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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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合流


 ――――マドハヴァディティア軍、襲来。その矛先はシークリーに向けられているという。


 その報を受けると、サラは顔色を失ってわなないた。シークリーにまともな戦力は残っていない。バラット軍と戦うべく、全軍を率いてきたからだ。そして空のシークリーにはルドラが留守居役として残っている。


「サラ、落ち着け。……それで敵の数は?」


「およそ五〇〇〇とのことです」


 五〇〇〇ならば別働隊だろう。ただし五〇〇〇でもアースルガムにとっては十分すぎるほどの大軍である。


「位置は?」


「南から北上してきており、シークリーまではおよそ三日程度かと」


 三日と聞き、ベルノルトは顔を険しくした。急使は一日馬を走らせてきたというから、実際にはあと二日だ。そしてアースルガム解放軍はシークリーからここまで、三日以上を移動に費やしている。


 間に合わない、とベルノルトはすぐに分かった。少なくともマドハヴァディティア軍の別働隊がシークリーに迫る方が早い。後はシークリーがどれほど持ちこたえられるかだが、前述した通り戦力はほぼ空と言っていい。


 住民を徴兵するなり志願兵を募るなり、戦力を集める方法はある。だがそれでどこまで戦えるのか。良くて一日、二日耐えたら大金星、三日持てば奇跡だろう。ベルノルトは冷静にそう計算した。


「ベル。すぐに、すぐに後詰めをしないと……!」


 サラが切羽詰まった視線をベルノルトに向ける。彼は胸が痛んだが、しかし首を横に振った。


「間に合わない以上は野戦になる。ダメだ、勝てない」


 むしろサラとベルノルトをおびき寄せるためのエサとして、シークリーにちょっかいを出しているかもしれないのだ。また降伏したバラット軍をどうするのかという問題もある。放置すれば背中を襲われかねない。


「イスパルタ軍先遣隊との合流を優先するべきだ。シークリーには使者を出して、降伏を許可しておこう。馬を駆けさせれば間に合うはずだ。ルドラも脱出してもらえば良い。先遣隊と合流すれば、シークリーは取り戻せる」


「ダメよ! あの人はきっと脱出なんてしないわ」


 サラはそう叫んだ。そしてバラット軍をそのままアースルガム解放軍に組み込んで、戦力化することを提案する。それが叶えば、戦力は三〇〇〇弱になる。シークリーが落ちる前に後詰めできれば、勝ち目は十分にある。だがベルノルトはまた首を横に振った。


「ダメだ。数の上ではまだバラット軍の方が多いんだぞ。それなのに武器を返して戦える状態にする? 論外だ。裏切られたらどうする」


 アースルガム解放軍はバラット軍をいわば騙して降伏させたのだ。しかし手品のタネはもう割れた。何より戦力化するとなれば、バラットにもマドハヴァディティア軍別働隊のことを伝えなければならない。全てを知ったとき、彼が裏切る可能性は十分にある。


「今は動けない。味方との合流が先だ」


「ベルッ!」


「動けないんだ! 分かってくれ」


 ベルノルトは強い口調でそう言った。顔には内心の苛立ちが滲んでいる。


(足かせになったか……)


 ベルノルトは内心、苦い思いでそう呟いた。土埃で大軍を偽装してバラット軍を降伏させたことは、痛快事と言っていい。だが降伏させたバラット軍を放置するわけにはいかない。そのせいでアースルガム解放軍は動くに動けなくなり、この場でイスパルタ軍先遣隊を待つより他になくなってしまった。


 サラが助けを求めるように幕僚たちを見渡す。彼らは当初、シークリーを空にすることに反対していた者たちだ。それを、ルドラを留守居役にすることで納得させた。だが今、彼らの内の誰もサラと視線を合わせようとしない。


 そもそも彼らはマドハヴァディティア軍が本当にアースルガムを襲うのか、懐疑的だったのだ。それが現実のものとなり、しかも五〇〇〇という敵戦力を聞いて、彼らはすっかり及び腰になっていた。


「オム」


「ここは、ベルノルト殿下の言われる通りかと……」


 サラに名指しされ、オムが苦み走った口調でそう答える。その言葉に他の幕僚たちも頷く。彼らを味方に付けることに失敗し、サラはいよいよ孤立した。何もかも上手く行かない。それが彼女を苛立たせる。


「分かったわ。分かりました。それならわたし一人で行くわ。リリィ、あなたは付いてきてくれる?」


「はい。お供します」


 その返事に頷くと、サラはリリィを連れて歩き始めた。ベルノルトはそれを見て頭を抱える。そして苛立った声でこう命じた。


「ライル、アッバス! 止めろ!」


 二人はすぐに動いた。メフライルがリリィを羽交い締めにし、アッバスがサラの前に立ち塞がる。サラとリリィは騒いで抵抗したが、二人は彼女たちを行かせなかった。


「退きなさいっ!」


「退きませぬ」


「命令よ!」


「その命令はわたしが取り消す。アッバス、メフライル。イスパルタ朝第一王子として命じる。その二人をテントに放り込んでおけ!」


 空気がいよいよ険悪になる。メフライルとアッバスが困った顔をして、それでも命令通りにしようと動く。その時、慌てた様子で一人の兵士が飛び込んできた。彼は声を張り上げてこう報告した。


