名乗りを上げる2
名乗りを上げる。ベルノルトとサラはそう心を定めた。しかしだからと言って、いきなり全員に本来の身分を明かすことはしない。そんなことをしては混乱を招くだけである。それで彼らはまずルドラに話を通すことにした。ユラが実はアースルガム最後の王女サラであることを明かされると、彼は驚きと困惑を同時に浮かべた。
「信じられませんか?」
「正直に言えば、そうですね。ユラさんが女であることは、おおよそ分かっていたのですが……」
「えっ?」
ルドラがそう言うと、サラは驚きの声を上げた。彼女は今の今まで、自分の男装がバレていないと思っていたのだ。それが実は勘付かれていたという。混乱するサラに、ルドラは少々申し訳なさそうにしながらさらにこう言った。
「リリィも気付いていましたよ。何か事情があるのだろうと思って、触れないでおいたのですが、まさか、ね……」
「そんな……」
サラがショックを受けているのを見て、ルドラが苦笑を浮かべる。ちなみに最初に気付いたのはリリィで、「男にしては自分との距離感が近い」というのがその理由だった。そして娘からその話を聞いたルドラも、そう言われて観察してみれば腑に落ちる事も多く、ユラが実は女であることを確信するに至った、というわけである。
ユラがアースルガムの王女サラであるとすれば、その身分を隠すために男のフリをしていたというのは納得できる。ただ、「ユラが実は女であったから、彼女はアースルガムの王女サラである」というのは、理論の飛躍だ。つまり納得できない。それでルドラは彼女ら四人にこう尋ねた。
「何か、証拠はありませんか?」
「証拠は、今はありません。クルシェヒルにあります。ただ、保証できるものならあります」
ショックのせいで絶句しているサラを横目で見ながら、ベルノルトはそう答えて一通の封筒と印章をルドラの前に置いた。封筒の中の書類には、ベルノルトが確かにイスパルタ朝の第一王子であることが書かれており、さらにジノーファのサインが書かれ玉璽が押印してある。加えてベルノルトの名前と彼の印も揃っていて、渡された印章を試しに押してみれば間違いなく本物であると分かった。
「まさか、本当にベル殿が……?」
「ああ。わたしがイスパルタ朝第一王子ベルノルトだ」
あえて口調を変え、ベルノルトはそう答えた。ルドラは驚いていたが、こうして印章が一致し、さらに書類にはジノーファのサインと玉璽が揃っている。この証拠を前にして、彼は反論を思いつかなかった。
(ああ、だからか……)
そしてルドラは驚く一方で納得もしていた。ベルノルトが第一王子であるなら、確かにその身柄を百国連合軍に抑えられるわけには行かなかっただろう。彼らがダンジョンを使ってまでヴァンガルを脱出したその理由に、彼はようやく得心がいった。
さて、今までベルと名乗っていた青年が、実はイスパルタ朝第一王子ベルノルトであるという。書類と印章がある以上、これはもう疑いない。そしてそのベルノルトが「ユラはアースルガムの王女サラである」と言っている。つまり彼がサラの身分を保証しているのだ。
例え直接的な証拠がなくとも、この保証は無視できない。「信じられない」と答えることは、「イスパルタ朝は信用できない」と答える事と同義だ。その瞬間、イスパルタ軍との関係は破綻する。アースルガムの再興も夢幻と消えるだろう。
「知らぬ事とは言え、これまでの無礼をどうかお許し下さい」
そう言って、ルドラは恭しく片膝をついた。それを見て、ベルノルトは小さく安堵の息を吐く。それから彼がサラの方へ視線を向けると、彼女は一つ頷き、すまし顔を作ってからルドラにこう言った。
「顔を上げて下さい、ルドラ殿。これまでのあなたの、そして山守衆の働きにはとても感謝しています」
「恐悦至極にございます、殿下」
「他の幹部たちにも、わたしの身分を明かさなければなりません。協力してもらえますか?」
「畏まりました」
ルドラの返答に、サラは満足そうに頷いた。その後すぐ、主立ったアースルガム解放軍の主立った幹部が集められた。そこでルドラが彼らにサラのことを紹介する。当然、「にわかには信じられない」という声が上がったが、ベルノルトのことが紹介されるとそれも下火になる。事はイスパルタ朝との関係に関わる。皆がそれを理解したのだ。
「両殿下のご下知に従いまする」
幹部達が困惑する中、真っ先にサラとベルノルトのことを認めたのはオムだった。彼にしてみれば、山守衆のルドラがいつまでも大将面しているのは気にくわない。解放軍の指揮は、せめてアースルガムに仕えた者が取るべきだと思っている。
だがサラとベルノルトが名乗りを上げた以上、今後はこの二人が、特にベルノルトが解放軍の舵取りをしていくことになるだろう。オムにとってはそれも完全に満足できる話ではない。
だがルドラよりはマシだ。何よりサラはアースルガムの王女。主君と仰ぐのに不足はない。それで彼は率先して二人のことを認めたのだった。
