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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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マルセル


 時間は少し遡る。ベルノルトら五人がダンジョンの中へ進んでいったのを見送ってから、デニスは馬車で大使館へと戻った。そして彼が帰ってくるのを待ってから、今度はマルセルが動く。戦支度を調えた彼に、デニスはこう声をかけた。


「出陣ですか、隊長」


「うむ。あまり悠長にもしていられぬ」


 腕組みをしつつ、どこか満足げにマルセルはそう答えた。ベルノルトとサラはすでにダンジョンへ潜った。マドハヴァディティア率いるヴェールール軍の本隊が来るまでには、下層の辺りまでいけるだろう。地図がなければ捕捉は難しい。


 そうであればこそ、マルセルは後顧の憂いなく出陣することができる。いや、むしろ急がねばならない。あと二日もすれば、ヴェールール軍がここ法都ヴァンガルに肉薄する。その後は籠城戦が展開されるだろう。


 その前に出陣し、一刻も早くこのことを総督府へ報せなければならない。どれだけ早く援軍を出すことができるのか。勝敗はそこにかかっている。ヴァンガルが健在なうちに援軍が間に合えば、総督府の戦力だけでヴェールール軍を追い払えるだろう。


 その後のことは分からない。マドハヴァディティアと講和するのか、それともイスパルタ軍本隊の到着を待って百国連合へ攻め込むのか。そのあたりのことはマルセルが考えるべき事ではない。ジノーファが判断するだろう。


 彼が考えるべきは、敷かれているであろうヴェールール軍の警戒網をいかにして突破するのか、である。方針が決まってからベルノルトらがダンジョンに潜るまで、多少時間があった。その間に方策は考えてある。後は上手く行くことを祈るばかりだ。


「ご武運を」


「なるべく急ぐつもりだ。まあ、普通に考えれば間に合うだろう。ただルルグンス軍が頼りというのは、いかにも心許ない」


 マルセルがそう言うと、デニスも苦笑を浮かべた。それから二人は握手を交わす。共に弔問団としてヴァンガルまで来た。だが事態は急変し、それぞれ自分の仕事をしようとしている。二人ともそれがなんだか少しだけおかしかった。


 デニスと分かれると、マルセルは大使館の練兵場へ向かった。決して広くはない練兵場だが、そこに五〇〇の兵が勢揃いし、彼のことを待っている。マルセルは用意された壇上に上り、そこから厳しい顔つきで兵士たちを見下ろす。それから口を開いてこう言った。


「聞け。これより我らはヴァンガルより出陣し東を、本国を目指す。総督府へ駆け込み、ヴェールール軍の襲来を報せるためだ。だが敵もそれを見越している。我らは死力を尽くし、敵の警戒網を食い千切らねばならぬ」


 マルセルはそこで一端言葉を切った。そして大音声を張り上げてこう檄を飛ばした。


「ゆえに、我らは決死隊である! 死を恐れるな! 倒れた戦友の亡骸を踏みつけて前へ進め! 例え我らがことごとく屍を曝すことになろうとも、報せることさえできれば必ずや陛下が仇を討って下さる!」


「「「おお!!」」」


 兵士たちが鬨の声を上げてマルセルに応える。マルセルは満足そうに頷いた。そして彼は出陣を命じた。


 ベルノルトのことについて、マルセルはあえて兵士たちには何も告げなかった。ただの一兵も敵の捕虜にならない、ということはあり得ない。となればそこから情報が漏れることを警戒しなければならない。


 援軍を呼ぶため、という出陣の目的はいくらでも露見して構わない。だが「ベルノルトがダンジョンを使ってヴァンガルから脱出した」というのは、決して露見するわけにはいかない。だから兵士たちには、あえてベルノルトのことは黙っていた。


 何も聞かされていないとなれば、兵士たちはきっと「ベルノルトはヴァンガルに残っている」と考えるだろう。仮に捕まって尋問されてもそう答えるはず。決死隊として命をかけさせる部下たちに隠し事をするのは、マルセルとしてもいささか心苦しい。だが必要なことだと思い、彼はそれを呑み込んだ。


