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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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ヴァンガル脱出


 大聖堂に隠されたダンジョンを使って法都ヴァンガルを脱出する。ベルノルトらはその準備のためにおよそ一日を要した。その時間を長いと考えるか短いと考えるかは、人それぞれだろう。少なくとも彼らには時間を無駄に使ったつもりはなかった。


『殿下。この二人をお連れください』


 マルセルはそう言って二人の武人をベルノルトに紹介した。二人は前に出て、胸に拳を当てて自己紹介をした。


『アッバスです。以後、お見知りおきを、殿下』


『シェマルです。以後、お見知りおきを、殿下』


 アッバスとシェマルと名乗った二人は、それぞれマルセル指揮下の百人隊長だという。なるほど確かに、歴戦の武人たる風格がにじみ出ていた。アッバスの方が体格が良いが、シェマルもベルノルトよりはしっかりとした体つきをしている。アッバスは三〇代半ばに、シェマルはそれより多少若いように見えた。


「攻撃魔法が使える者で、成長限界に達している者」とベルノルトは注文を付けたが、二人ともその条件はクリアしている。アッバスは土魔法を使うことができ、シェマルは雷の魔法を操るという。当然、両名とも成長限界に達していて、貴重な戦力になることは間違いない。また百人隊長としての経験や見識も、得がたい助けとなるだろう。


 マルセルから二人を紹介してもらうと、その後ベルノルトらは五人で攻略に向けた打ち合わせを行った。すでにダンジョン内の地図は、ブルハーヌから提供されている。その地図を見ながら、フォーメーションやどこで休憩するかなどを彼らは話し合った。


 そして準備を行った次の日。彼らは馬車で大聖堂へ向かった。ベルノルトが馬車の窓からヴァンガルの街の様子を窺う。近づく戦火の気配を感じてか、人々の表情はどことなく暗いように見えた。


 マドハヴァディティアがヴェールール軍を率いて近づいて来ているという情報はすでに市民の間にも広がっている。情報と共に不安も広がり、人々は落ち着かない様子だ。その一方で戦への準備も進められており、喪中の空気はもう完全に吹き飛んでいた。


 ヴァンガルの正門はまだ閉じられていない。退避する者たちもいるが、それよりは避難してくる者たちのほうが多かった。いくらヴェールール軍がヴァンガルに迫っているとはいえ、堅牢な城壁の内側のほうが安全に思えるのだろう。またヴァンガルの外では遊牧民の略奪隊が方々を荒らし回っているのも、避難者が多い理由の一つに違いない。


 ヴァンガルの街の様子を見ていると、ベルノルトの胸が罪悪感でズキリと痛んだ。ヴェールール軍の進路は変わらない。つまりヴァンガルはほぼ確実に戦場となる。彼らはそれに巻き込まれるのだ。


 フサイン三世は戦うつもりだ。「たった三万でこのヴァンガルを落とせるものか!」と息巻いているという。それも一理ある、とベルノルトは思う。ならばイスパルタ兵五〇〇も防衛線に協力するべきではなかったか。そうすれば、少なくとも住民を見捨ててヴァンガルを脱出するような真似はしなくて済む。


「殿下。ヴァンガルの住民に責任を持つべきなのは、第一に法王たるフサイン三世です。殿下が気になさる必要はありません。殿下がお考えになるべきはまずご自身の身の安全です。それが翻っては全体の状況を好転させます」


 目ざとくベルノルトの顔色をうかがい、メフライルがそう言って彼を宥める。ベルノルトは小さく「分かっている」と呟く。彼も分かっているのだ。自分がヴァンガルに居残ってもリスクにしかならないということは。


 一般的に、籠城とは援軍を期待して行うものである。そして今回の場合、援軍とはイスパルタ軍のことを指す。だがヴェールール軍はすでに警戒網を敷いていると思われ、普通に使者を走らせるだけでは捉えられたり殺されたりしてしまう可能性が高い。


 一方で、フサイン三世は防衛戦のために一兵でも多くの戦力を必要としている。彼に言わせれば、援軍が来る前にヴァンガルが陥落しては何の意味もない。それで「援軍を呼ぶために割く戦力はない」というのが彼の立場だった。


