アースルガムのサラ3
イスパルタ朝へ亡命したとき、サラは十五歳だった。ベルノルトは当時十六歳。二人が知り合ったのは、シェリーが開いた小さなお茶会でのことだった。年齢の近しい二人であるから、お茶会にはお見合いの意味もあったのではないか。ベルノルトはそう思っている。
ただすぐに二人の婚姻や婚約の話が出たのかというと、実はそうではなかった。むしろ現在に至るまで、二人はまだ婚約もしていない。しかしだからといって二人の関係は希薄ではなかった。サラとベルノルトは婚約者ではない、別の関係を築いていた。
二人を結びつけたのはダンジョン攻略だった。サラは祖国でダンジョン攻略を行っていたが、同じようにクルシェヒルでも攻略を行いたいと言い出したのだ。
当時まだ存命だったヴィハーンは猛烈に反対した。彼はサラが逃げ出さないように手を取って捕まえ、ほとんど怒鳴るようにしてこう説得した。
『姫様は確かに、これまでダンジョン攻略を行い、乗馬をたしなんで来られました。そのおかげで、こうして亡命が叶ったことも一面の事実です。ですから今更、姫様に深窓の令嬢たれと言うつもりはございません。淑女たる振る舞いは身につけていただかなければなりませんがな。
ですが、これからダンジョン攻略を行うことは話が別です! 良いですか、姫様はアースルガム王家の血を引く、最後のお一人なのです。もしも攻略の最中に姫様が命を落とされるようなことがあれば、祖国再興の希望はその瞬間に潰えてしまうのです。それでは何のために多大な犠牲を払って亡命したのですか。どうぞ御身大切になされませ!』
ヴィハーンの言うことはいちいち尤もだった。だがサラは納得しなかったし諦めなかった。ヴィハーンが心配してくれていることは分かる。それでも祖国と家族をいっぺんに失ってしまったこの少女は、何もしないで部屋にいると悲しみと喪失感のせいで気が狂いそうになってしまうのだ。
サラがまず頼ったのはシェリーだった。シェリーはまるで実の娘のようにサラをかわいがってくれて、サラもまたすぐにシェリーになついた。そしてシェリーは元細作であるし、側妃になってからもたまにダンジョンに潜っているので、サラが攻略を行うことについても頭ごなしに否定することはなかった。
それどころか、シェリーはサラの話を良く聞いてくれた。そして「ジノーファ様に掛け合ってみる」と言ってくれたのである。ただし同時に「ダメだった場合は諦めるように」とも言われ、サラは神妙な面持ちで頷いた。
『本人が望んでいるのなら、良いのではないかな』
ヴィハーンにとって最大の誤算は、ジノーファがそう言って許可を出してしまったことだろう。もちろんジノーファもサラの重要性は理解しているし、彼女を危険にさらすべきではないことも分かっている。しかしそれでも、彼の中で“サラの安全を守ること”と“サラがダンジョン攻略を行うこと”は矛盾しなかったのだ。
『もしも姫様に万が一のことがあったら、どうされるおつもりなのですか!?』
ヴィハーンはそう言ってジノーファにくってかかった。彼の剣幕にジノーファも気圧され気味だ。その無礼を咎めようとした者たちもいたが、ジノーファは彼らを片手で制した。この初老の男にとっては、ジノーファよりもサラのほうが大事なのだ。
『ヴィハーン卿。卿の懸念は分かるつもりだ。だがサラ姫には生き抜くための意思が必要ではないかな』
ジノーファはそう言ってヴィハーンを説得した。もちろん、ヴィハーンは心底納得したわけではないだろう。だが年齢順に言えば、彼はサラよりだいぶ早く死ぬことになる。その時、アースルガムの再興は本当の意味でサラ一人に託されることになるのだ。ジノーファの言うとおり、サラには何よりもまず強い意志が必要だろう。
ダンジョン攻略をしてその強い意志を培えるのかは分からない。いや、直接的な関係はないだろう。だがこれはサラがクルシェヒルに来てから、初めて自分からやりたいと言ったことなのだ。それを否定してしまったら、彼女はこの先、自分の意思を持たなくなってしまうかも知れない。ヴィハーンにはそう思えたのだ。
さてこうしてサラはダンジョン攻略をすることになったわけだが、そのためにはパーティーメンバーを揃える必要がある。どこかの聖痕持ちは一人で攻略を行っていた時期があるが、そんなものは例外中の例外だ。またサラが大切な存在であることは前述した通りで、なおのことしっかりとしたメンバーを揃える必要がある。
一方でベルノルトだが彼もまた王族の一員として、また聖痕持ちたるジノーファの息子として、定期的にダンジョン攻略を行っている。サラとベルノルトでは、彼のほうがダンジョンのより深い場所に潜っていたが、それも好都合と判断されたのだろう。二人はパーティーを組むことになった。
(厄介者は一つにまとめておけ、ということなのか?)
