系図1
山守衆はカリカットの街を手に入れた。もともと代官はよそ者で、街の住民からは快く思われていなかった。一方で山守衆とは長らく身内同然に暮らしてきた歴史がある。それで山守衆が街を統治することになっても、住民らに反発はなかった。
街を治める執政官の地位に就いたのはルドラだった。ただ、彼一人で街を治められるわけではない。彼をサポートする人員がいる。だが山守衆も人材が豊富なわけではない。街を治めるためには諸々の仕事があるわけだが、そのような仕事に携わったことのある者など皆無だ。
「メフライル殿、アッバス殿、ベル殿、ユラ殿、手伝ってもらえませんか?」
ルドラがベルノルトら四人に手伝いを求めたのは、ある意味当然だった。四人はもともと、大使館の職員という肩書きで山守衆のところに身を隠していた。ルドラはそれが四人の本来の身分を隠すための偽装であると薄々勘付いているが、その一方で彼らが高度な教育を受けたことは間違いない。これを使わない手はないだろう。
「分かりました。やりましょう」
一度四人で相談してから、ベルノルトらはそう答えた。カリカットの街を取ってしまった以上、ここがアースルガム解放軍の重要な拠点になることはまず間違いない。そこが政情不安に陥っているようでは、彼ら自身も困る。それにここまで関わってしまったのだから、後は知らん顔というわけにもいかないだろう。
ただ代官所での仕事の初日、ベルノルトは早くも自分たちの選択を後悔しそうになった。あまりにも仕事量が多かったのだ。実質、ルドラとベルノルトとメフライルとサラの四人で仕事を回しているに等しく、文字通り休む暇もなかった。
名前が挙がらなかったアッバスだが、彼は要領よく楽をしていた、というわけではない。彼はカリカットの守備隊の再編を一手に任されたのだ。大任であり、仕事量は上記の四人と同等か、もしくはさらに多かっただろう。
「判断を下せる人間が足りていませんねぇ……」
ややゲンナリとしながら、ルドラはそうぼやく。その呟きに、ベルノルトは大きく頷いた。言われたことをやるだけなら、できる人間はそれなりにいるのだ。だがその上役、報告を聞いて判断し、指示を出す人間がいない。
リリィやアニルもいるのだが、この二人でさえ逐一ルドラに指示を仰ぎに来る始末だ。他の者たちなど、言わずもがなである。ベルノルトは早くも、気ままにダンジョン攻略だけしていれば良かった生活が懐かしかった。
ちなみに街の攻略には参加したアサーヴだが、彼はマデバト山に戻ってしまっている。表向きは「組頭の一人であるルドラが抜けた穴を埋めるため」だが、要するに煩雑な仕事から逃げたのである。「お前は次期頭領だろッ!」とベルノルトが罵ってしまったのは、身内の四人だけの秘密である。とはいえ、今後カリカットの街が山守衆にとって重要な場所になることは間違いない。それなのに戦後処理を放り出すとか、次期頭領としてそれで大丈夫なのか。ベルノルトは眉をひそめざるを得なかった。
まあそれはともかくとして。要するにカリカットの代官所は深刻な人材不足だった。一方でベルノルトの頭に浮かぶのは、父王ジノーファの姿である。思い返してみても、彼の仕事量は今のベルノルトより少なかった。彼はカリカットよりはるかに広大な国土を治めているにもかかわらず、だ。
「イスパルタ朝の官僚機構って、優秀だったんだなぁ」
ベルノルトはしみじみとそう呟いた。メフライルも大きく頷く。サラはというと、彼の呟きに意識を割く余裕も残っていなかった。
「まあ、ある程度は時間をかけるしかありませんね」
ルドラはやや遠くを見ながら、達観した様子でそう言った。今は不慣れな山守衆も、時間が経てばそれなりに慣れるだろう。もともと代官所で働いていた役人達を呼び戻してもいい。戦後処理が終われば、仕事量も減るだろう。
ただ逆を言えば、落ち着くまでは殺人的な仕事量を四人でこなさなければならない。ため息を吐く間も惜しんで、ベルノルトはペンを走らせた。
さて、山守衆がカリカットを取ってから十日も経った頃、三人のアースルガム解放軍同志が街を訪ねてきた。これまでにも解放軍のメンバーが事情を知るために、あるいは今後の相談をするために街を訪ねてきたことはあった。だがこの三人は少し毛色が違った。彼らは密命を帯びていたのである。
「王家の本邸、ですか?」
三人に応対したルドラは、彼らにそう聞き返した。彼らは王家の本邸が現在どうなっているのか、聞いてきたのだ。
確かにカリカットの近くにはアースルガム王家の本邸がある。いや、あったというべきか。アースルガム一族が長らく本拠地としてきたその屋敷は、しかしヴェールール兵によって略奪されて火をかけられ、現在は焼け落ちてしまっている。
もちろん石造りの部分は焼け残っているが、逆を言えばそれしか残っていない、ただの廃墟だ。ルドラがそのことを伝えると、三人は困惑げな顔をした。
