山守衆3
『彼らは多分、ただの大使館職員ではないよ』
メフライルら四人をダンジョンへ案内するその道すがら、リリィは昨日の夜に父ルドラが口にした言葉を思い出していた。そしてさらに、彼は自分がそう感じた理由をこう話していた。
『ダンジョンを使ってヴァンガルを脱出してきたと言っていたけれど、どう考えてもそんなのは普通じゃない。彼らが嘘をついていると言っているわけではないよ。たぶん本当の事なんだろう。だけど本当だとすれば、そのルートはルルグンス法国にとってとても重要な、秘密のルートだったはずだ。それをただの職員に使わせるとは、ちょっと思えないね』
『なら親父殿は、奴らが大使館の職員じゃないと思っているのか?』
『……リリィ、いつも言っているけど、もう少し口調をだね……』
『今は、そのことはいいから』
『まったく……。彼らは間違いなく大使館の職員だよ。紹介状にもそう書いてあったからね。ただ彼らがいつ職員になったのかは分からない。もしかしたら脱出の一日前だったかもしれない』
つまり便宜上、大使館職員の肩書きを与えた可能性がある、ということだ。それを理解してリリィは眉間にシワを寄せた。
そんな面倒くさい事をした上で、さらにダンジョンを使って敵が迫るヴァンガルから脱出させる。そんなことをする必要のある相手であれば、確かにそれはただの職員ではないだろう。
『……まさか、大使本人?』
『それはないだろうね。アッバス殿は武官という話だし、他の三人は若すぎる。たぶん、どこかの有力貴族の子息といったところではないかな。あるいは身分はそれほどではないとしても、とても重要な情報を預かっているのかも知れないね』
ルドラはそう自分の推測を語った。それを聞いて、リリィはさらに難しい顔をする。そして少し考え込んでから、彼女は父親にこう尋ねた。
『……親父殿。確かめた方が、いい?』
『止めておきなさい。彼らにも事情があるのだろうしね。何より、一度知ってしまえば、もう知らなかったことにはできないよ』
極端な話、彼らがマドハヴァディティアにとって致命的な情報を持っていたとする。その情報が山守衆に伝わったことをマドハヴァディティアが知れば、彼は山守衆を殲滅するべく動くだろう。
『親父殿……! だったら奴らをかくまうのは……!』
『落ち着きなさい。極端な話と言っただろう。……ただね、彼らと私たちは今日会ったばかりの他人なんだ。私たちが彼らを信用しきれていないように、彼らも私たちを信用しきってはいない』
そんな関係なのに秘密を無理に聞き出そうとすれば、間違いなく話はこじれる。だから向こうから話してくれるまでは触れずにおきなさい、とルドラは娘を諭した。リリィは神妙な顔をして頷いた。
そして現在、リリィはその正体がよく分からない四人を、山守衆が管理するダンジョンへ案内している。しばらくここで生活していく上で、自分たちもダンジョン攻略をして糧を稼ぐと、彼らの側から申し出があったからだ。
リリィの、というより山守衆の側からすると、彼らの申し出はとてもありがたい。山守衆も余裕があるわけではないのだ。というより、すでにその余裕を食い潰しながら日々をしのいでいるのが実情である。その上で四人も無駄飯食らいを養わねばならぬとなれば、それはもう破滅への第一歩と言っていい。
(いや、無駄飯食らいではないか……)
昨晩、彼らがルドラに金を渡していたことを思い出し、リリィは無駄飯食らいの評価を取り下げた。ただ基本的に山守衆が財政赤字を抱えていることは変わらない。それでこの四人には是非とも、自分たちの食い扶持くらいは稼いでもらいたいところだった。
「ここだ」
リリィが案内したダンジョンの入り口は、洞窟の少し奥まったところにあった。入り口のすぐ横には、見張り役の男が立っている。彼が小さく頭を下げると、リリィも一つ頷いてそれに応えた。
「話は通してある。いつでも好きなときに攻略を行ってくれて構わない」
「分かった。ありがとう」
「うむ。……ああ、そうだ。良いものを見せてやろう」
何かを思いついたのか、リリィは楽しげな表情を浮かべると、「付いてこい」と言ってダンジョンの中へ入っていった。ベルノルトたちも顔を見合わせてから彼女の背中を追う。
初めて入るダンジョンであるから、中の様子は見慣れない。ただ雰囲気はこれまでのダンジョンと似通っていて、ベルノルトは少しホッとした気分になった。
さてリリィはダンジョンの中をずんずんと進んだ。迷いなく歩くその様子は、はっきりとした目的地があることを示している。ときおり遭遇するモンスターも全て彼女が倒した。ちなみにマナも全て彼女が吸収した。
ダンジョンに入ってから十分ほども進んだだろうか。リリィの進む先に、人影が見えた。それもどうやら一人ではない。二人か三人、ともすればそれ以上の人数がいる。階層で言えば、このあたりはまだ上層だ。こんな場所に何があるのだろうか、とベルノルトは内心で頭をひねった。
