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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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322/364

アースルガム解放軍、出陣3


 アースルガム解放軍とイシャン軍が睨み合ったまま五日が経過した。その日の夜、月がかなり高くなってから、イシャン軍の陣中に急使が駆け込んでいた。その者の報告を聞くと、たちまちイシャンの顔から血の気が引く。彼はただちに全軍に撤退を指示した。


 イシャン軍の様子が騒がしくなったことに、アースルガム解放軍も気付いた。「すわ夜襲か!?」と緊張が走る。すぐに迎撃準備が命じられた。同時に斥候を出してイシャン軍の様子を探る。その偵察で、敵がひどく混乱しており、そのまま撤退するつもりであるらしいことが分かった。


「逃がすべきではありませぬ! 追撃を!」


 オムがルドラにそう迫る。敵が撤退する理由に心当たりがなく、ルドラは険しい顔をしていたが、それでも彼ははっきりと頷いて追撃を命じた。その命令を受けてアースルガム解放軍は動き出した。


 しかしここで、また練度不足が祟る。夜の暗がりで敵を追撃する、その準備がなかなか整わなかったのだ。一方でイシャン軍はなりふり構っていないようで、すでに撤退を始めていた。


 準備の整った部隊から順次追撃を始める、という案も出たがルドラはそれを却下した。かえって危険だと思ったのだ。そしてアッバスもそれに同意した。結局、アースルガム解放軍は全軍の準備が整うまで動けなかった。


 そして準備が整い、アースルガム解放軍が追撃を開始したとき、両軍の距離はすでにかなり開いていた。イシャン軍が掲げているはずのたいまつもすでに見えない。それでも彼らの撤退する先は一つしかない。解放軍はメヘンガル城目指して追撃を開始した。


 夜の暗闇の中を、アースルガム解放軍は慎重に進んだ。イシャン軍の撤退が偽装である可能性もあるからだ。いつ暗がりの中から弓矢が飛んでくるかも分からない。こうして夜に戦うのがはじめてだったこともあり、ベルノルトは緊張しっぱなしだった。


「……っ」


 ベルノルトの隣にいるサラも、顔がずっと強張っている。ただし彼女の場合、夜戦のための緊張だけがその理由ではない。これから戦おうとしているのはアースルガムの民なのだ。たとえ今は敵になっているとはいえ、彼女の内心は苦しかった。


 険しい顔をするサラの背中を、ベルノルトはポンッと叩いた。彼女がベルノルトの方を見ると、彼は一つ頷いて見せる。それを見てサラも一つ頷いた。二人は一言も喋らず、周囲を警戒しながら歩いた。


 メヘンガル城を目指して南下すること数時間。徐々に空が白んできた。周囲の様子が分かるようになるにつれ、アースルガム解放軍の移動速度も上がる。そして解放軍はついにイシャン軍に追いついた。


 イシャン軍は明らかにその数を減らしていた。戦闘が行われたわけではない。夜陰に紛れて兵士たちが逃げてしまったのだ。今ではアースルガム解放軍よりも少なくなってしまっている。


 背後から迫るアースルガム解放軍に気付くと、イシャン軍は移動速度を上げた。何としても背中を襲われる前にメヘンガル城へ入ろうというのだ。解放軍はようやく敵の姿を見つけて士気が上がっている。ただやはりまだ距離がある。それでオムはルドラにこう提案した。


「騎馬隊を突撃させましょう! 奴らを混乱させれば……!」


「その必要はありません。このままメヘンガル城へ」


「執政官!」


 オムがルドラに噛みつく。だがルドラは命令を撤回しなかった。そしてオムに騎馬隊の指揮権はない。彼は肩を怒らせルドラを睨み付け、それから憤然やるかたない様子で身を翻して自分の部隊へ戻った。


 そしてついにメヘンガル城の城壁が見えてきた。イシャン軍はまだ中に入っていない。いや中に入れない様子で、それどころかさらに兵士たちが逃げ出している。だがその好機を見てもオムは自分の部隊に突撃を命じない。彼は呆然とした様子でこう呟いた。


