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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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謀反


 ミールワイスは百国連合に通じた。当然その後、彼はマドハヴァディティアの意を受けながら動くことになる。ただ彼はもともとイスパルタ朝に批判的な立場を取ることが多く、そのため周囲の人々は彼の言動を特別不審には思わなかった。


 特にフサイン三世などは、彼の「イスパルタ朝の介入を極力許さない姿勢」にいたく感じ入ったらしく、ますます彼の意見を重んじるようになった。それは枢密院における彼の発言力が増したことを意味している。彼としては苦笑を禁じ得なかった。


『まあ、いい。せいぜい楽しく踊らせてやろう』


 ミールワイスは嘲笑を滲ませながらそう呟いた。フサイン三世は自分が偉大な法王であることを疑っていない。「貴方がこの国の独立を守るのだ」と言ってその自尊心をくすぐれば、彼を踊らせるのは難しくなかった。


 そしてそうこうしている内に、マドハヴァディティアがヴェールール軍三万を率いてルルグンス法国へ侵攻を始めた。これにどう対処するかが話し合われた枢密院の会議で、ブルハーヌは残存戦力を結集して法都ヴァンガルを脱出し、イスパルタ朝へ逃れることを提案。それを聞くと、フサイン三世は猛烈に怒った。


『ブルハーヌ! 貴様、余に国を捨てて亡国の王となれと言うのか!?』


『一時のことにございます! イスパルタ朝から兵をお借りなさいませ。さすればヴェールール軍ごとき、たちまち追い払うことができましょう!』


『黙れっ! それでこの国に何が残る!? ヴェールール軍を追い払ったとして、イスパルタ軍がその代わりになるだけではないか! 違うか、ブルハーヌ!?』


 フサイン三世は唾を飛ばして立ち上がり、指をブルハーヌに突きつけて彼を詰問する。ブルハーヌは動揺した。フサイン三世はイスパルタ朝を疑っているのか。この難局にあって、それは危険だ。


『イ、イスパルタ朝は我が国の伝統的な友好国ですぞ。それを疑うとおっしゃるのですか……!?』


『イスパルタ朝が重要な同盟国であることは認める。百国連合などより、はるかに信用できることもな』


『であれば……!』


『だがイスパルタ軍の力で国を回復したとなれば、我が法国はイスパルタ朝の属国になるであろうよ。その先に待っているのは実質的な併合だ! 余は法王としてこの国の独立を守らねばならぬのだ!』


 立ち上がったまま、フサイン三世は高らかにそう謳った。確かに、イスパルタ朝の力ばかりをアテにしていては、その影響力は強まるばかりだ。ブルハーヌとしてもその点は認めざるを得ない。彼が黙り込んだのを見て、フサイン三世はさらにこう演説を続けた。


『徹底抗戦だ! 敵はたった三万というではないか。それでこのヴァンガルを落とせるものか。マドハヴァディティアに目にもの見せてくれるわ。そもそも敵を自力で退けてこそ、イスパルタ朝とも対等な同盟関係を築けるのだ。そうではないか、ミールワイス?』


『まさしくその通りにございます、猊下』


 ミールワイスはそう答えて恭しく一礼した。それを見てフサイン三世は満足げに頷く。ブルハーヌは食い下がったが、ミールワイスは彼を冷ややかに見据えてさらにこう言った。


『不敬ではありませんか、ブルハーヌ卿。そもそも枢密院は補弼機関です。法王猊下がこうと決められたならば、それを支えるのが我ら枢機卿の役割であるはず。なにゆえ卿はそれを忘れて我を通そうとされるのか?』


 淡々としたその言葉が、ブルハーヌの反論を封じた。フサイン三世は大きく頷いている。そして結局、フサイン三世が主張したとおり、城壁を頼りに徹底抗戦し、敵を撃退することが定められた。ミールワイスもそれらしい演説はしたが、結論はその前から出ていた。


 会議が終わり、ミールワイスは人気のない廊下を歩いていた。彼は堪えきれずにほくそ笑んだ頬をツルリとなでる。この会議で、彼はイスパルタ軍の介入を遅らせねばならなかった。正直、骨の折れる仕事になると思っていたのだが、ただ一言同意するだけで終わってしまった。


