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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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コルカタの街3


『マドハヴァディティアは今回の遠征でお気に入りのナレイン王子に武功を立てさせ、その功績を持って彼を王太子にしようとしている』


 上記のような噂を流してクリシュナにマドハヴァディティアへの不信感を抱かせ、最終的には本国で謀反を起こさせる。ベルノルトのその策略を聞き、アッバスは舌を巻く思いだった。


 クリシュナはマドハヴァディティアから留守居役を任され、現在ヴェールール本国を仕切っている。マドハヴァディティアはまだ後継者を正式に決めていないから、今回のことでクリシュナは自分がその有力候補に躍り出たことを自認、もしくは自負しているだろう。


 だが彼は父王の後継者の最有力候補でも、唯一の候補でもない。並び立つ存在としてナレインがいる。父王が遠征に同伴したこの腹違いの弟のことを、彼もまた意識しているに違いない。少なくとも無視はできないはずだ。


 そこへ、上記のような噂が流れてくる。クリシュナはその噂を「くだらない」と一蹴できるだろうか。アッバスにはそうは思えなかった。クリシュナ自身、似たようなことは頭の片隅に浮かんでいるはず。噂はそれを補強することになるだろう。


 掴みかけた至高の玉座を受け継ぐ権利が、しかし手のひらをすり抜けようとしている。それを何とも思わない者はいないだろう。しかもクリシュナからしてみれば、ナレインは何もかも自分には及ばない、父王に気に入られただけの異母弟だ。自分の方が後継者に相応しい、という想いは当然あるだろう。


 だが留守居役の功績と戦場での功績を比べた場合、後者の方が輝かしく見えるのは事実だ。さらに前者は基本的に減点方式で評価されるが、後者は加点方式で評価される。つまり極端なことを言えば、クリシュナは一度の失敗で評価を下げられるのに対し、ナレインは戦えば戦っただけ評価が上がる。


 しかもマドハヴァディティアの庇護下に居ながらにして、だ。ともすれば後ろで見ていただけの戦いでも、ナレインの功績になるかも知れない。マドハヴァディティアが彼に武功を積ませようとしているのであれば、十分にあり得る話だ。クリシュナからしてみれば「ふざけるな」と言いたくなるほどに分の悪い話だろう。


 このままでは後継者争いに負ける。そう思ったクリシュナはどうするだろうか。ナレインを亡き者にできれば、最大のライバルを排除できる。だがそれで確実に王太子になれるわけではない。別のライバルが出現するかも知れないし、何よりナレインは遠くヴァンガルにいる。暗殺するのも一苦労だ。


 となれば、より確実な手段として謀反は現実味を増す。何と言っても、現在ヴェールール国内で最大の力を持っているのはクリシュナなのだ。今なら一万の戦力もある。これは百国連合域内においては十分大軍だ。


 さらにもう少しすればイスパルタ軍も動くだろう。そうなれば、マドハヴァディティアもそう簡単には本国へ引き返して謀反を鎮圧することはできなくなる……。


 クリシュナがそう考えてもおかしくはない。アッバスはそう思った。もちろん、考えることと実行に移すこととには大きな差がある。クリシュナも噂だけを理由に謀反を起こしたりはしないだろ。


 だがもしも現時点で謀反を起こす否か、クリシュナが迷っているとしたら、噂でその背中を押すことができるかもしれない。そう上手くはいかずとも、彼がマドハヴァディティアに不信感を持つようになれば、それはそれで意味がある。


「なるほど……。しかしどうやって噂を流しますか?」


「そこはカービアに頼むしかないな」


 ベルノルトは肩をすくめながらアッバスにそう答えた。現状、ベルノルトらに広範に噂をばらまくだけの組織力はない。だがアースルガム解放軍ならば可能だろう。ベルノルトはカービアを通じてこの件を解放軍に頼めば良いと考えていた。


 というより、現状では解放軍を頼る以外に手はない。問題はカービアとハートラス商会にそこまでの力があるのか、という点だ。これがファラフ商会からの通達なら、解放軍は粛々と動くだろう。そういう命令系統ができあがっているからだ。だが始点がハートラス商会では、どこまで動いてくれるかは分からない。


「まあ、できるかぎりでいいさ。それに噂だ。信憑性があると思われれば、勝手に広がるんじゃないかな」


 ベルノルトは気楽な調子でそう言った。ただの思いつきだ。本気で謀略を仕掛けようとしているわけではない。また勝手に広がらない、つまり世の人々が「あり得る」と思わないような噂なら、そもそも大きな成果は期待できないだろう。