「出陣する!」


「「「おお!!」」」


 兵士たちがもう一度鬨の声を上げる。イスパルタ軍五〇〇は堂々と出陣した。その中に一台の馬車が混じっている。四頭引きの立派な馬車だ。ただ中は空である。本当は影武者を乗せようかと思ったのだが、部隊の中に適当な者がいなかったので止めたのだ。


 だが敵がこれを見れば、この馬車にこそベルノルトが乗っていると思うだろう。マルセルはそれを利用するつもりだった。


 さて法都ヴァンガルを出陣して半日も経たないうちに、マルセル率いるイスパルタ軍五〇〇は敵に捕捉された。遠くにちらほらと馬を駆る者たちの姿が見える。もしかしたらヴェールール軍に雇われた遊牧民かもしれない。


 ただ捕捉されたとはいえ、すぐさま襲撃されることはなかった。イスパルタ兵はすべて職業兵だ。それが五〇〇もいるとなれば、それなりの戦力である。敵としてもこれを阻むためには相応の戦力を結集させる必要がある。それまでの間にどれだけ進めるのか。それもまた一つ鍵になるだろう。


 移動中、マルセルは何度も馬車に向かってお伺いを立てた。無論、お芝居である。だが監視している者たちは、確かにベルノルトが馬車に乗っていると勘違いするだろう。いわば、馬車を囮にするための布石だった。


 夜を徹して歩かせようかと思ったが、マルセルもそれは止めた。もとより戦わずに本国へたどり着けるとは思っていない。ならばいざという時にしっかりと戦えるようにするべきだ。


 そして出陣した次の日の昼前、ついに敵の一団がイスパルタ軍も前に現われた。その数、恐らくは一〇〇〇弱。隠しもせずにヴェールールの旗を掲げている。それを見てマルセルは手綱を握りしめた。そして短くこう命令を下した。


「手筈通りに動け」


 敵を前にして、イスパルタ軍はまず部隊を二つに別けた。前衛が三〇〇、そして馬車を守る後衛が二〇〇だ。そして南向きに敵を迂回するような進路を取る。この際、常に前衛が敵と後衛の間に入るように位置を取った。


 イスパルタ軍の動きに合わせて敵も動く。その動き方を見て、マルセルはニヤリと笑みを浮かべた。敵は明らかに後衛の頭を抑えようとしている。つまり敵は囮に食い付いたのだ。


 もっとも、懸念がないわけではない。やはりというか、敵は騎兵が多い。敵の動きは素早いものと覚悟しなければならない。一方でイスパルタ軍は歩兵が主体だ。練度で劣るつもりはない。だが敵陣の突破に成功して東へ向かっても、後ろに食い付かれるかもしれない。上手くやる必要があるだろう。


 さて両軍は間合いを計るかのように動いた。展開が早いのはヴェールール軍の方。後衛の、いや馬車の頭を抑えて東へ行かせないようにしている。だがそのせいでヴェールール軍の陣形は南北に伸びて厚みを失った。恐らくだが、彼らはベルノルトを捕らえようとして逸っている。


(もう少し、もう少しだ……!)


 一度突撃を命じれば後へは引けない。マルセルはジリジリとタイミングを計りながら、突撃を命じる機会を窺った。そして敵軍の最後尾を認めると、彼は剣を抜いてその切っ先を敵に向けた。


「突撃!」


 イスパルタ軍は急激に進路を変えた。それまでは南東寄りに動いていたのに、突然北東方向へ動き始めたのだ。狙いは敵の最後尾である。前衛が猛然と動き、後衛がその後を追う。当然、馬車もその進路を変えた。


 イスパルタ軍は最初からそのつもりだったので、その動きは滑らかだった。だがヴェールール軍は不意を突かれた。個々の兵士は身体の向きを変えればそれで済む。だが隊列の向きを変えるのはそう簡単ではない。そして隊列が整わねば、兵士たちは動揺する。