 それもこれも、全てフサイン三世のおかげである。なんと馬鹿馬鹿しいことか、とミールワイスは失笑を禁じ得ない。フサイン三世は自らの死刑執行書にサインしたようなものだ。ミールワイスは肩をすくめてもう一度嗤った。


(それにしても……)


 それにしても、物事が順調に進んでいる。まるで何かに導かれているかのようだ。時勢を得るというのは、あるいはこういうことなのかも知れない。ミールワイスはそう思った。そうであるなら、計画は上手く行くだろう。彼はその自信を深めた。


 そしてついに、ヴェールール軍がヴァンガルに肉薄した。ミールワイスの役目は、彼らのために内側からいずれかの城門を開けること。子飼いの戦力はいつでも自由に動かせる。ただどのタイミングで事を起こすべきかは、ラーヒズヤとも何ら話し合っていない。ヴェールール軍の動きを見つつ、呼吸を合わせる必要がある。


 最初の三日間、ヴェールール軍はひたすら正門を攻め続けた。ただ一カ所のみを攻めるので、ルルグンス軍もまた正門に戦力を集中させてこれを防いだ。味方が何度も敵を退けるので、たいそうご機嫌だった。


『マドハヴァディティアめ、口ほどにもない!』


 フサイン三世はまるでもう勝ったかのように喜んでいた。籠城戦が辛くなるのは本来これからなのだが、彼はそんなことも分からないらしい。ミールワイスはそんな彼を適当におだてつつ、ヴェールール軍の動きに細心の注意を払う。そして運命の夜が来た。


 ヴェールール軍がヴァンガルに迫ってから三日目の夜半過ぎ。その夜すでに休んでいたミールワイスは、屋敷の寝室のドアをけたたましくノックする音に起こされた。そしてヴェールール軍が西門へ兵を差し向けたことを知らされた。


「正門はどうだ?」


「攻撃は受けていませんが、敵兵は戦闘隊形を取っています」


「我が軍の動きは?」


「正門から兵を割いて、西門の防衛に当たらせています」


 その報告を聞き、ミールワイスは忙しく頭を働かせた。そして急報を持ってきた兵士にこう命じる。


「……これまでの戦闘は全て陽動であったわけだ。我々の注意を正門に引きつけ、その隙をついて西門を攻略するのが敵の戦略だろう。つまり西へ回ったのが敵の主力だ。北門と東門の戦力を全て西へ回せ。西門を破らせるな!」


 ミールワイスが激しい口調でそう命じると、伝令兵は「りょ、了解です!」と言ってまた走り去った。その背中を見送ると、彼は部屋の扉を閉じて手早く着替え始める。今夜、歴史が動く。その予感があった。


 ヴェールール軍が動いた。伝令兵にああ言ったが、実際には南に残った兵も西へ回った兵も、どちらも陽動だろうとミールワイスは思っていた。そして新たに攻める西が陽動であるなら、本命は東だ。


 前述した通り、ヴェールール軍との間で「いついつに事を起こすべし」ということは決められていない。だがマドハヴァディティアがそのつもりでいるのにミールワイスが動かなければ、彼はそれを不満に思い不審を覚えるだろう。そうなればいざという時に敵と見なされてしまうかも知れない。


(急がねばならんな……)


 ミールワイスが着替えを終えて部屋から出ると、廊下にはすでに子飼いの部隊の隊長が来ていた。ミールワイスは彼にこう命じた。


「東門を開けろ。それからラーヒズヤ卿に、『例の件、よろしく』と伝えてくれ」


「はっ。枢機卿はいかがなさいますか?」


「大聖堂を押さえる」


 そうは言ったものの、ミールワイスはすぐに動いたわけではなかった。隊長を送り出してから、応接室のソファーに座ってしばし目を閉じる。ジリジリと焦りが募り、今すぐにでも大聖堂へ向かいたかったが、それでも彼は自分を押さえつけた。そして待ちに待った知らせが来る。


