波紋、ゆるやかに2
後に第二次西方戦争と呼ばれる戦いにおいて、百国連合軍がヘラベートの攻略に失敗すると、戦況は膠着状態に陥った。百国連合軍はヴァンガルを、イスパルタ軍はヘラベートを拠点に、それぞれ睨み合っている状態だ。
アッバスなどは「両軍のいずれか、もしくは両方に増援が来るまではこの膠着状態が続く」と予想している。実際、ルルグンス法国においてはヘラベート攻略戦以後、両軍とも大規模な軍事行動は行っていない。これはもちろん、「活動していない」という意味ではないのだが、それはそれとして。
それでアッバスの予想は何ら特別なものではなく、マドハヴァディティアもウスマーンも、ジノーファでさえも同じようなことを考えていた。だが彼らが予想していたよりも早く、第二次西方戦争は次の節目を迎えることになる。
ただしその発端地となったのはルルグンス法国ではなく、百国連合だった。各地でくすぶっていた反マドハヴァディティアの火種。その火種がいよいよ燃え上がったのである。つまり各地で反乱が起こったのだ。
この反乱について、アースルガム解放軍は事前に情報を得ていた。なぜなら「時期を合わせて蜂起しないか」と誘いを受けたからである。解放軍はそのネットワークを生かして各地の反マドハヴァディティア勢力を支援していたから顔が広い。一斉蜂起の誘いが来るのは、むしろ当然のことだった。
その報せはマデバト山の山守衆にも伝えられた。彼らもまたアースルガム解放軍の一員であるから、と言う説明は実のところあまり正しくない。一斉蜂起に加わるか否か。山守衆の意向はその判断に大きな影響を与えるのだ。
なぜなら、仮にアースルガム解放軍が蜂起するとして、第一目標はカリカットの街の解放になるからだ。カリカットが解放されれば、アースルガム族を通じて遊牧民の騎兵を雇い入れることができる。
その後も戦い続けることを考えれば、これは重要な要素だ。事を起こせば必ずや鎮圧軍が出てくる。最低限、イスパルタ軍が来るまでの間、自分たちだけで解放した街を守らなければならないのだから。
またカリカットはアースルガム一族発祥の地である。その地の解放はアースルガム再興の狼煙としてまことに相応しい。
もちろん、カリカットの街にもアースルガム解放軍の同志たちは潜んでいる。だが解放軍はこれまで情報収集など裏方の活動をメインにしていたこともあり、広範なネットワークを持つ一方で軍事能力は低い。
それでカリカットの街を解放する場合には、すぐ近くのマデバト山に拠点を持ち、数百人単位で組織的に戦える人員を持つ、山守衆こそが作戦の主力になる。だからこそ、彼らの判断が重要になるのだ。
加えてもう一点、アースルガム解放軍の内部事情も関係している。ヴァンガルが陥落したせいで、現在解放軍はトップが不在だ。誰がこの重要な決定をするべきなのか、その段階からもめる可能性がある。また決まったとして、その決定が解放軍の隅々にまで報されには相応の時間がかかるだろう。広範なネットワークを持つことの弊害だ。
だが一斉蜂起自体はすでに決まっており、事を起こすまでの時間は限られている。それに間に合わせるには迅速な意思決定が必要であり、こうなると現場で判断するより他にない、という側面があった。
「まさに千載一遇の好機! これを逃すべきではない!」
山守衆の方針を決めるための会議でまずそう主張したのは、頭領ユブラジの息子アサーヴだった。彼は三人の組頭の一人ではないが、次期頭領としてすでに認められていることもあり、それなりの発言力を持っている。彼は続けてこう主張した。
「カリカットの街を解放すれば、食料の問題は一挙に解決する。現状、イスパルタ軍がいつ来るのか、分からないのだ。なら、俺たちが動くしかない!」