「これ、は……」


「あなたの部下たちの仕事です。良い部下をお持ちだ、オム殿」


 すでに隠密衆から報告を受けていたルドラがオムにそう声をかける。オムはただ呆然と頷き、それを見上げていた。


 同時刻、サラとベルノルトも同じモノを見ていた。それを見てサラが口元を押える。彼女の目元には、たちまち涙がたまった。


「ウソ……」


「どうやら、ずいぶんと慕われているみたいじゃないか」


 ベルノルトがそう声をかけると、サラは小さく頷いた。彼女の頬を、涙の粒が流れ落ちる。彼女が見上げる先には一本の旗がたなびいていた。アースルガムの旗だ。少々不格好な、手縫いの旗だ。アースルガムの民が今も以前の支配者に心をよせている、何よりの証拠だった。


 ルドラがオムに言ったように、これはメヘンガル城に入り込んだアースルガム解放軍の構成員たちの仕事だった。彼らは城内で内通者を作り、噂をばらまいてイシャン軍の士気を下げた。


 そしてイシャンが特に士気の低い者たちをメヘンガル城に残したのが、彼らにとってはまたとない好機となった。居残り組になったのは、要するにほとんどが内通者だったからだ。本隊が出陣すると、彼らは機を見計らって城内を制圧。手作りの旗を掲げたのである。


 イシャンが急に軍を引き返したのも、これが原因だった。彼はメヘンガル城を取り戻そうと慌てて後退した。だが焦りは劣勢を印象づけたし、撤退すればアースルガム解放軍が追ってくることは目に見えている。もともと士気が低かったこともあり、イシャン軍の兵士たちは一人また一人と夜の暗がりの中に消えていったのだった。


 そして現在。メヘンガル城の城門は閉じられ、さらにはアースルガムの旗が掲げられている。城が敵に寝返ったことは一目瞭然で、これが兵士たちの戦意を決定的に挫いた。イシャンの統制力は失われ、残っていた兵達も散り散りになって逃げ出したのである。


 ルドラはこれを追わせなかった。オムもまた、追撃を主張しない。勝敗は決した。逃げ出した兵のほとんどは徴兵された農民で、アースルガムの民だ。これからアースルガムを再興しようというのに、わざわざその民を殺す必要はない。過度に苛烈な姿を見せれば、逆に人心は離れるだろう。


 イシャン軍はメヘンガル城を失い、兵たちは逃げ去った。後ろからは敵が迫っている。だがそれでもまだ一人、敗北を受け入れられない者がいた。イシャンその人である。彼は閉ざされた城門とゆっくりと迫るアースルガム解放軍を交互にせわしなく見やり、必死になって打開策を探った。


 アースルガム解放軍の騎馬隊は全て軽装で弓を使っていた。それで馬上で切り結ぶのは不得手とイシャンは見た。またカリカットを落としたのは山守衆で、彼らはマデバト山を本拠地とする。彼らは乗馬の訓練などしていないだろう。していたとしても日が浅いはずで、馬上で巧みに戦うことなどできるまい。


 一方でイシャンは職業軍人だ。馬上にあって戦う術を叩き込まれており、今も当然ながら騎乗している。またダンジョンに潜って経験値を得たこともあり、彼はこの辺境にあって自分の武威に自信を持っていた。それで彼はこう叫んだ。


「い、一騎打ちだ! 一騎打ちを申し込むっ!」


 いっそ逃げ出してしまえば再起の道もあったのかも知れないが、彼が選んだのは最悪の道だった。敵の隊列の中から、一騎打ちのために出てきた騎士の姿を見たとき、彼はそれを悟った。その騎士は、すなわちアッバスは、一目でそれと分かる歴戦の強者だった。


「な、なぜあんなのがここにいるっ!?」


 イシャンはわなないた。だが一騎打ちを申し込んでおいて、今更逃げ出すことはできない。何よりすでに、アッバスはやる気だ。背中を見せた瞬間、襲いかかってくるだろう。それなら最初から向き合って戦った方が、まだ生き残れる可能性は高い。


「いざ、尋常に……」


「しょ、勝負っ」


 短く言葉を交わした後、アッバスは馬を駆けさせ始めた。一拍遅れてイシャンも馬を駆けさせる。交差する瞬間、二人は槍をぶつけ合った。大きな音が響く。その一撃で、イシャンの腕がしびれた。