「ヴェールール軍が市内に入りました」


 耳元で囁かれたその声に、ミールワイスは大きく頷いた。彼はゆっくりと立ち上がると、応接室を出て屋敷の中で待機させていた、子飼いの兵士たちを集めた。彼は東門へは向かわなかった者たちである。ミールワイスは彼らにこう告げた。


「これより大聖堂へ向かう。各自、手筈通りに動け」


 ミールワイスは兵を引き連れて屋敷を出た。ヴァンガル市内ではすでに混乱が広がり始めているようで、遠くの喧騒が彼の耳にも届いた。ヴェールール軍全軍が突入してくるのも時間の問題だろう。そう思い、彼は大聖堂へ急いだ。


 ヴェールール軍がヴァンガルに侵入したという報せは、すでに大聖堂にも届いていた。そのせいで大聖堂の中では絶えず怒号が響き渡り、人々が騒がしく動き回っている。ただそれはこの緊急事態に対処しようとしてのことではなく、ただ単に混乱して逃げ惑っているだけのようだった。


「法王猊下は、猊下のご家族はどこにいられる!?」


 右往左往する者たちを何人かつかまえては、ミールワイスはそう尋ねた。ただ誰も彼も答えることがバラバラで、フサイン三世がどこにいるのか判然としない。ミールワイスは不機嫌そうに舌打ちをすると、ひとまず彼の寝室へと向かう。だが寝室はすでに空で、ミールワイスは眉間にシワを寄せながら彼の居所を考えた。


(まさか、もう脱出してしまったのか……?)


 ヴェールール軍が展開したのは南と西と東。戦力不足のために北には一兵も配置されておらず、つまり北門からならヴァンガルを脱出することは可能だ。ミールワイスは一瞬、焦りを覚えた。


 だがすぐに思い直す。この混乱した状況下で、すぐさま正確な情報を集めるのは難しい。そもそもあのフサイン三世にヴァンガルを捨てる決断など下せないだろう。となれば安全そうに思えるこの大聖堂のどこかに隠れ、息を殺しているに違いない。


(まあ、脱出ルートはもう一つあるのだが……)


 それはベルノルトらが使った、ダンジョンを用いるルートである。ただフサイン三世がこのルートを使う可能性はほぼない。彼はダンジョン攻略などほとんどしたことがないからだ。であればやはり、この大聖堂のどこかにいるはずだ。


 ミールワイスは頭の中の大聖堂の図面を広げる。そして幾つか目星をつけると、子飼いの兵たちを引き連れて歩き始めた。ヴェールール軍は今どう動いているのか。確かめたかったが、そんな時間はない。彼は足早に最初の目的地へ急いだ。


 ミールワイスがフサイン三世を見つけたのは、大聖堂の奥まった場所にある小さな部屋だった。そこで彼は数名の兵士に守られながら震えていた。腕の中には、この頃寵愛を傾けている美貌の側妃がいる。二人とも寝間着姿で、どうやら同衾していたものと思われた。


(しかしなんともまあ、情けないことだ)


 フサイン三世を見つけると、その情けない姿に、ミールワイスは喜ぶよりもさきに呆れてしまった。大聖堂にダンジョンが隠されているのは、言うまでもなくこのような時のためである。つまりこの大聖堂を造らせた法王は、将来起こりえる危機を予期してその備えをしていたのだ。


 しかしそれを使ったのは、あろう事か他国の王族だった。そして肝心の法王は女に縋り付くようにして震えている。ルルグンス法国が凋落していくのも無理はないな、ミールワイスは思った。


「お、おお! ミールワイス、よくぞ来た! さあ、早く余を助けるのだ!」


 部屋に入ってきたのがミールワイスであったのを見て、フサイン三世は心底安堵した様子だった。ミールワイスはにっこりと笑みを浮かべ、慇懃に一礼する。そしてフサイン三世にこう語りかけた。


「ご安心下さい。猊下が怯えられることはもうありません」


「うむ! さあ、早く余をここから連れ出してくれ」


「……なぜなら、貴方はここで死ぬのですから」


 ミールワイスはにこやかな表情のまま、穏やかな声音でそう告げた。フサイン三世は何を言われたのか分からず、「は?」と間の抜けた声を上げる。それを合図にしたわけではなかったが、次の瞬間、ミールワイス子飼いの兵たちが部屋の中に雪崩れ込んだ。そして瞬く間にフサイン三世を守っていた兵士たちを排除し、さらに彼と側妃を引き剥がした。