アースルガム族を含め、冬を越せるだけの目途は何とか立った。その“目途”にドロップ肉のことが含まれているのは言うまでもない。つまりそれを除けば目途は立たなかったわけで、山守衆とアースルガム族が直面している食糧問題は、十分すぎるほどに深刻なのだ。
カリカットの街を解放して経済封鎖を解除できれば、食料の問題は解決する。アサーヴのその主張は、大部分において正しい。少なくとも食料の買い付けは格段にしやすくなるし、生きていくために赤字を垂れ流すこともなくなるだろう。
とはいえ当面の食料について言えば、前述した通り確保の目途は立っている。何より一度事を起こせば、後戻りはできない。そのような重大な決断を、ひとまず切羽詰まっているわけでもないのに、このタイミングで下すべきだろうか。三人の組長の中には当然そのように考えている者がいて、彼はアサーヴにこう反論した。
「しかしアサーヴよ。当面、食うには困らぬのだ。何もいま事を起こさずとも良かろう」
「甘いっ! 時を合わせて、協調して事を起こすからこそ、ヴェールールとマドハヴァディティアに痛撃を与えられるんだ。なぜそれが分からない」
アサーヴは拳で机を叩いてそう熱弁を振る。反マドハヴァディティア勢力、特に亡国の再興を目指す勢力は、こう言ってはなんだがどれも小粒で、単独でヴェールールに抗し得るようなところはない。となればタイミングを合わせて蜂起し、力を合わせて戦うというのはむしろ当然の戦略だ。
その場合、重要なのはやはり数だ。同時多発的に蜂起して、敵の処理能力を飽和させる。それができて初めて、故国回復の可能性が出てくるのだ。逆に足並みが揃わなければ各個撃破されかねない。それで今回の計画を主導している者たちは、方々に声をかけて回っているようだった。
そしてその成果も出ている。聞くところによれば、すでに十以上の組織が蜂起を約束している。百国連合の加盟国の中にさえ、造反を考えている国があるという。そしてその数は今後さらに増える見込みだった。
これだけの賛同者が得られたのは、彼らの目にも今が好機に映っているからだ。現在、マドハヴァディティアは百国連合域内にはいない。しかも彼が多数の戦力を連れて行ったので、連合域内に残っている戦力は少ない。そしてイスパルタ軍と睨み合っている以上、彼はそう簡単に西へ引き返して来ることはできない。
加えて、敗北の直後だ。マドハヴァディティアの権威は弱まっている。また敗戦後に連合域内で噂が流れた。「百国連合軍はイスパルタ軍に勝てない。マドハヴァディティアのために戦っても報われない。無駄だ」という内容の噂だ。この噂のために、特に徴兵された者たちは東へ行くことを嫌がるようになっていた。
噂を流したのは、言うまでもなく今回の一斉蜂起を主導している者たちだ。アースルガム解放軍も噂の流布に一役買った。それでその反響が思いのほか大きかったことも、解放軍は掴んでいる。
「この一斉蜂起は必ず上手くいく! 我々がここで立たなければ、カリカットの街は、アースルガムも、また別の国が支配することになってしまうぞ!」
アサーヴがそう言うと、ルドラともう一人の組頭、そしてユブラジも揃って顔をしかめた。一斉蜂起が上手く行けば、どう転んでもヴェールールはその国力を落とすことになる。それ自体はアースルガム解放軍にとっても喜ばしいことだ。
ただ蜂起した反乱軍は、それぞれ勢力の拡大を目指すだろう。横の繋がりがあるのだ。蜂起に加われば、事前調整するなりして棲み分けができる。だが蜂起に参加しないのなら、肉の分け前を要求する権利もない。アースルガムの国土が他国に奪われるというのは、十分にあり得る話だ。
「そもそも、一から十までイスパルタ軍頼みというのはどうなのだ。アースルガムを再興したとして、子分のように扱われては意味がない。だが今動けば、それがイスパルタ軍への援護になる。戦争が終わった後も、イスパルタ軍は俺たちに一目置くはずだ!」
