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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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アースルガム解放軍、出陣1


 マドハヴァディティア軍はニルギット会戦においてクリシュナ-ラーヒズヤ連合軍に対し勝利を収めた。その勝利が西方情勢に与えた影響は巨大であったと言っていい。そしてその影響の余波を、カリカットの街も免れることはできなかった。


 カリカットの南にメヘンガル城という城砦がある。元々はアースルガムの王都シークリーの東にあってこれを守護する城だ。マドハヴァディティアがアースルガムを併合してからは、この城がこの地方における最大の軍事拠点として用いられていた。


「最大の軍事拠点」とは言っても、そもそもアースルガムは辺境に位置する小国だ。常駐していた戦力は最大で五〇〇。非常時には周辺で徴兵を行い、最大で二〇〇〇の兵を揃えることが計画されていた。


 この地域の支配者がマドハヴァディティアからラーヒズヤに変わっても、メヘンガル城の態勢は大きくは変わらなかった。マドハヴァディティア時代の組織と顔ぶれのまま、ラーヒズヤの傘下に収まった格好である。


 ラーヒズヤがマドハヴァディティアと戦うことになったとき、彼はこのメヘンガル城からも戦力を抽出した。徴兵された兵も含め、一〇〇〇の兵を麾下に収めたという。だが前述した通り、彼はニルギット会戦で大敗を喫する。そしてメヘンガル城から出撃した兵達がこの城に戻ってくることはなかった。


 もちろん文字通りの意味で全滅したわけではない。敗戦後もラーヒズヤは戦力を必要としており、軍を解散しなかったのだ。その理由は主に二つ。一つはマドハヴァディティアとのさらなる戦いに備えるため。もう一つは敗戦にとって低下した求心力を武力によって補うためだった。


 特に求心力の低下は、ラーヒズヤにとって喫緊の問題だった。彼は独立してからまだ日が浅い。強い忠誠心を持つ家臣団や、いざという時に頼れる一門衆を持っているわけではないのだ。敗戦によって統制にほころびが生じると、あちこちで独立や自立を目指す者たちが蠢動し始めた。


 メヘンガル城に留守居役として居残っていたイシャンもその一人だ。そして彼の野心に火を付けたのは、前述したラーヒズヤ軍の大敗と、他でもない山守衆によるカリカットの攻略だった。


 カリカットが山守衆の手に落ちても、イシャンがすぐさま奪還のために動くことはなかった。マハヴィラ盗賊団の例からも分かるように、この時期この地域では治安が悪化していた。近くにシークリーという大きな都市があることもあり、彼はメヘンガル城周辺の治安維持に注力せざるを得なかったのだ。


 やがて、ニルギット会戦における連合軍敗北の報がイシャンにも伝わった。だが、ともかく戦いが終わったというのにメヘンガル城に兵達が帰ってくる様子はない。不審に思った彼が調べさせたところ、判明したのはラーヒズヤとその周辺の混乱した様子だった。そしてラーヒズヤの統率力が弱まったのを見て、彼の野心がうずき出す。


「今ならば……」


 今ならば、独立してしまえるのではないか。カリカットを占拠する者たちを討伐してしまえば、旧アースルガム領内で彼に対抗できる勢力はなくなる。そしてアースルガムはかつて小さいとは言え一つの国だったのだ。つまりこれを支配下に収めてしまえば、一国の王を名乗るのに何の不都合もない。イシャンはそう思ったのだ。


 カリカットにはアースルガムの再興を志す者たちが集まっているという。それでイシャンは彼らを「反乱軍」と呼んだ。これは表向き「ラーヒズヤ王に逆らう反乱軍」という意味だが、同時に「イシャンの支配に逆らう反乱軍」という意味もある。要するにイシャンはラーヒズヤからの独立を大っぴらにはせず、まずは彼の威を借りながら足場固めをしようとしたのだ。


 さて、ラーヒズヤが戦力を抽出したために、メヘンガル城に残っている常駐戦力は一〇〇に満たない。さすがにたったこれだけでカリカットを奪還できるとは、イシャンも思ってはいなかった。それで彼は徴兵を行い、合計で六〇〇の兵を集める計画だという。