 その後、四人はさらに話し合いを行い、結論として「やってみよう」という話になった。ダメでもともと。マドハヴァディティアとクリシュナの間を多少なりともギクシャクさせることができれば御の字、というわけだ。


 そして翌日、ベルノルトたちは再びハートラス商会を訪れた。アッバスとサラが頼んでおいた荷物を確認している間に、ベルノルトとメフライルが商会長室でカービアと向かい合う。そして噂を流す件を彼に頼んだ。


「噂、ですか……。できないことはありませんが、ただ……」


 カービアが言いにくそうにしながら口ごもる。どの程度まで解放軍が動いてくれるのか。彼自身、それは見通せなかった。だから安請け合いはできない。噂とは言え、マドハヴァディティアとヴェールールを攻撃するのだから、なおさらだ。


 メフライルは笑みを浮かべてそんなカービアを宥めた。そして目に見える成果がでなくても構わないことを伝え、その上でカービアにできる範囲で協力して欲しいと依頼する。すると彼は明らかにホッとした様子を見せた。


「そう言うことでしたら、やりましょう」


 そう言ってカービアはニヤリと笑った。ハートラス商会にはアースルガムにゆかりのある者が多い。カービア自身もその一人だ。だからこそ解放軍に加わっている。そして解放軍の一員として、マドハヴァディティアとヴェールールに嫌がらせができるというのなら、躊躇う理由はなかった。


「ありがとうございます。なるべくクリシュナの耳に入るようにお願いしますね」


 メフライルはそう言って、懐から大粒のサファイアを取り出し、テーブルの上に置いた。それを見てカービアが目を見開く。ぱっと見ただけでも最高級品。それも豪邸が建つレベルだ。それもそのはず。万が一の時のための軍資金として、大使館に保管されていた一品である。


「人を使うとなれば、先立つものが必要でしょう。どうぞお使い下さい」


 メフライルに促され、カービアは意を決した表情でそのサファイアを受け取った。この青い宝石を換金すれば、十分な軍資金が手に入るだろう。百国連合域内でクリシュナの耳に入るよう、噂をばらまくことも可能だ。カービアは早速、その算段を頭の中で始めた。


 噂の件を頼み終えると、メフライルがカービアから金を受け取る。宝飾品の買い取り額から、物資の代金を差し引いた分だ。ベルノルトがそれを片付けると、三人は建物の外へ出てアッバスとサラのところへ合流する。二人は馬車の傍に立っていた。


「良い馬だし、良い馬車だ。他の荷物も問題ない」


 栗毛の馬の首筋を撫でながら、アッバスが上機嫌にそう言って笑う。馬はいわゆる農耕馬で、ベルノルトの知る軍馬よりも体躯が大きい。全体的にずんぐりしている印象だ。足は遅いが力が強く、馬車を引きながらでも長距離を良く歩く。


 馬車は注文通り幌付きで、これで雨を防げるだろう。野宿もずいぶんとしやすくなるに違いない。頼んでおいた荷物は全て荷台に載せられている。もともとの荷物も合わせて荷台が狭くなってしまっているように思えたが、御者台も含めれば四人問題なく乗れるだろう。


「カービア商会長、ありがとうございました」


 ベルノルトとサラが荷台に乗り込み、アッバスが御者台に座って手綱を握る。それを見てから、メフライルはカービアに右手を差し出した。カービアがその手を握り、二人は固く握手を交わす。


「良い取引ができました。また何かありましたら、どうぞ当商会にご用命を」


「ええ。機会がありましたら、また」


 そう言葉を交わしてから、メフライルは馬車の御者台のアッバスの隣に座った。そして馬車の上から一礼する。カービアがそれに応えるのを見てから、アッバスは馬を歩かせ始めた。


 ベルノルトたちは途中屋台で昼食分の食事を買い、そのままコルカタの街を出た。そして予定通り西へ向かう。しばらく進むと、石畳の敷かれた道が途切れて地面が剥き出しになる。周囲に人の姿がなくなると、やおらベルノルトがサラにこう尋ねた。


