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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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系図2


 サラはあの日のことを決して忘れることはないだろう。家族と今生の別れをした、祖国を落ちのびたあの日のことを。そしてその日、サラは父王から系図の存在を明かされた。


『サラ、良く聞きなさい。一族の本邸には、一族の系図が隠されている』


『系図……?』


『そうだ。我がアースルガム一族の、本当の系図だ。もしもアースルガムの再興が叶ったなら……、いやあえて再興など望むまい。もしお前が生きてこの地に戻ってくることができたなら、この系図は好きにするといい』


『父、上……』


『さあ、もう行きなさい。系図のことは、その時が来るまで忘れていると良い』


 結局、忘れているようにと言われた系図のことを持ち出して、サラはヴァンガルまで赴いた。そして今、生きてこの本邸跡へとたどり着いた。


 あの時、父王は系図のことをそれほど重視しているようには見えなかった。だがそれならばなぜ、あのタイミングで系図のことを話したのだろう。


(系図を、見れば……)


 系図を見れば、その答えが分かるのだろうか。だがその答えは果たして望むものなのだろうか。期待と不安が入り混じったまま、サラは今、本邸跡にいる。



 ○●○●○●○●



 焼け落ちたアースルガム王家の本邸跡。その二階の一室の床から、ベルノルトたちはえんじ色の袋を見つけた。どうやら防水処理がしてあるようだ。さらに袋の中には化粧箱が一つ入っていた。


 その化粧箱を、ベルノルトはサラに手渡した。彼女は震える手でそれを受け取ると、片手でその蓋を開ける。中にはおそらく羊皮紙と思われる、古びた巻物が一つ入っていた。彼女はその巻物を手に取り、そして広げた。


「これが、系図だわ……」


 サラはやや呆然とした声でそう呟く。ベルノルトが後ろからのぞき込むと、確かに幾つも名前が書かれている。ただその中にどんな秘密が隠されているのか、それは分からない。それで忙しく系図に目を通すサラを待った。


「ああ……! なんて、なんてこと……」


 系図に目を通していたサラが、突然空を仰ぐ。どんな衝撃的な秘密が書かれていたのだろうか。ベルノルトたちはサラに詰め寄った。そんな彼らに対し、サラは系図のある箇所を指で差す。そこには、「ルドラ」と書かれていた。


「これは、あのルドラ殿のことなのか……?」


 ベルノルトが困惑気味にそう呟く。しかもこの「ルドラ」なる人物は、サラの父つまりアースルガム王の弟として系図に書かれている。だが一般にアースルガム王に弟がいたとは知られていない。そしてかつてサラは「ルドラが父王に瓜二つだ」と言っていた。これが一体何を意味するのか。


「まさか、本当に双子の弟がいた……?」


 メフライルがやや唖然としてそう呟くと、サラは小さく「たぶん」と言って頷いた。確かにそんな話は一度したが、まさか正鵠を射ていたとでも言うのか。にわかには信じられず、いや信じられないと言うよりは困惑の方が大きくて、ベルノルトは眉間にシワを寄せて唸った。


「でもどうして表に出さなかったんだ……? って、そりゃもちろん後継者問題か」


 ベルノルトは疑問を口にして、すぐに自分でその答えも口にした。他の三人も揃って頷く。彼らにとってはとても身近な問題と言え、それゆえすぐに思い当たるのはむしろ当然だった。


 少し説明しておくと、まずアースルガムを建国したのはサラの祖父にあたる人物である。つまりサラの父は二代目だ。国というのは、建国よりも継承の方がはるかに神経を使う。特に初代から二代目となればなおさらだ。


 そんな時に生まれたのが双子であったならどうなるのか。性別が違えば良かったかも知れないが、しかし男の双子である。双方を担ぐ者たちが現われ、二人の王子を中心に派閥ができあがり、抗争が起こるだろう。下手をすれば国が滅びかねない。為政者としては頭の痛い問題だ。


 そのような事態を避けるために、初代アースルガム王は双子の片方、つまりルドラを歴史の闇に葬ることにしたのだろう。だが本当に赤子を殺してしまうのはいかにも無情である。そこで遠い親戚である山守衆に託した。そう考えれば、リリィがサラの姉によく似ていることも含めて、色々と辻褄があう。


「アースルガム王はルドラ殿のことを、自分には双子の弟がいることを知っていたのでしょうか?」


「系図のことを知っていたのだ。当然、知っていただろう」


 メフライルの疑問にアッバスがそう答えた。系図にはサラと彼女の兄弟の名前も記されている。それを記したときに、当然彼は自分の双子の弟のことも知っただろう。サラの祖父が存命であれば、事情を聞くこともできる。


