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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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バラットの暴発2


 動員可能なアースルガム解放軍の全戦力を率いて、サラは出陣した。当然ながらその中にはベルノルトの姿もある。そして彼はイスパルタ朝の旗を掲げさせていた。


 この旗は、エクレム率いる先遣隊の件などを伝えてきたとき、アルアシャンが一緒に送ってきたものである。アースルガムの旗と一緒にはためくこの旗は、見る者にイスパルタ朝の後ろ盾を強く印象づけた。


「まあ、イスパルタ人は四人しかいないんだけどな」


 ベルノルトが肩をすくめてそうぼやく。ベルノルト、メフライル、アッバス、そしてハシムの四人だ。軍旗を掲げて進むには、いかにも貧相な人数である。せめて百人いれば格好がついたのにな、とベルノルトは苦笑した。


「いえいえ、掲げることが大事で。掲げなければ、ハッタリにもなりませぬ」


 ハシムがにこにこと笑いながらそう応じる。「なるほど、そういうものか」と思いながら、ベルノルトは旗を見上げた。


 思えばこの旗を掲げて戦うのは、初陣以来これで二度目である。率いている兵の数は全く比較にならないが、それでも彼は今ここにイスパルタ朝の第一王子としているのだ。ふがいない戦いはできない。彼は気を引き締めた。


 さて、サラが率いるアースルガム解放軍は総勢で一四〇〇を数える。この内二〇〇はアースルガム族を介して雇った、遊牧民の騎馬隊である。しっかりとした準備期間があればこの十倍でも雇うことができたのだが、敵の攻勢に対応するべく急いで出陣したので、この数に留まっている。


 とはいえこの騎馬隊二〇〇は大きな戦力だ。一二〇〇ではなく、一四〇〇対一五〇〇であれば、双方の戦力はほぼ互角と言っていい。また敵も味方も、編成の大部分は歩兵である。その中にあって二〇〇という、まとまった数の騎馬隊を運用できる意味は大きい。この騎馬隊をどう使うかが、勝敗の分かれ目となるだろう。


 一方でバラット軍の動きだが、こちらはバルフル城から北へ進路を取っていた。この進路はシークリーへの最短ルートではない。むしろ近づくのを避けているようにすら見える。その意図について、ベルノルトらは次のように分析していた。


「マドハヴァディティア軍が来るのを待っているのだろう」


 マドハヴァディティア軍が来るのを待つのであれば、本来はバルフル城に留まっているのが最も良い。そうしていればマドハヴァディティア軍が近くに来てそちらに注目が集まってから、いわば不意を突くようにして攻勢を仕掛けることができただろう。


 そもそもラーヒズヤは表向き、イスパルタ軍に降伏しようとしているのだ。シークリーを逃げ出した場合、ベルノルトとサラはバルフル城を目指す可能性が高い。そこを捕らえるのが最も簡単だったはずだ。


 だが情勢がそれを許さなかった。エクレム率いるイスパルタ軍先遣隊一万二〇〇〇がアースルガムに入ろうとしているのだ。これが近くに来てしまうと、たった一五〇〇のバラット軍は身動きが取れなくなる。よってその前に行動を起こすしかなかったのだ。


 加えてバラット自身、マドハヴァディティアのことを信用しきれていないのだろう。彼は本当にアースルガムへ兵を送ってくれるのか。それを見極めるための時間を稼ごうとしている。バラット軍の進路は、ベルノルトらの目にそう映っていた。


「それにしても、マドハヴァディティアを信用しきれないのに、それでも兵を動かしたということは……」


「はい。やはりラーヒズヤと繋がっている可能性が高いかと」


 ベルノルトの懸念を、メフライルが険しい顔で肯定する。そもそもバラットはラーヒズヤ配下の武将だ。彼の命令で動いていると考えるのは筋が通っている。


 前述したとおり、ラーヒズヤはイスパルタ軍に降伏しようとしている。自立の保証がその条件だ。そしてアルアシャンらは彼の降伏の意思を疑っていない。譲歩したのだから当然だろう。だがそれこそが彼の狙いだとしたら?


