表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

288/364

クリシュナ1


 クリシュナはマドハヴァディティアの子供たちの中で、最年長の王子である。そして今回の父王の東征に伴い、ヴェールール本国にて留守居役を任されていた。


 彼の重要な仕事の一つは、父王の軍につつがなく兵と物資を送ることである。そして彼はおおむね順調にその仕事をこなしていた。つい先日も、増援の第一陣として三万の兵と多量の物資を送っている。


 この戦力を使ってヘラベートを攻略し、イスパルタ軍の本隊が来る前にルルグンス法国全土を掌握する。増援の第二陣をどの程度編成するかはその結果次第。それがマドハヴァディティアの基本方針であり、クリシュナもそれを承知していた。


 だからこそ、父王から増援の第二陣を最大限の戦力で至急編成するようにという命令を受けたとき、彼は率直に驚いた。命令書を注意深く読み、さらに伝令から細かい事情を聞き出して、彼はようやく納得する。


 要するに、ヘラベートの攻略に失敗したのだ。それで早急に追加の戦力が必要になったのである。イスパルタ軍本隊が来るまでに増援が間に合わなければ、マドハヴァディティアは劣勢に追い込まれるだろう。


「ご命令、承った。全力を尽くすと、父上にお伝えしてくれ」


 命令書を丁寧に折りたたんで懐にしまい、クリシュナは伝令にそう告げる。伝令は彼に敬礼を返すと、慌ただしくその場を後にした。


 伝令を見送ってから、クリシュナは自分の執務室へ引き返す。その道すがら、王城の廊下を歩きつつ、彼は思案を巡らせる。


(気に入らぬ……)


 彼がまず思ったのはそれだった。父王の命令が気に入らないわけではない。むしろ命令それ自体は順当であると思っている。


 気に入らないのはナレインのことだ。今回のヘラベート攻略では、名目上とはいえナレインが大将を務めていた。しかし攻略は失敗し、その上、あろうことか彼は味方を置き去りにしてヴァンガルへ逃げ帰った。


 普通ならば首をはねられてもおかしくない失態だ。だがナレインは父王から一発殴られただけで、それ以上の処分は受けていないという。それどころか父王から直々に訓示を与えられ、「次にどう勝つかを考えろ!」とまで言われている。とらえようによっては、「次の機会を与える」と言われているようなものだ。


 事実上の無罪放免である。なぜだ、とクリシュナは心の中で呟いた。ナレインを従軍させたことについては、彼にチャンスを与えただけと考える事もできる。信賞必罰が正しく行われるなら、クリシュナも心を乱されることはなかっただろう。だがこれだけの失態を犯しても責任を問われないとなると、話は違ってくる。


『ナレイン王子はマドハヴァディティア王のお気に入りである』


 ナレインの従軍が決まったころから、その噂はまことしやかに語られていた。さらに最近では、また別の噂も囁かれている。その内容は次のようなものだ。


『マドハヴァディティア王は今回の遠征でお気に入りのナレイン王子に武功を立てさせ、その功績を持って彼を王太子にしようとしている』


 クリシュナは今まで、これらの噂をあまり気にしないようにしていた。彼が王太子の有力候補であることに間違いはない。ならばどこまで本当か分からない噂に振り回されることなく、自らの任務を全うしてこそ父王の評価を得られるというもの。それこそが王太子への、堅実にして大きな一歩だと彼は信じていた。


 だがもしも噂が真実であれば、クリシュナの努力は全て無駄になる。何しろ、父王はすでに後継者をナレインに定めているということなのだから。もちろんマドハヴァディティアは何も明言していない。しかしヘラベート攻略戦の顛末を知ったことで、クリシュナは噂の信憑性が高まったように感じていた。


(このまま言われた通り父上に仕え続けたとして……)


 それで自分に未来はあるのだろうか。自分の執務室で一人、クリシュナはそう自問する。もちろん王太子として冊立され、父王の後継者としてその玉座を受け継ぐことが、彼の思い描く最高の未来だ。


