援軍派遣1
大統歴六三六年七月十二日。この日、ジノーファはシェリーを通じてダンダリオンに呼び出され、彼の執務室に来ていた。
ダンダリオンがジノーファを呼び出すのは珍しい。ジノーファは何かの役職についているわけではないし、大した事のない用事ならシェリーを通して伝えられる。つまりわざわざ呼び出したということは、皇帝ダンダリオン一世が無位無官のジノーファ個人に用事がある、と言うことなのだ。
「……それで、陛下。今日はどういったご用件でしょうか?」
香り高い紅茶を楽しんでからティーカップをソーサーに戻し、ジノーファはダンダリオンにそう尋ねた。ダンダリオンは長い足を組むと、顎先を撫でつつ「ふむ」と呟く。そしてまずは端的にこう言った。
「実はな、イブライン協商国でスタンピードが発生した」
「それは……」
ダンダリオンの言葉を聞き、ジノーファは驚くと同時に困惑した。確かにスタンピードの発生は大事件だ。だが起きたのがイブライン協商国であれば、ロストク帝国にどんな影響があるのか。そしてジノーファにどう関係してくるのか。それが良く分からない。
「まあ、話は最後まで聞け」
苦笑しつつ、ダンダリオンはそう言った。スタンピードが起こったのはイブライン協商国だ。しかし溢れ出したモンスターどもに国境など関係ない。それでモンスターの大群は国境を越えて北のランヴィーア王国へ雪崩れ込んだ。
「幸い、国境際にはヘングー砦という要塞があってな。そこの戦力によって、モンスターどもはすでに殲滅されている」
それを聞いてジノーファはホッと胸を撫で下ろした。しかし、モンスターの大群を殲滅しただけでは、スタンピードの脅威は去ったとはいえない。一度スタンピードを起こしたダンジョンは、放っておくと比較的短期間の内にまたスタンピードを起こすからだ。それを防ぐにはダンジョン攻略を行うしかない。そしてヘングー砦の城砦司令官もそれを承知していた。
「ヘングー砦の城砦司令官はアルガムというらしいのだがな。すぐさま斥候を放ってダンジョンの位置を探らせたらしい」
なにしろ六〇〇〇体程度のモンスターが移動したのだ。その痕跡ははっきりと残されている。それを辿ることで、ダンジョンはすぐに見つかった。
「分かったことは主に二つ。新たにできたのは規模の大きなダンジョンだということ。そしてイブライン協商国側にも被害が出たらしいということだ」
それが分かっても、しかしアルガムは兵を出すことはしなかった。ランヴィーア兵が徒党を組んで国境を越えたとなれば、それはもう宣戦布告に等しい。一介の城砦司令官でしかない彼に、他国との戦争を勝手に始める権限はないのだ。そもそも砦の戦力は疲弊している。とてもではないが、他国のダンジョンを攻略できるような状況ではなかった。
「しかし、手間取っていては……」
「安心しろ。すでに攻略は始まっている」
ダンダリオンはそう言ってお茶のおかわりを所望する。傍に控えていたメイドが二人分のお茶を用意すると、それを一口啜ってから彼は説明を続けた。
□ ■ □ ■
ヘングー砦から第一報、つまりスタンピード発生の報を受けると、ランヴィーア王国の王宮は直ちに騎兵一〇〇〇の派遣を決定した。ただ、これはモンスターの殲滅を目的とした戦力ではない。
結果はどうあれ、これらの騎兵たちがヘングー砦に到着する時には、モンスターどもとの戦いは終わっている。実際、この時点でヘングー砦はモンスターの大群を殲滅していた。それでこの騎兵一〇〇〇は、モンスターの殲滅が失敗した場合には情報収集を、成功した場合にはダンジョン攻略を行うための戦力だった。
さて、これらの騎兵がヘングー砦に到着すると、城砦司令官アルガムに対して勅命が伝えられた。曰く「再びスタンピードを起こさぬため、最大限の努力をせよ。ダンジョン攻略に関わる事柄については、別命あるまで現場の判断を尊重する」。
王宮のほうでも、今回スタンピードを起こしたダンジョンがイブライン協商国側にあるということは想定されている。その上で「最大限の努力をせよ」というのは、「必要なら越境してでもダンジョン攻略を行え」という意味に他ならない。加えて「現場の判断を尊重する」と言っているのだから、ほとんど全権委任と考えていいだろう。
