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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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マデバト山


「……ここから先は道なりに進めばいい。今日中には着くはずだ」


「助かった。少ないが取っておいてくれ」


 そう言ってメフライルが案内役の男にルルグンス金貨を一枚渡す。男はそれを見て少し驚くと、嬉しそうな表情を浮かべて金貨を懐にしまった。彼にとっては思いがけない臨時収入である。そして愛想良く言葉を交わしてから、彼は来た道を戻っていく。ベルノルトたちはその背中を見送った。


 男はカリカットの街で活動する、アースルガム解放軍の一員だ。表向きは雑貨屋の店員として働いており、裏では解放軍の一員として動き、その延長として便利屋的なこともしている。もともと便利屋的な仕事はしていたが、解放軍に入ったのはその延長というわけではない、らしい。男から聞いた話によると、そういうことになる。


 まあ、ベルノルトたちも案内人の人生に興味があるわけではない。さしあたっては、暗くなる前にこの山にいるアースルガム一族の分家に接触する方が重要だ。ないとは思うが、こんなところにいるのを誰かに見られる訳にはいかない。それで彼らはひとまず雑談の内容は捨て置き、マデバト山の荒涼とした山道を登り始めた。


 カリカットの街に到着して火酒亭の店主と話をしたベルノルトたちは、その足で彼に教えてもらった裏路地の雑貨屋へむかった。そしてマデバト山へ行くための段取りを整えたのだ。出発は二日後と決まり、その間に準備が進められた。


 山道を進むベルノルトたちは、幌馬車を連れていない。山道は細くて険しく、馬車で上るのは難しい。そもそも代官の目を欺くために使った迂回路も、とても馬車を使うことは出来なさそうな道だった。


 そういう険しい道を行くというのは、事前に雑貨屋で教えてもらっていた。それでベルノルトたちは幌馬車を売却して処分していた。ただ馬車を引かせていた馬は、そのまま荷物を運ばせるために連れてきている。おかげで彼らが担ぐ背嚢は最小限で済んでいた。


「……ところでサラ。系図のほうは良いのか?」


 山道を進み、周囲に自分たち以外の人影がいないことを確認してから、ベルノルトはサラにそう尋ねた。亡命の際、父王から明かされた王家の本当の系図の存在。彼女が今こんなところにいるのは、突き詰めて言えばそれが原因だ。


 系図は、アースルガム一族が長年本拠地として使ってきた、本邸に保管されているという話だった。だがその本邸はヴェールール兵によって焼き払われ、今はもう廃墟になっているという。おまけにアーラムギールからの指示もまだ届いていない。サラとしては色々と見込み違いな状況だった。


「良い悪いで言えば、悪いわ。だけど、今更予定を変えるのも大問題でしょう?」


「その通りです」


 渋い顔をしながら、サラの言葉を力強く肯定したのはアッバスだった。彼はすでにサラがヴァンガルにいた理由が、王家の本当の系図であることを知っている。その上で、彼にとっては系図などよりもベルノルトとサラの身の安全の方が重要だった。


「ヴァンガルがあんなことになって、解放軍も混乱しているはずよ。だからもう少し様子を見るつもり。それでも進展がなければ、その時に考えるわ」


 サラは肩をすくめてそう言った。ユーヴェル商会とアーラムギールがどうなったのか、それは分からない。だがヴェールール軍がヴァンガルを攻囲した時点で、アースルガム解放軍はその指揮系統が寸断された状態なのだ。


 混乱しない方がおかしいし、また系図に関する命令は秘匿レベルが高かったはず。命令それ自体がうやむやになったかもしれないし、そうでなくとも一時的に棚上げされているのかもしれない。そう考えれば、現状で動きがない理由はひとまず説明がつく。


「サラが納得しているならそれでいい。だけど本邸は焼け落ちているんだろう? 系図も燃えてしまったんじゃないのか?」


 火酒亭で店主の話を聞いたときから気になっていたことを、ベルノルトはそう尋ねた。もちろん系図が今も存在しているのかいないのか、それをこの場ではっきりさせることはできない。


 ベルノルトもそれは分かっている。だから彼の疑問も雑談の域を出ない。しかしサラは彼が思っていた以上に確信のある声でこう答えた。


「たぶん、まだ残っているわ」


「……なんでそう思うんだ?」


「大切な書類を保管する上で、火事は当然想定しているはずよ。そう頻繁に取り出して眺めるようなものでもないのだし、むしろ簡単に見つかっては困るのだから、きっと厳重に保管されていたはずよ」


 サラはそう答えた。石棺のようなものに入れて保管されていたとすれば、例え屋敷が焼け落ちたとしても中の系図は無事だろう。表には出せない代物を、処分せずに取っておいたのだ。それくらいの備えはしていてしかるべきだろう。


 またダンジョン由来の素材の中には、高い耐火性能を誇るものもある。そういう素材を使って作られた金庫なども実際に存在しており、もともと商会を経営していたアースルガム一族なら、その手の品を手に入れるのは難しくなかったはずだ。