 だがもしもナレインが至高の座を得れば、彼にとって自分は邪魔な存在だろう。クリシュナはそう思った。即位と同時に粛清されてもおかしくはない。いやそれ以前に、王太子として冊立された時点で、彼は邪魔な異母兄弟たちを排除しにかかるだろう。


 ナレインが実際にそうするか否かは、この際重要ではない。要するに、クリシュナは自分ならそうすると考えた。このままでは自分の未来は暗い。彼はそう判断せざるを得なかった。


「まあ、噂が真実だとすれば、の話だがな……」


 クリシュナは自嘲気味にそう呟いた。噂の信憑性が高まったとはいえ、それは結局彼の主観でしかなく、噂はまだ噂の域を出ない。ナレインを罰しなかったのは、彼ではなく腹心たるラーヒズヤを庇ったからとも考えられる。


(時期尚早、だな)


 クリシュナは胸中でそう呟いた。謀反を起こすにはまだ早い。そういう意味だ。そうするほどまでに、彼はまだ追い詰められていない。


 何より、百国連合軍はまだ優勢を保っている。マドハヴァディティアもまだ十分な戦力を保持しており、謀反など起こしてもすぐに鎮圧されてしまうだろう。


 噂に振り回されては身を滅ぼすだけだ。クリシュナはそう自分を戒めた。事を起こすのであれば時勢を見極めなければならない。遠からずイスパルタ軍本隊がルルグンス法国へ入るだろう。その時ならば、あるいは……。


 クリシュナはそんなことを考えながら、ひとまずは父王に命じられた通り、増援の第二陣の編成に取りかかった。数は三万。ただし持って行く物資はそれ以上になる。あらかじめ下準備をしておいたおかげもあり、彼の仕事は順調に進んだ。だがいざ三万の増援を集結させようとしたとき、問題が発生する。反乱が起こったのだ。


 反乱を起こしたのはクリシュナではない。反乱軍は「グルグラム独立党」を名乗った。グルグラムは第一次西方戦争の後にマドハヴァディティアによって滅ぼされた小国であり、要するにその残党軍だ。彼らはその地方で行われた徴兵に紛れ込むことで自然に集結し、そして決起したのである。


「討伐せねばなるまい」


 反乱軍のことを受け、クリシュナはその討伐を決めた。彼の手元には、ヴェールール軍一万がある。これを用いれば討伐は難しくない。また彼自身にとっても良い武功となるだろう。躊躇う理由はなかった。


 しかし彼が討伐軍を率いて出陣することはなかった。それより早く、また別の反乱の報せが飛び込んできたのだ。それも一つではない。三日の内に五つもの反乱が起こったのである。


 つまり合計すると、短期間の内に六カ所で反乱が起こったことになる。そのどれもがマドハヴァディティアに滅ぼされた小国や都市国家の残党だった。これを偶然と片付けることはできない。彼らはタイミングを合わせて一斉に決起したのだ。


 その後も、各地で反乱が相次いだ。後の記録によれば、山賊紛いのものまで含めて、その数およそ三十。それだけの数の反乱が、グルグラム独立党の蜂起からおよそ半年の間に相次いだのである。なおこの間、アースルガム解放軍はまだ表だって動きを見せていない。


 もちろんこの全てに横の繋がりがあったわけではない。ただ最初の六つの反乱については、いわゆる反マドハヴァディティア勢力のネットワークによって繋がっていた。アースルガム解放軍を介してイスパルタ朝はせっせと彼らを援助していたが、その成果が出たと言えるかも知れない。


「これは、迂闊には動けんな……」


 各地で反乱が相次ぐのを見て、クリシュナは渋面を浮かべた。一万の兵は確かに多い。だが反乱勢力に対して圧倒的というわけではない。何より出陣した後にまた新たな反乱が起こり、補給線を寸断されたらどうするのか。いや、それどころか本拠地たる王都が陥落してしまう可能性すらある。


