまり彼は西方遠征後の論功行賞に大きな発言力を持つ。


 そして、一働きしてから第一王子ベルノルトによって王太子アルアシャンに推挙され、西方遠征の総括として行われる論功行賞によって近衛軍に席を得られれば、それは実力を評価されてのことと言える。その後の出世は働き次第だろうが、少なくとも冷遇されるようなことはないだろう。


「……一体、何をすれば良いのでしょうか?」


「言わなければ分からないか?」


「つまり、シークリーの救援に協力せよ、と?」


 バラットがそう尋ねると、ベルノルトは笑みを浮かべて大きく頷いた。それを見てバラットはしばし考え込む。それから彼はこう答えた。


「そういうことであれば、是非とも戦列に加えていただきたく存じます」


「そうか。よろしく頼む。ではこれから武器を返すから、卿の兵士たちに説明を頼む。明日は日の出と共に出陣だ」


「ははっ」


 バラットが畏まる。ただ本心でどう思っているかは分からない。ベルノルトもこれで安心と思っているわけではない。それで彼はさらにこう言った。


「それともう一つ、やって貰いたいことがある」


「はっ。何をすればよろしいのでしょうか?」


「シークリーへと迫るマドハヴァディティア軍に、手紙を書いてくれないか。内通の手紙だ」


『シークリーに貴軍が迫ることを知ると、ベルノルトとサラは愚かにも我が軍の兵士らに武器を返還した。貴軍と戦うための戦力とすることを画策してのことである。二〇〇〇の兵を送って欲しい。送ってもらえれば、戦いの最中、我が軍はアースルガム解放軍の本陣を突く。そうすればベルノルトとサラの二人を容易く捕らえることができるだろう』


 このような内容の手紙をマドハヴァディティア軍へ送るよう、ベルノルトはバラットに求めた。細かな表現についてはバラットに任せたが、イスパルタ軍二〇〇〇の存在については隠すよう命じた。


 これは敵戦力を分散させるための策だ。敵が手紙を信じて二〇〇〇の兵を送ってくれば、ベルノルトらは二倍以上の戦力でこれを蹴散らすことができる。残りは三〇〇〇であり、敗残兵が合流したとしても、いきなり五〇〇〇と戦うよりは勝率が高い。


 また敵戦力を分散させれば、その分だけシークリーにかかる圧力が減る。ルドラも抵抗がしやすくなるだろう。もしかしたら攻城戦そのものが一旦休止されるかもしれない。ベルノルトはそれも期待していた。


 ただこれらはどれも、ベルノルトの真の狙いではない。彼の真の狙いは、バラットを裏切らせないことである。


 もしも敵が戦力を分散すれば、これを各個撃破するのは容易で、つまり裏切らないでおいた方が勝ち馬に乗れる。仮に裏切ったとしても戦力的には五分で、不利でない状況で裏切り者を処断できると思えば悪くない。


 一方で敵が戦力を分散しなければ、それはつまりバラットの内通を信じなかったということであり、彼も裏切りを躊躇うだろう。むしろ「マドハヴァディティアに捨て駒にされた」という確信を深め、その恨みを晴らすためにも苛烈に戦ってくれるのではないだろうか。ベルノルトはそう思っている。


 バラットがベルノルトの思惑をどこまで察したのかは分からない。ただ彼は「さすがはベルノルト殿下。良き策にございます」と答えて、手紙を書くことを了解した。


 バラットの言葉がただの追従なのか、それとも本心からのものなのか、ベルノルトには判別がつかない。彼はただ一つ頷いて、「頼むぞ」とバラットに声をかけた。


 そして翌日。アースルガム解放軍とバラット軍とイスパルタ軍の連合軍五〇〇〇弱は、シークリーへ向かうべく進路を西に取った。先頭を進むのはバラット軍で、当然ながらこれは裏切りを警戒してのことだった。


 バラット軍の後ろに続くのはイスパルタ軍だ。連合軍の最精鋭部隊たる彼らがこの位置にいるのは、やはり理由の一つとしてバラット軍への脅しがある。イスパルタ軍ならバラット軍が裏切っても動揺は少ないし、またこの位置なら背後から一挙に壊滅させられる。


 なおイスパルタ軍を率いているのはベルノルトで、副将としてシェマルとアッバスがそれぞれ一〇〇〇ずつを預かっている。シェマルは兵権が半分になった格好だが、これはもともとエクレムに命じられていたことらしい。アッバスは最初「小官は一〇〇人隊長ですので」と言って固辞していたが、ベルノルトにも勧められて最後には兵を預かった。


 最後尾を進むのは、サラ率いるアースルガム解放軍だ。三軍の中では最も数が少ない。とはいえエクレム率いる先遣隊の本隊がバルフル城周辺を抑えている。後ろから襲われる心配はないだろう。


「しかし殿下。本当にバラットを監視しなくてよろしいのですか?」


 行軍中、ベルノルトにそう話しかけたのはメフライルだった。今のところ、バラットはベルノルトの命令に従っている。だが彼は今、やろうと思えばいくらでも敵と連絡を取り合える立場と状況にいるのだ。


 そもそもベルノルトはバラットの裏切りを警戒している。そうであるなら、彼を監視するのはむしろ当然のことだ。しかしベルノルトはバラットに監視を付けていなかった。付けても無駄だと思ったのだ。


「自陣の中なら、幾らでもやりようはある。それにイスパルタ軍を後ろに置いたことで、こちらの意図は伝わっているはずだ」


 ベルノルトは肩をすくめてそう答えた。「バラットが裏切るなら叩き潰す」と、彼はすでに腹を括っている。監視を付けないのは、その覚悟を示すためでもあった。


(それに……)