 その動きを、カリカットのアースルガム解放軍は掴んでいた。ハシムら隠密衆がそれを調べ上げて報告したのだ。カリカットに最も近い軍事拠点はメヘンガル城。しかもラーヒズヤ方となればこれを監視するのは当然だった。そしてそれを聞いたとき、特にサラが受けた衝撃は大きかった。


「どうして……。だって、わたし達は解放軍なのに……」


 サラは絶望的な気分でそうわなないた。これが他の地域での話なら、彼女はこんなにも動揺しなかっただろう。だがここはアースルガム。彼女の祖国であり、戦おうとしているのはアースルガムの民なのだ。


 カリカットを取り戻したのがアースルガム解放軍であることはすでに周囲に知られている。それなのに五〇〇人以上が徴兵に応じたというのは、民衆がアースルガムを見放しているようにしか思えなかった。


「応じざるを得なくて仕方なく、って奴も多いだろう。あまり気にするな」


 ベルノルトはそう言ってサラを励ました。だがそう言う彼も、内心では舌打ちをしたいのをぐっと堪えている。サラほどショックを受けているわけではないが、彼の目から見ても思わしくない情勢であることは確かだった。


(根が浅かった、か……)


 彼は内心でそう呟いた。アースルガム王家のことである。西方諸国では小国の興亡が激しい。アースルガムもその一つだ。建国してから、まだ五〇年も経っていない。支配者としての歴史が浅く、民衆の間に権威が行き渡っていないのだろう。別の言い方をすれば、支配者として畏怖されていないのだ。


 その観点から言えば、イシャンがやろうとしているのは旧体制、つまりアースルガム王家の権威を完全に打ち砕くことだ。それによって彼はアースルガムという小国の存在を、忘却の彼方へ追いやろうとしているのだ。そして彼自身が新たな権威を樹立する。西方諸国では嫌になるくらい繰り返されてきた歴史だ。


(もしも……)


 もしもここで解放軍が敗北したならば。アースルガムの再興はほとんど不可能であろう。もちろんイスパルタ軍が西進してくるから、そこに合流できれば再起することはできる。だがそれで再興が叶ったとしても、アースルガムという国家の足腰は非常に弱くなるだろう。


 その場合、国を保つにはイスパルタ朝の庇護下に入るより他になく、それならば最初から一貴族の立場に甘んじた方が収まりは良い。当然、イスパルタ朝の心証も。むしろ負けておいて滅亡を免れられるのだから、これ以上の結果はない。


 だがそれがサラにとって望ましい未来であるかは別問題だ。彼女は「アースルガムの女王になる」と言った。ならば勝つしかない。勝って人心を得る。勝利によって権威を示すのだ。それしかアースルガムを再興する手段はないだろう。ベルノルトはそう思った。


 さて、ハシムの報せを受けて、カリカットもにわかに騒がしくなった。メヘンガル城ではすでに徴兵が開始されている。攻めかかってくるのは時間の問題だろう。その前に態勢を整えなければならない。


「アッバス殿。こちらの戦力はどれほどになりましたか?」


「動員できるのは、最大で四〇〇といったところですな」


 アッバスは太い指で顎先を撫でながらそう答えた。仮に敵が六〇〇だったとして、四〇〇なら圧倒的に不利というわけではない。だがルドラとアッバスの表情はさえなかった。その理由は味方の内訳にあった。


 カリカットの戦力は、完全な一枚岩ではないのだ。ルドラをはじめとする山守衆、カビール指揮下の守備隊、街の解放後に集ったアースルガム解放軍の同志ら。大雑把にわけてこの三つのグループの寄り合い所帯というのが実情だった。


 現在のところ、主導的な立場にいるのは山守衆である。カリカットの解放は山守衆主体で行われたのだから、これは当然だった。ただ山守衆はアースルガム解放軍の中で主流とは言いがたい。それで解放軍の一員としてカリカットに合流した者たちの中には、山守衆が主導する今の体制に不満を持っている者が少なからずいた。


 またカビール指揮下の守備隊だが、これは元をただせばマドハヴァディティアが配置した戦力である。代官の子飼いだったこともあり、降伏したとは言え冷ややかな目で見る者は多く、少々肩身が狭い。そのことに不満を持っている者はいるだろう。