 そこで援軍を呼ぶ役割を申し出たのが、本来は弔問団の護衛部隊であるイスパルタ兵五〇〇だった。フサイン三世はこの戦力も防衛戦のために使いたかったようだが、「援軍は絶対に必要」と説得されて、彼らがヴァンガルを脱出(・・)するのを認めたのだ。


 ただこの中にベルノルトを混ぜるわけにはいかない。ヴェールール軍の警戒網はそもそも、彼を捕らえるためのものであると推測されるからだ。また護衛部隊の戦力もラーヒズヤを介して把握されている可能性が高く、つまり警戒網を突破するにはかなり強引な真似をする必要がある。


 だがベルノルトをそれに付き合わせることはできない。かといってこのままヴァンガルに留まるのも大変に危険である。だからこそベルノルトはダンジョンを用いてヴァンガルを脱出するのだ。いや、脱出しなければならないのだ。


「ライル、ままならないな。王族というのは……」


 ベルノルトの口調が愚痴っぽくなる。彼自身、ヴァンガル脱出の必要性は理解も納得もしている。だがその一方で自分がこそこそと逃げ出すような真似をしているようにも思えて、彼の心中は複雑だった。


「殿下。私の個人的な経験ですが、貴族であってもままなりません」


「そうだな。そうだった」


 メフライルの言葉を聞いて、ベルノルトはようやく表情を緩めた。メフライルの言うとおり、ままならないのは王族だけではない。きっとこの世の全ての人が、大なり小なり「ままならない」とぼやきながら生きているのだろう。


 ベルノルトとメフライルが言葉を交わすのを、サラは沈黙を守って聞いていた。あくまでもユラとして振る舞っていたからだ。ただままならないという思いを抱いているのは、彼女もまた同じだった。


 何もしないではいられなかった。だからヴァンガルまで来た。だがこんなことになるとは思わなかった。


(わたしは結局……)


 結局、自分は足手まといになっただけではないのか。サラはそう考えてしまう。ヴェールール軍が動くとは誰も予想していなかった。それは事実だ。だが自分がここにいなければ、ベルノルトらはもっと別の選択肢を選べたのではないか。


「ユラ、どうした。緊張しているのか?」


「いいえ、大丈夫です。殿下」


 気遣うように声をかけるベルノルトに、サラは小さく笑ってそう答えた。ともかく、ダンジョンの中で足手まといになるわけにはいかないのだ。彼女は意識を切り替え、今はダンジョン攻略に集中することにした。


 さて、馬車が大聖堂に到着すると、ブルハームが彼らを出迎えた。そしてそのまま、大聖堂の一角にある小さな礼拝堂にベルノルトらを案内する。その礼拝堂の地下室に、ダンジョンの入り口は隠されていた。


「ベルノルト殿下。どうぞご無事で」


「ブルハーヌ枢機卿、ご協力に感謝します。……デニス、後の事は頼んだ」


「はっ。お任せ下さい、殿下」


 手短に別れの挨拶を済ませてから、ベルノルトらは時間を惜しむようにしてダンジョンの中へ進んでいった。その背中を見送りながら、デニスとブルハーヌはある種の達成感を覚えていた。


 これでベルノルトらの安全が確保されたとは思わない。だがひとまず、危険から遠ざけることはできた。少なくとも、イスパルタ朝の王族がヴェールール軍の捕虜になる事態は避けられるだろう。


「ブルハーヌ枢機卿、私からも改めて御礼申し上げます。枢機卿の尽力のおかげで、何とか殿下を逃がすことができました」


「大したことはしておりませんよ。それに我々の方が大変かも知れませぬ」


 ブルハーヌが冗談っぽくそう言うと、デニスは苦笑を浮かべた。援軍が間に合わずにヴァンガルが陥落した場合、ブルハーヌもデニスも敵国の重要人物として拘束されるだろう。最悪殺されておかしくはない。