 結果、ヴェールール軍の特に最後尾の辺りは、準備が整わないままイスパルタ軍前衛の突入を許した。イスパルタ兵は皆が死に物狂いで戦う。たちまちヴェールール軍は崩れた。


 イスパルタ軍の前衛はそのままヴェールール軍を後ろから追い立てた。背後からの攻撃に、ヴェールール軍は混乱する。その様子はイスパルタ軍の頭を抑えようとしていた、ヴェールール軍の先鋒からも見えた。


 彼らは慌てて引き返した。味方を助けるためだが、同時にベルノルトを捕らえるためでもある。マドハヴァディティアは彼を捕らえた者に莫大な恩賞を約束していた。欲心を刺激された者たちが、「大魚を逃がしてなるものか」と我先に走る。そのせいで足の速い騎兵隊が先行する形になった。


「来たぞ! 攻撃開始!」


 彼らを迎え撃ったのは、イスパルタ軍の後衛部隊だった。彼らは隊列を組んで敵を出迎え、激しく弓矢を射かける。


 前述した通り、まず突っ込んできたのはヴェールール軍の騎兵隊。騎兵は的が大きい。その上、騎兵隊は遊牧民が主体で、そのため装備は軽装であり、馬も防具はつけていない。降り注ぐ弓矢を防ぐことができず、ばたばたと倒れた。


 特に馬は、矢が刺されば暴れる。そのために振り落とされた者が多数いた。また馬が暴れたり転倒したりしたことで、先行した騎兵隊は大きく混乱した。そしてその混乱を見逃さず、イスパルタ軍の後衛が突撃を敢行する。


 この動きにヴェールール軍の先鋒、特に先行していた騎兵隊は慌てた。イスパルタ軍の後衛は馬車、つまりベルノルトの護衛であり、積極的に攻撃を仕掛けて来ることはないと彼らは思っていたのだ。しかしその予想は外れた。混乱と動揺のために、彼らは戦うことができない。結局、馬首を巡らせて逃げ出した。


 騎兵隊の後ろにいるのは、ヴェールール軍先鋒の歩兵隊だ。彼らも欲心に逸って騎兵隊の後を追っていたのだが、その騎兵隊が突き崩されたのを見て、彼らは思わず足を止めた。どうするべきかと困惑が広がる中、逃げてきた騎兵隊が歩兵隊の脇をすり抜けて、さっさとその後方へ回る。


 取り残された歩兵隊は唖然とした。彼らの目には、騎兵隊が自分たちを囮にして逃げてしまったように見えたのだ。これが同じヴェールール軍の部隊であったなら少しは話が違っただろう。再編のために後方へ回った、と考えられたかもしれない。


 だが騎兵隊は主に遊牧民で構成されている。要するに傭兵であり、「いざとなれば逃げ出すだろう」という先入観があった。そして味方が逃げ出したことにより、歩兵隊の士気は著しく低下した。


 そこへ、イスパルタ軍後衛が雪崩れ込んだ。ヴェールール軍先鋒の歩兵隊は散々だった。欲心に逸ったことで隊列は崩れ、味方が逃げ出したことで士気は下がり足も止まっている。イスパルタ軍の猛攻を受け止めきれず、ズルズルと後退した。


 こうしてヴェールール軍の先鋒はいいようにあしらわれて損害を増やした。混乱する彼らの脇を、四頭立ての馬車が十数騎の騎兵に守られながら、南西方向へ猛然と駆け抜けていく。


 ヴェールール軍としては当然、ベルノルトはイスパルタ朝本国を目指すものと考えていた。しかしその一方で、それが難しいと判断した場合には、南のヘラベートへ向かうこともあり得ると予想していた。


 ヘラベートにはイスパルタ軍の部隊が駐留している。また船を使えばクルシェヒルまで戻ることも難しくないだろう。そもそも海上へ出られたら、ヴェールール軍はもう手が出せない。ヴェールール軍の目から見ても、ヘラベートへ向かうのは有効な選択肢であるように思えたのだ。


 この、南西方向へ向かう馬車の動きは、まさにそれであるように思われた。今はイスパルタ軍が優勢に戦っているが、数の上ではヴェールール軍の方が有利。時間が経てば戦況は逆転するだろう。その前に敵陣を突破し、馬車を南へ逃がす。それがイスパルタ軍の狙いであると思われた。