さらにこの時点で、イブライン協商国側の攻略は始まっていない。初動での対応がまずかったらしく、モンスターの大群がばらけてしまったのだ。分散してしまったモンスターを退治するのに手間取っており、ダンジョンの攻略にまでは手が回っていなかった。
このままイブライン協商国に任せていては、再びスタンピードが起こってしまう。アルガムはそう判断した。それでまずは援軍として送られてきた、足の速い騎兵一〇〇〇をイブライン協商国へ送り込み、ダンジョン攻略を始めさせた。
さらに歩兵二〇〇〇をアルガム自身が率いて、国境を越えダンジョンへ向かう。こうしてランヴィーア軍三〇〇〇によるダンジョン攻略が始まったのである。
さて、この少し前、ヘングー砦からの第二報、つまり「モンスターの大群を殲滅した」という報せが王宮へもたらされた。国土を荒らされずにすみ、国王をはじめ高官たちは胸を撫で下ろしたと言う。
当面の危機が去ったことを知ると、彼らは次にスタンピードを起こしたダンジョンについて考え始めた。この時点ではまだ、王宮にダンジョンの正確な位置は知らされていない。だがそれがイブライン協商国側にあることはほぼ確実だと思われた。
ダンジョンは巨大な利権の塊だ。得られるものならば欲しい。しかしランヴィーア王国がそれを取ろうとすれば、イブライン協商国も黙ってはいないだろう。ダンジョン一つのためにイブライン協商国と戦争をするのか。王宮内でも意見は分かれた。
ダンジョンを確保するべし、と唱える一派はこう主張する。
曰く「スタンピードを起こし、あまつさえその災禍を我が国にまで及ぼしたイブライン協商国には、ダンジョンを管理する資格も能力もない。我々が管理を行わなければ、再びスタンピードが起こるであろう。
さらに、ダンジョンは枯れない鉱山も同じ。必ずや我が国に巨万の富をもたらす。加えてそこで兵を鍛えれば、我が軍はさらなる精兵を得ることができる。すなわちこれを確保し管理することは、国防上そして国益上、至極当然のことである!」
一方、あまり深入りするべきではないと考える一派は、こう主張した。
曰く「今回最優先するべきはスタンピードを再び起こさないことであって、イブライン協商国と事を構えることではないはず。それなのに我々が大軍を動かせば、イブライン協商国も大軍をもって応じざるを得ない。それでは両国の緊張は高まるばかりで、肝心のダンジョン攻略が疎かになってしまう。
よって派遣する兵力は最低限度に留めるべきである。そしてイブライン協商国と交渉を行えばよい。此度のスタンピードで我が国が被った被害を賠償させ、さらにダンジョンの安定的な管理を約束させれば、国防上そして国益上、なんら問題はない」
要するにこれはもう、スタンピード云々の問題ではなくなっていた。イブライン協商国と戦争してでもダンジョンを奪うか、それとも賠償金等で手を打つのか、そういう問題になっていたのである。
ダンジョンを奪うことができれば、長期間に渡ってそこから利益を得ることができるだろう。ただしそのためには、大軍を動かす必要がある。またダンジョンを奪ったとして、安定的に管理するためには都市か、最低でも城砦を築く必要がある。つまり膨大な金がかかるのだ。失敗すれば巨大な損失となる。成功すれば最終的に黒字を見込めるとはいえ、簡単に決められるものではない。ハイリスクハイリターンの選択肢といえた。
一方、ダンジョンを奪うことに拘らず、イブライン協商国と交渉を行えばどうか。それなりの賠償金を得ることができるだろう。ダンジョンからの収入は期待できないが、しかし今回の被害に関して言えば十分な補填と補償が可能であるに違いない。ローリターンではあるが、ローリスクな選択肢だ。
双方の意見は対立した。そもそも、これは利権が絡んだ話なのだ。容易く結論はでない。会議場は混沌とした様相を呈してきた。
「ロストク帝国は昨年、新たなダンジョンを得て、さらなる強国への道を歩んでいる。我々はこれを座してみているべきだろうか!? 我々もまた新たなダンジョンを獲得し、国を富ませ兵を鍛えるべきではないのか!?」
