弔問~会談~
「お待たせいたしました。会談の準備が整いましたので、ご案内いたします」
そう言ってベルノルトらを呼びに来たのは、ブルハーヌとは別の男だった。そのことに特に驚きや不満はない。そもそも枢機卿であるブルハーヌが案内役を買って出ていたことのほうが異例なのだ。
呼びに来た男が一礼するのを見て、ベルノルトは小さく頷いてから立ち上がった。貴賓室で休めたのは一時間ほど。それでもずいぶんと疲れは取れている。「さあ、仕事の時間だ」と胸中で呟いてから、彼は歩き出した。
案内されたのは、格式高い広間だった。大広間というほどではないが、ちょっとしたパーティーを開けそうな広さがある。その広間の真ん中には長卓が置かれ、ベルノルトらから見て向こう側の長辺にはすでにルルグンス法国側の人間が揃っていた。その中には法王フサイン三世の姿もある。
ベルノルトらが広間に姿を見せると、法国側の人々が一斉に立ち上がった。二拍ほど遅れて、フサイン三世も立ち上がる。ベルノルトらが長辺のもう一辺に揃って向かい合うと、フサイン三世が重々しく頷いてからこう切り出した。
「改めて。ベルノルト殿下、ようこそルルグンス法国へ。わざわざ来てくれて、嬉しく思う」
「ありがとうございます、フサイン猊下。こうしてお話しする機会をいただけたこと、恐悦に存じます」
そう挨拶を交わしてから、二人は腰を下ろした。他の者たちもそれに倣う。全員が着席したところで飲み物が配られ、それからいよいよ会談が始まった。
もっとも、この会談で何か重要な事が決まったりするわけではない。一言で言えば、この会談は「フサイン三世の時代になってもルルグンス法国とイスパルタ朝の同盟関係は変わらない」ことを確認するためのもの。
極端なことを言えば、フサイン三世が「これからもよろしく」と言い、ベルノルトが「こちらこそよろしく」と応じれば、それで会談の目的は達成される。現実には面子や格式の問題があるので、そこまで簡略化はできないが。
他にこの会談に意味があるとすれば、それは実績作りだろう。フサイン三世にとっては「即位早々に大国の第一王子との会談をまとめた」という実績が得られ、ベルノルトの側も「隣国の法王との会談を成功させた」という実績を作れる。二人とも外交舞台での経験は少ない。良い箔付けになるだろう。
そんなわけで、この会談で想定外の事柄が起こる可能性はほぼない。事前の段階で調整はほぼ終わっているし、双方のトップの利益も共通している。それどころか会談が決裂して喜ぶのはマドハヴァディティアだ。
そんなわけでフサイン三世との会談は、終始和やかな雰囲気で進んだ。両国の同盟関係とそれに伴う約定が今後も全て継続することが確認され、その後は「忌憚のない意見交換」が行われた。要するに雑談である。
雑談のなかでも、特に気になることはなかった。フサイン三世はこれからルルグンス法国をどうしていきたいのかを饒舌に語った。大言壮語が混じっているような気もするが、国のトップというのは気宇壮大なほうが良い。
「また法国の栄光を三千世界に輝かせたいものだ。泰平の世に乱を起こす気などないが、乱が起こったならばそれを鎮めるのが正義であろう。むしろそうしてこそ女神イーシスの恩寵を得られるというものだ」
フサイン三世はそう語った。彼がマドハヴァディティアを意識しているのは明白だったし、彼の東進を契機として逆に法国の版図を拡大してやろうという野心を隠そうともしていない。
「両国の関係が、この地域一帯の重石となれば良いと考えています」
ベルノルトは無難にそう応えた。フサイン三世がどこまでどこまで本気なのかは分からない。ただ軽々しく「イスパルタ朝も協力します」とは言えなかった。
その後もフサイン三世はあれこれとさまざまなことを話した。その様子は法王としての気概に満ちあふれているように見える。彼は雄弁で、語り口は滑らかだ。その姿をベルノルトは少しだけ意外に思った。
(ヌルルハーク四世とは違うのかな……?)