「逃がすな! 馬車を追え!」


 ヴェールール軍の指揮官はそう命じた。たちまち、遊牧民の騎兵隊が動いて馬車の後を追った。先鋒にいた騎兵隊だけではない。先鋒の後ろの、本陣にいた騎兵隊も動いて馬車の後を追った。


 それを見てマルセルは内心でほくそ笑んだ。釣れた、と彼は思った。ヴェールール軍は囮の馬車につられ、貴重な騎兵隊をその追跡に割いた。その意識は間違いなく南へ向いている。


 マルセルは腹心の部下に合図を送った。この部下には手紙を託してあり、そこにはベルノルトのことも説明されている。合図を受けるとこの部下は馬上で敬礼し、周囲にいた騎兵を数騎引き連れて戦列を離れた。


 彼らは前衛を目くらましにして、一旦大きく北へ迂回する。そしてそれから一気に東へ向かった。これを妨げる敵はいない。こうしてマルセルはまんまと敵の警戒網を破ったのである。


「総員、奮起せよ! 敵を蹴散らせぇぇえ!」


 腹心の部下らを送り出すと、マルセルはそれを悟らせないよう、一層激しく攻撃を仕掛けさせた。無論、ヴェールール軍も本陣を中心にして態勢を立て直し、手強く抵抗する。ただ馬車を追わせたことで騎兵の数が大きく減っており、またこれまでに受けた損害もある。両軍の戦力差は小さくなっていた。


 こうなると、やはり強いのはイスパルタ軍だった。イスパルタ軍の将兵は、全員がすでに覚悟を決めている。士気の高さは言うまでもない。また全員が職業兵であり、その練度は申し分ない。


 一方でのヴェールール軍は、依然として数の優位を保っているとは言え、旗色が良くないのは誰の目にも明らかだった。さらに馬車が逃げたことも、ヴェールール兵らは知っている。つまりここでどれだけ必死に戦っても、ベルノルトを捕まえて恩賞を得ることはできない。士気は低調だった。


 それでもヴェールール軍の指揮官は良く戦った。せっかく馬車とイスパルタ軍を切り離したのだ。再び合流させるわけにはいかない。厄介なイスパルタ軍はここで足止めしておく必要がある。


 激しい戦いは夕方まで続いた。勝利したのはイスパルタ軍。マルセルは荒い息を吐きながら、遁走するヴェールール軍を馬上から見送った。達成感はあまりない。安堵感が勝った。


「隊長、ご無事ですか!?」


 部下が駆け寄ってくる。マルセルは「大事ない」と答えたが、部下の表情は懐疑的だ。だが彼は頓着せず、「撤収する。生き残った兵をまとめろ」と命じた。


 生き残ったイスパルタ兵は、全部で二〇〇弱。単純に考えて六割以上が戦死したことになる。これを多いと見るか少ないと見るか、評価は分かれるだろう。勝つには勝った。だが生き残った者たちも、まるで敗北したかのように酷い有様だ。


 とはいえ総督府へ人を送ることはできたし、恐らくヴェールール軍はまだそのことに気付いていない。マルセルはそれで満足だった。


 部隊をまとめると、マルセルは東へ退いた。そのまま夜を徹して歩き、ついにイスパルタ朝本国へと境を越える。彼らが総督府へたどり着いたのはその五日後のことだった。マルセルは遺体になって総督府へ迎えられた。


 四日前の朝、気が付いたら息を引き取っていたという。戦で負った傷が原因と思われた。総督のロスタムが彼の遺体を検める。穏やかで、満足げな死に顔だった。ロスタムは命令を出して、彼を丁重に葬らせた。



マルセル「行って帰ってくるだけの楽な任務、のはずだったのだがな」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 間違いなく、殉国の士として戯曲とかになるエピだ。
[一言] 漫画化、アニメ化して欲しい作品… マルセル隊長〜!
[一言] マドハヴァディティアは欲張ったなぁ……ベルノルトには手を出すべきでは無かった。
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