「我々はアーラムギール司令官より、『王家の本邸に保管されている重要書類を回収、もしくは処分せよ』と命じられてきたのですが……」
そう言われても、ルドラとしては何としてみようもない。彼もまた困ったように苦笑を浮かべた。
それから三人は話し合い、ともかく現場を確認して見ようという話になった。屋敷が焼け落ちた際に、重要書類も一緒に焼失してしまったのであれば、それはそれで構わない。だが確認もせずに戻っては、何のためにここまで来たのかという話になる。
翌日、三人はさっそく王家の本邸跡へ向かった。彼らが戻ってきたのはその日の夕刻。ルドラが話を聞くと、本邸跡はすっかり荒れ果てていて、野生動物が住み着いている有様だったという。
「何もかも焼け落ちていました。あれでは、紙の書類などとても……」
「火の勢いはかなり強かったに違いない。おそらく、油を撒いたのでしょうな」
「地下室がありましたが、火はそこにも及んだようです。本当に、何も残っていませんでした」
本邸跡を見てきた三人は、その様子を口々にそう語った。重要書類を回収できず、彼らは残念そうだ。しかしその一方で、彼らは安堵しているようにも見えた。
元々、回収が難しい場合には処分するようにという命令だったのだ。屋敷が焼け落ちた際、一緒に焼失してしまったのであれば、それによって処分済みと考えるができる。厄介な相手の手に渡らずに済んだのだから、御の字と言うべきだろう。
アーラムギールへ事の次第を報告するため、翌日三人はカリカットの街を出立した。そして三人が出立してから、ベルノルトたちはこの話をルドラから聞いた。この件はもう終わった話だと彼は思ったのだろう。だがベルノルトたちは、特にサラはそのようには受け取らなかった。
「…………ベル、ちょっといい?」
その日の夜、サラは代官所のベルノルトの部屋を訪ねた。ベルノルトは彼女の思い詰めた顔を見ると、何も言わずに彼女を部屋へ入れる。そして彼女に椅子を勧め、自分はベッドに腰掛けると、おもむろにこう尋ねた。
「それで、どうした?」
「ベルはルドラさんの話、どう思った?」
「大使館で頼んだ、例の件だろうな」
ベルノルトがそう答えると、サラも真剣な顔で頷いて同意する。ヴァンガルのイスパルタ大使館において、彼女はアーラムギールにある頼み事をしていた。その依頼とはアースルガム王家の本邸に保管されているという、王家の本当の系図を確保、もしくは処分して欲しいというものだった。
依頼をしてから実際に人が来るまでに、かなりの時間がかかっている。ただそれは、つい最近までヴァンガルがマドハヴァディティアによって占拠されていたからだろう。アーラムギールもアースルガム解放軍も、動くに動けなかったのだ。
イスパルタ軍によってヴァンガルが解放されたことで、アーラムギールはようやく指示を出すことができたのだろう。そして例の三人が来た。彼らは焼け落ちた本邸跡を見て重要書類、すなわち王家の本当の系図も一緒に焼失したと判断した。それがこれまでの経緯だ。
「ベルは、本当に例のアレが失われたと思う?」
「例の三人だって、結構しっかりと探したんだろう? それでなかったのなら、本当に一緒に焼けちゃったんじゃないのか」
「……わたしは、違うと思う」
サラは険しい顔をしながらそう言った。例の三人は、本邸が焼け落ちていると聞いて、重要書類が焼け残っているとは思わなかったのではないか。彼らは重要書類を探しに行ったのではなく、自分たちの予想が正しいことを確かめに行ったのだ。そうであるなら、どこまで徹底的に探したのか疑問が残る。それが彼女の言い分だった。
「それで、ユラはどうしたいんだ?」
「自分の目で、しっかりと確かめたい」
「まあ、そうだろうな」
予想通りの答えで、ベルノルトは小さく苦笑する。これまでサラは「系図の件はアーラムギールに任せたのだから、進展があるまでは静観する」という立場だった。それでマデバト山にいる間も、カリカットの街を落としてからも、彼女が自ら本邸跡に向かおうとすることはなかった。
だがここへ来て進展があった。だがサラが望むような進展ではなかった。もしも例の三人が重要書類の回収に成功していたら、もしくは焼失したという確たる証拠を掴んでいたのなら、彼女も納得することができただろう。だが彼らの結論は「焼失したと思われる」というもので、サラはそれに納得できなかったのだ。
ベルノルトとしても、サラの気持ちは分からないではない。そもそも彼女がこんな所にいるのも、元をたどれば系図の件が原因なのだ。それが後回しにされた挙句、軽く扱われているように感じたのだろう。納得できないとは、つまりそういうことだ。
だから、できるなら賛成してやりたいとも思う。だがここで彼女が動けばどうなるか。系図と関わりを持つことで、最終的にサラやベルノルトの身分がバレてしまうことはないか。彼はそれを危惧していた。
「ユラ。どうしても、か?」
