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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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国執り


「さて、ご馳走様」


 そう言ってジノーファは空になった椀をおぼんの上に戻した。ほぼ同じタイミングで、ユスフも食事を終えている。ジノーファは人を呼んで食器を片付けさせる。そして食事中は見ないようにしていた、山積みされた書類の方へ視線を向けた。


 ジノーファの視線を追って、ユスフもそれを一瞥する。二人は揃って肩をすくめたり苦笑を浮かべたりした。


 二人の反応には理由がある。もしも山積みされた書類が全てイスパルタ軍に関わるものなら、二人はもっと違う反応をしていただろう。しかしそうではないのだ。ジノーファの下に舞い込んできた仕事の大半は、要するに訴訟に関するものである。つまり裁判だ。なんとルルグンス人の間で起こった訴訟が、ジノーファのところへ持ち込まれているのだ。


 普通に考えれば、これはおかしい。ルルグンス法国で起こった訴訟は、ルルグンス法国の裁判官が裁くべきもののはず。それがジノーファのところへ持ち込まれると言うことは、つまり法国の司法制度が崩壊していることを示唆していた。


 いや、崩壊したと言うよりは見放されたと言うべきか。ヴァンガルが陥落した影響もあるのだろうが、ルルグンス人は法の守護者として自国の裁判官ではなくイスパルタ軍を選んだのだ。その大きな理由の一つは、各地の僧院の蛮行だった。


 ヴァンガルが陥落し、法王フサイン三世が死んだことが広まると、各地の僧院は震え上がった。遠からずマドハヴァディティアがやってきて、自分たちも同じ目に遭わせるに違いないと思ったのだ。


 僧職者たちの反応は主に二つに分かれた。ある者は必死の祈りを女神イーシスに捧げ、ある者は持てるだけの財産を担いで逃げ出した。何にしても大混乱に陥ったと言っていい。


 幸いにもウスマーン将軍が敵軍を退けたので、ヴァンガル以南の地域が蹂躙されることはなかった。そしてイスパルタ軍本隊が来たことで、その地域は安定と安全を取り戻した。秩序が回復されたのである。


 僧職者たちも同じように考えた。秩序は回復され、マドハヴァディティアが来る以前の状態に戻ったと、彼らは考えたのだ。彼らは胸をなで下ろした。そしてまた、以前と同じように振る舞い始めた。彼らにとって、それは自然で、また当然のことだった。


 折しも、季節は収穫の秋。各地の僧院は周辺の街や村々に寄付を要求した。それもこれまでやっていたように、かなり強引に。倉庫に押し入って収穫物をごっそりと運び出し、抵抗する者がいれば「神罰」と言ってひどい暴行を加えた。今までルルグンス法国ではそれが許されてきたし、彼らはこれからも許されると思っていたのだ。


 ルルグンス人はこれまで、その略奪行為を耐えるしかなかった。ルルグンス法国の統治者たちはそれを取り締まることなく、むしろ助長することで私腹を肥やし、統制を強めていたからだ。しかし今、ヴァンガル以南の地域で秩序を守っているのは、法国の統治機構ではなくイスパルタ軍である。


 加えて、特にヘラベート周辺のルルグンス人たちは、イスパルタ朝のいわゆる新領土における、僧院と僧職者たちの扱いについてかなり詳しいことを知っていた。そこではルルグンス法国のような蛮行は許されていないという。彼らは常々、それをうらやましがっていた。


 そうであるから、ルルグンス人たちが僧院の蛮行をイスパルタ軍に訴えたことは、むしろ当然の成り行きだったと言っていい。イスパルタ軍としても、僧院が食料を大量に集めることで、兵糧の価格が高騰してしまうのは望ましくない。それでイスパルタ軍は蛮行を繰り返す僧職者たちを咎めた。


『汝らはいかなる理由があってこのような利敵行為をするのか』


 対応に当たった兵站計画部の士官の一人は、そう言って僧職者たちを責めたという。実際、イスパルタ軍は補給物資のかなりの部分をこの地域でまかなっていたから、その調達に支障をきたすような問題を起こすことは、確かに立派な利敵行為だった。口には出さずとも、同様に思っていた者は多いだろう。


