弔問~ルルグンス法国へ~
「……ところでベルノルト殿下。ヴァンガルの大使館から気になる情報が届いています」
ぬるくなってしまったお茶を替えさせてから、ロスタムは改まった表情でそう切り出した。ベルノルトが一つ頷いて続きを促すと、彼はその情報についてこう話した。
「百国連合のマドハヴァディティアですが、やはり法国へ弔問の使者を送るようです」
「法国側は、それを受け入れるのか?」
怪訝な表情を浮かべながら、ベルノルトはそう尋ねた。マドハヴァディティア率いる百国連合は、ルルグンス法国にとって目下最大の敵である。崩御したヌルルハーク四世に多大な心労を与えたことは間違いなく、いかに弔問の使者とはいえ突っぱねてもおかしくはない。
「確かにそう言う意見も出たそうですが、『戦争状態でもないのに、使者を一方的に拒絶するのは独立国としていかがなものか』という意見が出たそうで……」
実際、使者を拒絶すれば、対立が深まることは避けられない。多様な外交チャンネルを確保しておく事は、ルルグンス法国にとっても意味がある。それで結局、フサイン三世がその意見を容れて、弔問の使者は受け入れることになったのだという。
「なるほど……。ところで、マドハヴァディティアの狙いは何だと思う?」
ベルノルトは一つ頷いてからそう尋ねた。彼としてはルルグンス法国の対応より、使者を送るマドハヴァディティアの目的の方が気になる。まさか本当に、弔問のためだけに使者を送るわけではないだろう。
「一つにはやはり、百国連合として外交チャンネルを作りたいのでしょう」
ロスタムはまずそう答えた。百国連合は歴史の浅い組織だ。マドハヴァディティアとしては実績が欲しいのだろう。それが名に重みを与えることになる。また百国連合として外へ出ることで、実質的に構成国の外交権を取り上げることができる。要するに、「今後は勝手に外国と交渉するな」という内向きのメッセージでもあるのだろう。
また実務的な観点からしても、外交チャンネルはあるに越したことはない。戦争をするにせよ、仲良くするにせよ、外交チャンネルがあれば話はスムーズに進む。百国連合とルルグンス法国が隣り合っているその位置関係は変えられないのだから、意思の疎通は円滑に行えた方が良い。
要するにマドハヴァディティアにとっては、弔問の名前を借りた外交なのだ。そして外交の相手は何もルルグンス法国だけとは限らない。むしろ彼の視線はイスパルタ朝へ向けられているはず。となれば、イスパルタ朝の弔問団に何の接触もなしということはないだろう、とロスタムは語った。
「接触してくるかな?」
「ほぼ確実に。というより、そちらが本命でしょう」
ロスタムが重々しく頷くのを見て、ベルノルトは小さく唸った。向こうが接触してくれば、弔問団の代表として彼は対応しないわけにはいかない。後でデニスと相談しておこう、と彼は思った。
「他の目的としては、ヴァンガルの下見が考えられます」
そう言ってロスタムが話を進めたので、ベルノルトも一つ頷いて頭を切り替える。下見というのは当然、将来攻略する時のための下見だ。
「もちろん法国側も、見られて困るような場所は見せないでしょう。百国連合側でも情報は一通り揃えているはず。ですがやはり、実際に見るのは違う」
ロスタムは真剣な顔をしてそう言った。彼は総督になる前は、近衛軍で一軍を率いていた将軍だ。その彼の言葉には、経験に裏打ちされた重みがある。
「ロスタムは、ヴァンガルに行ったことはあるのか?」
「ガーレルラーン陛下がまだご存命の時代に、一度行ったことがあります」
「どう思った?」
「城壁は堅牢でしたな。要所要所には塔も建てられており、戦略拠点としての機能は十分以上に備えているかと思います」
ロスタムの評価が高いことを、ベルノルトは少し意外に思った。ルルグンス法国の軍事力について、彼はとても懐疑的なのだ。ただ、いくらアンタルヤ王国と同盟を結んでいたとはいえ、ルルグンス法国はこれまでずっと西方諸国や遊牧民の脅威にさらされ続けてきたのだ。それを考えれば、法都ヴァンガルが堅牢なのはむしろ当然とも言える。
「ですが、それも所詮は設備。役に立つかどうかは結局のところ将兵の練度次第ですな」
ロスタムは突き放すようにそう付け加えた。例えばヴァンガルを守るのがジノーファの指揮するイスパルタ軍なら、たとえ五倍の敵であっても持ちこたえる事ができるだろう。だがヌルルハーク四世が指揮するルルグンス軍では、二倍程度の敵であっても難しいかも知れない。結局は人間次第なのだ。
「じゃあ、フサイン三世なら?」
「さて。私はかの御仁の軍事的才覚については把握しておりませんので……。ただまあ、特別優れているという話も聞きません。相手があのマドハヴァディティアでは、やはり分が悪いでしょうなぁ」