「最後に確認しておくけど、サラ、本当にアースルガムへ向かって良いんだな?」


「……ええ、良いわ。アースルガムの分家を頼りましょう」


 覚悟を決めた表情でサラはそう答えた。



 ○●○●○●○●



 遊牧民とは、読んで字の如く、遊牧を行う民である。基本的に彼らは羊と馬を飼っており、その家畜に与える牧草や水を求めて大草原を移動する生活を営んでいる。


 遊牧民にとって牧草は家畜を養うためにどうしても必要なものであり、そして家畜を養えるか否かは彼らの生活に直結する。要するに遊牧民にとって牧草は、資源であり財産なのだ。


 だが牧草は常に十分な量があるわけではない。また場所によって偏りもある。そうであるから、時と場合によっては遊牧民の間で牧草地を巡る争いが勃発する。そして争いに敗れた側は、当然ながら優良な牧草地を追われることになる。


 遊牧民の部族の一つ、アースルガム族もそのようにして牧草地を追われた一族だった。争いに敗れた彼らは、山すその僻地に追い込まれた。そこには十分な牧草はなく、アースルガム族は存亡の危機に追い込まれた。


 当時の族長は、まず当面の食料を確保することにした。幸いと言うべきか、アースルガム族が追い込まれた牧草地から少し南下すると、そこには農耕民の街があった。その街で養いきれない羊と馬を売り、麦などの穀物や豆を買うことにしたのである。


 さらに二つ目の幸運として、その年の農作物は豊作だった。食料は値下がりしており、そのおかげでアースルガム族は十分以上の食料を得ることができた。そして彼らはその余剰分を他の遊牧民に売ることにした。


 売るとは言っても、実際には羊毛などとの物々交換が主流である。そうやって手に入れた羊毛などは、また農耕民の街で換金され、そのお金でアースルガム族はまた食料を買った。そしてその食料はまた物々交換に使われ、こうしてモノの流れができあがった。


 つまりアースルガム族は農耕民と遊牧民の間での交易に活路を見いだしたのである。もちろん、最初からそのつもりではなかっただろう。だが結果的に、彼らはそれで十分食べていけることを知った。


 遊牧民というのは、好きこのんで遊牧生活をしているわけではない。彼らは牧草を求めて移動しなければならないのだ。言い方を変えれば、彼らは定住しないのではなく、定住できないのだ。


 アースルガム族もそうだった。しかし交易による収入を手にしたことで、彼らはことさら遊牧生活を営む必要がなくなった。羊や馬を飼わなくなったわけではない。ただ彼らは山すその牧草地に定住するようになり、徐々に交易による収入を増やしていった。


 さて、あるとき族長の家に男の双子が生まれた。この時点でアースルガム族はそれなりに豊かになっており、つまりそれだけ族長の力は強くなっていた。こうなると避けては通れないのが後継者問題である。


 双子が成長するにつれ、部族内の緊張は徐々に高まっていった。父親である族長が健在だったので対立が表面化することはなかったが、しかし人間には寿命がある。どちらを後継者とするのかはアースルガム族として避けては通れない問題であり、同時に容易に結論の出ない問題だった。


 この問題は、しかし穏便に決着がついた。兄弟で話し合った結果、弟のほうが部族の居留地を離れて農耕民の街に移り住むことにしたのだ。後継者問題でアースルガム族の中に分断を生まないためであり、同時に今後交易を円滑に行うためにも、農耕民の街の方にも出先機関のようなものを作っておいた方が良いだろうと考えてのことだった。


 農耕民の街に移り住んだ弟は、父や兄が持たせてくれた資金を元手に商会を開いた。その後、アースルガム族はその商会に羊毛などの交易品を持ち込み、また穀物などの品を仕入れて持ち帰った。


 さらにその後、弟の方は街で妻を娶り、街に根を張って生きた。彼は懸命に働いたし、妻の実家の協力もあって、彼の開いたアースルガム商会は一角の規模へと成長した。取引の規模は徐々に大きくなり、それに伴って手を伸ばす範囲も広くなっていく。アースルガム族の方もその恩恵を受けた。


 アースルガム商会の強みは、何と言っても遊牧民との太いパイプだ。特にアースルガム族との取引は独占状態で、この商会に大きな利益をもたらしていた。一方でアースルガム族からすると、この商会との関係は交易を円滑に行うために重要だ。何しろ、交易が上手く行かなくなれば、アースルガム族は富どころか命を失いかねない。それで両者は頻繁に婿や嫁を出し合って関係の維持に努めた。