「だけどこの系図だけじゃ、この『ルドラ』がどこにいるのか、サラは分からないんじゃないのか?」


「いえ、サラ殿下は山守衆のことを知っていました。マデバト山に遠い親戚がいる、と。探すときには、当然候補に挙がるでしょう」


 アッバスがベルノルトにそう答えると、サラが小さく頷いて同意する。それを見て、ベルノルトはさらにこう呟いた。


「じゃあ、やっぱりアースルガム王はサラに親類がいることを教えるために系図のことを……?」


 メフライルとアッバスは揃って小さく頷いた。当時、アースルガムはマドハヴァディティアによって滅亡しかけていた。そんな時に「ルドラ」のことが露見すれば、マドハヴァディティアは草の根分けてでも彼を探し出そうとしただろう。山守衆には余計な災禍が降りかかることになる。それを避けるために、アースルガム王は系図に隠して「ルドラ」のことをサラに伝えたのだ。


「叔父、上……!」


 系図を胸に抱いて涙を流しながら、サラはそう呟いた。彼女の家族は皆、死んでしまった。祖国も奪われ天涯孤独だと思っていたが、しかし近しい縁者が、それも二人もいたのである。孤独ではなかった。そう思うと救われるようだった。


 しかしだからこそ同時に、サラは苦しかった。ルドラとリリィに姪や従姉妹として名乗りを上げるには、サラの素性をつまびらかにしなければならない。それ自体は容易だ。だがサラの素性を明かせば、同時にベルノルトの素性も明らかになる。


 今の状況下でそれをしてしまうと、無用な問題を引き寄せることになりかねない。「アースルガムのサラ王女とイスパルタ朝のベルノルト王子がカリカットにいる」。その情報が広まってしまったら、クリシュナが、ラーヒズヤが、そしてなによりマドハヴァディティアがどう動くのか。現時点ではリスクが大きすぎると言わざるを得ない。


「ベル、わたし、どうしよう……。どう、したらいい……?」


 サラはすがるような目をベルノルトに向ける。彼女は今すぐにでも、ルドラとリリィに自分のことを教えたかった。だがそれが二人にとって良いことなのか、彼女には分からない。色々な要素がありすぎて、彼女はどうすればいいのか分からなかった。


「俺が決めて良いのか?」


「……」


「なら、そんな系図は燃やしてしまえ」


「ベルッ!?」


 サラは悲鳴を上げた。だがベルノルトは淡々とさらにこう語る。


「系図に書かれた『ルドラ』と、山守衆のルドラ殿が本当に同一人物なのか、確たる証拠は何もない。むしろ系図のせいで解放軍には混乱が生じるかも知れない」


「で、でも、何か証の品を持っているかもしれないっ! それに、ユブラジさんに話を聞けば何か知っているかも……」


「何より、イスパルタ朝が擁立しているのはサラ王女だ。ここへきて対抗馬が生まれるのは、面白くないな」


 サラは「ヒュッ」と息を呑んだ。イスパルタ朝は決して慈善事業としてサラ王女の亡命を受け入れたわけではない。むしろそれは、一種の投資なのだ。それが無駄になるような事態は、確かにイスパルタ朝にとって面白くないだろう。


 最悪、アースルガムの再興はなかったことになるかも知れない。少なくともサラはそう受け取った。もしもそんな事になれば、父は、母は、兄は、姉は、一体何のために死んだのか。


「ひどい……。酷いわ、ベル。だって、わたしはひとりぼっちなのに……」


「ごめん……」


 縋り付いて嗚咽をもらすサラを、ベルノルトはぎこちない手つきで抱きしめた。脅すような物言いは、彼としても本意ではない。それでも彼が「系図を燃やせ」と過激なことを言ったのは、実のところサラの価値を守るためだった。


 サラ自身、そのことは分かっていた。だからこそ「ひどい」と言いつつ、彼の胸を借りているのだ。ただそれでもやはり、言われたとおり系図を焼いてしまうのは躊躇われた。それはすなわち、自分の手で肉親の縁を切ってしまうことを意味しているからだ。


「さみしいよ……、ベル。わたし、わたし……」


「俺がいる」とベルノルトは言うことができなかった。咄嗟にエマの顔が頭をよぎったのだ。彼が「ごめん」と心の中で謝ったのは、はたしてサラに対してなのか、それともエマに対してなのか。罪悪感を覚えながら、ベルノルトはサラを抱きしめる腕に力を込めた。それしか彼にはできなかった。


「サラ殿下。その、ルドラ殿の事なのですが……」


 躊躇いがちにそう声をかけたのはアッバスだった。彼は一端言葉を切ってから、泣き続けるサラにこう告げた。


「恐らくですが、全て承知の上かと……」


「えっ……?」


 サラは思わず顔を上げた。その彼女に、アッバスはルドラがマハヴィラを処断した時のことを話す。彼はあの時、アッバスにこう言ったのだ。


『アッバス殿。全てはアースルガムの、サラ王女のためです。せめてあなただけは、それを覚えていてくれませんか?』


 この言葉を聞いたとき、アッバスは特別おかしいとは思わなかった。山守衆はアースルガム解放軍の一員であり、そして解放軍の活動目的はアースルガムの再興だ。マハヴィラの処断もそれをふまえてのことであり、それを「全てはアースルガムの、サラ王女のため」と表現するのは何らおかしなことではない。