オムが二人を認めたことで、他の幹部達もそれに倣った。サラは一つ頷くと、彼らに今後の方針を示す。最初の目標は旧アースルガム領の回復。そのためにまずは兵を集めなければならない。
「各地に檄文を送りましょう。ベルノルト殿下、副書を書いて下さいますか?」
「喜んで。サラ殿下」
二人はそう言葉を交わした。打ち合わせ通りである。サラの檄文にベルノルトの副書。これは効くだろう。前王家を慕う者は奮起するだろうし、耳ざとい者、情勢に明るい者ほど衝撃を受けるに違いない。
さらにこれとは別に、解放軍のネットワークを使って情報を流す。サラがアースルガム再興のために動き始めたこと、そしてベルノルトがそれに協力していることは、たちまち知れ渡るだろう。
加えて二人が名乗りを上げたことは、当然ながらイスパルタ軍にも知らせることになる。ベルノルトはこれをハシムに頼んだ。彼は部下を走らせると言っていた。イスパルタ軍はきっと驚くだろう。だがこれが一つの契機になる。ベルノルトはそう予感していた。
さて、檄文と副書が各地に配られると、その反響は大きかった。檄文の中でサラは「集え、もののふ達よ、アースルガムの旗の下に!」と書いたのだが、それを見て奮起した者たちが次々にメヘンガル城へ集まった。
最終的に兵の数は一〇〇〇を超えた。だいたい六〇〇ほどが新たに加わった計算で、これはイシャンが集めた数とほぼ等しい。全部が全部、以前に徴兵された者ではなかっただろう。ただ彼らが以前にメヘンガル城で聞かされた噂は、かなり根強く残っていたと見て良い。
一般の民衆が熱狂したのは主にサラの檄文の方だったが、一定以上の地位にいる者たちがより重く見たのはベルノルトの副書の方だった。何しろ彼はその中で「イスパルタ朝がサラ王女を支える」とはっきり書いたのだ。つまりサラと敵対することはイスパルタ朝と敵対することに等しい。
「イスパルタ軍など、いつ来るのか分からないではないか」
そういう声もあった。だがイスパルタ軍を抜きにしても、メヘンガル城には一〇〇〇の兵が集まったのだ。旧アースルガム領内に限って言えば、比肩する者のない大軍と言っていい。逆らえば攻め潰されるだろう。
また民衆の大半はサラを支持している。マドハヴァディティアの占領以降、民衆は重税に苦しんできた。サラはそこからの解放を約束しているのだ。下手に逆らえば解放軍が来る前に、怒り狂った民衆の手によって殺されかねない。
そもそもイシャンがすでに討ち取られているのだ。時勢の動きは明らかにアースルガムの再興へ向かっている。この流れに逆らえば、たちまち呑まれて溺れてしまうに違いない。それで各地の有力者たちも、次々とサラへの臣従と支持を表明した。
一方で、そう簡単にはサラへの臣従を決められない者たちもいた。その筆頭がアースルガムの旧王都シークリーを任されていた太守である。この者はもともとマドハヴァディティアが任命した役人だ。その後はクリシュナ、ラーヒズヤと主を変えている。要するに地元の人間からすれば、征服者の一味と言っていい。
サラにとっても、シークリーの太守は仇の一味と言える。下手に降伏しようものなら、そのまま首を刎ねられかねない。かと言って戦うのも非現実的だ。シークリーの守備隊の数は大したことはないし、何より太守の目には住民全員が敵に見えていた。加えて、イスパルタ軍の復讐も怖い。
追い詰められた太守は、ある夜、家族と僅かな供回りを連れて逃げ出した。いや、追い出されたと言った方が正しいか。いずれにしても太守はシークリーを去った。有力者たちは会合を開き、全会一致でサラを迎えることで合意した。
その報せに、他ならぬサラが一番驚いた。アースルガムの再興を宣言するには、どうしてもシークリーを奪還しなければならない。ここがアースルガムの中心地だからだ。だが太守が素直に応じるとは思えず、攻めて奪い返すしかないと思っていたのだ。それが戦うまでもなく、向こうから臣従を申し出てきた。
「罠の可能性は?」
「太守は本当に逃げ出したようです。貨財も持てるだけ持ち出したという話ですから、罠の可能性は低いでしょう」
罠を疑うアッバスに、ハシムはそう答えた。他にも幾つか懸念事項が話し合われたが、それでも致命的なものではない。入城を躊躇う理由はないという結論に落ち着き、またサラも一つ頷いてそれに同意した。
そうと決まれば話は早い。翌日、カビールに二〇〇の兵を与えてメヘンガル城に残し、サラは残りの全軍を率いてシークリーへ向かった。整然と進むアースルガム解放軍の先頭には、二本の旗がたなびいている。
一本はアースルガムの正式な旗である。解放軍で保管していた旗を、サラが名乗りを上げたのを機に持ち出してきたのだ。そしてもう一本はイシャンを討ち取った際、メヘンガル城に掲げられていたあの少々不格好な手縫いの旗だった。余談になるがサラはこの手縫いの旗にいたく感じ入り、後には国宝に指定した。