故ヌルルハーク四世は政治的なあれこれは枢密院に任せてしまうタイプの法王だった。しかしこうして見ていると、フサイン三世は自分で主導していくタイプであるように思える。そうだとすると、今後は「法王の意向」というものがより重要になってくるだろう。
(クルシェヒルに戻ったら父上に報告……、いや、その前にデニスに相談してみよう)
そんなことを考えながら、ベルノルトはフサイン三世の話にあいづちを打つ。しばらくすると十分に話して満足したのか、フサイン三世はゆっくりと冷めてしまった紅茶を啜った。その姿を見ながら、ベルノルトはふと気になったことを彼にこう尋ねた。
「猊下。ラーヒズヤ卿とは、もうお会いになられたのですか?」
「ん? ああ、百国連合の使者か。うむ、一週間ほど前に会った」
フサイン三世はそう答えた。これもまた歴史的な会談と言っていいだろう。もっとも、あまり突っ込んだ話はしなかったそうだ。ただ遠回しに、「世俗的な権威と宗教的な権威を分けてはどうか?」と言われたという。前者はマドハヴァディティアに、後者はフサイン三世に、ということだ。
「無論、断ったがな。二つの権威を兼ね備えるからこそ、法王は法王たりえるのだ」
鼻を鳴らしてフサイン三世はそう言った。そして何かを思い出したのか、にやりと得意げに笑う。彼はさらにこう言葉を続けた。
「ラーヒズヤにはな、法国の宝物を見せてやったのだ。言葉もない様子であったな。ヴェールールも百国連合も、所詮は歴史の浅い成り上がり者よ」
そう言ってフサイン三世は機嫌良く笑った。宝物を見せたのは、一種の示威行動であろう。ただそれが有効なのかどうか、ベルノルトは咄嗟に判断がつかなかった。
マドハヴァディティアは一代の覇王だ。欲しいものがあれば奪って手に入れる。それが彼の考え方であろう。その彼がラーヒズヤからルルグンス法国の宝物について聞き、どう思いどう考えるのか。ベルノルトは少し危ういように思った。
その後、合意文章が作成され、ベルノルトとフサイン三世が署名を交換して会談は終わった。帰りの馬車の中で、ベルノルトは深々と息を吐く。達成感よりは安堵感の方が大きい。きっとそういう仕事だったのだろう。彼はそう思った。
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ヌルルハーク四世の弔問を行い、フサイン三世と会談したその翌日から、ベルノルトは面談リストの消化を始めた。会う場所は基本的に大使館。フードが用意してくれた資料や事前の打ち合わせのおかげで、ベルノルトはそれらの面談をそつなくこなすことができた。イスパルタ朝の第一王子らしく振る舞うのも板についてきた。
「殿下は王子でいらしたのですね」
「そうだぞ、ユラ。知らなかったのか?」
サラとそんなじゃれ合いをするくらいには心の余裕もあった。もっともそれは、面談の相手に対してベルノルトが圧倒的に強い立場で、しかも万が一失敗しても十分に失地回復の余地があるがゆえの余裕だ。要するに、それほど大きな仕事ではない。
だが全てが全て、そのような仕事ばかりではない。気合いを入れて会談に臨まなければならない相手もいる。今日ベルノルトが会うのは、まさにその筆頭とも言える人物だった。百国連合のラーヒズヤである。
ベルノルトは当初、ラーヒズヤがイスパルタ朝の大使館で会談することに難色を示すのではないかと思っていた。しかしその懸念は外れ、ラーヒズヤはあっさりと「指定された日時にお伺いする」旨の手紙を送ってきた。そのあたりの豪胆さは、さすがヴェールール軍の参謀長にしてマドハヴァディティアの右腕、と言うべきか。
敵国の重鎮を迎えるとあって、大使館にはいささか緊張した雰囲気が漂っている。当たり前だが、サラは会談に同席しない。髪を切り落として少年の格好をしているとはいえ、彼女をラーヒズヤの視界に入れるわけにはいかないのだ。
「殿下、ラーヒズヤ卿が到着されました」