ベルノルトはひっそりとそう疑っているのだが、それはそれとして。もちろん二人だけではない。もう一人、ベルノルトの従者兼護衛のメフライルもパーティーに加わっている。この三人を基本として、後は適宜メンバーを入れながら、彼らはダンジョン攻略を行った。三人だけでダンジョンに行くこともあった。
そんな具合で、ベルノルトはサラと関わりを持つようになった。サラはもともと少年のような気質の姫で、年齢が近かったこともあり、二人は友人同士になった。そんなわけであるから、ベルノルトが弔問団の代表に内定したことをサラに話したのも当然のことだった。ただそれを知った彼女の反応は斜め上だった。
「サラ。お前、ホントになぁ……」
ジノーファとの話し合いでサラのヴァンガル行きが決まった後、ベルノルトは彼女と話をした。その際の第一声が愚痴っぽいものになってしまったのは仕方のないことだろう。何しろ彼は余計な面倒事を押しつけられてしまったのだから。もっとも、押しつけた責任の少なからずは彼の父にあるわけだが。
「迷惑をかけるとは思ったわ。でもこんなチャンス、二度とないと思ったの」
サラは喜びつつも申し訳なさそうにしてそう言った。イスパルタ朝の第一王子が隣国へ赴くとなれば、それ相応の護衛をつけることができる。それはサラの身の安全を守ることにも繋がる。入り込むならここしかない。仮に弔問団の代表がベルノルトでなければ、サラの同行は許可されなかっただろう。彼女はそう思っている。
「まあ、決まってしまったものは仕方がない。それよりも今後のことだが……」
ベルノルトはぶちぶちと愚痴を言い続けはしなかった。一つ大きなため息を吐くと、彼は頭を切り替えた。サラが時々ひどく辛そうな顔をすることはベルノルトも知っている。今回の件で彼女の心が少しでも軽くなればいい。今後のことを打ち合わせながら、ベルノルトはそう思った。
「……分かっていると思うが、サラがヴァンガルに行くことはなるべく秘密にしてくれ。知れ渡るようなら、さすがに連れて行けない」
「分かっているわ。近いうちに病気になるから、その噂を広めるのは手伝ってね」
生き生きとした様子でサラがそう答える。それを見て、ベルノルトはため息を吐きたくなるのを堪えた。彼女は今さっき、大国の王に自分の要求を呑ませてきたばかりなのだ。その興奮が抜けきらないのも仕方がないだろう。
「……それから、これは父上が言っていたことだが、解放軍はそろそろ士気を維持できなくなっているかも知れない。何か士気を高める手立てを考えておいてくれ」
「分かったわ。でも、まさか演説をするわけにもいかないし、どうしたものかしら……」
一転して悩むサラの姿を見て、ベルノルトはちょっとおかしくなった。発想が同じだったからだ。もちろん、口には出さなかったが。
○●○●○●○●
弔問団の準備には、およそ二ヶ月かかった。こんなに時間がかかっては、ヌルルハーク四世の遺体は酷いことになっているのではないかとベルノルトは思ったが、ジノーファは笑ってそれを否定した。
『法国では法王が死ぬと、遺体は防腐処理をしてから、聖櫃と呼ばれる特殊な魔道具に収めるんだ』
聖櫃というのは、遺体を腐らせないで保存しておくための魔道具だ。聖櫃に収められた法王の遺体は一年間大聖堂に安置される。その一年間、ルルグンス法国は喪に服すのだが、その間に国内外の信者が最後のお別れに訪れるのだ。
そして一年後、遺体が墓所に埋葬されて喪が明ける。その後、後継者の正式な即位式が行われ、ルルグンス法国は常時へと戻るのだ。一年間の喪の期間は、後継者の資質を試すための期間であると言ってもいい。まあ、よほどのことがない限り、不適格の烙印を押されることはないが。
まあ、それで今からヴァンガルへ行っても、腐って臭くなってしまったヌルルハーク四世の遺体と対面するわけではない、とジノーファは笑って教えた。ベルノルトもそれを聞いて納得する。何にしても、準備のために十分時間をかけられるのはありがたかった。
