ダンジョン攻略~下層~
人形蜘蛛を倒した後、ベルノルトたちは最初の水場で休憩して食事を取った。その際、ベルノルトは昨日約束していた、ドロップ肉のステーキを焼いた。分厚く切ったドロップ肉をしっかりと熱したフライパンに乗せ、たっぷりの溶かしバターをかけながら焼く。漂う香りに、五人は思わず生唾を呑み込んだ。
焼き上がったステーキを切り分け、フライパンから直接つつく。宮廷マナーからすればあり得ないが、ここは宮廷ではなくダンジョンの中だ。「魔境においては俗世のマナーは役に立たない」と、かつてジノーファがうそぶいたのをベルノルトは聞いたことがある。それを話すと、サラも楽しげに笑った。
「そう言えばわたしも、ダンジョン攻略をするようになってからマナーのレッスンが厳しくなったわ。がさつになると思われたのかしら」
そう言いつつ、サラは大きな口を開けてステーキにかぶりつく。その振る舞いは、淑女のマナーからは外れている。ただ美味しそうに食べてくれるので、見ている側からすると気持ちが良い。そうこうしているうちに、一枚目のステーキはあっという間になくなった。
ベルノルトは結局、全部で三枚のステーキを焼いた。サラはともかく、男連中は物足りなさそうにしていたのだが、満足するまで焼いていては時間がかかりすぎる。法都ヴァンガルが陥落すれば、マドハヴァディティアは追っ手を差し向けてくるだろう。その前にダンジョンを抜けなければならない。焦りは禁物とはいえ、あまり悠長にもしていられない。
昼食をあまり食べ過ぎないように注意しつつ、腹がこなれたところで五人は休憩を切り上げた。革袋に水を補充し、それを収納魔法に片付けてから彼らは水場を後にする。攻略の再開だ。
人形蜘蛛と戦った大広間は、中層のかなり深い位置にあった。昼食を取った水場は、そこよりさらに奥にある。つまりこの辺りはもう下層か、そうでなくとも下層の目前だ。五人は気を引き締めた。
五人は慎重に攻略を進めた。モンスターは明らかに手強くなっている。ついにはサラも腰間の剣を抜いた。瀕死のモンスターに止めをさしただけだったが、これまでにはなかったことだ。アッバスとシェマルはもちろん、ベルノルトとメフライルもこれまで以上に積極的に戦っている。
進むのを躊躇うほどではない。まだ余裕はある。ただ今相手にしているのは普通のモンスターだ。このルートを使ってダンジョンを抜けるためには、下層の大広間を通らなければならない。つまりエリアボスと戦うことになる。
下層で出現するエリアボスだ。強敵であることは間違いない。しかも厄介なのは、どんなモンスターが出現するのかは、その時になるまで分からないということだ。相性次第では厳しい戦いをすることになる。
「先行偵察、という手もあります」
アッバスがそう提案する。つまり少人数で大広間に入り、エリアボスを出現させて情報を集めてくるのだ。多少戦って手の内を暴いてくることが多いが、出現させた時点で戦わずに撤退することもある。
一度出現したエリアボスは、倒さない限りそこに居座り続ける。その特性を利用して戦うべき相手を定めてしまうのだ。それが先行偵察を行う大きな理由の一つだった。敵がどんな姿形をしているのかだけでも分かれば、ある程度の対策は立てられる。
ただデメリットもある。偵察が目的とは言え、フルメンバーには劣る戦力で大広間の中に入るのだ。万が一と言うことはあり得る。手の内を暴こうとして、逆に大怪我をしていては元も子もない。
またエリアボスの姿を確認してからすぐに撤退するとしても、人形蜘蛛のようになかなか姿を現さない場合もある。姿を隠したエリアボスに奇襲されては、少ない戦力ではひとたまりもないだろう。そうなれば、敵の情報を知ろうとして味方の戦力を失うことになる。本末転倒と言わなければなるまい。