「南より、大量のかがり火が近づいて来ておりますっ!」


 その声は険悪な雰囲気を吹き飛ばした。ベルノルトがサラの方に視線を向けると、彼女は困惑気味に頷く。それを見てから、ベルノルトは臨戦態勢を整えるよう命じた。


(敵か、それとも味方か……)


 ベルノルトは咄嗟に判断が付かなかった。南から来たと言うことは、待ちに待った援軍、つまりエクレム率いるイスパルタ軍の先遣隊である可能性が高い。だがバラットとラーヒズヤが連携していた場合、ラーヒズヤ軍の可能性もある。


 ベルノルトとしては、十中八九は前者であろうと思っている。ラーヒズヤ軍が動いていれば、先に先遣隊が気付くだろうからだ。だが万が一と言うこともあり得る。仮に敵だった場合、捕虜にしたバラット軍まで敵になるかも知れない。マドハヴァディティア軍のことも含め、頭が痛いなと彼は思った。


(いよいよの時は……)


 サラを連れて逃げなければならない。ベルノルトはそう思った。幸いというか、すでに夜も深まっている。夜陰に紛れれば逃げるのは難しくないだろう。名誉は傷つくかも知れないがその時は自分が泥を被ろう、と彼は腹をくくった。


 南から近づいて来たたくさんのかがり火は、適当な距離を空けて止る。そして三つばかりのかがり火だけが近づいて来た。徐々に明らかになるその姿。彼らはイスパルタ朝の旗を掲げていた。


 ベルノルトの周囲で歓声が上がる。彼自身も安堵の息を吐いた。喜びや驚きよりも安堵が勝った。旗を掲げて近づいてくるのは五人程か。彼らの顔も、しだいにはっきりと見えるようになる。そして次の瞬間、一切の感情を驚きで吹き飛ばされた。


「殿下。遅ればせながら推参いたしました」


「シェマル!?」


 かつて一緒にダンジョンを攻略した仲間が、駆けつけてくれたのだ。



 ○●○●○●○●



 ベルノルトとサラがダンジョンを使ってヴァンガルを脱出した際、彼らには三人の護衛が付けられた。その内の二人はアッバスとメフライルであり、最後の一人がシェマルだ。そしてベルノルトが西方へ向かうことを決めたとき、彼はそのことを味方に伝えるために一行と別れた。その時以来の再会である。


 語り合いたい話は積もりに積もっている。一度話し出せば、一昼夜では終わるまい。それでひとしきり再会を喜ぶと、早々に状況の確認を始めた。特にシェマルが何のためにここまで来たのか、それを確かめることは大切だ。ジノーファに命じられてサラとベルノルトを連れ戻しに来た、という可能性もあるのだ。


「『急ぎベルノルト殿下と合流し、その指揮下に入れ』というのがエクレム将軍からの命令です」


 バラットの不穏な動きについて知ると、エクレムは先遣隊の中からさらに先行部隊を編成し、これを自分たちに先立って合流させることにしたのだ。それを聞くとサラは頬を上気させ、ベルノルトは内心で安堵の息を吐いた。どうやら彼が連れてきた兵は戦力として計算して良いらしい。それでベルノルトはさらにこう尋ねた。


「それで、連れてきた兵の数は?」


「二〇〇〇の兵を預かっております」


 その数を聞いて、ベルノルトは考え込んだ。この兵にアースルガム解放軍と降伏したバラット軍の兵を合わせれば、その数は五〇〇〇近くになる。シークリーに迫るマドハヴァディティア軍とほぼ同数だ。救援が成功する確率は、かなり高いと言っていいだろう。


 ただやはり、懸念されるのはバラット軍の裏切りだ。バラット軍が裏切ると、敵は六〇〇〇を超え、味方は三五〇〇を下回る。兵士たちも少なからず動揺するだろう。それでも勝てるのか。この場合、かなり難しいと言わなければなるまい。


「ベルノルト殿下。何かお悩みですか?」


「ん、ああ。実はな……」


 ベルノルトはシェマルにこれまでのいきさつを説明する。そのなかで彼が一計を案じてバラット軍を降伏させたことを知ると、シェマルは感嘆の声を上げた。


「殿下、お見事にございます」


「だがそのせいで身動きが取れなくなった」


「ですがその一方で、こうして早期に合流することが叶いました」


 ベルノルトらが立てたあの土埃を、先行部隊の斥候が発見したのだとシェマルは言う。その報告を受けた彼は行軍の速度を上げ、そしてこのタイミングでの合流に繋がった、というわけである。