「ラーヒズヤが単独でイスパルタ軍と戦うことを選ぶとは思えません。であれば背後にいるのは……」


「マドハヴァディティア、か……。だがなあ、この二人が手を結ぶなど、本当にあり得るか? そもそも本当に手を結んだのなら、バラットの動きはますます不可解だ」


「信頼関係はないのではありませぬか? それがバラット軍の動きに繋がった、とも考えられます」


 アッバスがそう言うのを聞いて、ベルノルトは小さく頭を振った。彼の言うことを否定したのではない。これ以上は考えても無駄だと思ったのだ。それらしい理由は幾つも思いつく。だがそれが真実であるとは限らない。そして兵を動かしたからには敵を打ち払うことに集中するべきだろう。


 ともかくバラット軍を打ち破れば、アースルガム解放軍は行動の自由を得られるのだ。その上でエクレムの先遣隊と合流できれば、例えラーヒズヤが敵に回っていたとしても対応は可能だ。そしてその時になれば、色々なことが明らかになっているだろう。その後のことは、その時に考えれば良い。


 さてシークリーより出撃してから四日後、サラ率いるアースルガム解放軍一二〇〇はついにバラット軍と相対した。北上していたバラット軍に対し、解放軍は西方向から迫る格好だ。


 それで「上手くすれば側面を突けるのではないか」という楽観論もあったが、さすがに敵もそこまで間抜けではない。バラット軍は解放軍の接近を事前に察知しており、両軍は正面から向かい合って相対した。


 両軍が相対して、すぐに戦端が開かれたわけではなかった。それぞれ弓矢が届かないほどの距離を保ち、両軍は睨み合う。サラはまず使者を出し、敵将バラットにこう尋ねさせた。


「ラーヒズヤ陛下とイスパルタ軍が話し合いでは、アースルガムへの手出しは厳に戒められていたはず。貴官はなぜこの暴挙をしでかしたのか?」


 これに対し、バラットは次のように返答した。


「私が兵を挙げたのは、この地の王となるためである。〈王の中の王〉マドハヴァディティア陛下がそれを約束した。ラーヒズヤなどという、成り上がり者の命令は聞くに価しない」


 これにより、バラットがマドハヴァディティアに与したことが明らかになった。その理由の一つはラーヒズヤへの反発であるらしい。それが本当なら、今回の暴挙に彼は関わっていないことになる。


「サラ殿下。あらかじめそう答えるよう、ラーヒズヤから命令されていた可能性もあります。口では何とでも言えるのです。ゆめゆめ油断なされませぬよう」


 オムにそう諭され、サラは険しい顔で一つ頷いた。いずれにしても、マドハヴァディティアの名前を出したからには、バラットに流血を避ける意思はないように思われた。サラも覚悟を決める。ただ彼女はすぐさま攻撃を命じることはしなかった。バラットも動かず、両軍はそれから一時間ほど睨み合った。


 しびれを切らしたのか、先に動いたのはバラット軍だった。鬨の声が上がり、ラッパが吹き鳴らされると、主力の歩兵部隊が前進を開始する。それを見ると、オムは迎撃の用意を命じた。


 バラット軍の歩兵は、まるで弓の間合いを計るかのように、ジリジリと近づいてくる。そしてある程度の距離まで近づくと、いよいよ突撃が命じられた。それを受けて敵歩兵が走り出す。同時にアースルガム解放軍からは弓矢が一斉に放たれた。


 バラット軍の側からも弓矢が放たれる。激しく交差する銀色の雨の下、両軍の距離は刻一刻と縮まり、そしてついに激突した。血なまぐさい殺し合いが始まる。風に血の臭いが混じっているような気がして、サラは顔をしかめた。


 さて両軍の戦い振りだが、突撃してくるバラット軍に対し、アースルガム解放軍の実質的な指揮官であるオムは、これを受け止めつついなすように兵を動かした。真正面からのぶつかり合いを避けた格好だ。