部下から報告を受けたデニスが、ベルノルトにそう耳打ちする。彼は小さく頷いた。デニスは会談にも同席してくれることになっている。彼にとっては心強い味方だった。
到着の報告から少しすると、複数人が廊下を歩く音が近づいて来た。どうやらラーヒズヤが来たらしい。ベルノルトが立ち上がろうとすると、メフライルがそれを留める。相手が部屋に入ってから立て、ということだ。
「失礼する。小官はヴェールール軍参謀長ラーヒズヤと申す。本日はベルノルト殿下にお招きいただき、恐悦至極に存ずる」
会談の部屋に入ると、ラーヒズヤは良く通る声でそう挨拶した。はきはきとした物言いはいかにも武人で、そういうところにはベルノルトも好感を持った。
「イスパルタ朝第一王子のベルノルトだ。会えて嬉しく思う、ラーヒズヤ卿」
ベルノルトはゆっくりと立ち上がり、ラーヒズヤにそう応えた。それからテーブルを挟んで対面側のソファーに座るよう彼に勧める。彼の前に紅茶が用意されると、いよいよ会談が始まった。
ベルノルトは緊張していたが、しかしその一方でデニスやフードからは「この場で何かが決まることはない」とも言われていた。ラーヒズヤの側からすれば、イスパルタ朝の第一王子が法都ヴァンガルに来ているのに、会わずに帰国するわけにはいかない。要するに会談の最大の目的は会うことそれ自体だ、と二人は予想していた。
その予想通り、ラーヒズヤはあまり突っ込んだ話はしなかった。彼はイスパルタ朝の軍制に興味を持っていて、そのことについていろいろと話を聞きたがった。特に近衛軍の兵士が全て職業兵であることを聞くと、彼は大げさに感嘆していた。
「噂には聞いていましたが……。なるほど、練度が高いのも納得ですな」
近衛軍では訓練の一環としてダンジョンの攻略も行っている。魔石から経験値を吸収させることで、兵士一人一人のレベルを上げていくのだ。全体としての練度を高めると同時に個人のレベルで底上げを図ることで、精強なイスパルタ軍が完成するのである。
「ヴェールールや百国連合では、どのように兵を集めているのだ?」
「恥ずかしながら、主力は徴兵で集めた農兵にせざるを得ないのが実情でござる。ヴェールールに限れば職業兵も増えていますが、金がかかりますからなぁ」
ラーヒズヤはそう言って苦笑した。ベルノルトも一つ頷く。確かに定期的に給料を支払わなければならない職業兵は維持に金がかかる。ジノーファが近衛軍を完全な常備軍にできたのも、イスパルタ朝の国力と商業の発展があればこそ、だ。
西方諸国について言えば、商業の発展は遅れていると言わざるを得ない。その理由は単純で、「小国の勃興が激しいから」である。つまり単一の巨大市場が誕生せず、その上そこかしこで戦争が起こっては生産能力が損なわれていたのだ。
戦争が起これば人が死ぬだけではない。農地は荒れ、街は焼き払われる。需要も供給も減るのだ。しかも統治者がコロコロと変わるので、長期的な経済計画が立てられない。治水や灌漑も同様で、何もかも中途半端という国は多かった。
そもそも経済観念の欠如した支配者が多すぎた。「金と人は畑で取れる」と豪語した王もいたほどで、経済を発展させるという視点が欠けているのだ。農兵を主力とせざるを得ないのは、こういう背景があるからだ。
そんな中で現われたのがマドハヴァディティアだった。彼は父が手に入れた貿易港を活用してイスパルタ朝という巨大市場と繋がり金を稼いだ。そしてその金を使って周囲を切り従えたのである。ラーヒズヤはそのことを念頭に置いていたのだろう。さらにこう言葉を続けた。
「我が主マドハヴァディティア陛下とジノーファ陛下には、大きな共通点があると思ってござる」
「それは?」
「どちらも、金の力をよく知っておられる」
ラーヒズヤは視線を鋭くしてそう言った。確かにマドハヴァディティアもジノーファも、金の力で軍事力を強化してきた。それは事実だ。それでベルノルトは一つ頷いた。するとラーヒズヤはさらにこう言葉を続ける。