「いや、全員で行こう。ここまで来たら、一蓮托生だ」
ベルノルトがそう言ったのも、デメリットを考慮してのことだった。それに全員と言っても五人だ。しかも収納魔法が使えるから身軽で、いざとなれば素早く撤退できるだろう。ならわざわざ戦力を分散してまで先行偵察をする必要は無い。
「いえ、一蓮托生では困ります。我らを切り捨ててでも、両殿下には本国へお戻りいただかなければならないのですから。……ですがまあ、お考えは分かりました。ただ仮眠を取ってからにいたしましょう」
「分かった」
アッバスの提案にベルノルトはそう言って頷いた。今日は人形蜘蛛との戦闘をこなした後だし、何より下層のエリアボスはこのルート上で一番の難敵だ。可能な限りコンディションを整えてから挑むのは理にかなっている。
方針は決まった。ただブルハーヌからもらった地図には、適当な位置に仮眠を取るための水場が記載されていない。それでベルノルトらはまず水場を探し回った。なければ昼食を取った水場まで戻るつもりだったが、幸いルートから少し外れた位置に水場を見つけ、彼らはそこで仮眠を取った。
仮眠を終えると、ベルノルトらは軽い食事を取った。そして身体を十分にほぐして暖めてから水場の外に出る。大広間へ向かう途中、二度ほどモンスターと遭遇したが、おかげで良い肩慣らしができた。
そしていよいよ、ベルノルトらは下層の大広間へたどり着いた。アッバスが「よろしいですかな?」と声をかけると、シェマルは気負いのない顔で、他の三人はやや強張った顔でそれぞれ一つ頷く。それから五人はアッバスを先頭にして大広間へ足を踏み入れる。すると彼らの目の前、大広間の中央でマナが集束を始めた。
「来るぞ!」
アッバスが警戒を促す声を上げる。彼らは素早くフォーメーションを組んだ。アッバスを先頭に置き、シェマルが彼をフォローできる位置に入る。ベルノルトとメフライルが左右に陣取り、サラは入り口に最も近い場所に立ち位置を定めた。
マナの集束は続いている。大広間の真ん中に浮かぶ高濃度のマナは、すでにそれ自体が異様な気配を漂わせている。やがてマナの集束は臨界を迎え、黒い光を放ちながらエリアボスが出現した。
「コォォォォォォオオ……!」
くぐもった呼気の音が大広間に響く。出現したエリアボスは、ボロボロのローブに身を包み、手には大鎌を持っている。浮遊していて、目深に被ったフードの奥では、不気味な仮面を付けたしゃれこうべが不埒な侵入者たちを睨んでいた。
「リッチか……」
シェマルが眉間にシワを寄せながらそう呟く。リッチの身なりは貧相だが、下層のエリアボスだけあって放たれるプレッシャーは強い。ベルノルトはチリチリと肌を焼かれるように感じた。大鎌の刃がヌルリと不気味な光を放った。
リッチはなかなか厄介なモンスターである。魔法が得意で、しかもどんな魔法を使ってくるのか、戦ってみるまでは分からない。また魔法防御力も高い。加えて、今回は大鎌だが何かしらの武器を持っている場合が多く、そのため物理攻撃もなかなか達者だ。その上、浮遊しているので動きが素早く、しかも足音がしない。
反面、物理防御力が低いのが弱点、と言われている。装備品で補っている場合もあるが、今回はボロボロのローブを纏っているだけなので、そういうことはないだろう。ただ、障壁などの魔法的な手段で防御力を底上げしている可能性はある。見かけだけで判断しては、痛い目にあうだろう。