そして大統暦六六一年五月二三日、弔問団は王都クルシェヒルを出発して、一路法都ヴァンガルを目指した。弔問団は陸路でヴァンガルへ向かう。移動時間のことを考えると海路を使った方が早いのだが、この時代のイスパルタ朝において、王族の移動には戦でもない限り陸路が選ばれるのが常だった。
これはアンタルヤ王国時代からの伝統だった。明文化されているわけではないが、要するにこの国は伝統的に海より陸を重視して来たのだ。魔の森と防衛線を抱えているので、どうしても視線が内陸へ向くのかも知れない。
ただジノーファは商業の発展に力を入れているし、そのなかで貿易港やそこから伸びる海路が重要な部分を占めていることは言うまでもない。となれば王族も、いつまでも陸路にこだわる理由はない。
今回は仕方がない。そもそも王族を乗せるための船がないのだ。だがいずれはそういう意識も変えなければならない、とジノーファは思っている。彼は自分の在位中に海軍を正式に発足させるつもりでいて、それが一つの契機になるはずだと思っていた。
ともかくそのような訳で、弔問団は陸路でルルグンス法国へと向かった。つけられた護衛は五〇〇。騎兵一〇〇、歩兵四〇〇だ。部隊長はマルセルという近衛軍士官が務めている。弔問のための外交官や文官も合わせると、弔問団は全部で五五〇人ほどになる。
特別に急ぐべき理由もないので、弔問団の移動速度はゆっくりとしたものだった。その間中、ベルノルトはぼんやりと馬車の窓から外の景色を眺めている。出発までの準備が忙しかったので、最初の一日はゆっくりできると喜んでいた。だが二日目からはどうにもすることがなくて暇だった。
「馬でも乗っていた方が、気が紛れるかな……」
「ずるい。わたしも乗りたいわ」
ベルノルトの呟きに反応して、不満げな声が馬車の中に響く。彼がはす向かいに視線を向けると、そこには少年の格好をしたサラがちょこんと座っている。彼女は自分で提案したとおり、男装した上でベルノルトの従者としてこの弔問団に加わっていた。
しかも伸ばしていた髪の毛をばっさりと短くして、である。彼女が髪を切り落とした時、シェリーは目を見開いて言葉を失い、マリカーシェルとメイドたちは悲鳴を上げた。後でその騒ぎについて聞かされ、ベルノルトが頭を抱えたのは言うまでもない。
ちなみに切り落としたサラの髪の毛だが、後で使うかも知れないということで、カツラに仕立てて彼女の荷物に忍ばせてある。シェリーとマリカーシェルは、絶対にそのカツラだけは持ち帰るよう、サラに厳命していた。
こうして念入りに男装したサラはユラと名乗っていた。ユラ少年は十五歳で、ベルノルトの従者として彼の身の回りの世話をするべく弔問団に加わった、という設定である。周囲からはベルノルトの将来の側近候補と思われているのかもしれない。
ユラ少年がサラ王女であることを知っているのは、ベルノルトとメフライルを別にすれば、副代表のデニスと護衛部隊の部隊長であるマルセルだけである。それを知らされたとき二人はたいそう恨めしそうな顔をしていた。一方のベルノルトは責任を分散できてすっきりとした顔をしていたが。
そしてユラはベルノルトの傍付きであるから、二人はこうして同じ馬車に乗っている。二人は気安い仲なので、長時間同じ馬車の中にいてもそれを負担に思うことはない。ただ延々とおしゃべりを続けられるわけでもなく、要するに暇を持て余しているのはサラも同じだった。
「口調」
ベルノルトは短くそう指摘した。十五歳の少年という設定で、サラは弔問団に加わっているのだ。その設定は遵守してもらわなければ意味がない。周りに人がいるときはサラも上手く少年を演じているのだが、こうして二人きりになると、つい素が出てしまう。それを自分でも分かっているのか、彼女はバツが悪そうに顔を逸らした。
(まあ……)