 ただよくよく考えてみると、ルドラはサラ王女と面識はないのだ。会ったことも話したこともない相手に、そこまでの忠誠心を抱くだろうか。そもそも山守衆が解放軍に加わっているのも、「歴史的な背景のために、マドハヴァディティアに敵視されたから」という側面が大きい。


 実際、カリカットの街を攻略し食糧事情が改善されたことで、山守衆の中では「もう戦いは終わった。これ以上戦う必要はない」と話す者までいるという。つまり彼らにとって街の攻略は、あくまで「自分たちのため」という意識が強いのだ。


 これらを考え合わせると、ルドラの言葉は少々不自然に感じられる。少なくとも山守衆としての考え方からは、幾分外れていると言えるだろう。ただアッバスも彼があの場面で嘘をついていたとは思わない。あの言葉は彼の本心であったはずだ。では一体どんな事情が、彼にあの言葉を言わせたのか。


「ルドラ殿自身が、自分がアースルガム王家の血を引いていると知っていれば、辻褄は合います」


 アッバスはそう言った。もしそうだとすれば、叔父が姪のためにあれこれと手を尽くしていることになる。「全てはアースルガムの、サラ王女のため」という言葉も、決して不自然ではない。


 もちろん全ては憶測である。そして確かめることはできない。正しかったとしても、あるいは間違っていたとしても、大きなリスクを伴うからだ。だがもしもアッバスが言うとおりなのだとしたら。わたしは孤独じゃない。サラはそう思った。


「……系図を、燃やしましょう」


 涙を拭って、サラはそう言った。彼女の声には確かな決意がこもっている。それを聞いて「燃やせ」と言った側のベルノルトが、かえって困惑気味にこう尋ねた。


「いいのか?」


「ええ。これ以上、あの二人を危険にさらせないもの。……イスパルタ朝も、どう動くのか分からないしね」


 サラは悪戯っぽく微笑んでそう言った。チクリと意趣返しをされ、ベルノルトは苦笑する。それを見て、今度は楽しげに笑うと、サラは吹っ切れた様子で空を見上げた。青い空に白い雲が流れていく。人間は小さいな、と彼女は思った。


(父上。いい、ですよね……)


 サラは父王の顔を思い出す。彼は「系図は好きにするといい」と言ったのだ。きっとこの「燃やす」という選択も認めてくれるだろう。


 サラは系図を入れた化粧箱を石床の上に置く。そしてメフライルから魔道具を受け取ると、それを使って火を付けた。燃えて灰になっていく系図を見ると、自分で決めたことであっても胸が痛む。だが彼女は透き通った眼差しでその炎を見続けた。


「ベル。わたし、なるわ。アースルガムの女王に」


「ああ。なれるさ。俺も力を貸す」


「それから、ごめんなさい。わたしはひとりぼっちだなんて言っちゃって。みんながいるのにね」


 どこか照れくさそうにサラはそう言った。思い返してみれば、彼女の傍にはいつも誰かがいてくれた。こうして身を隠している間も、秘密を共有できる仲間がいる。それなのに孤独だなんて、自分のことしか考えていなかったな、と彼女はちょっと反省した。


「いいさ。それに、辛かったのは本当だろう?」


 ベルノルトがそう言うと、サラは少し驚いた顔をしてからはにかんだ。それからまた彼女は燃えていく系図に視線を向ける。その最期を看取るために。彼女はその様子をしっかりと目に焼き付けた。


 そんなサラのことを、ベルノルトはすぐ傍で見守っていた。彼女の横顔は、やはりというか少し寂しげに見える。彼は胸が痛んだ。


 系図を燃やせ、といったのはベルノルトだ。どんな理由があるにせよ、その言葉はもう取り消せない。系図は燃えてしまったのだ。サラと肉親を繋ぐ、その縁と一緒に。天涯孤独の少女にそれを決断させたその事実は、彼がずっと背負わなければならない。


 できることは何でもやろう。サラは心を決めたのだ。ベルノルトもまた、そう心を決めた。


メフライル「と言うことは、リリィは正真正銘のお嬢様……」

ベルノルト(悪い顔してるなぁ)

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― 新着の感想 ―
[一言] 系譜自体が偽書扱いになりそうな? 歴史的には残っていてほしいかな
[良い点] これ、サラが狙ってベルノルトに頼ってるふりしてるとしたら、とんでもない魔性の女ですよね ベルノルト、もう離れられないよ
[一言] 国の歴史が浅すぎて擁立するほどの価値が有るかは疑問だなぁ……たった二代目の途中で滅んでるし。 滅ぶまでよほどの善政を敷いていて民に慕われていない限り価値が無さそう。
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