「国を富ませると言うのであれば、ダンジョンよりも貿易港を確保するべきだ。交易によって得た金で、精兵を養えばよい! 賠償金を得、イブライン協商国が新たなダンジョンの管理にかかりきりになっているその隙をつき、海へと出るべきだ!」
「左様! 何よりも塩田! 塩を輸入に頼っているのはいかがなものか!? これは国防・国益上、憂慮するべき事態である!」
「笑止! 貿易港も塩田も、そう簡単に取れるものではない! それならば新たなダンジョンを確保する方がよほど容易いわ!」
双方折り合おうとはせず、会議は紛糾した。やがて人々の視線はある人物へと注がれる。上座に座り、この会議中、まだ一言も話していない壮年の男性。この男こそランヴィーア王国国王オーギュスタン二世である。
「王よ、ご決断を! 此度の一件、いかように対処いたしましょうか!?」
「……再びスタンピードを起こさせぬこと。まずはそれが最重要。宰相、三日以内に動かせる戦力はどの程度か?」
「はっ。歩騎一万、と言ったところでしょう。十日いただければ、さらにもう一万程度集めることができますが……」
「よい。では歩兵五〇〇〇を組織し、ヘングー砦へ送れ。メイジとヒーラーを忘れるな。これで、ダンジョンを攻略するための戦力としては十分なはずだ。加えて、物資が必要になろう。これとは別に輜重部隊を組織せよ。物資の集積は、ヘングー砦に行えばよかろう」
そこから先は、イブライン協商国の出方を見る事になる。動きが鈍く、本気でダンジョンを奪い返しにくる気配がないのなら、そのまま確保してしまえばいいだろう。だが大軍を組織し奪還のために動くのであれば、交渉によって事を収めるのも考えなければならない。
強硬派も慎重派も、オーギュスタン二世の判断に異を唱えることはしなかった。双方とも、追加の兵を送ること自体は必要だと考えている。問題はそこから先なのだが、現状では判断材料が少なすぎる。大きな決断を下す前に、より詳細な報告を得る必要があった。
最低限の手だけ打って、あとは報告待ち。要約すれば、会議の結論はこんなところか。ただ強硬派も慎重派も、それだけで終わるつもりはない。それぞれ自分たちの望む方向に自体を動かすべく手を打つ。まず動いたのは慎重派だった。一人が立ち上がり、こう提案する。
「陛下。イブライン協商国の大使を呼び出し、我が国の立場を伝えるべきです」
国境を越えて兵を動かしたのは、あくまでもダンジョンを攻略し次なるスタンピードを起こさないための措置。そのことをイブライン協商国側にはっきり伝えておくのだ。越境の大義名分をはっきり主張してこそ、国家の体面は保たれる。
それに、イブライン協商国側の初動の遅さを責め、「代わりに攻略を行っているのだ」と恩を着せることができるのは今だけだ。その貸しがあれば、後の交渉で優位に立てるだろう。また侵略戦争が目的ではないことを伝えておけば、攻略を行っている部隊がイブライン軍によっていきなり攻撃される可能性も減るはずだ。
両軍の衝突と泥沼化を回避し、交渉によって解決を図る。それが、慎重派が描くシナリオの方向性だ。そのためには外交ルートを確保し、必要な情報を刷り合わせ、いつでも交渉を行えるようにしておかなければならない。大使の呼び出しはそのための第一歩である。
「良かろう。よきに計らえ」
「ははっ」
オーギュスタン二世の許可が出ると、提案を行った高官は深々と一礼した。彼が座ると、今度は別の、強硬派の貴族が立ち上がる。彼はこう提案した。
「陛下。ロストク帝国に援軍を求めましょう」
今回現れた新しいダンジョンは、ロストク帝国の国境にも近い。先のスタンピードではロストク帝国に被害は無かったようだが、しかし次にスタンピードが起これば分からない。となれば、ロストク帝国も当事者である。彼らも新しいダンジョンの攻略の行方には気を揉んでいることであろう。
「しかしロストク帝国は直接の被害を受けておらず、彼らには派兵の大義名分がない。また新たな城塞都市を建設中であり、その状態でイブライン協商国と事を構えるのは本意ではないでしょう。しかしだからと言って無視もできないはず。であれば、彼らは事態へのかかわり方を模索しているはずです」