 余談だが、兵站計画部の士官らが対応に当たったことから、イスパルタ軍が当初この問題を、あくまでも兵站の問題として捉えていたことが分かる。あくまで作戦行動の一環として、イスパルタ軍はこの問題に介入したのだ。もしもヴァンガルと法王が健在であれば、イスパルタ軍もまずはそちらに話を通しただろう。しかしそれは不可能であったので、自分たちで動くしかなかったのだ。


 さて、イスパルタ軍に寄付集めを咎められ、僧職者たちは仰天した。その上、「利敵行為」とまで言われている。発言した士官は半ば感情的になってその言葉を口にしたのだが、彼らはそれを僧院を潰すための口実と受け取ったのだ。


 何しろ僧職者たちもまた、新領土で僧院がどのように扱われたのかを詳しく知っている。「同じ事が起こる」と思ったのだ。動揺し、また怒りを抱いた僧職者たちは、この件をジノーファに直訴した。その主張を要約すると、おおよそ下記のような具合になる。


『陛下。我々がマドハヴァディティアに通じるなど、そのようなこと、どうしてあり得ましょうか。利敵行為など、言いがかりでございます。そのような不届きなことを言い出した者を、どうか罰していただけますように。


 そもそも寄付集めは、歴代の法王猊下もお許しくださった、我らの当然の権利にございます。それを陛下がお咎めになれば、法国との間に無用な亀裂が生じましょう。それは両国の長年の友誼を踏みにじる行為でございます。お控えになられた方がよろしいかと存じます』


 盗人猛々しいと言うべきか。ジノーファの傍でこれを聞いていたユスフは、手を真っ白になるまで握りしめ、表情を消して怒りを抑えた。一方でジノーファは一つ頷いてから、彼らにこう応えた。


『卿らの言い分は分かった。他の者たちの言い分も聞いてから、この件について判断を下すことにする』


『ああ、いえ、ただ我らの願いを聞き入れていただきたいだけでして……』


『ほう。では卿らは、わたしに忠誠を捧げるわたしの兵を、なんら弁明の機会も与えずに処罰せよと、そう言うのだな?』


『そ、そのような事は……』


 直訴する僧職者たちは困惑していた。これまで彼らが訴えた事柄で、双方からまともに話を聞くことなどされたためしがない。司法制度と国家権力は常に彼らの味方だった。そして今もそのはずだと彼らは思っていた。また自分たちがたかが武官らと同列に扱われるなど、彼らは思ってもみなかった。しかしジノーファは彼らにこう告げた。


『双方の言い分を聞いてこそ、公正な判断が下せるというもの。そして公正な判決こそ、女神イーシスも祝福したもう。そうではないか』


『……』


 僧職者たちは何も言えなかった。ジノーファは彼らを下がらせると、そのまま陣中に留め置いた。そしてこの件に関わっている士官らを呼び、彼らからも話を聞いた。さらに参謀部に命じて、僧職者らの寄付集めの実態について調査させる。全ての報告が揃うと、ジノーファは関係者を集めた。そして彼らに対し、こう“判決”を下した。


『イスパルタ軍としては、寄付集めの名目で収穫物を持ち去る行為は、容認しがたい。一部の僧院が大量の食料を集めれば、それによって食料全体の価格が高騰する。これはイスパルタ軍の兵站への攻撃となりえる。現時点で利敵行為は言い過ぎではあるものの、しかしこれ以上度が過ぎるならば、それはマドハヴァディティアを利する行為であると心得られたい。


 また寄付集めに伴い、暴行や器物の損壊、一部の不届き者による婦女暴行など、多数の犯罪行為が確認されている。治安の悪化は物価の高騰や物流の遅延を招く。これもまたイスパルタ軍にとって受け入れがたい。それで今後は民が自発的に献じたものだけを受け取るように。民が拒否しているのにそれを無理に奪うようなまねは、以後厳粛に慎まれたい』


 事実上、僧職者たちの全面敗訴と言っていい。これ以上やるならイスパルタ軍は本気で咎めるぞ、と脅したわけである。彼らがそこまで理解したのかは分からない。だがジノーファが自分たちに好意的でないことは明らかだった。それで彼らは顔を真っ赤にしてわなないた。