ベルノルトの問い掛けに、ロスタムはそう答えた。まあ、何も法王自らが采配を振るわねばならないわけではない。ルルグンス軍にもそれなりの将軍はいるだろう。指揮は出来る者がすればいい。もしかしたら下見には人間のことも含まれているのかもしれない。ベルノルトはふとそう思った。
「……ところでロスタム総督。卿に一つ、話しておくことがある」
「何でしょうか、殿下」
「実は……」
ベルノルトはサラのことを話してロスタムを巻き込んだ。何か大きな問題が起こった場合、まず頼る事になるのは彼だ。それであらかじめ話を通しておいた方が良いと、デニスやマルセルと話し合ってのことだった。巻き込まれたロスタムは渋い顔をしていたが、知らないままでいた方が問題だと思ったのだろう。重々しく頷いた。
翌日、出立するベルノルトら弔問団を見送ってから、ロスタムは総督領において兵権を預かるウスマーン将軍を呼び出す。彼は近衛軍の将軍で、もともとはクワルドの部下だった男である。
余談になるが、厳密に言ってウスマーンはロスタムの部下ではない。指揮系統上では総督の配下とされているが、総督府に来たのはジノーファの意向だし、罷免の権限もロスタムにはない。要するに、総督職の廃止を見据えて兵権を分離したのだ。
ロスタムの立場からすれば面白くはないだろう。だが彼は抵抗することなく粛々とそれを受け入れた。総督職が最終的に廃止されることは最初から分かっている。またウスマーンの着任と同時に、ロスタムは約束されていた侯爵位と領地四州を与えられた。自分が蔑ろにされているわけではないと分かり、感情的にも受け入れやすかったのだ。
また、兵権が分離されたということは、いよいよ総督職の廃止時期が近づいて来ていることを示している。そうであれば、混乱しないようにこの強権を解体していくことが総督としての自分の最後の仕事であろう、とロスタムは思っていた。
そのようなわけで現在、ロスタムは自分で総督領の戦力を動かすことはできない。形式としては、ウスマーンにそれを命じ彼がその命令を実行することになる。弔問団に万が一のことがあった場合には兵を動かさなければならないが、そのためには彼の協力がどうしても必要なのだ。
「呼び出して済まないな、将軍。早速だが一つ聞きたい。今すぐ動かせる戦力は、どれほどある?」
「今日中という意味でしたら、五〇〇〇ほどですな。二日時間をいただければ、一万を動かせます。全軍三万を動かすのであれば五日で何とか、といったところでしょうか」
ウスマーンの返答を聞き、ロスタムは「うむ」と呟いて頷いた。彼が率いていた頃と遜色ないレベルである。総督領の戦力は全て常備兵になっており、そのおかげで素早く展開することができるのだ。
ただしその一方で、全軍三万以上の戦力を集めようとすると、徴兵を行わなければならないので途端に時間がかかる。「五万なら一ヶ月」というのがウスマーンの見立てだった。
「しかし総督閣下、このようなことを聞かれるとは、どうされたのですかな? 近々に兵を動かす予定などなかったはずですが……」
「まあ聞け。知っての通り、今回の弔問団の代表はベルノルト殿下であらせられる」
「はっ。昨晩の晩餐会で、ご挨拶させていただきました」
「うむ。実はアースルガムのサラ殿下も、お忍びで加わっておられる」
「は……?」
ロスタムからサラの事を知らされ、ウスマーンは呆けたようにそう呟いた。それから慌てて表情を取り繕い、一つ咳払いをしてから彼はこう言葉を続けた。
「失礼……。しかし、サラ殿下までなぜ?」
「さあな。陛下が許可されたとは聞いているが、それ以上のことは分からん。まあ、法国は友好国だ。滅多なことは起こるまい。普通ならば、な」
分かるだろう、と言わんばかりの視線をロスタムはウスマーンに送る。それを受けてウスマーンも重々しく頷いた。
百国連合がルルグンス法国へ弔問の使者を送ることは、すでにウスマーンも知っている。サラのことが露見した場合、その使者が、そしてマドハヴァディティアがどう動くのか。
ベルノルトはもちろん、サラもまたイスパルタ朝にとっては大切な存在だ。アースルガム王家の最後の生き残りである彼女は、西方諸国へ介入する絶好の口実になる。またそうしないとしても、他国の王族を保護しているとなれば、国の格が上がる。
二人とも、決して失うわけにはいかない存在だ。もちろん将来のことは分からない。だが事と次第によっては、総督府の戦力が必要になる。
「率直に聞くぞ。将軍、五〇〇〇で足りると思うか?」
「どのような事態になるかにもよりますが、マドハヴァディティアが相互不可侵条約の破棄を決断した場合を想定すると、五〇〇〇では到底足りませんな……。即日一万、二日でもう一万動かせるよう、準備をしておきます」
「うむ。あとはクルシェヒルへの伝達手段だな。狼煙でも上げるか……?」