アサーヴがそう語るのを聞き、ルドラは「これが本音かな」と思った。イスパルタ軍に頼らずにカリカットを落とすことで、その街を山守衆のものにする。恐らくアサーヴはそんなことを考えているのだろう。
ルドラもそれを否定するつもりはない。カリカットの街が山守衆のものになれば、生活はかなり楽になるだろう。冬が来る度に身構えることもなくなるに違いない。それに強大な敵と戦うのだから、恩賞を期待するのは当然だ。
ユブラジもまた、息子の思惑をおおよそ察したのだろう。難しい顔をしつつも一つ頷く。そして次に、彼は義理の息子の方へ視線を向けてこう尋ねた。
「ルドラ。お主はどう思う?」
「私は、時期尚早と考えます」
「義兄者、なぜだ!」
アサーヴが不満げに声を上げる。ルドラは苦笑を浮かべつつ、自分がそう考える理由をこう述べた。
「今回の事、我々が“やる”と決めたとしても、それが解放軍の決定になるかは分かりません。独断専行、先走りと思われれば、我々は孤立します。やるのであれば、最低限アースルガム解放軍として事に当たるべきでしょう。……せめて指揮系統が回復するまでは待つべきです」
ルドラはまずそう言った。カリカットの街を解放するには、なるほど確かに山守衆の力が欠かせない。だが山守衆が「やる」と決めても、それがアースルガム解放軍の決定になるかは不透明だ。特に指揮系統が混乱している現在は。
そして解放軍の中で孤立してしまった場合、山守衆は途端にその後の展望を描けなくなる。カリカットを落としたとして、そこからさらに打って出ることはできないだろう。となれば遠からず討伐軍に鎮圧されてそれで終わりだ。
「また、マドハヴァディティアは攻め滅ぼした国々の王妃や王女方を、自らの後宮に収めています。蜂起したとして、これはつまり人質を取られているのと同じです。彼らがヴェールールと正面切って戦えるのか、疑問が残ります」
故国の再興を大義として掲げる以上、王家の生き残りをそう簡単に見捨てることはできない。それをすれば人心が離れるだろう。だから蜂起が成功したとして、それですぐにヴェールールが弱体化するわけではない。ルドラはそう自分の予想を語った。
「そしてもう一つ、重大な懸念があります」
「それは?」
「マドハヴァディティアの後宮には、アースルガム王家に連なる方が一人もいない、ということです」
「義兄者、どうしてそれが懸念なんだ? 人質がいないなら、俺たちは遠慮なく戦える。そうじゃないか」
「敵もそう考えるだろう。我々を真っ先に潰そうとするはずだ」
ルドラがそう答えると、アサーヴはハッとして息を呑んだ。討伐を主導するのは恐らくクリシュナで、彼は見せしめもかねて苛烈な鎮圧を行うだろう。その時、他の反乱勢力が助けてくれるのかは分からない。
「それどころか下手をすると、山守衆とカリカットの街は、時間稼ぎのための捨て駒にされかねません」
「もしかすると、最初からそれが狙いなのかも知れんな……」
ルドラの懸念を聞かされ、ユブラジは剣呑な顔でそう呟いた。今回蜂起する反乱の全てが成功するとは、計画を主導する者たちも考えてはいないだろう。一つや二つとは言わず、六つや七つくらいは失敗すると見込んでいてもおかしくはない。
とはいえ誰だって、自分は失敗したくないものだ。それこそ、他者を蹴り落としてでも。であれば最初から矢面に立たせるための生け贄を用意しておくことは、十分に考えられる。
「それが、アースルガム解放軍だと……?」
アサーヴが険しい顔をしてそう呟く。ルドラもさすがに「そうだ」と断言することはできない。全ては可能性の話だ。
だがあり得ない話ではない。少なくとも、クリシュナはアースルガム解放軍に対して人質として使える姫が後宮にいないことは承知している。ならば解放軍の勢いが強まる前に、何よりイスパルタ軍が来る前に叩き潰す、と考えても不思議はない。