 今はまだ表だっていがみ合うほど、険悪な仲になっているわけではない。だが懸念材料であることは確かだ。この状態で数で勝る敵と戦い、そして勝つことができるのか。どうにも不安を拭うことはできない。


「……ともかく、主立った者たちを集めましょう。対策を話し合わなければ」


 ルドラがそう言うと、アッバスは重々しく頷いた。そして主立った者たちが会議室に集められ、ハシムから状況の説明が行われる。それが終わると、少々重苦しい空気の中、ルドラはこう言って出席者らに意見を求めた。


「状況は聞いて貰ったとおりです。私は戦うべきと考えますが、皆さんはいかがですか?」


「異議なし」


 真っ先にそう答えたのは、オムという男だった。元々はアースルガム軍の士官で、今はカリカットの街に集まった解放軍兵士らのまとめ役をしている。そしてオムはカビールに鋭い視線を向けて彼にこう尋ねた。


「カビール殿。卿はいかがか?」


「異議、ありませぬ」


 カビールがそう答えても、オムは彼に鋭い視線を向け続けた。それに気付き、カビールはオムにこう尋ねる。


「まだ、何か?」


「降伏して解放軍の軍門に降ったとは言え、卿のもともとの立場で言えば、ここはイシャンに与してもおかしくはないはず。向こうもそう思っていよう。率直にお聞きするが、内通の誘いは来ているのか?」


 オムがそう尋ねると、会議室の緊張が高まった。皆の視線がカビールに集まる。その中で彼はゆっくりと口を開きこう答えた。


「さて。そのような誘いは来ておりませぬな。仮に来たとしても、応じるつもりはありませぬ」


「それはつまり、このまま解放軍の一員として戦う所存である、と?」


「はい」


「しかしよろしいのか。向こうは我々を反乱軍と呼んでいるが」


「それは、誰の誰に対する反乱ですかな?」


 カビールは苦笑を滲ませながらそう問い返した。もともと、カビールにとって王とはマドハヴァディティアのことだった。それがクリシュナに代わり、さらにラーヒズヤに変わった。これはイシャンも同じである。


「今となっては、誰がこの地の正当な支配者であるかなど、考えても詮無きこと。そうである以上、この街を攻める者は誰であっても小官の敵でござる」


「その言葉、信用させてもらいます。オム殿もよろしいですね?」


 ルドラが割って入りそう尋ねると、オムは大きく頷いて引き下がった。ルドラが出席者を見渡すが、さらに何か言おうとする者はいない。ルドラは一つ頷いてから、こう述べて軍議を続けた。


「戦うことに反対の方はいないようですね。では戦うとして、どう戦うのか。まずはアッバス殿、味方の戦力について説明してください」


 アッバスが具体的な数字を挙げていくと、出席者たちは数的に劣勢であることを理解して顔をしかめたりした。それでも大きく取り乱さないのは、ある程度予測していたからだ。そしてアッバスの説明が終わると、出席者の一人がこう呟いた。


「数で劣るのだから、普通なら籠城だが……」


「カリカットに籠城? 絶望的だな、それは」


 別の者が肩をすくめてそう言うと、出席者の間からは失笑が漏れた。カリカットの城壁はお世辞にも高いとは言えない。簡単によじ登れてしまうから、籠城などしてもあまり意味はないだろう。それどころか敵兵が街の中に入ってしまったら、無用な被害が出るばかりだ。


 籠城できないのなら、打って出るしかない。だが数の上では劣る。挽回できないほどではないが、しかしマイナス要因だ。野戦を挑むのであれば、ここを手当てする方策を何か考えなければならない。


「今から戦力を積み増すとなると、現実的に可能なのは山守衆とアースルガム族といったところですな。執政官閣下から話を通していただきたく存じます」


 そう発言したのはカビールだった。それを受けてルドラも一つ頷く。今は既存の戦力を頼るしかない。また敵も味方も主力は歩兵で、訓練された騎兵隊など持っていない。アースルガム族の騎馬隊が加わってくれれば、大きなアドバンテージになるだろう。


「一つ提案があります」


 そう言って挙手したのはメフライルだった。ルドラが一つ頷くと、彼は立ち上がってさらにこう言葉を続けた。


「敵が集めている兵のほとんど全ては、アースルガムの民だった者たちです。つまり立ち位置としては我々に近い。徴兵に応じたとしても、心の中では戦うことを望んでいない者も多いでしょう」