「少し待っていろ」
そう言って、リリィは通路の奥にいる仲間の方へ向かった。そして彼らに事情を説明してから、「こっちだ」と言ってベルノルトたちを招く。
「これは……」
通路の奥は水場になっていた。それも、かなり広い水場だ。ダンジョンの中にしてはかなり明るく、気温も高いように思われる。青々とした草が茂っていて、ちょっとした草原のようだ。あとで聞いた話だが、この水場には七つの小さな泉があり、また袋小路になっていて、つまり出入り口が一つしかないという。
それだけなら広大にして未知なるダンジョンの風景の一つとして、ベルノルトたちは大して驚かなかっただろう。しかし彼らは今、目の前の光景に心底驚いていた。ダンジョンのなかでこんなことがあるのかと真面目に思っていた。
「メェ~」
ベルノルトと目が合った羊が、呑気な声で鳴く。そう羊である。それも一匹や二匹ではない。リリィの話によれば、およそ八〇匹の羊がここで飼われているという。それらの羊たちは水場の草を食べ、泉の水を飲んでいる。つまり山守衆はダンジョンの中で羊の放牧をしているのだ。
「どうだ、驚いたか?」
「……驚いた。こんなのは見たことがない」
メフライルは正直にそう答えた。ベルノルトやサラも大きく頷いてそれに同意する。アッバスも腕組みしながら顎に手を当て感心している様子だ。それを見てリリィは満足げに頷き、「そうだろう」と言って機嫌良く笑った。
マデバト山に暮らす山守衆が、食料を自給自足できていないことはすでに触れた。ただ彼らもそのことは問題視しており、色々と手は打っている。その一つがこの“牧場”だった。
この水場に限れば、草もよく生えてくるし水も豊富だ。しかも栄養が豊富なのか、ここの羊は良く育ち、なんと年に二回も毛を刈ることができるという。言うまでもなく、山守衆の重要な収入源の一つだ。
もちろんここはダンジョンの中であるから、モンスターの危険がつきまとう。ただこのあたりはまだ上層の入り口近く。強力なモンスターは出現しない。しかも一本道だから、一方向だけを警戒しておけば良い。土魔法などで水場の入り口を塞いでしまえば、モンスターが中に入ることはほとんどない。
加えて、この水場と出入り口を人間が頻繁に行き来することで、モンスターの出現率は下がった。また間に大広間がない。強力なエリアボスを倒して行き来する必要がなく、そのことが牧場の利便性を高めていた。
「……この牧場は、組頭が始めたんだ」
「ルドラ殿が?」
メフライルがそう聞き返すと、リリィは小さく頷いた。彼女はそれ以上多くを語らない。だが牧場を眺める彼女の横顔には、憧憬や誇りの色が浮かんでいる。きっといろいろあったのだろう。メフライルはそう思った。
「……さて、そろそろ戻るか」
牧場をぐるりと見て回り終えると、リリィはそう言って水場の出口へ向かう。ベルノルトたちもそのあとに続くが、ふとリリィが彼らの方を振り返る。そしてやや圧の滲む笑みを浮かべてこう言った。
「言うまでもないことだが、この牧場は山守衆にとって重要な場所だ。だから特に用事がない限りは近づくな。いいな?」
そう言うリリィに、メフライルは苦笑を浮かべながら「分かった」と言って頷く。どうやら牧場を自慢するだけでなく、こうして釘を刺すことも目的であったらしい。
その後ダンジョンから出ると、リリィは山守衆の里を一通り案内した。所々でメフライルらを紹介し、主立った者たちに彼らを引き合わせていく。彼らは方々で自己紹介をして、それでほぼ一日が終わった。
そして次の日、ベルノルトたちは早速ダンジョンへ向かった。ルドラは案内役を付けようかと言ってくれたが、彼らはそれを断った。「自分たちのペースで攻略したいから」とというのがその理由で、それは決して嘘ではないのだが、全てでもなかった。「案内役がいると、他人に聞かれたくない話ができないから」という理由は、分かる者には分かっていた。
「まずは、入り口の近くをしっかりとマッピングしよう」
ダンジョンに入って少し進んでから、ベルノルトが小声でそう方針を示した。もちろん、オートマッピングの魔法で周囲に他のパーティーがいないことを確認した上でのことだ。
他の三人も、小さく頷いてその方針に同意する。彼らの実力であれば、入り口付近で戦うというのは、はっきり言って時間の無駄だ。まして山守衆では、いわゆる戦士ではない者たちもダンジョンに潜っている。彼らの主な狩り場は、言うまでもなく入り口付近であろう。つまりベルノルトらの方針は、彼らの獲物を奪う行為とも言える。
それを自覚した上で、ベルノルトは方針を撤回するつもりはなかった。他の三人も同様だ。まずは入り口付近をしっかりとマッピングし、そして水場を見つける。適当な場所が見つかれば、今後はそこで四人の密談ができるだろう。