 それに、バラットが裏切りを考えていないのなら、監視を付けなかったことは信任の証と受け取ったはずだ。これで彼の心を獲れたのではないだろうか、とベルノルトは思っている。


 ともかく、打てるだけの手は打ったのだ。ベルノルトはそう思っている。バラットが裏切るのか、それとも裏切らないのか、確実なことは本人にしか分からない。やることをやった以上、後は信じるだけだ。


 加えて、シークリーのこともある。こうして後詰めをしようとしているわけだが、先にシークリーが陥落していては何の意味もない。出陣に先立ってルドラに早馬を出し、イスパルタ軍が合流したことや、これから救援に向かうことは伝えさせた。だができる事はそれ以上ない。そう言う意味では、ベルノルトはこちらの方が不安だった。


(ああ、クソ……)


 ベルノルトは心の中で悪態をつく。不安要素を抱えながら、それでも前へ進まなければならない。彼にとってそれは大きなストレスだった。王子様をやるのも楽じゃない。彼はしみじみそう思った。


 さて連合軍が西へ行軍を始めてから二日目の昼前。バラットからの伝令がベルノルトの下にきた。そして「斥候が敵軍の姿を発見しました」と報告する。このタイミングで敵が姿を見せたと言うことは、バラットの内通を信じて兵の一部を送ってきたということだろう。ベルノルトは一つ頷くと、伝令兵にこう告げた。


「ご苦労。手柄を立てろよ、とバラットに伝えてくれ」


「はっ」と答えて、伝令兵が身を翻す。その背中を見送るベルノルトの表情は、険しいままだ。それから少しして、今度はハシムの部下の隠密衆が敵の接近を報告する。それを聞いて、ベルノルトはようやく少しだけ肩の力を抜いた。


「ご苦労だったな。サラにも伝えてくれ」


 報告に来た隠密衆の男に、ベルノルトはそう命じる。彼は一礼してから、後方のアースルガム解放軍のところへ向かった。


 敵は本当に来た。そしてバラットもそれを正直に伝えてきた。これでシークリーを救援できる可能性はかなり上がったし、一方でバラットが裏切る可能性は下がった。戦いはまだ始まってもいないのに、ベルノルトはすでに山場を越えた心境だった。


(いや、まだだ)


 ベルノルトは内心でそう思い直す。まだバラットが裏切らないと決まったわけではない。そして戦いに勝ったわけでもない。少なくとも目の前の敵を退けて初めて、「山場を越えた」と言えるだろう。


「ライル。アッバスとシェマルに、油断するなと伝えてくれ」


「はっ」


 ベルノルトがそう命じると、メフライルが馬上で一礼する。故事に曰く「勝敗は戦場の外で決する」という。だが決まりかけた勝敗を戦場でひっくり返されることもあるのだ。自分がその当事者となっては堪らない。ベルノルトは油断を自戒した。


 やがて戦闘が始まる。敵の数は二〇〇〇から三〇〇〇だという。バラット軍が敵に突撃したという報告を聞いて、ベルノルトは思わず安堵の息を吐いた。そしてアッバスとシェマルに対し、「追撃して敵を壊滅させよ」と命じる。二人はすぐに動いた。


 まずシェマル率いる一〇〇〇が、バラット軍を迂回して敵の側面を突く。アッバス率いる一〇〇〇も、バラット軍を逆方向から迂回して同じように敵の側面を突いた。これで連合軍は三方から敵を攻撃することになる。


 敵の動きは鈍かった。こうしてここまで来たと言うことは、前述した通り彼らはバラットの内通を信じたのだ。だがバラットは内通しなかった。さらに彼らはイスパルタ軍の存在を知らなかった。


 騙されたことを悟り、彼らは浮き足だった。その動揺を連合軍は容赦なく突く。バラット軍は正面から苛烈に攻め立てて敵をジリジリと後退させた。シェマルとアッバスはそれぞれ両翼の位置についたわけだが、二人は絶妙なコンビネーションを発揮して敵を交互に叩き、そのたびに大量の出血を強いた。


 敵が崩れるのは早かった。壊走状態になった敵軍に、ベルノルトは徹底的な追撃を命じた。ここで可能な限り数を減らしておかなければならない。組織的に撤退されると、その分だけ次の戦いが厳しくなるのだ。「逃げる敵は逃がしてやれ」と命じるだけの余裕は、今の連合軍にはなかった。


 連合軍が追撃を切り上げた時、時刻はすでに夕方になっていた。連合軍はシークリー攻略部隊の別働隊に対し、壊滅的な損害を与えたと言っていい。少なくとも半数は死傷により使いモノにならないだろう。逃げた兵達も、味方に合流するかは疑わしい。


 とはいえ、まったく合流しないこともないだろう。連合軍のことは、シークリー周辺にいるであろう、敵本隊に伝わっただろう。敗戦の報を受けて彼らがどう動くのか。遮二無二にシークリーへ攻めかからなければ良いが、とベルノルトは思った。


 さて、夜になるとベルノルトはバラットを本陣に呼んだ。そして彼の奮戦を褒め、さらにこう言った。


「卿を王太子殿下に推挙するときには、今日の働きのことも必ず伝えよう」


「ははっ」


 バラットが満足げに畏まる。それを見てベルノルトも一つ頷いた。これようやく、本当に「山場を越えた」と言って良いのではないか。彼はそう思った。ただその一方で、この後でもう一つ戦いが控えているのも事実。そのせいなのか、彼はまだ達成感を覚えずにいた。



ベルノルト「ただ戦うだけで良かったころが懐かしい!」

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― 新着の感想 ―
[一言] がんばれベルノルト!ここを切り抜ければ西方総督の地位が待ってるぞ。
[良い点] このまま行けばバラットさん地味に勝ち組だな 暴発成功!
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