「狼煙では詳細が伝わりません。各地に早馬を配置して、昼夜を問わずに走らせるのが無難ではありませんかな」
ウスマーンの意見を聞き、ロスタムが一つ頷く。二人はしばらく相談を続けた。
さて、総督府を出発した弔問団は順調に西へ進んだ。そして国境を越えたところで、ルルグンス軍から派遣された騎兵十騎と合流する。今後、ルルグンス法国領内では彼らが案内役となる。
「ようこそいらっしゃいました、ベルノルト殿下。ルルグンス法国は殿下と弔問団の皆様を歓迎いたします」
「ああ。法都ヴァンガルまでよろしく頼む」
簡単な挨拶を終えてから、ルルグンス騎士らに先導されて弔問団は法都ヴァンガルを目指して法国領内を進んだ。法国国内に入ってからは、ベルノルトはずっと馬車の中である。騎乗もできるが、警備のためと、ルルグンス騎士らに気を遣って大人しくしているのだ。同じ馬車の中にはサラもいるので、自然と二人でいる時間が増えた。
「ユラは、法国は二度目だったか?」
「はい。以前に一度だけ。もっとも、ほとんど馬車に揺られていただけですが……」
ルルグンス法国に入ってからは、たとえ二人きりであっても、サラはユラとして振る舞うようにしていた。気を抜いて入れ替えていると、どこでボロが出るか分からないからだ。イスパルタ朝の領内であればいくらでも挽回できるが、ここから先はそうはいかない。
ところで、ユラ少年はマルマリズ郊外の出身という設定だが、ベルノルトに返したサラの言葉は決して嘘というわけではない。むしろユラ少年の設定の方が曖昧なので、従者の口調を崩さないようにしながら、肝心なところはぼかして自分の事を話しているだけだ。
サラが過去に一度ルルグンス法国へ来たことがあるというのは、イスパルタ朝へ亡命する際の事だ。大使館に保護されてからはすぐに本国へ送られたので、「ほとんど馬車に揺られていただけ」というのは言葉通りの意味である。
そしてまた、サラは馬車に乗って法国領内を進んでいる。馬車に乗っている間、彼女はずっと興味深そうに窓の外を眺めていた。法都ヴァンガルと総督府を行き来する道で、さらに要人とその警護が使うとなると、現在のこのルート以外にはあり得ない。ということは、彼女はこの風景を一度見ているはずなのだが……。
(あ、違う)
そこまで考え、ベルノルトは自分の思い違いに気付いた。亡命したとき、サラは家族を喪ったばかりだった。呑気に窓の外の風景を楽しむ余裕はなかっただろう。
法国に到着するまでは気が張っていただろうから、涙は流さなかったかも知れない。だが特に大使館に保護され護衛がつくようになってからは、身の安全が保障されて気も緩んだだろう。であれば本国へ向かう馬車の中では、泣き暮れていたとしてもおかしくはない。
そう考えれば、今こうして窓の外を眺めていられるサラは、この三年ほどでずいぶん持ち直した、と言えるのだろう。それはアースルガム王家の最後の生き残りとしての矜持や使命感ゆえなのだろうか。いずれにしても、彼女は芯の通った強さを持っている。
(サラはきっと、女王になるんだろうな)
ベルノルトはふとそう思った。彼女が生きている間にアースルガムが再興されれば、そう言うことになるだろう。そして今のイスパルタ朝の国力と、ジノーファ率いる近衛軍の精強さを合わせて考えると、その可能性はむしろ高いように思われた。
サラの強さは、その自覚ゆえなのか。だとすると、ベルノルトとしてはちょっと複雑な気持ちになる。彼もまた王族である。しかし王にはなれない。そして未だに、自分が王族である意味を見いだせずにいる。
ベルノルトは決して、サラのことがうらやましいわけではない。彼女が歩む運命は過酷だ。それをうらやましがるのは、彼女を侮辱することになる。それくらいの分別は彼にもある。
ただ時折、どうしようもなく気持ちが焦るのだ。早く何者かになりたいのに、何者になれば良いのか分からない。それは初陣の時から何も変わっていない。自分が成長していないようにベルノルトは思うのだ。
初陣以来、少しずつ仕事を任されるようにはなってきた。だが任されるのは小さな仕事か、「王子」の肩書きが必要なものばかり。いや、いきなり大きな仕事を任せてもらえるはずもないと分かってはいる。ただ自分の未熟さがイヤになるだけで。
ベルノルトはそっと、窓の外に視線を移した。弔問団が通るからなのか、街道に人影はまばらだ。もしかしたらヌルルハーク四世の喪中であることも関係しているのかも知れない。
(この仕事が終われば……)
この仕事が終われば、もう少し大きな仕事も任せてもらえるようになるだろうか。そんなことを考えながら、ベルノルトは馬車に揺られた。
ベルノルト「そうか、ユラは女王様になるんだな」
サラ「なんか色々と違う!」