「そう、か」


 シェマルの話を聞いて、ベルノルトは少し気恥ずかしく感じた。彼にとってあの作戦は、純粋にバラットを騙して降伏させるためのものだった。だがそれが同時に、味方への狼煙としても作用していたのだ。そしてそれが、一筋の光明に繋がった。


「説明を続けるぞ」


 下手な咳払いをしてから、ベルノルトは説明を再開した。そしてマドハヴァディティア軍のことや裏切りの懸念などについて全て話すと、彼は最後にこう尋ねた。


「シェマル。どう考える?」


「やはり降伏した兵士たちを戦力に組み込めなければ、救援は難しいでしょう。そしてその場合、殿下がご懸念の通り、裏切りの危険がつきまといます」


 シェマルの言葉に、ベルノルトは険しい表情で重々しく頷いた。その隣では、サラが悲壮な顔をしている。その二人を見比べてから、シェマルはさらにこう言った。


「逆を言えば、裏切りの危険を小さくできるなら、やってみる価値はあるかと存じます」


 一瞬、ベルノルトは何を言われたのか分からず、きょとんとした。サラも困惑したように首をかしげている。それを見てシェマルは面白そうな笑みを浮かべた。


「……どうやって裏切りの危険を小さくする?」


「それは殿下の手腕次第でしょう」


 シェマルがそう答えると、ベルノルトはいよいよ呆れたように苦笑した。アッバスも渋い顔で同僚にこう苦言を呈する。


「そう簡単な話ではないぞ、シェマル」


「それは分かっている。だが軍事的な条件は、エクレム将軍が合流するまでこれ以上良くならない。それでは間に合わないのだろう? なら後は交渉して、バラットをしっかりと味方に引き込むしかない。……それができるのはベルノルト殿下だけです」


 最後の一言は本人に視線を向けながら、シェマルはそう話した。ベルノルトは腕を組んで難しい顔をする。確かにバラットを納得させるだけの条件を提示できるのは、ベルノルトだけだろう。


 だがそれは今すぐに後詰めすること前提の話だ。エクレムと合流してから救援するという選択肢もあるのだ。まずは方針を決めなければならない。そしてそれができるのもベルノルトだけだ。


「ベル、お願い……!」


 サラがそう懇願する。ベルノルトは迷った。ほんの数時間前までは、彼は「後詰めなどとんでもない」と考えていた。だが今、状況は変わった。そして彼もまた、ルドラが素直に逃げてくれるとは、あまり信じていなかった。


「……分かった。バラットを連れてきてくれ」


 結局、ベルノルトはそう答えた。それを聞いてサラは満面の笑みを浮かべ、アッバスは厳めしい顔をさらに厳めしくする。シェマルとメフライルは共に面白がるような笑みを浮かべ、前者は一礼し、後者はバラットを呼びに行った。


 しばらくすると、バラットがやって来た。縄は打たれていないが、さすがに丸腰で、周囲を兵士に囲まれている。彼はベルノルトから十歩ほどの距離に座った。その口元には不敵な笑みが浮かんでいる、ように見えた。


「ああ、バラット。良く来てくれた。もしかしてもう休んでいたか?」


「暇を持て余しておりましたが、そのおかげで空気が騒がしくなったことに気付くことができました。こうしてお呼び立ていただいたということは、何があったのか、教えていただけるのでしょうか?」


 バラットの目が好奇心で光る。さてどこまでが純粋な好奇心なのか。ベルノルトは内心でそう思いながら、こう答えた。


「ああ、そうだな。まずはそこから話そうか。実は先ほど、イスパルタ軍と合流した。まあ、先遣隊のさらに先行部隊だがな」


「……なるほど。お味方が到着されたのでしたか。騒がしくなったのは、暗がりのせいで旗がよく見えなかったからでしょうか」


「まあ、そういうことだな。……ところでシェマル。エクレムは今、どの辺りにいるのだ?」


「はっ。恐らくですが、将軍がいらっしゃるのはちょうど、バルフル城のあたりかと存じます」


 特に打ち合わせをしたわけではないのだが、シェマルはベルノルトの意図通りに答えてくれた。もしかしたら、本当に予想を話しただけなのかも知れないが、それはそれで構わない。


 シェマルの部隊がここへ来ている時点で、バラット軍の退路は断たれているのだ。バラットが裏切りを考える場合、この要素は無視できないだろう。ただバラットは顔色を変えない。それで彼にプレッシャーをかけることができたのか、ベルノルトには分からなかった。


サブタイトルボツ案「わがままお姫様、の巻」

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― 新着の感想 ―
[一言] サラちゃんやっぱり為政者向いてなさそう
[一言] いいタイミングで援軍が来て、ベルノルトは助かったけど、どうなるのでしょう?? あと、マドハヴァディティアの目的はべつにあるのでは、と邪推してしまいますね。
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