 さて、この程度ならアースルガム商会は「辺境のちょっと大きな商会」で終わっていただろう。だが西方情勢と遊牧民とのパイプが、この商会の経営者一族を地元の有力豪族へと引き上げていく。


 西方では小国の勃興が激しかった、という話は以前にした。つまりあちこちで戦争が起こっていたのだ。そしてアースルガム商会はある時期から商品として傭兵を扱うようになった。すなわち遊牧民の騎兵である。


 需要と供給なら、需要が先だった。つまりある勢力が戦力確保のためにアースルガム商会を頼ったのだ。商会はその話をアースルガム族へ持ち込み、彼らが中心になって各部族から騎兵を集めた。そしてこれがモデルケースとなり、アースルガム商会は傭兵の斡旋を行うようになったのである。


 アースルガム商会は情報を集めて情勢を見極め、勝てると思った方に傭兵を斡旋した。そうやって勝ち馬に乗り続けるうちに、事業は徐々に拡大していった。そうしている内に、集める傭兵は遊牧民だけではなくなっていた。商会は独自に傭兵を集めるようになり、それによって富と戦力の両方を持つようになったのである。


 商会の経営者一族、すなわちアースルガム一族はその地方において大きな力を持つようになった。この時点で遊牧民のアースルガム族とアースルガム一族の力関係はおおよそ逆転している。ただ生活圏が区別されていることや、相互利益の関係が大きく変わらなかったことで、両者は変わらず付き合いを続けることができていた。


 アースルガム一族と遊牧民のアースルガム族の関係は、前者が国を建ててからも続いた。ではサラの言う「アースルガムの分家」とは、遊牧民のアースルガム族の事なのかというと、実は違う。


 アースルガムの分家について説明するには、まずアースルガム族がその裾野に暮らす山、マデバト山について語らなければならない。この山は緑の少ない荒れた岩山で、そのため好んで近づく者はあまりいなかった。


 このマデバト山で、あるときスタンピードが起こった。人知れずにダンジョンが生まれ、放置されてしまった結果モンスターがあふれ出したのだ。このスタンピードを中心となって鎮めたのがアースルガム一族であり、この件を契機として彼らは一目置かれるようになった。


 さて、スタンピードは鎮めた。だがダンジョンを放っておけば、またスタンピードが起こる。そしてスタンピードが続けば、マデバト山はいずれ「魔の山」と呼ばれるようになるだろう。そうなれば遊牧民との交易に支障が出るのは明白で、アースルガム一族もアースルガム族も、そんなことは望んでいなかった。


 その一方で、ダンジョンは攻略することでそこから魔石などの資源を得ることができる。それで、スタンピードの抑制と資源の確保のために、継続的なダンジョン攻略が行われるようになった。


 その中心人物となったのが、当時のアースルガム一族の当主の異母弟だった。以降、彼とその子供たちをまとめ役にしてダンジョン攻略が行われ、またコミュニティーが形成された。これがいわゆる、「アースルガムの分家」である。


 分家はダンジョン攻略を行い、本家はそれを支援する。アースルガムの本家と分家の関係は、おおよそそのようなものだった。また本家は拡大志向だったが、分家はあくまでダンジョン攻略に注力した。要するに、分家にとってはダンジョンこそが利権だった。


 それで本家のほうは権力を拡大させ、ついには国を興すに至ったが、分家はダンジョンのあるマデバト山に留まった。そのおかげでアースルガムがマドハヴァディティアに滅ぼされた時にも、分家のほうはその影響を免れた。


 この分家は、言うまでもなくアースルガム解放軍の一員である。ダンジョン攻略による収入で、資金源の一つになっているという。つまり解放軍内部における影響力は大きい。それもまたサラが分家を頼ろうと考えた理由の一つだった。


 分家に対し、サラとして振る舞うのか、それともユラとして振る舞うのか、彼女はまだ決めかねている。だがもしもサラとして振る舞うのであれば、その時にはただ逃げたり潜伏したりすること以上の目的のために、解放軍の力を借りることになるのだろう。彼女はそう直感していた。


カービア「レジスタンスの戦い方を見せてやる!」

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― 新着の感想 ―
[一言] マドハヴァディティアの元まで噂が流れれば、悠長に戦争してる余裕もなくなるかもしれないですね。
[気になる点] ここまで描かれてきた、身内も利用して警戒するマドハバディティアの人柄を見ると、身内のクーデターを想定してないとは思えないんだよな。 早期にかたをつけれられると見込んでいるのやら、はたま…
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