「しかし残念ながら、お二人の考えを理解できる者は少ないのが現実でござる。百国連合内でも、我が主のことを『王よりも商人になるべきだった』などという者がいる始末。イスパルタ朝では、いかがですかな?」
「さて。父上が商人に向いているなどという話は、聞いたことがない」
「それは良うござった。聖痕持ちたるジノーファ陛下まで『商人たるべし』などと言われていては、我ら武人の立つ瀬がありませぬゆえ」
そう言ってラーヒズヤは声を立てて笑った。ベルノルトも一緒に苦笑する。ただ彼は内心で、「本人が商人云々の話を聞けばかえって喜ぶかも知れない」とも思った。流石に口には出さなかったが。
「……少し話が逸れましたな。重要なのは、そのジノーファ陛下でさえ、いえジノーファ陛下だからこそ、金の力を高く評価しているということです。しかし同じ価値観を持っている者は少ない。中には溜め込んで見せびらかすよりほかに、使い道を知らぬ者もおり申す」
ラーヒズヤはそう言ってフサイン三世を皮肉った。とはいえ彼はただフサイン三世を皮肉ったわけではない。要するに彼は「フサイン三世ではジノーファの考えを理解できないし、共感もできない」と言っているのだ。
「その点、マドハヴァディティア陛下であれば、ジノーファ陛下の良きパートナーとなることが可能でしょう。お二人が手を取り合うことこそ、百国連合とイスパルタ朝が相互に発展する、最善の道ではありませぬかな?」
ぐっと踏み込むようにして、ラーヒズヤはそう述べた。これこそが今日の本題なのだろう。フサイン三世の治めるルルグンス法国ではなく、マドハヴァディティア率いる百国連合と手を結ぶ方が、イスパルタ朝の利益になる。彼はそう言っているのだ。
一概にそれを否定することは、ベルノルトにはできなかった。彼が調べた限り、ルルグンス法国は税を絞りとり寄付を巻き上げることには熱心だが、商業に関してはそれほど関心がないように思える。国を富ませる気がないわけではないだろう。だが基本的に商業を低俗なものとみており、ゆえにそれを国の柱にする気がない。
その点で言えば、確かにマドハヴァディティアと百国連合のほうが、ジノーファとイスパルタ朝の姿勢に近い。また市場としてみても、ルルグンス法国より百国連合の方が大きい。なるほど、確かに良い条件は揃っている。
「百国連合とイスパルタ朝が手を取り合い、泰平の世において利益を共通することは、父上もきっとお望みになるだろう」
ベルノルトは言葉を慎重に言葉を選びながらそう答えた。イスパルタ朝が百国連合よりの姿勢を取れば、マドハヴァディティアは躊躇なくルルグンス法国へ攻め込むだろう。そうなればその後、両国が手を取り合えるかは不透明だ。
いやラーヒズヤとて、両国が本当に手を取り合えるとは思っていないだろう。マドハヴァディティアは野心を抑え切れまい。彼の頭にあるのは法国をどう切り取るのかということであり、ラーヒズヤはそれに沿って動いている。この提案とて、「イスパルタ朝の動きを鈍らせることができれば御の字」と考えてのことだろう。
そもそもベルノルトはマドハヴァディティアを信用することができない。彼はジノーファに「聖痕を見せろ」と言ったのだ。当然、半裸にならなければならないことを承知の上で。彼の気質は強欲にして傲慢。彼は将来的に、イスパルタ朝本国をさえ狙う気でいる。ベルノルトはそのことを確信していた。
だからこそ、わざわざ「泰平の世において」と言葉を付けたのだ。「イスパルタ朝と共存共栄したいのであれば、これ以上の領土的野心は抑えろ」と言ったのである。そしてその意図はしっかりとラーヒズヤにも伝わった。
「なるほど。戦のない泰平の世が来れば、まこと結構なことにござる」
ラーヒズヤは良くできた笑みを浮かべてそう言った。決裂だな、とベルノルトは思った。
ラーヒズヤ>フサイン三世