「猊下っ!?」


「な、何をする!? ミールワイス、こ、これはどういうことか!?」


 側妃が悲鳴を上げ、取り押さえられたフサイン三世が困惑の声を上げる。その声には恐怖が滲んでいた。血の臭いが充満する部屋の中で、ミールワイスは酷薄な笑みを浮かべる。彼はフサイン三世を見下ろしてこう言った。


「察しの悪い方だ。つまり私は貴方を殺そうとしているのですよ」


 ミールワイスがはっきりとそう告げると、フサイン三世は震え上がって顔面を蒼白にした。彼の血の気の引いた唇がわななく。


「な、なぜ、なぜ……?」


「なぜ? 落ちぶれていくこの国と、貴方のような法王に仕えるのは、もううんざりだからですよ」


 うわごとのように「なぜ」と尋ねるフサイン三世に、ミールワイスは冷笑を浮かべながらそう言ってやった。そして絶句するフサイン三世に、彼はさらにとってつけたような理由をこう語る。


「それにあれです、猊下。女神イーシスの教えは一夫一婦制ですのに、猊下はこうして側室を囲っておられる。これは死に値する大罪ですなぁ」


「そ、側室など父上とて……!」


 フサイン三世の言い訳を、ミールワイスは剣を彼の胸に突き刺すことで遮った。側室云々など、所詮は言いがかりに過ぎない。ミールワイスがフサイン三世を殺すのは、自分が教皇となったときに彼が生きていると邪魔だからだ。


 マドハヴァディティアがフサイン三世の身柄を押さえれば、彼はこの愚鈍な法王を生かしておくだろう。それは慈悲の心からではない。教皇となったミールワイスを牽制するためだ。


 いざとなればミールワイスに代えてフサイン三世を教皇とする。それを匂わせることで、マドハヴァディティアはミールワイスの頭を抑えようとするだろう。つまりフサイン三世はそのためのカードである。


 いや、ともすればマドハヴァディティアは最初からミールワイスを切り捨てるつもりでいるのかもしれない。つまり、大衆の憎悪を裏切り者たるミールワイスに集め、彼を処断することで被征服民の感情を宥めようというわけだ。


 そして裏切られたフサイン三世を教皇に任じて恩を売り、さらに民衆を満足させて占領地の統治を安定させる。マドハヴァディティアはそのような展望を描いているのではないか。ミールワイスは疑っていた。


 そのようなこと、ミールワイスには到底受け入れられない。彼はフサイン三世を殺すしかなかった。そもそも彼が生きていれば邪魔なのは確かなのだ。元来見下して侮っていたこともあり、殺害を躊躇う理由はなかった。


「猊下ぁぁぁぁああ!」


 側室の女が兵士たちの手を振り払い、悲鳴を上げてフサイン三世に取りすがる。ミールワイスは冷酷な笑みを浮かべると、彼女の背中にも剣を突き刺した。彼女の美貌はミールワイスも惜しいと思う。だが腹に子供でも仕込まれていたらたまったものではない。殺しておくのが最も後腐れがないのだ。


「行くぞ」


 フサイン三世と側室の女を始末すると、二人の遺体にはもう興味を示さず、ミールワイスは身を翻した。最低限、現在この大聖堂にいる、法王家の血を引く者は全て殺さなければならない。代わりのカードがなくなれば、マドハヴァディティアもミールワイスを切り捨てることはできなくなるだろう。


 ミールワイスらが立ち去ると、部屋の中には死体だけが残った。フサイン三世の遺体と側室の女の遺体は折り重なるように倒れていて、さらにミールワイスの突き刺した剣が二人の遺体をまとめて貫いている。その剣はまるで二人の墓標のようだった。



ミールワイス「マドハヴァディティア、私を捨てるなんて赦さないっ」

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[良い点] ブルハーヌ卿!今こそ教皇になるチャンスですぞ!笑
[一言] 生き残れてもどうせジノーファ達が攻めてきたらグッバイですわ。
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