さて、解放軍がシークリーに近づくと、先頭集団を率いていたオムは思わず眉間にシワを寄せた。先行させた斥候の報告によると、城門が閉じられているのだ。シークリーはサラを迎え入れることにしたのではなかったのか。それともやはり罠だったのか。にわかに緊張感が漂った。
「そう……。ひとまず注意しながら、このまま進軍しましょう」
オムから城門の件を報されると、サラも表情を少し険しくした。とはいえ、引き返すことは指示しない。少し考えてから進軍を指示した。ベルノルトやアッバスも、その指示には異を唱えない。
行き違いがあったのか、もしくは連絡の不備があったのか。あるいは盗賊などを警戒しているのかもしれない。敵対的でない理由は幾つか思いつく。だがオムが警戒したように罠の可能性もあり得る。解放軍は警戒を高めながら進んだ。
(わたしたちが近づいたら、それを見て城門を開けてくれると良いんだけど……)
サラは内心でそう願いつつ、馬に揺られながらシークリーを目指した。果たして肉眼で確認できる距離まで来ても、シークリーの城門は閉じられている。ただ城壁の上に兵士の姿はなく、物々しさは感じられない。それを見てルドラもオムも困惑した表情を浮かべた。
「戦う気があるのか、それともないのか……」
「兵を伏せている可能性もありますが……」
このまま進んで開門を命じれば良いのか、それとも一旦引き返したほうが良いのか。意見は割れた。そんな中、サラが意を決した様子で前に進み出る。オムやルドラが止めるが、彼女はそれを無視して城門の方へ進んだ。
サラはシークリーの民を、いやアースルガムの民を信じたかった。彼らが旧王家を慕っていて、アースルガムの再興を願っていることを信じたかったのだ。むしろそうでなければ、この先何をしても上手くは行かないだろう。
亡国の復活には、民衆の支持が何よりも必要なのだ。言ってみればサラは、ここで自分の運命を占うつもりだったのである。
進み征くサラの背中を見て、ベルノルトは小さく苦笑を漏らす。彼は馬の腹を軽く蹴ってその後を追った。危険は承知の上である。それでも彼はサラを一人で行かせる気にはなれなかった。ここで行かせないのなら、そもそも彼女に名乗りを上げさせはしなかっただろう。
途中、ベルノルトは旗を借りた。少々不格好な方の旗である。だがこの旗にはアースルガムの再興を願う、強い想いが込められている。それで、この場にはこの旗の方が相応しいと思ったのだ。そしてその旗を掲げながら、彼はサラの後を追い、二人は城門へと近づいた。
ルドラもオムもアッバスも、呆気にとられて二人を見送り、護衛を付けるのを忘れた。慌てて追おうとするが、それをメフライルが止めた。ここでバタバタとした姿を見せれば、それはアースルガムとイスパルタ朝の威信に関わる。何より、これがあの二人の意思だ。
「今はお二人を信じましょう」
ベルノルトとサラの背中を見ながら、メフライルはそう言った。とはいえ彼も覚悟を決めている。もしも敵が現われれば、ただちに突撃して二人の盾になり、そして血路を開くつもりだった。その覚悟が伝わったのだろう。アッバスらも口をつぐみ、彼らはともかく二人を見守ることにした。
ベルノルトとサラは、並んで馬を歩かせる。ここはすでに弓矢の射程範囲内だ。城壁の上から二人を十分に狙えるだろう。実際、城壁の上にはちらほらと人影が現われていて、その中には弓を持っている兵もいた。
恐ろしくないと言えばウソになる。それでもベルノルトは平静を装って旗を掲げた。サラが不安げに振り返れば、小さく笑みを浮かべてみせる。それを見て彼女は小さく頷く。そして再び前を見る。二人はついに城門のすぐ目の前に来た。
「開門」
サラが命じる。一拍間があって、それから重々しい音を立てながらゆっくりと城門が開いた。それは彼女にとって、運命の扉が開いた瞬間でもあった。
城門が開くのを見ながら、ベルノルトは内心で安堵の息を吐く。無茶をしたという自覚はあった。両親の耳に入れば説教案件だろう。だが無茶をしたかいはあった。サラはその言葉だけで城門を開かせたのだ。その影響力は決して小さくない。
後方では解放軍の兵士たちが歓声を上げている。彼らに開門を命じるサラの声は聞こえなかっただろう。だが城門が開く様子ははっきりと見えたはずだ。きっと語り草になるに違いない。ベルノルトはそう思った。
城門の奥では、シークリーの有力者たちが揃って平伏していた。彼らに案内させ、軍勢を引き連れてサラはシークリーに入城した。王女の帰還に歓声がこだまする。サラは手を振ってそれに応えた。
ちなみに。この時サラが風になびかせていた長い髪は、当然かつらである。
サラ「集え、モフモフ達よ! ……違った、もののふ達よ!」
ベルノルト(もふもふ)
リリィ(モフモフ)
メフライル(ふもっふ!)