 それらのことを考え合わせれば、サラの言うとおり、系図が失われずに残っていたとしてもおかしくはない。むしろその可能性は高いと言うべきだろう。ただしあくまでも可能性の話であり、結局は確かめてみるまでは分からない。


「ですが、本邸に火をかけるまえに、ヴェールール兵があらかた探索したのですよね? 血眼になって探したはずです。もしかたしら、系図もその時に見つかっているのではありませんか?」


 そう言ってさらに別の可能性を指摘したのはメフライルだった。ヴェールール兵らはもともと、本邸にサラが潜伏しているかも知れないということで、そこを探索したはずだ。そうであれば、ついでに隠し財産を探す手間も含めて、念入りな探索をしただろう。その際に系図が見つかった可能性はやはり十分にある。


「見つかっていないのであれば問題はない。仮に見つかっていたとしても、現在にいたるまでマドハヴァディティアは具体的な行動を起こしていない。奴にとって有用なものではなかったのだろう、と推測できる」


 つまりどちらであっても問題はない。メフライルの疑問にアッバスはそう答えた。ただし繰り返しになるが、全ては可能性の話である。この会話も、言ってみれば暇つぶしの無駄話に過ぎない。


 これ以上話しても実りのあるモノにはならないだろう。ベルノルトはそう思い、この話題を打ち切った。それからしばらく、ベルノルトたちは他愛もない雑談をしながら荒涼とした山道を登り続けた。


 ところで山の気候は変わりやすいと言う。マデバト山がその例に当てはまるのかは分からない。少なくとも今のところは、天気が急変しそうな気配はない。だが確実に空気は変わっていた。天気のせいではない。人為的な理由のためだ。


 ベルノルトたちは少し前から雑談も止めて黙々と山道を登り続けている。何気ないふうを装ってはいるが、全員が周囲を警戒していた。徐々に張り詰めていく空気の中、アッバスがポツリとこう呟いた。


「……見られていますな」


「ああ。近づいてきたみたいだ」


 ベルノルトが少し硬い声でそう応える。周囲に人影はない。だが彼らは視線と人の気配を感じていた。それも、殺気立っているとは言わないが、少々剣呑な雰囲気だ。ベルノルトらも身構えざるを得ない。


「出迎え、でしょうか?」


「だとしたら、我々が盗賊であることも想定しているな、向こうは」


「まあ、見知らぬ人間を警戒するのは分かりますけどね。我々が盗賊ならあっちは山賊でしょうに」


 メフライルが肩をすくめてそういうと、ベルノルトは小さく吹き出した。一方で、幾分遠くなったとは言え親戚の分家筋を山賊扱いされ、サラはやや不機嫌になっている。それでも何も言わないのは、自分たちが盗賊扱いされたことも不愉快だからか。そしてベルノルトがそんなことを考えていると、ついに向こう側から接触があった。


「そこで止まれ」


 響いたのは女の声だった。険が籠もっていて、警戒していることがありありと分かる。ベルノルトらが声のした方に視線を向けると、彼らよりも三メートルほど高い位置に数人の人影が見えた。全員が弓で武装している。その内の一人は女で、先ほどの声は彼女のものだと思われた。


 女は、少女という年頃はもう終えているように見えた。今の状況のせいもあるのだろうが、目はつり上がっていて表情はかなりきつめの印象を受ける。ただ容貌は整っているように思えた。


「まさか迷い込んだわけではないだろう。何の用でここまで来た?」


 鋭い視線でベルノルトらを見下ろしながら、女がそう詰問した。彼女と一緒にいる男達は、すでに弓の弦に矢をあてがっている。アッバスがチラリと周囲に視線を向ければ、もはや隠すつもりもないのだろう、岩陰などに人の姿があった。まず間違いなく彼らも女の仲間であろう。


「……火酒亭の店主殿から紹介状をもらいました。そちらの頭に会わせてもらえませんか?」


 メフライルが進み出て、女にそう答える。すると彼女は怪訝そうな顔をして、「火酒亭の……?」と小さな声で呟く。そして少し考え込んでから、彼女はさらにこう尋ねた。


「……お前たちは、新入りなのか?」


 新入りというのは、恐らく「アースルガム解放軍の新入り」という意味であろう。ベルノルトはそう思ったし、メフライルもそう解釈したらしい。彼はこう答えた。


「どちらかというと、出資者側です」


「出資者? ……出資者側の人間が、なぜこんなところにいる?」


「その辺りの事も含めてお話ししたいのです。そちらの頭に会わせてもらえませんか?」


 メフライルが柔らかい笑みを浮かべて女にそう告げる。敵意を感じさせないその笑みに、しかし女は胡散臭さそうな表情を返した。ただ最初に比べ、警戒の度合いは下がっているように見える。女と一緒にいる男たちも、不審者と思っていた四人が出資者側の人間と聞いて困惑気味の様子だった。


「……お前たちが出資者側の人間であることを、証明できるのか?」


「そちらも紹介状があります」


 メフライルがはっきりとそう答えると、女は難しそうな顔をした。出資者側の人間ということは、つまりヴァンガルの大使館の人間か、あるいはヘラベートの総領事館の人間か。いずれにしてもイスパルタ朝の人間であることに間違いはない。