 クリシュナはまず、旧来のヴェールール本国の防衛を優先した。そのおかげもあってか、旧来のヴェールールの領土については、反乱勢力もひとまず手出しを避けた。そしてその間に、彼は戦力を増強することにした。


「追加で兵を集める。五〇〇〇だ。それだけ残して置けば、こちらから打って出られるだろう」


 ただ、追加の徴兵は思うようには進まなかった。ヴェールール軍はすでに四万を動員している。この時点ですでに上限ギリギリだ。これ以上となると、そもそも人的資源の方が追いつかなくなる。だが集めないわけにはいかない。それで老兵であろうと新兵であろうと、とにかく集めた。


 増援の第二陣として集めた兵の全てが反乱軍に鞍替えしたわけではない。だから反乱軍に鞍替えしなかった兵を使い、反乱軍を鎮圧するという選択肢もあった。しかしクリシュナはそうしなかった。


 理由は主に二つ。一つは、彼はそれらの兵を信用できなかったのだ。確かに今はまだ反乱に加担してはいない。しかしいつそうするか分かったものではない。下手にそれらの兵を連れて行き、敵を増強する結果になったり、あまつさえ寝首をかかれでもしたら、死んでも死にきれぬ。クリシュナはそう思っていた。


 もう一つの理由は、武勲である。クリシュナは当然のことながら、父王と一緒にいるナレインのことを意識している。この先ナレインが武勲を上げたとして、それに対抗するためには彼にも武勲が必要だ。その武勲を、彼はこの反乱の討伐によって稼ぐつもりだったのだ。そのためには余人の手を借りず、彼自身の手で討伐を完遂する必要があった。


「それにしても、なぜこのタイミングだったのだ?」


 追加の徴兵を行うかたわら、クリシュナは自分が覚えた疑問について調査を命じた。すると反乱の背景とも言うべき事情が見えてきた。


 一番大きな要因となったのは、やはりヘラベートの攻略失敗である。この失敗により、マドハヴァディティアの東征は躓くことになった。つまり順調ではないという印象を世の人々に与えたのだ。


 さらに、百国連合軍がまたイスパルタ軍に負けた。これにより「百国連合軍はイスパルタ軍にどうしても勝てない」という評価がじわりと広がった。「百国連合軍は弱く、イスパルタ軍は強い」という認識が、人々の中に生まれてしまったのである。


 これにより、マドハヴァディティアの権威に陰りが生じた。実績によって押さえつけていた不満が、抑えきれなくなってきたのだ。彼の強硬政策の反動が、この局面において現れ始めたと言ってもいいだろう。


 またヘラベート攻略軍の主力は増援の第一陣だった。つまり百国連合の、ヴェールール以外の国々が供出した戦力だ。敗戦の被害はそこに集中している。一方でヴェールール軍の損害は軽微である。


 もしも攻略が成功していたなら、「ヴェールールが他国に功績を譲った」と受け止める事ができただろう。しかし攻略は失敗した。すると「ヴェールールは他国に損害を押しつけた」ということになる。それどころか「他国の力を殺ぐために、マドハヴァディティアはわざと攻略を失敗させたのだ」と主張する者までいた。


 そしてそれを踏まえた上で、次のような噂が流れた。曰く「マドハヴァディティアはイスパルタ軍本隊との決戦において、増援の第二陣を矢面に立たせてすり潰すつもりだ。東へ行けば、生きては帰れない」。


 この噂が、主に増援の第二陣として集められた兵士たちの間で流れた。彼らは別々の地域にいたにも関わらず同じ噂が流れたわけだから、そこにも反乱勢力の横の繋がりが窺える。いずれにしてもこの噂のために兵士たちは動揺した。


 マドハヴァディティアは自分たちを勝たせてくれるのか。いや、マドハヴァディティアは自分たちのことを考えてくれるのか。彼らはそこに疑問を持ったのだ。そしてそこへ、さらに別の噂が流れた。