 イシャンは顔を歪ませながら、それでも槍を握りしめて手綱を引き、馬首を巡らせる。アッバスも同じように馬首を巡らせていて、二人はまた急速に間合いを詰めた。そして再び交差する。その瞬間、アッバスの槍がイシャンの首を刎ね飛ばした。


 イシャンの首が地面に落ちる。その瞬間、戦いは終わった。戦死者はただ一名だけだった。



 ○●○●○●○●



 イシャンが死ぬと、イシャン軍の残りの兵達はみな武器を捨てて降伏した。それを見てメヘンガル城を乗っ取った者たちが城門を開く。アースルガム解放軍は堂々と入城を果たした。


 入城すると、ルドラはすぐに城内を掌握した。徴兵された者たちをそれぞれの家に帰し、そうでない者たちはひとまずメヘンガル城の地下牢に入れる。イシャンがあつめたのだろう、城内には兵糧が残されていて、五〇〇人程度なら一ヶ月くらいは籠城できそうだった。


 ただベルノルトが兵糧以上に重要だと思ったのは、メヘンガル城に残されていた旧アースルガム領に関する多数の資料だ。特に地図は詳細なものがあった。重要な軍事情報と言っていい。ハシムなどは目を皿のようにして、地図を頭に叩き込んでいた。


 他にも各村や町の人口、さらにどれくらい徴兵できるのかなどを記した資料もあった。他の城砦の絵図や、川の流れに関する情報もある。どうやら重要な軍事情報はここに集約されていたらしい。今後アースルガムを再興する上で、これらの情報は大きな助けになるだろう。


 ただ、ベルノルトの内心は少し複雑だった。それに気付いたのだろう、メフライルが彼にこう尋ねる。


「ベル、どうした?」


「……なんだか、次々とお膳立てされて行くように思って、な」


 それを聞き、メフライルは納得した様子で一つ頷いた。そもそも彼らはイスパルタ軍が来るまでの間、マデバト山で隠れているつもりだったのだ。それなのにカリカットの街を攻略し、さらにこうしてメヘンガル城まで落とした。


 そしてメヘンガル城には、今後アースルガムを再興する上で必要な軍事情報がほぼ揃っていた。しかもここまで味方の損害はごく軽微と言って良い。その意思があるなら、すぐにでも次の作戦に取りかかれるだろう。


 まるでお膳立てされているかのように物事が進んでいく。これが時勢を得ると言うことなのだろうか。ベルノルトはそう思うが、その一方でまるで地に足が付いていないかのような危うさも感じる。


 アースルガム解放軍の勢いは止らないだろう。例えルドラが抑えようとしても、他の者たちが突き進むことを望む。ベルノルトたちもそれと無関係ではいられない。だが忘れてはならない。この西方において解放軍は弱小勢力なのだ。そしてそれは、旧アースルガム領を回復しても変わらない。


 それでも発言力と影響力がもう少しあれば、先行きに感じる不安は小さくなるだろう。だがアースルガム解放軍においてベルノルトらは外様だ。アッバスは客将、ベルノルトとメフライルは食客、サラに至ってはそのお供といった具合である。そして彼ら自身も、どこまで関わったものかと戸惑っている。


 結果として当事者にならないまま、巻き込まれてずるずると付き合わされている。要するに不安の原因はそれだ。中途半端に傍観者を気取ったまま、しかし戦いの中に身を置こうとしている。そしてその流れは、どうにも止りそうにない。だが今さら船から下りることもできそうにない。


「いっそ……」


「ベル」


 ベルノルトの呟きを、メフライルが硬質な声で遮る。それから彼は険しい顔で首を横に振った。ベルノルトはそれを見て、小さくため息を吐いた。


 いっそ本来の身分を明かしてしまおうか。ベルノルトはそう思ったのだ。そうすればアースルガム解放軍の後ろにイスパルタ朝がいることをはっきりと示すことができる。これから人やモノを集めなければならないが、その時彼の名前は大いに役立つだろう。