 ただし、それは本当のことを言っていればの話だ。現状、彼女から見た場合にベルノルトら四人が得体の知れない不審者であることに変わりはない。紹介状があるとは言っているが、本当にそうなのかさえ分からないのだ。


 だが本当だった場合、出資者側の人間を追い返したとなれば、今後どんな不利益を被ることになるのか分からない。最悪、アースルガム解放軍は見捨てられてしまうかも知れないのだ。またこの四人が重要な案件のために来ている可能性もある。それで彼女はしばし考え込み、自分では判断できないと思ったのだろう、こう答えた。


「……良いだろう、連れて行ってやる」


「お嬢……!」


 一緒にいた男の一人が、少し驚いた様子で女の顔を見る。「お嬢」ということは、この女の、少なくとも親にあたる人物は、彼らの中でそれなりに影響力のある立場にいるのだろう。ベルノルトはそう思った。


「お嬢はよせ。……ただし、武器はこちらで預からせてもらう。身柄の拘束まではしないのは、こちらの誠意だと思ってもらいたい」


 女は一度仲間の男に少し嫌そうな顔を向け、それからベルノルトらの方にまた鋭い視線を向けてそう告げる。メフライルはすぐには答えなかった。武器を取り上げられては、いざという時に抵抗できない。


 メフライルはやや不満げに女を見上げる。だが彼を真っ直ぐに見下ろす女の鋭い視線には、これ以上の譲歩はしないという固い意思が込められていた。二人の視線がわずかにこすれる。先に引き下がったのはメフライルのほうだった。


「……分かりました。お願いします」


「うむ。……おい、武器を預かれ」


 一つ頷いてから、女がそう指示を出す。すると周囲から別の男たちが出てきて、ベルノルトらを取り囲んだ。アッバスがやや険しい顔をする。ベルノルトは彼を宥めるように軽く肩をすくめると、率先して腰間の剣を男たちに渡した。


「よし。……なに、心配するな。護衛はこちらで引き受ける」


 ベルノルトたちの武装解除が済むと、高い位置にいた女たちが降りてきて、含み笑いの混じる声でそう言った。女に指示されて、男たちがベルノルトたちを囲むように配置につく。その動きは、洗練されているとは言いがたいものだったが、しかし十分な慣れを感じさせるものだった。


 加えて、男たちはそれぞれ武器を持っている。一方のベルノルトたちは当然ながら丸腰だ。女は「護衛」と言ったが、実態は護送、もしくは連行である。襲われたらタダでは済まないだろう。


 とはいえベルノルトはそれほど危機感を覚えているわけではなかった。こうして武器を取り上げたのだから、彼らはそれ以上のことをするつもりはないだろう。約束通り、少なくとも一番近くの拠点までは連れて行ってくれるはずだ。そして紹介状を見てあれこれと判断できる者に会わせてくれるだろう。


(それに……)


 それに、荷物を検められなかったもの幸運だ。ベルノルトはそう思った。実は彼の荷物の中には、彼の身分を保証するモノが入っている。つまり彼がイスパルタ朝の第一王子であることを保証する物品だ。


 これを荷物に入れて持って行くのか、それともメフライルの収納魔法にしまっておくのか。実は少なからず論争になった。だが最終的にはこうして荷物に入れていくことになった。万が一の場合、これがベルノルトの最後の命綱になるからだ。死ぬよりは捕まった方がまし、という状況も想定していたわけである。


 幸いにして、そのような状況に陥ることなく、ベルノルトらはここまで来た。そして実のところ、今後の状況次第では、マデバト山にいるアースルガム解放軍に、ベルノルトは自分の身分を明かすことも考えていた。


 ただもちろん、今すぐにではない。最低限、味方として信用できると判断してからだ。だからこそ証の品を今見られるのは不味かった。それを回避できたのだから、御の字と言えるだろう。


 さてベルノルトがそんなことを考えている内に、男たちは配置に付き終わった。女がそれを確認して一つ頷く。そして「では行くぞ」と言って歩き始める。三歩ほど歩いたところで彼女はふと振り返り、こう言った。


「そうだ、そこの金髪」


 女がメフライルに鋭い視線を向ける。その視線にはわずかに敵意が浮かんでいる。さっきまでは、警戒はしていても敵意はなかった。「一体なぜ?」と疑問を覚えつつ、ひとまずメフライルはその敵意を受け流すように微笑み、こう応えた。


「なんでしょうか?」


「我々は山賊ではない。山守衆だ。覚えておけ」


 女はそういうと、返事を待たずにさっさと身を翻して歩みを再開した。ベルノルトたちもそれに続く。彼の顔には苦笑が浮かんでいた。メフライルも肩をすくめて苦笑を浮かべている。見れば周囲を囲む男たちも、ニヤニヤとどこか楽しげに笑っている。


 少しだけ、空気が緩んだ。



サラ(荷物を調べられなくて助かったわ……。カツラが見つかったら女装癖があると思われちゃう)

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[一言] カツラが見つかったらハゲ疑惑のピンチだったな!
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