ベルノルトはサラの目を真っ直ぐに見て、言葉に力を込めてそう尋ねた。サラも目をそらさず、真剣な顔をして「うん」と答える。二人は数秒、視線だけで応酬を交わした。先に引き下がったのはベルノルトだった。
「……分かった。ただし四人で話してからだ。勝手に飛び出すなよ?」
「うん、分かった。それでいい」
頭からは否定されず、サラはホッとした様子で頷いた。そして時間を見つけ、四人での話し合いが行われた。特にアッバスは最初いい顔をしなかったが、それでも最終的には四人で本邸跡へ向かうことになった。代官所での仕事が落ち着いてきたこと、街の周囲に敵対的な勢力がないことが決め手になった。
「何もなかった、という話ですが……」
メフライルが「本邸跡をもう一度調べて見たい」という話をすると、ルドラは困惑した様子で首をかしげた。例の三人が調べた後なのだ。無駄なことのように思えたのだろう。だがメフライルはこう言った。
「この件は恐らく、ベルノルト殿下が直々に依頼されたモノです。かなり深刻な様子であったとも聞いています。我々の立場からすると、軽くは扱えない案件です。ご理解いただけませんか?」
大使館職員という肩書きを最大限盾にした、というべきか。ともかくイスパルタ朝側の事情を持ち出されると、ルドラとしても拒否はしにくい。四人分の仕事が滞ることを想像していささか遠い目になりながらも、彼は四人の希望を容れた。
そして良く晴れたある日の朝。四人は馬にまたがってアースルガム王家の本邸跡へ向かった。馬を駆けさせる間中、サラはずっと無言だった。系図は本当に焼失してしまったのか。もしも残っているなら、そこにはどんな秘密が隠されているのか。彼女の胸の中では、不安と希望が混ぜこぜになっていた。
「ここ、か……」
アースルガム王家の本邸跡は、湖のほとりにあった。事前に聞いていたとおり焼け落ちていて、焼け残った石材も酷く焦げている。在りし日には立派なお屋敷であったのだろうが、今ではもうまるっきりただの廃墟だ。
馬を木に繋いでから、ベルノルトら四人は本邸跡に足を踏み入れる。中には野生動物の糞が残っていて、ここはもう人の住む場所ではないことを暗示しているようだった。その姿がまるで今のアースルガムと重なって見えるのか、サラは胸の前で手を握りしめて悲しげな様子だった。
「……あまり悠長にもしていられません。あるとしたら、どのあたりでしょうかな?」
「確か二階に、当主の執務室があったと聞いているわ」
サラがそう言うので、四人はひとまず石造りの階段を使って二階へ上がった。とはいえ彼女も具体的にどの部屋が当主の執務室だったのかは分からない。部屋の跡を一つずつ見て回ることになった。
「……ん?」
そしてある部屋に来たとき、ベルノルトが怪訝そうな声を出した。本棚でもあったのだろうか。炭がまとまって残っている。彼がその炭をどかしていくと、焼け残った一枚板が姿を現した。
「これは……」
「たぶん本棚か何かの、底辺に使われていたんだろう。こいつだけ耐火素材みたいだな」
メフライルの呟きにベルノルトがそう答えた。焼け残った一枚板は、当然ながら表面が黒く焼け焦げているが、姿形はしっかりと残っている。
恐らくこの板は、ダンジョン由来の素材なのだろう。ダンジョンでは木の姿をしたモンスターが出現することもある。そういうモンスターを倒すと、こういう素材が手に入ることがあるのだ。あるいは水場などに生えていた木を伐採して、板に加工したのかもしれない。
いずれにしても、このような素材は非常に高価である。だがアースルガム一族はもともと商売で名を上げた一族。お金は十分にあっただろうし、こういうモノを手に入れる伝手はあっただろう。四人は以前にそういう話をしていたし、だからこそ系図が残っている可能性が高いとも思っていたのだ。
まあそれはそれとして。ベルノルトがノックするように一枚板を指で軽く叩いてみると、「コツコツコツ」というしっかりした音が響いた。彼はそのまま、焼け残った一枚板の端から端までを指で叩いて確認していく。
どの場所も音に変化はない。この一枚板の内部に空間があるわけではないようだ。彼は一つ頷いてから、メフライルとアッバスに一枚板をどかすよう頼んだ。
二人が一枚板をどかすと、ベルノルトはその下の床に視線を落とす。そして僅かに口元に笑みを浮かべた。彼が床を指さすと、他の三人が寄ってきてそこへ視線を向ける。彼らはそれぞれ、息を呑んだりうめき声をもらしたりした。
「まさか、本当に……」
「アタリみたいだな」
どかした一枚板の下の床。そこにはたった一枚だけ、他とは大きさの違う石材がはめ込まれていた。ベルノルトはナイフを使い、慎重にその石材を浮かせて外す。その下からはえんじ色の袋が一つ、姿を現した。
サラ「結局自分で確かめることに……。最初からこうしていれば良かったかしら?」
ベルノルト「いやいやいやいやいや」