「だ、だがそうと決まったわけじゃない。ヴェールールの王都から見てカリカットは辺境だ。軽く見て後回しにすることも考えられる。それに、事を起こせば人も集まるはずだ。敵の主力は法国にいる。戦力さえ揃えば、そう簡単に負けることはない」
かなりの程度熱意を殺がれながらも、しかしまだ諦められないのか、アサーヴはそう蜂起への参加を重ねて主張する。だが腰が引けてしまっていて、しかもそれが傍から見ても明らかなのだ。決起論は一気に萎んだ。
「……イスパルタ朝の方々は、どう思われる?」
ユブラジが視線をベルノルトら四人の方へ向ける。彼らは山守衆ではないから、決起するのかしないのか、その結論に口を出すことはできない。だがアースルガム解放軍が事を起こすとなれば、イスパルタ軍も無関係ではない。それで彼らはイスパルタ軍の立場を代表する、オブザーバー的な立場でこの会議に参加していた。
「イスパルタ軍が来るのを待ち、イスパルタ軍に協力する。それがアースルガム解放軍の基本方針であるはず」
無骨な声でそう語ったのは、アッバスだった。流石はイスパルタ朝近衛軍の一〇〇人隊長にして、成長限界に至った武人。その声は重々しくて力がある。山守衆の五人はその風格に押され気味だった。
「ルドラ殿も言ったとおり、いま解放軍は指揮系統が混乱しております。そのような時こそ、基本方針を堅持するべきと考えます。そうでなければそれぞれが勝手にあれこれと決めてしまい、組織は成り立たなくなるでしょう」
要するに、「イスパルタ軍を待つべきだ」とアッバスは言った。いざイスパルタ軍が百国連合域内へ踏み込んだ時、現地の協力が得られないようでは苦戦は免れない。そしてイスパルタ軍はサラ王女を擁立して西へ進むわけだから、現地の協力者として最も相応しいのは言うまでもなくアースルガム解放軍である。
イスパルタ朝はこれまで、それを期待してアースルガム解放軍へ多大な援助をしてきたのだ。解放軍はその時まで温存されているのが望ましい。それがイスパルタ軍としての立場だ。
「カリカットの街を解放する際には、必ずや山守衆の力が必要になりまする。どうかその時まで、力を蓄えていただきたい。ジノーファ陛下は決して吝嗇な方ではありませぬ。山守衆の働きも、正当に評価してくださるでしょう」
アッバスはそう言ってアサーヴの野心を宥めた。なんなら、自分たちが山守衆のためにジノーファへ願い出ても良い。彼はそうも言った。
「だが、アースルガムの国土を別の者たちにかすめ取られてしまうかも……」
「何の問題もありませぬ」
懸念を口にするアサーヴに、アッバスはそう断言した。そしてさらにこう言葉を続ける。
「ヴェールールであろうと他の誰かであろうと、アースルガムの国土を不当に占拠する者どもに、陛下は鉄槌を下されることでしょう。大人しく差し出すというのであればそれで良し。手向かうというのあれば、攻め滅ぼすまでのこと。いずれにしても陛下はアースルガムの国土を回復なさいます」
ゆえにご安心召されよ、とアッバスは笑みを浮かべてそう言った。ただし獰猛な笑みを。その笑みに戦場の残り香を嗅ぎ取ったのか、ユブラジ以下の五人がゴクリと生唾を呑み込む。そうさせるだけの凄みが、アッバスにはあった。
「……アッバス殿もこう言っている。今回の話は見送ろうと思うが、どうじゃ?」
ややあってから、ユブラジがそう言ってアサーヴと三人の組頭たちの顔を見渡した。程度の差こそあれ、彼らは揃って首を縦に振る。こうして山守衆は、アースルガム解放軍は今回の一斉蜂起には加わらない事になった。
対外的には、「指揮系統が混乱しており、決起できる状態ではないため」と説明することになる。とりあえずアースルガム解放軍の独断専行を止めることができ、ベルノルトは内心で安堵の息を吐くのだった。
ベルノルト「あれ、クリシュナって……」
メフライル「この時点ではまだ、ヴェールールの王子です」