 メフライルがそう言うと、会議室のあちこちで頷く姿が見られた。特にオムなどは大きく頷いている。それを見てから、彼はさらにこう述べる。


「メヘンガル城に集まった者たちの中には、解放軍と何かしらの繋がりがある者もいるはずです。そう言う伝手を頼って、城内の兵達に内通を促すことはできないでしょうか?」


 実のところ、この献策の出所はベルノルトだった。二人は事前に相談していたのだが、彼に注目を集めないためにメフライルがこうして提案することになったのだ。


 イシャンやその側近を調略することは、今からでは難しいだろう。だが末端の兵士たちならどうか。特に徴兵された者たちは、基本的に侵略者であるイシャンらを快くは思っていないだろう。内通を促せば、応じる可能性は十分にある。


「オム殿。どうですか?」


「やってみる価値は十分にあるかと。ただしやるなら急がなければなりませぬ」


「ではやりましょう。やり方はオム殿に一任します」


「はっ」


 自信を滲ませながら、オムは短くそう返事をして頷いた。軍議の後の話になるが、彼はすぐに動いた。自分の部下の中から何人かを選び、メヘンガル城周辺の街や村へ派遣したのだ。


 彼らはそこの有力者やアースルガム解放軍の関係者に話を通し、また協力してくれそうな者たちのことを聞いたりした。そして徴兵される若者に混じってメヘンガル城に入り込み、そこで徐々に内通者を増やしていった。その働きが一つの結末を生むのだが、それはもう少し先の話である。


「私からも一つ提案がございます」


 さて、メフライルの次にそう言って手を挙げたのはハシムだった。ルドラが続きを促すと、彼はにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべながらこう言った。


「噂を流しましょう。それこそメヘンガル城のイシャンにも聞こえるように」


「どのような噂を?」


「『アースルガム解放軍はイスパルタ軍を後ろ盾としている。一度矛を交えるような事があれば、例え一時は勝ったとしても、必ずやイスパルタ軍の苛烈な報復を招くであろう』と」


 ハシムは少しも口調を変えることなくそう言った。彼の口元には変わらず笑みが浮かんでいるが、しかし目は少しも笑っていない。彼のかもしだす酷薄な雰囲気に、出席者たちは思わず唾を呑み込んだ。


 アースルガム解放軍がイスパルタ軍を後ろ盾としているのは事実だ。例えイシャンが旧アースルガム領を平定して独立を宣言したとしても、イスパルタ軍に勝つことはできないだろう。脅しという意味では、大変効果的であるに違いない。


 ただその関係はこれまで秘匿されてきた。上記の噂を流すと言うことは、それを暴露すると言うことでもある。イスパルタ軍の機嫌を損ねれば、アースルガム解放軍は容易く機能不全に陥る。それでオムは躊躇いがちにこう尋ねた。


「……ハシム殿。それは、よろしいのですかな?」


「はい。マドハヴァディティアの影響力も減衰し、かつてとはだいぶ状況が異なります。イスパルタ軍の西征の準備も進んでいますし、もう構わないでしょう」


 ハシムは鷹揚に頷いてそう答えた。ただし内心では冷や汗をかいている。隠密衆の彼に、本来そんな権限はないのだ。それでも彼がこう答えたのは、ひとえにベルノルトの命令のゆえだった。


 つまり噂の件も、もとはベルノルトの発案なのだ。彼は噂の拡散をハシムに命じたのだが、それなら解放軍のネットワークを使った方が良いだろうということで、この場で提案することになったのである。ハシムが矢面に立ったのは、やはりベルノルトを目立たせないためだ。


 オムが納得し、ルドラが頷いたことで、噂を流すことは了承された。そして軍議が終わると、出席者たちは慌ただしく動き出す。戦いが始まろうとしていた。



ルドラ「なんで私が大将なんでしょうね?」

ベルノルト「情勢的に仕方ないです」

メフライル(ある意味、最も相応しい……)

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[一言] 小規模国家が乱立する地域で、勃興→隆盛→衰退→滅亡のサイクルが激しすぎて長い歴史のある国がほとんど無いんだろうね。
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