『へ、陛下! それはいかなる了見でございますか!?』


『そ、そのようなことを申されては後悔しますぞ!』


『左様! ここをどこと心得られる!?』


『両国の友誼、それを終わらせるおつもりか!?』


 僧職者たちは口々にそう叫んだ。その様子を見、また彼らの脅しとも取れる発言を聞いて、ジノーファの周囲を守る騎士たちが不快げに顔を険しくする。彼らの手が剣の柄にのびたが、ジノーファがそれを制した。そして彼は僧職者たちにこう尋ねる。


『不服か?』


『当然でございます!』


『では上訴するといい』


 怒鳴るように答えた僧職者たちに、ジノーファは平坦な声でそう応じる。すると僧職者たちは困惑を顔に浮かべた。


『じょ、上訴せよと言われましても、一体どなたに上訴すれば良いのか……』


『それは卿らが考える事だ』


 ジノーファに突き放され、彼らは困り切った。法王フサイン三世が存命なら、僧職者たちは彼に上訴しただろう。しかし彼は殺され、新たな法王はその後継者の名前すら挙がっていない。


 現在このルルグンス法国でジノーファに匹敵する権力者といえば、それはマドハヴァディティアであろうか。しかしまさか侵略者に上訴するわけにはいかない。そんなことをすればイスパルタ軍は間違いなく僧院を敵視するだろう。


 またヴァンガルには教皇を名乗るミールワイスがいるが、裏切り者を頼るなど論外だ。自分たちまでもその一党と見られかねない。その時、僧院は他でもない、ルルグンス人の手によって葬り去られるだろう。


 こうなると仮に上訴するとして、それは新たな法王が決まってからということになる。だがその法王は、ほぼ確実にイスパルタ朝を後ろ盾として即位する。するとジノーファの方針にたてつくようなまねはしないだろう。


 いや、それどころか、新たな法王が即位できるのか、それさえも不透明だ。仮にマドハヴァディティアを討伐ないし追い払ったとして、その時点でのルルグンス法国国内における最有力者は、間違いなくイスパルタ国王たるジノーファだ。ならばそのまま、法国をイスパルタ朝へ併合してしまうこともあり得る。


 まあ、未来のことは分からない。ただ現在において確実なのは、僧職者たちがこの件について上訴するのに、相応しい相手がいないと言うことである。そのことを理解して、彼らは顔面蒼白になりながら口をパクパクとさせた。


 結局、僧職者たちは今後無理な寄付集めはしないことを誓って、イスパルタ軍の陣を去った。これにて一件落着、のはずだった。いや、落着はしたのだ。したのだが、この件を見てルルグンス人たちはこう思ったのである。


 すなわち、「イスパルタ王なら、公平な裁判を行ってくれる」と。


 以来、ジノーファのもとへ幾つもの訴訟が持ち込まれるようになった。本来ならば、筋が違うと突っぱねるところだ。しかしジノーファはそれらの訴訟を審理し、判決を下していった。


 無論、一人でできるような仕事ではない。それで在ルルグンス大使のフードを筆頭に、大使館の職員らを中心にしたチームが組まれ、彼らがジノーファの補佐をするようになった。なお、デニスは総領事館の方にいる。


 この異常事態を前に、ルルグンス法国の官僚機構や治安維持機構は、本来ならイスパルタ軍に異議申し立てをするのが当然のはずだった。しかし彼らはそうしなかった。彼らはむしろ率先してジノーファに指示を求めた。つまり自ら進んで、イスパルタ軍の指揮下に入ったのである。


 彼らが望んでそうしたのかは分からない。だが仮に彼らが抵抗したとして、彼らの将来は暗かっただろう。民衆が庇護者として望み、頼りにしたのはイスパルタ軍だった。民衆にそっぽを向かれ、その上イスパルタ軍に睨まれては、彼らにできる事など何一つしてなかった。