「左様ですな……。それで枢機卿、ルルグンス軍の状況は如何ですか?」


「ああ、そちらはですな……」


 二人は情報交換をしながら礼拝堂を後にする。その二日後、ついにヴェールール軍が法都ヴァンガルに肉薄した。



 ○●○●○●○●



 ダンジョンに足を踏み入れると、ベルノルトら五人はまず持ち込んだ荷物をメフライルの収納魔法に片付けた。食料はもちろん、予備の武器なども大量に持ち込んだため、そのままにしておくと手が塞がってしまうのだ。ちなみにサラのかつらは、彼女の荷物の一番奥にしまわれている。


 荷物の収納が終わって身軽な状態になると、一行は早速ダンジョンの奥へと進み始めた。まず先頭を行くのはアッバス。最も負担が大きい先頭は、アッバスとシェマルが交代で勤めることになっている。


 もちろんこの二人だけが戦うということではない。ベルノルトもメフライルも、そしてサラも、必要に応じて戦うことになる。だがやはり、まず矢面に立つのはアッバスとシェマルの二人だった。


 これはそもそも二人がそう希望したからだった。彼らはモンスターを退けるための戦力として、このパーティーに加わったのだ。であれば先頭に立つのは当然、と二人は考えている。


 また役割分担の面から言っても、戦うのは主に二人の役目だった。メフライルが死ねば、持ち込んだ物資が全て喪われかねない。サラ(ユラ)に何かあれば、回復手段が制限される。そしてベルノルトに万が一の事があっては、何のためにヴァンガル脱出を計画したのか分からない。


『成長限界に達した、近衛兵の武勇を御照覧いただきたく存じます』


『左様。まずは我らにお任せあれ』


 打ち合わせの時にそう言われ、ベルノルトもそのことには納得していた。だが同時に思うのだ。これが父王たるジノーファであったら、と。アッバスもシェマルも、聖痕(スティグマ)持ちたるジノーファを背中に庇うことはしなかっただろう。むしろ喜んで彼の後ろに続いたはずだ。それが例え、十四歳の少年であったとしても。


(ああ、本当にままならない……)


 ベルノルトはそう思う。自分にも聖痕(スティグマ)があったなら。そうしたら自分はもっと違う道を歩んでいたのではないだろうか。そう思った事は何度もある。だが同時に理解もしているのだ。自分にそれは期待されていないのだ、と。


 聖痕(スティグマ)を期待されているのは、むしろアルアシャンの方だろう。彼が聖痕(スティグマ)を得たならば、ジノーファの後継者としてまさに完璧と言って良い。口には出さないが多くの者がそれを期待しているし、また彼自身もそれを感じ取っていることだろう。


 期待されるのと期待されないのと、本人にとってはどちらがより不本意だろうか。ベルノルトとしては、ついそんなことを考えてしまうのだ。


「殿下。分かれ道です」


 メフライルにそう声をかけられ、ベルノルトはそれ以上詮無きことを考えるのを止めた。そして懐から地図を取り出す。ブルハーヌに用意してもらった、出口までのルートが記された地図だ。その地図を確認し、ベルノルトは進むべきルートを指示した。


 攻略を始めて一時間ほどたった頃、ベルノルトら五人は水場で休憩を取った。水場ではモンスターは出現しない。それで「ダンジョン内で休憩するなら水場」というのがセオリーだった。もっとも、出現はしないがモンスターが侵入してくることはあるので、完全に気を抜くことはできないが。


 水場で手頃な石に腰を下ろすと、ベルノルトはメフライルから紙とペンを受け取り、ここまでの地図を書き始めた。彼はサラサラとペンを走らせていくが、その地図は分岐の数などをしっかりと記載した詳細なものだ。それを見て、アッバスとシェマルは思わず首をかしげる。そしてシェマルが彼にこう尋ねた。


「道中から不思議に思ってはいましたが、殿下はここまでのルートを全て覚えておられるのですか?」


「そうとも言える。これがわたしの魔法なんだ」


 ベルノルトの魔法は〈オートマッピング〉と言う。つまり周辺の様子が自動で地図化され、それを参照することができるのだ。オートマッピングの機能はそれだけではなく、一定距離内にいる敵や味方を表示することもできる。実はこの機能のおかげで、彼はこれまでに二度刺客を退けていた。