いずれにしても難敵である。オークやスケルトンなど、もう少しくみしやすい相手であれば良かったのだが、もうそれを言っても仕方が無い。そして出し惜しみをできる相手でもない。初手から全力で叩く、とアッバスは決めた。
「シェマル!」
「任せろ!」
アッバスが名前を呼ぶと、シェマルが勢いよく前に出る。そして先制の雷魔法を叩き込んだ。一方のリッチは片手を大鎌から離して掲げる。次の瞬間、シェマルの放った雷が見えない壁に阻まれて散らされた。
「障壁か!」
アッバスはそう叫びつつ、剣を振りかぶってリッチに斬りかかった。シェマルの雷の威力は決して低くない。しかしリッチはそれをあっさりと防いだ。やはり魔法に関してはリッチの方が上手だ。ならば近接戦闘で、というのは理にかなっている。とはいえ、リッチも黙って踏み込ませはしない。
「コォォォォォォオオ……!」
不気味な仮面の奥でくぐもった呼気を吐きながら、リッチは身体をひねって大鎌を水平に振るった。その勢いは鋭く、アッバスは土魔法も併用しながら急制動をかける。その彼の目の前を、大鎌の刃が鉛色の軌跡を残して通り過ぎた。
大鎌の一閃をやり過ごすと、アッバスは間髪入れずに再び前に出た。彼は大柄な武人だが、その動きはベルノルトが目を見張るほど俊敏だ。ただし先ほどの急制動も併せて、身体への負担は大きい。しかし彼は気にしない。僅かに顔を歪めつつも、リッチの懐に潜り込むことを優先する。
リッチの側は、当然それを阻止しようとする。振り回した大鎌の遠心力に逆らわず、リッチはその場で一回転した。同時に大鎌の軌道を変える。リッチは大鎌を両手で持って振り上げ、アッバス目掛けて上から叩きつけた。
「くっ!」
上からの一撃を、アッバスは剣を掲げて防いだ。大鎌の刃よりは、内側に潜り込んでいる。だが一拍タイミングが間に合わなかった。上からの押さえつけるような一撃に、彼の足が止まる。筋肉どころか皮もない、骨だけの腕で繰り出されたとは思えないほど、強烈な一撃だ。
アッバスがリッチを睨む。しゃれこうべに空いた二つの眼孔の奥で、黒い光が揺れた。アッバスは咄嗟に危機感を覚え、大鎌を払いのけようとする。だがそれより早く、さらなる圧力が彼を上から押さえつけた。
「ぐぅっ……!」
アッバスがうめき声を上げる。視線だけ巡らせるが、周囲に変化はない。しかし上からの圧力は確実に増した。ということは、これは魔法だ。恐らくは念力だろう。彼はそうアタリをつけた。そう言えば先ほどの障壁も不可視だった。
「アッバス!」
アッバスの顔色が悪いのを見たのだろう。シェマルがリッチに斬りかかった。リッチは浮遊しながら音もなく動いて、剣の刃を軽やかにかわす。そして距離を取った。同時に、アッバスを押さえつけていた圧力も消える。アッバスは「ふう」と少し苦しげに息を吐いた。
剣の切っ先でリッチを牽制しながら、シェマルがアッバスの隣に立つ。彼が「大丈夫か?」と声をかけると、アッバスは無言で頷いた。それからアッバスは背後を振り返り、後ろの三人にこう注意を促す。
「あのリッチ、念力の魔法を使いますぞ。お気をつけあれ!」
「分かった!」
ベルノルトが答えるより早く、アッバスはリッチの方へ視線を向けた。そして今度はシェマルと呼吸を合わせ、二人でリッチに斬りかかる。リッチは浮遊して高度を取ったり、大鎌を振り回したりしてそれを防いだ。
「コォォォォォォオオ……!」
「ぬう!?」
リッチが片手を突き出す。その途端、アッバスの動きが鈍った。念力で押さえつけられたのだ。それを見てシェマルが踏み込む。リッチは大鎌を水平に振るった。片手であったし、鋭いわけでもない。シェマルは弾いてさらに間合いを詰められると踏んだ。しかし弾き飛ばされたのは彼の方だった。
「がっ……!?」