 数の上では解放軍が劣るのだから、これは当然とも言える。ただし今回は、もう一つ別の理由もあった。すなわち別働隊である。その別働隊が南から姿を現した。その様子はかなり遠くからでも確認できる。巨大な土埃が舞い上がっているのだ。それは大軍の襲来を連想させた。


「殿下、来ましたぞ!」


 オムが歓声を上げる。サラは硬い表情のまま一つ頷く。どこの旗を掲げているのかはまだ見えない。だが二人は彼らがイスパルタ朝の旗を掲げていると確信していた。


 同時刻、バラットもまた南から迫る土埃に気付いていた。その規模からすれば、南から迫ってくるのは大軍であるに違いない。そして「イスパルタ朝の旗が見えた」という報告を聞いて、彼は得心がいったように頷いた。


「イスパルタ軍が追いついたか」


 イスパルタ軍が先遣隊として一万二〇〇〇を動かし、それをアースルガム解放軍と合流させようとしていることを、バラットも当然把握している。ラーヒズヤから受け取った命令書には、この先遣隊を通過させるようにという旨も書かれていたからだ。


 バラットが兵を挙げてアースルガムに攻め込んだ事を、この先遣隊は間を置かずに掴んでいたはずだ。そうであるなら彼らは、解放軍との合流にしろ、バラット軍の撃破にしろ、行動を急ぐはず。そして急いだその結果が、今まさに南から迫ってきている。バラットはそう判断した。


 ただ実のところ、それは彼の誤解だった。南から迫るのはアースルガム解放軍の別働隊であり、より具体的に言うなら騎馬隊二〇〇だった。ベルノルトがこれを指揮しており、それで彼らはイスパルタ朝の旗を掲げているのである。


 だが彼らが巻き上げる巨大な土埃は、到底たった騎馬二〇〇によるものには見ない。これにはもちろん種も仕掛けもあって、彼らは木の枝を馬に引かせて土埃を立てていたのである。


 要するにハッタリなのだが、彼らが襲来したのが南方向であること、またイスパルタ朝の旗を掲げていたことが、バラットの誤解を誘った。もちろんこれは、それを狙っての策である。そしてその意味で、この策は完全に成功した。


「降伏する。白旗を掲げろ」


 バラットはあっさりと降伏を決断した。白旗が掲げられ、戦場の興奮が急速に冷めていく。ベルノルトらが到着したときには、もう戦闘は終わっていた。



 ○●○●○●○●



「ベルッ!」


「サラ!」


 勢いよく抱きついてきたサラを、ベルノルトはしっかりと受け止める。甲冑同士がぶつかって硬い音を立てた。普段なら人目を気にしてこんなはしたない真似はしないが、今は勝利の興奮が勝っている。ここが戦場であることもあり、周囲も雰囲気に流されて、むしろ二人を好意的に見守った。


「勝ったわ」


「ああ、勝ったな」


 サラとベルノルトは頷き合う。この勝利の意味は大きい。少なくともアースルガム解放軍とイスパルタ軍先遣隊の合流を阻む存在はこれでなくなった。そして合流が叶えば戦力は一気に一万三〇〇〇を超える。この西方において、一角の戦力を持つことになるのだ。


 もはや弱小勢力ではない。少し気が早いとは言え、そう言ってしまって構わないだろう。周囲の動きに、怯えるように気をつかう必要はもうないのだ。サラとベルノルトの二人は解放されたような気分を味わっていた。


 もちろん懸念材料はある。だがこの時ばかりは二人とも、それを忘れてただ心の底から喜んだ。そこへオムから伝令の兵がやって来て、二人にこう伝える。


「敵の主将、バラットを拘束しました。引見なさいますか?」


「……会おう。連れてきてくれ」


 サラが小さく頷くのを見てから、ベルノルトはそう答えた。伝令兵がオムのところへ戻ると、二人は場所を移し、床几に座ってバラットを待つ。その間に、サラは開戦前に使者をやり取りして知り得たことをベルノルトに話した。


 しばらくすると、バラットが縄を打たれた状態で連れてこられる。そしてベルノルトとサラの前に座らされた。彼は至って落ち着いた様子で、敗戦の将にも関わらず、どこか満足感のようなものさえ漂わせている。そのことに内心で小首をかしげながら、ベルノルトは彼にまずこう声をかけた。