 ベルノルトがこのオートマッピングという魔法を習得したのは、主に両親の影響だった。ジノーファとシェリーが一緒にダンジョン攻略をしていたのは有名な話で、ベルノルトはその話を何度も聞いてきたのだ。ちなみに「八割くらいただの惚気だ」というのが子供たちの共通見解である。


 まあそれはともかく。そうやって両親の話を聞いてきた中で、ベルノルトはダンジョン攻略のための、幾つかの重要な能力に気がついた。その一つが「正確にマッピングする能力」だったのである。


 収納魔法もまた重要な能力の一つだったが、その時にはすでにメフライルがそれを覚えていた。それでベルノルトはマッピングの能力を身につけることにし、それが長じてオートマッピングの魔法の習得に至ったのである。


 この魔法があれば、わざわざ紙に地図を書く必要はない。だがオートマッピングで地図化された情報は、ベルノルトにしか見ることができない。彼に万が一のことがあれば、残りのメンバーはダンジョンの中をあてどもなく彷徨うことになる。それで休憩の時などにまとめて紙に写すようにしているのだ。


 シェマルは「なるほど」と言って頷き、そのままベルノルトの様子を注意深く観察した。すると確かに、彼の視線がときおり虚空をみるように動いている。恐らくはあれが、オートマッピングで地図化された情報を見ているのだ。さらには何かを操作するような仕草もしていて、色々な能力を備えた魔法であるように思われた。


「それにしてもマッピングのための魔法とは……。殿下はなかなか玄人好みでいらっしゃる」


 シェマルはそう言って感心した様子で頷いた。彼自身に経験のあることだが、ダンジョンを攻略する人間というのは、たいてい派手な攻撃魔法に憧れるものだ。年少の者は特にその傾向が強い。だがベルノルトが選んだのは一見とても地味な魔法だった。もちろん一つしか魔法を覚えられないわけではないが、シェマルには少し意外に思えたのだ。


「それはたぶん、父上の影響だな」


 ベルノルトは苦笑しながらそう応えた。ジノーファは派手な攻撃魔法は使わない。二刀流を駆使してモンスターを斬り伏せていく父王の姿を見て、ベルノルトは自然とその背中を追うようになったのだ。


「これでよし、と……」


 地図を写し終え、ベルノルトはペンを片付けた。そして紙とペンをまとめてメフライルに返す。彼がそれを収納魔法の中に片付けるのを待ってから、ベルノルトはさらにこう言った。


「さて。アッバスとシェマルに、一つ話しておくことがある」


「何でしょうか、殿下」


 二人が畏まった表情でベルノルトに視線を向ける。二人の顔をしっかりと見てから、ベルノルトはさらにこう言葉を続けた。


「アースルガムのサラ王女のことは知っているな?」


「はっ。我が国に亡命され、今はクルシェヒルの王宮におられるものと認識しております」


「うん。実はこのユラが、そのサラ王女だ。故あって、弔問団と一緒にヴァンガルへ来ていた。今後はそのつもりで頼む」


 ベルノルトがそう言ってサラを紹介すると、アッバスとシェマルはさすがに驚いた様子だった。だが同時に二人は納得する。二人は、なぜベルノルトが近衛兵の中から回復魔法の使い手を連れて行かないのか、不思議に思っていたのだ。


 もちろん、メンバーを増やせば良いというものではない。だがユラという少年はいかにも頼りなさそうに見える。ユラを外し、回復魔法を使える近衛兵を入れたほうが良いのではないか。口には出さなかったものの、二人はそう思っていたのだ。


 だがユラがサラであるならば、全て合点がいく。同時にますますこの任務は失敗できないと思い、二人はまた気を引き締めるのだった。



デニス「一仕事終えたが、一杯やるような気分でもないな」

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― 新着の感想 ―
[一言] ベルノルト「父も母もシェリーも、惚気はじめると長くなるのだけは勘弁してほしい」 アルアシャン「それな」
[一言] 聖痕が遺伝してくれる様な易しい物ならば、他の二人の聖痕持ちの子供にも聖痕が出てるわな。 親子のスキンシップがダンジョン探索の可能性が(笑)
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