そこで同盟に基づく援軍の要請を行うのだ。そうすればロストク帝国はランヴィーア王国への助力という形で事態に関わることができる。自らの手でダンジョンを攻略し、スタンピードの脅威を取り除けるのだ。
そして現場の戦力が増強されれば、イブライン協商国もそう簡単に手出しをすることはできなくなるだろう。単純な戦力の問題だけではない。ダンジョンの奪取へ動けば、ロストク帝国の参戦を招くかもしれないのだ。
イブライン協商国は動くに動けなくなるに違いない。そうなれば、後はダンジョンを実効支配してしまえばいいのである。強硬派はそんなシナリオを描いていた。
「良かろう。ロストク帝国の大使を通じ、援軍の派遣要請を行うこととする」
オーギュスタン二世はそう裁可を下した。そしてその日のうちに、イブライン協商国の大使とロストク帝国の大使が呼び出された。
イブライン協商国の大使に対しては、現状の説明とランヴィーア王国の方針が説明された。当然、大使はランヴィーア王国の越境に激しく抗議したが、しかし「そちらがダンジョン攻略を行わないから、我々がやるのだ」と言われると、さすがに反論がし辛い。
そもそも今回のスタンピードに関する情報が、大使には不足していた。本国の方針も分からず、これではまともな交渉などしようがない。ほとんど一方的にやり込められる結果になった。
「一つだけ、一つだけ確認させていただきたい。ランヴィーア王国の越境行為は、あくまでもダンジョン攻略を目的としたものなのですな?」
「現状では、その通りです」
ランヴィーア王国側のその返答を聞き、大使は硬い表情で一つ頷いた。このまま何もしなければ、国土と一緒にダンジョンを奪われると察したのだ。
「直ちに、本国と連絡を取り合いましょう。ランヴィーア王国におかれては、決して短絡的な行動を取ることがないよう、重ねて要請いたしますぞ」
「陛下にはそのようにお伝えいたしましょう。ですが、我々としても再びスタンピードを起こすわけにはまいりませぬ。速やかなダンジョンの攻略こそが最重要。そのために打てる手は全て打つつもりです」
その一環としてロストク帝国への援軍の派遣要請のことを伝えると、大使は今度こそ顔色を失った。彼の脳裏に浮かぶ最悪の展開は、二カ国の連合軍による全面侵攻である。ランヴィーア王国もロストク帝国も、交易のための港を欲していることを、彼は知っている。今回の一件が、そのための侵攻のきっかけになるかもしれないのだ。
事態を重く見た大使は、直ちに王宮を辞して本国へ使者を走らせた。しかしこの時代、連絡を取り合うためにはどうしても時間がかかる。その間にも事態は動いていくことになるのだった。
一方、ロストク帝国の大使は丁重にもてなされた。そして現在の時点で分かっている事柄の説明を受ける。大使はやはり、新たなダンジョンの位置がロストク帝国との国境に近いことが気になるようだった。
「現在のところ、ロストク帝国側へのモンスターの移動は確認されておりません」
「それを聞いて安心しました」
「ですが、再びスタンピードが起これば、どうなるかは分かりません。それで、本題なのですが、同盟に基づきランヴィーア王国はロストク帝国へ援軍の派遣を要請いたします」
「了解いたしました。その旨、ダンダリオン陛下にお伝えいたしましょう」
そう言って大使は王宮を辞し、本国へ事態の報告と援軍の派遣要請について伝えた。それを受け、ダンダリオン一世はすぐさま援軍の派遣を決定。オールボーの建設に力を注いでいるこの時期に、国をスタンピードで荒らされるわけにはいかなかったのである。
「それで、どの程度の戦力を送る?」
「ランヴィーア王国にも面子があります。あまり大軍を動かすわけにはいかんでしょう」
「多くても三〇〇〇、といったところでしょうなぁ」
それを聞いてダンダリオンは「ふむ」と呟いた。ランヴィーア王国の戦力と合わせれば一万程度になる。ただ敵国でダンジョン攻略を行うことを考えると、少し心もとないようにも思えた。
「よし。助っ人をつけるぞ」
まるで悪戯を思いついた子供のように、ダンダリオンはにやりと笑った。そしてちょうど報告に宮殿を訪れていたシェリーを通じ、ジノーファを呼び出したのである。
シェリーの一言報告書「ジノーファ様、呼んでますよ!」
ダンダリオン「緊張感がなくなるな……」