「お前が、バラットか?」


「はっ。左様にございます」


「マドハヴァディティアに通じたための挙兵と聞いた。まことか?」


「はい。懐に証拠の書簡があります」


 ベルノルトが目配せすると、兵士がバラットの懐に手を突っ込んで件の書簡を取り出す。そしてそれを恭しくベルノルトに差し出した。その書簡に目を通すと、彼はわずかに顔をしかめた。そこには確かに「アースルガムに攻め込め」、「王にしてやる」と書かれている。


「……通じたのならなぜ、シークリーに攻め上ってこなかった?」


「囮にされては堪らぬと思ったのです。実際こうして私は捕虜の身になったというのに、マドハヴァディティアは一兵も寄越してはおりませぬ。騙されましたな」


「分の悪い賭けであることは分かっていたはずだ。そんなに王になりたかったのか?」


「それが西方のならいなれば」


 バラットはどこか他人事のようにそう答えた。西方では有力な将軍や領主がすぐに自立してしまう。ベルノルトも西方のそういう歴史は承知している。だから彼はバラットの話を聞いても「そんなものなのか」と思ったが、同時に腑に落ちない部分もある。それでさらにこう尋ねた。


「ラーヒズヤのことは、ずいぶんと蔑んでいたようだが?」


「……ははは。彼が勝ち続けていれば、蔑まれることもなかったでしょうなぁ」


 暗い笑みを浮かべて、バラットはそう答える。それを見て、ベルノルトは嫌なものを感じた。王になりたかった。だから現在の主に叛き、「王にしてやる」と約束してくれたマドハヴァディティアに通じた。そこに矛盾はないように思える。だが果たしてそれだけなのだろうか。


 分が悪いと承知の上で、それでもバラットは事を起こした。「それが西方のならい」と言われればそれまでだが、それならばなおのことシークリーを目指すべきではなかったのか。イスパルタ軍先遣隊が来る前にシークリーを攻め落とす。それが玉座への最短コースだったはずだ。それでベルノルトはこう言ってみた。


「それにしても、これでラーヒズヤは大損だな。奴は部下の暴発を止められなかったことになる。その責任は問われるだろう。とんだとばっちりだな」


「それはそれは……」


 バラットは気のないフリをしてそう応えた。だが彼の口元に浮かんだ愉悦の笑みを、ベルノルトは見逃さなかった。


(コイツ……!)


 バラットは最初からラーヒズヤの自立を潰すことを最大の目標にしていたのだ。ベルノルトはそのことを直感した。「王になりたかった」だの「西方のならい」だのは、もっともらしい理由に見せかけた方便に過ぎない。


 そのときベルノルトが覚えたのは、言いようのない嫌悪感だった。他人を蹴落として自分がのし上がるというのなら、まだ分かる。だがこれはそうではない。バラットはただラーヒズヤの足を引っ張っただけだ。ベルノルトは目の前のこの男が、蛇かムカデのように思えた。


 しかし、その一方で。「ラーヒズヤの自立を潰すことは、イスパルタ朝の国益に適う」。ベルノルトの冷静な部分は彼にそう告げてもいた。そもそもアルアシャンがラーヒズヤに自立を認めたのは、ベルノルトに大きな原因がある。ここはそれを挽回するために動くべきではなかろうか。


「バラット。一応聞いておくが、今後アースルガムに仕える気はあるか?」


「……もしも可能でしたら、イスパルタ朝の近衛軍にてお仕えしたく……」


「……覚えておこう。連れて行け」


 ベルノルトがそう命じると、兵士がバラットを立たせて連れて行く。その背中を見送ると、ベルノルトは「ふう」と一つ息を吐いた。


(ともかく……)


 ともかくこれで山場は超えた。ベルノルトはそう思った。しかしアースルガム方面における戦いは、これからが本番だった。


 この日の夜、ルドラからの急使が本陣に駆け込んできた。彼はマドハヴァディティア軍の襲来を伝えた。



ハシム「ハッタリですよ、ハッタリ」

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