『確かにイスパルタ王がやっているのは内政干渉だ。だがそれを止めるように言って、イスパルタ王が「嫌だ」と言ったらどうする?』


 ある地方都市の代官はそう語ったという。確かにジノーファは内政干渉を承知の上で訴訟の処理を行っていたし、それを止めるように言われても受け入れることはなかっただろう。そしてその時、それを強制する力はルルグンス法国にはもう残されていなかった。


 ルルグンス法国は、もはやなきにも等しい状態だった。ただそのことを嘆くのはごく少数に留まった。大多数は自分たちの生活が安定を取り戻したことを、そればかりか以前よりも生活がしやすくなったことを喜んでいた。


『見事なものだ。陛下は法国の南半分を鮮やかに奪ってしまわれた。しかもルルグンス人たちには、奪われたという意識すらない』


 ハザエル元帥はそう感嘆の声を上げた。彼の言うとおり、ヴァンガル以南の地域を差配しているのはジノーファであり、つまりその地域はイスパルタ朝の実効支配下にあった。しかもルルグンス人がそれを望んだのである。これを侵略というのなら、これほどスマートな侵略はないだろう。


『そもそもルルグンス人も、以前のような状態に戻りたいとは思っておらぬでしょう』


 ハザエルと一服していたウスマーン将軍がそう応じる。以前の状態というのは、要するに歴代の法王が統治していた頃だ。その頃に戻ると言うことはつまり、また高い税率と僧院の無茶な寄付集めに苦しむということ。確かにそれを望む者はいないだろう。


『北の者たちは、南をうらやんでいるようで』


『だろうな』


 ウスマーンの言葉にハザエルが大きく頷く。ヴァンガル以北の地域は、まだイスパルタ朝の実効支配下にはない。むしろマドハヴァディティアがルルグンス法国の権威を駆逐しつつある地域だ。


 ただマドハヴァディティはその地域を治めているわけではない。それどころか搾取だけしているというのが正しい。その前には遊牧民の略奪隊に痛めつけられている。住民たちの置かれた状況は悲惨だった。


『これで、陛下はいつでも北部を切り取れる』


『つまり、ルルグンス法国は陛下のもの』


 ハザエルの言葉にウスマーンがそう応じる。それから二人は揃って大きく頷いた。ヴァンガル以北の地域は、すでにイスパルタ軍の待望論が叫ばれている。進駐して治安を回復し、食料を配るなどして慰撫すれば、住民たちは何の抵抗もなくイスパルタ朝の支配を受け入れるだろう。


 ちなみに北部の僧院は壊滅状態と言っていい。ことごとく焼き払われたのだが、コレをしたのはマドハヴァディティアではなく遊牧民の略奪隊だった。北部の僧院も強引な寄付集めで富を溜め込んでいたのだが、それを丸ごと略奪隊に奪われたのだ。


 ミールワイスが息のかかった者を送り込もうとしているらしいが、それも上手くいっていないと聞く。ジノーファとイスパルタ軍にとっては、厄介な問題が一つ事前に整理されているわけで、苦笑いしつつも歓迎しているというのが実のところだった。


 まあそれはそれとして。ルルグンス法国の実効支配を強め、そのまま併合へ持って行く。それがジノーファの方針だろう。無論、彼がそれを明言したわけではない。だが少し目端の利く者なら、誰でもその結論に達する。ハザエルとウスマーンも、すでにそれを既定路線としていた。


 そしてジノーファは今日もまた、よせられた陳情と訴訟を処理していく。彼の裁定は明快で小気味よく、何より公正だ。評判は上々で、それがまた次の陳情や訴訟を呼び寄せている。こうしてルルグンス法国はイスパルタ朝に組み込まれていくのだ。



「国執り」の解説

→執政によって国を盗る、的な意味合いを込めてみました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まあなるべくして併合された感あるねこれw あ、あと300話おめでとうございます。これからもよろしくお願いします(o_ _)o
[気になる点] これもしかして日韓併合をモデルにしてるんじゃないか?そう考えるとしっくりくる
[気になる点] > ヴァンガルが陥落し、法王ヌルルハーク四世が死んだことが広まると フサイン三世じゃなかった? [一言] >そもそもルルグンス人も、以前のような状態に戻りたいとは思っておらぬでしょう …
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