特に今は、ベルノルトではなくメフライルが交渉役を担っている。これはベルノルトへの注目度を下げるためなのだが、一方でメフライルが彼の意図を外れる危険性をはらんでいる。そういうことをなくすためにも、意見のすり合わせと意思の統一は欠かせない。そしてそのためには、それをするための場所が必要なのだ。
幸運にも、彼らは一時間ほどで小さな水場を見つけた。入り口からであれば、二十分ほどの距離だ。彼らは休憩をかねてその水場へ入る。ベルノルトが目配せすると、メフライルが一つ頷き、収納魔法から大きな岩を取り出して入り口を塞いだ。こうしておけばモンスターが入ってくることはまずないし、話し声が外へ漏れることもないだろう。
「……それでサラ、何をずっと思い詰めているんだ?」
「別に、思い詰めてなんか……」
「いいから。溜め込んでいると辛いぞ」
ベルノルトがそう言うと、サラはふっと表情を歪めた。涙は流していないが、今にも泣きそうな顔である。そして少し躊躇ってから、ポツリとこう話し始めた。
「……リリィさんがね、似ているの、姉上に。ううん、リリィさんだけじゃない。ルドラ殿は父上に似ているわ。それも、瓜二つよ」
双子だと言われても信じるわ、とサラは言った。それから彼女はさらに話を続ける。遠いとは言え親戚。似たような顔が生まれるのもあり得ないことではない。だがそれが二人いて、しかも親子となると、別の有力な可能性が浮上する。
つまりサラが知らないだけで、ルドラとリリィは彼女の近しい親戚であるという可能性だ。彼女は一昨日の夜からずっと、そのことを考えていたのだという。
「考えてもどうしようないことだとは、分かっているわ。でも……」
サラは言葉を濁した。彼女は家族を失い、天涯孤独の身だと思っていた。しかしここ山守衆の里で、もしかしたら近しい親戚であるかもしれない人物たちと出会ったのだ。はっきりさせたい。あわよくば孤独を癒やしたいと思うのは当然のことだろう。
彼女のそういう気持ちを、ベルノルトは完全には理解することができない。彼の両親は健在だし、兄弟たちも皆揃っているからだ。ただ想像はできる。ジノーファの話を小さな頃から聞いてきたからだ。だから彼は、少なくとも心情面では、サラに同情的だった。
とは言えだからといって、「じゃあ確かめよう」とは言えない。ルドラとリリィに「アースルガム王家の縁者なのか?」と尋ねるだけでも、今の状況下ではかなりのリスクを伴う。ましてベルノルトとサラの身分が露見することは、絶対に避けなければならない。
それを考え合わせれば、この件には触れずにおくのが最も賢明だろう。ただ別の要素が絡んでくると、本当にそれで良いのかとも思ってしまう。その要素とはつまり、例の系図のことである。そのことをメフライルがこう指摘した。
「もしもあの二人のことが系図に書かれているのだとしたら、アースルガム王はそのことを知っていたはずです。その上でサラ殿下に系図のことを伝えたのだとしたら、そこにどんな意図があったのか……」
「単純に、祖国が再興した後、信頼できる縁者がいることを教えたかったのではないのか?」
メフライルの疑問にアッバスがそう推測を述べる。単純ではあるが可能性は高い。ただしどこまでいっても憶測だ。正解はアースルガム王だけが知っていて、彼はもう死んでしまった。
「……あれこれ勘ぐっても仕方がない。この件はアーラムギールに任せたんだ。そっちの結果を待とう」
ベルノルトがそう言うと、他の三人も揃って頷いた。分からないモノは分からないのだ。そして人間は何もかも自分で行うことはできない。
サラの話も含めて少し長めに休憩してから、ベルノルトたちは攻略とマッピングを再開した。サラは必ずしも、全てに納得したわけではない。ただ溜め込んでいたものを話すことができて、気持ちは落ち着いていた。
彼女も分かってはいるのだ。今するべきは系図の謎を追うことではない。息をひそめてマドハヴァディティアの目を逃れ、状況が好転するのを待つ。それが最も重要だと、彼女も分かっている。ともかく自分で勝手に動くのは止めよう。彼女はそれだけ心に決めた。
(それにしても……)
それにしても、仮にアーラムギールの指示が届いて系図が確保されたとして、それを確かめる機会が自分にあるだろうか。サラはふとそんな事を考えた。と言っても深刻に考えたわけではない。それらしきモノが見つかって処分された、あるいは運び出された。それくらいの情報は伝わってくるだろう。彼女はそう思うことにした。
ちなみに。系図とはまったく関係のない話だが、メフライルが収納魔法を山守衆に見せた結果、彼らの間でダンジョン革命が起こった。
ベルノルト「ダンジョン攻略と言えば、収納魔法だな」
メフライル「収納魔法と言えば、ドロップ肉ですね」