 曰く「三年前を思い出せ。マドハヴァディティアは直接刃向かったわけでもない友国を一方的に攻め滅ぼした。奴は味方を味方と思わない。しかも攻め取った国土を全て我が物とした。奴は他国が肥えるのを許さない。マドハヴァディティアのために命を賭けるのは無駄なことだ」。


 疑問は不満に変わった。「マドハヴァディティアのために死ぬのは御免だ」。多くの者がそう思うようになった。だが命令に従わず、東へ行くことを拒めば、遠からず粛清されるだろう。ならば生き残る道は一つしかない。


 こうして反乱の下地ができあがった。その上で核となる反乱勢力がそれぞれの不満を束ねて蜂起した。どうやらそういうことであるらしい。


「なるほど、な……」


 報告書に目を通し、クリシュナは小さくそう呟いた。なにぶん急がせたので荒い内容ではあるが、納得するに足る内容だ。大まかな背景は分かった。そして同時に、また新たな懸念が彼の中に生まれた。


(情報が出回るのが早いし、少々正確すぎるな、これは……)


 クリシュナはそう感じた。マドハヴァディティアもクリシュナのところへ来た使者も、ヘラベート攻略戦での敗北を吹聴などしてはいるまい。だが情報や噂が広がる速度やその精度からして、ある程度事情を知っている者が意図的にそれを流しているとしか思えない。


 それが意味するところはつまり、百国連合軍の内部に情報を流している者がいる、ということだ。それも、恐らくはマドハヴァディティアの意思に反して。敗北により、連合軍内部の統制に緩みが生じているのかもしれない。クリシュナはそう思った。


 ただ、百国連合軍内部の情報源と反乱軍が直接繋がっているとは、クリシュナも思っていない。恐らくだが、情報源となった人物(複数かも知れない)はマドハヴァディティアに反逆するつもりはないのだろう。


 ただ敗戦によって不満が募り、その不満を手紙に綴るなどして国元へ送ったのだ。その情報を受け取った人物こそが反乱勢力と繋がっていた、あるいはこれを契機として接触した。そんなところだろう、とクリシュナは思っている。


(とはいえ……)


 とはいえ、それはそれで重大な意味を持つ。クリシュナにはそう思えた。百国連合内部に、いわゆる反マドハヴァディティア勢力が広くそして深く根を張っている、とも受け取れるからだ。そして一連の流れを見れば、その勢力は決して烏合の衆ではなく、ある程度の指揮系統、もしくは連絡体制が存在していることが窺える。


(まずいな……。いや、これは好機か……?)


 今の状況を危機と見るか、それとも好機と見るか。それはどこに軸足を置くかによって変わってくる。いずれにしても戦力は必要だ。そう考えてクリシュナは手元の戦力の増強に努めた。


 そうこうしている内に、再びマドハヴァディティアのもとからクリシュナへ使者が送られてきた。反乱を早急に鎮圧し、増援の第二陣を送るように求める使者だ。クリシュナは使者に現状を説明し、「準備が整い次第、速やかに反乱軍を討伐する」と返答した。


 それからクリシュナは使者を十分に歓待し、それからヴァンガルへ送り返した。その際、旅費の名目で多額の金を握らせる。これで使者は彼に好意的な報告をマドハヴァディティアにしてくれるだろう。


 クリシュナが使者を送り返し、追加の徴兵がおおよそ終わった頃。西方諸国を、百国連合を揺るがす事件が起こった。ある小国が、公然と百国連合からの離脱を宣言したのである。その小国はエルナクラムと言った。


 エルナクラム王は反乱勢力との連携を公言し、さらに「マドハヴァディティアによって乱された西方の秩序を回復する」と謳った。ヴェールールではなくマドハヴァディティアが名指しされたことを聞き、クリシュナは「ほう」と興味深げに呟いた。



クリシュナ「お留守番をバカにするなよ!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] クリシュナが父親と違い上手くやれば一気に王に成ることも可能かな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