 またイスパルタ軍の西征が目前に迫っているなか、第一王子の存在は周囲への威嚇や権勢として作用するだろう。「アースルガム解放軍に手を出したら、イスパルタ軍の復讐を招く」というわけだ。


 ただ、本当にそう上手く行くかは不透明だ。「ベルノルトを捕らえてイスパルタ朝と交渉する」という選択肢もあり得るのだ。特にマドハヴァディティア、クリシュナ、ラーヒズヤの三勢力は、それをなし得るだけの力を持っている。そしてベルノルトを人質にできれば、確かにイスパルタ朝から大きな譲歩を引き出せるだろう。


 もちろん、それが上手く行くかは別問題だ。何より失敗すれば、イスパルタ軍は威信にかけてその勢力を叩き潰すだろう。それを考えれば軽々に手は出せない。だがそれでも動いたのであれば、それは覚悟を決めたと言うこと。敵は厳しく臨んでくるだろう。


 このようにベルノルトが本来の身分を明かすことには、メリットもあるがデメリットもある。メフライルはデメリットを重く見た。そしてベルノルトもメフライルを説得できるほどメリットが大きいようには思えなかった。


「イスパルタ軍が早く来てくれればなぁ」


 ベルノルトはぼやくようにそう言った。今度はメフライルも真剣に頷いている。彼の場合、その想いはベルノルトよりも強いだろう。だが旧ルルグンス法国との国境から旧アースルガム領までは、結構な距離がある。イスパルタ軍の西征が始まっても、実際に合流できるまでは相応の時間がかかるだろう。


 ひとまずそれまでは、食客的な立場でアースルガム解放軍に協力する、というのが現実的であろう。特に書類仕事ができる人材は貴重だ。ルドラも彼らに任せたい仕事は山ほどあるだろう。つまり今までと変わらない。現状維持だ。二人はそう思っていた。


 だが運命の女神がいるとするのなら、彼女はずいぶんとせっかちらしい。急速な物事の進展は、ベルノルトに現状維持を許さなかった。アースルガム解放軍がメヘンガル城に入った、その日の晩。サラがベルノルトの部屋を訪ねてきた。彼女の眼には強い光があって、ベルノルトは彼女が覚悟を決めたことを悟った。


「……どうしたんだ?」


「ベル。わたし、名乗りをあげるわ」


 用向きを尋ねるベルノルトに、サラははっきりとそう答えた。名乗りをあげる、つまり自らがアースルガムの王女サラであることを公に宣言するということだ。


「わたしね、あの旗を見て思ったの。アースルガムを、かつての祖国を懐かしむ人たちがいる。あの国の再興を望む人たちがいる。ならわたしはその先頭に立つべきだと思う。ううん、わたしは女王としてそうありたい」


 危険だ、時期尚早だ、せめてイスパルタ軍と合流するまで待つべきだ。反対する言葉は次々と浮かんだ。だがその言葉はどれも、ベルノルトの口から紡がれることはなかった。代わりに彼はこう言った。


「……分かった。じゃあ俺も腹をくくる」


 それはつまり、ベルノルトもまた名乗りを上げるということだ。ただ権限を求めて父王ジノーファに送った手紙の返事はまだ来ていない。それなのに彼が王子としての権力を振るうことを、ジノーファも本国も想定していないだろう。


 だが彼はサラだけを矢面に立たせる気はなかった。何より「イスパルタ朝第一王子」のネームバリュー、ここで使わずしていつ使うのか。


 ベルノルトの決意を聞いて、サラが大きく目を見開く。そして涙を浮かべながら「ありがとう」と呟いて一つ頷く。一度加速した時代の流れを、人の力で止めることはできないらしい。ベルノルトはそう思った。



アッバス「キリングレートが無限」

ベルノルト「1/0だからな」

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― 新着の感想 ―
[一言] 本当に王子として教育されたのか謎 もし攻められて人質にされたら、イスパルタ王国への不利益を阻止する為に自殺するくらいの覚悟が有るのかね?
[一言] 無血開城っぽいけど微妙に違うな
[一言] サラとベル、いよいよ名乗りの時ですか。 あらためて自分の立場と向き合う事になるだろうけど乗り越えて欲しいな。 あと周りの人達は胃薬必須ですね。
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