シェマルは壁に叩きつけられた。彼は一瞬、何が起こったのか分からなかった。しゃれこうべの暗い眼孔の奥で、リッチが笑っているように見える。それを見て、彼はおおよそのことを察した。
要するに、得物同士がぶつかる瞬間に、念力の魔法を併用したのだ。そのせいで捌けると思った攻撃を捌けなかった。それで弾き飛ばされた。壁に叩きつけられた衝撃は大きく、シェマルはまともに呼吸もできない。それでも彼は何とか口を開いた。
「アッ、バス……!」
「ぬう!」
アッバスは「分かっている」と言わんばかりに果敢に前へ出た。前衛が一枚抜けたのだ。しっかりと釘付けにしなければ、リッチが後方へ回りかねない。だがそんな彼を嘲笑うかのようにリッチがスゥゥ、と浮かび上がる。そして大広間の天井すれすれを飛んでアッバスをやり過ごし後方へ襲いかかった。
「ライル、合わせろ!」
「了解です!」
両手で大鎌を構えて突っ込んでくるリッチを見据え、ベルノルトがメフライルに指示を飛ばす。二人はタイミングを合わせて斬撃を伸ばす剣技、伸閃を放った。真っ直ぐに迫り来る二つの斬撃を、リッチは大鎌で防ぐ。
さらにそこへ、ベルノルトがもう一度伸閃を放つ。彼は両手に剣を持っていて、先ほどとは別の剣を振るったのだ。リッチはすでに防御姿勢を取っている。それで彼が放った二度目の伸閃は容易く防がれた。しかし防御したことでリッチは二拍の間を失っている。そしてアッバスにはそれで十分だった。
「おおぉぉぉおおお!」
裂帛の雄叫びを上げながら、アッバスは剣を頭上に構えて大きく跳躍し、リッチに斬りかかる。リッチは慌てて振り返り、大鎌を両手で掲げてその一撃を防ぐ。だがリッチは地に足がついていない。踏ん張れず、地面にたたき落とされた。
リッチは地面に激突はしなかった。寸前で、まるで磁石が反発するかのように弾み、それから体勢を整える。そのタイミングでベルノルトとメフライルが再び伸閃で仕掛ける。二つの斬撃は、今度はリッチを捉えた。
ただし、ダメージはそれほどでもない。伸閃の刃は魔力でできている。そしてリッチは魔法防御力が高い。そのせいで斬るのではなく叩くような形になった。
リッチが二人の方を振り返る。眼孔の奥の暗い光には怒りが浮かんでいた。リッチが放つプレッシャーを受け止め、ベルノルトとメフライルはそれぞれ得物を構える。だがリッチに斬りかかったのはアッバスだった。
アッバスはリッチに猛攻を仕掛ける。ベルノルトとメフライルは距離を取りつつ、伸閃を放ってアッバスを援護した。リッチは防戦一方で、念力の魔法を使う余裕もない。だが決定打も入らない。ベルノルトら三人も責め急ぐことはせず、現状維持を優先している。その理由はシェマルだった。
「はあぁぁぁぁあああ!」
勇ましい雄叫びを上げて、シェマルが鋭く踏み込む。彼の後ろにはサラの姿がある。彼女は、リッチが後方を狙ってきたあたりで壁際を移動し、シェマルに回復魔法をかけていたのである。ベルノルトとメフライルが伸閃を放ったのは、彼女の邪魔をさせないためという意味もあったのだ。
無事に回復したシェマルは、猛然と戦いに加わった。彼は腰の高さに剣を構え、鋭くリッチの懐に潜り込み、体当たり気味にその切っ先を突き刺す。そしてそのままリッチを壁に縫い付けた。
「コォ、ォォォォ……!」
しゃれこうべの奥の暗い光が妖しく光る。念力の魔法を直感したシェマルは、それよりも早く雷の魔法を放った。放たれた雷は、リッチを内側から焼き尽くす。ややあって眼孔の奥の光が消えた。
リッチがマナへと還っていく。誰かが「ふう」と安堵の息を吐いた。
~イスパルタ王家あるある~
王子たちは皆、愛用のフライパンを持っている。