まあ、もっとも、小国とは言え一国の王女が初めて男装してそれなりに上手く少年を演じられていること自体、なかなか珍妙もしくは奇っ怪なことではある。この点については彼女のもともとの気質が良い方向へ作用したのだろう。
もっとも、サラがもう少しおしとやかであれば、そもそもこんなことにはならなかったであろうが。ただその場合、彼女はイスパルタ朝へ亡命できなかった可能性が高い。それでその点に関しては、ベルノルトはもう諦めることにしていた。
「……で、殿下が騎乗されるのでしたら、僕もご一緒いたします」
サラが口調を改めてそう言い直す。彼女の瞳には、隠しきれない期待の色が浮かんでいる。それを見てベルノルトは内心で嘆息しそうになったが、しかしすぐに思い直す。彼女も慣れない男装で息が詰まっているのだろう。息抜きも必要だ。そう思い、ベルノルトは馬車の窓を開けてメフライルにこう言った。
「身体をほぐしたい。騎乗するから、馬を二頭用意してくれ」
「はっ。少しお待ち下さい」
メフライルが馬を駆って馬車から離れて行く。ベルノルトが視線を馬車の中に戻すと、サラが顔を輝かせていた。それを見てベルノルトは小さく肩をすくめる。喜んでくれたようで何より。とりあえずそう思うことにした。
さてルルグンス法国へ向かう途中、弔問団は新領土の総督府に立ち寄った。新領土はもともとルルグンス法国の一部であり、つまり宗教的にはかの国と一体である。法王崩御の報せはこの地の民衆にも衝撃を与えており、その影響について確認しておくのが目的だった。
「情勢は落ち着いています」
総督ロスタムはまず話した。僧院はほとんど全てが喪に服している。これはルルグンス法国時代からの慣例であるという。何か大それたことを企む動きは見られない。むしろ諸々の活動は自粛傾向にあった。
町中や僧院などでは法国国旗が半旗にして掲げられている。それは多少気になるものの、同時にイスパルタ朝の双翼図も半旗で掲げられている。自分たちがどの国に属しているのかは分かっているようだ、とロスタムは分析していた。
民衆の生活に大きな変化はない。ただ自粛傾向は広がっていて、経済活動には鈍化が見られるという。特に高価な舶来品や華美な品は姿を消している。もっともこれは一過性であろうから、時間が経てば元に戻ると思われた。
それよりもロスタムが問題視しているのは、弔問のために法都ヴァンガルへ赴く者たちのことだった。彼の話では、僧職者が音頭を取ってキャラバンを組み、集団でヴァンガルへ向かうのだという。
キャラバンは小さいものでも数十人規模で、大きければ千人に迫る数になる。そんなキャラバンが幾つも国境を超えてヴァンガルへ向かっているのだという。弔問に向かった人数は、これまでに累計で五千を越えている。法王の宗教的権威がいまだに根強いことが窺えた。
「ジノーファ陛下は宗教について、寛容な姿勢を取っておられます。ゆえにこれまで、法王の宗教的権威を剥ぎ取るような施策はしてきませんでした。ですが国外においてこれだけの影響力を持つとなると、何か考える必要があるかもしれませぬ」
ロスタムは厳しい表情でそう語った。ただ法王の宗教的権威にまで手をつけるとなると、激しい反発が予想される。事と次第によっては、ルルグンス法国と手切れになることさえ考えられる。そこに百国連合とマドハヴァディティアのことを絡めて考えると、迂闊に手を出すことはできない。
そういう意味でも、今回の弔問団は重要だ。法王の崩御に際してイスパルタ朝が第一王子を派遣したとなれば、新領土の民衆もその対応に大いに満足するだろう。新法王フサイン三世もイスパルタ朝が変わらず両国の同盟関係を重視していることを理解し、安心するに違いない。それは間違いなく新領土の情勢の安定に資する。
逆を言えば、同盟を基盤とした両国の友好関係は揺るがないと示すことが、弔問団の代表たるベルノルトには求められている。この弔問が重要な外交任務であることを改めて理解し、ベルノルトは真剣な表情で一つ頷くのだった。
シェリー&マリカーシェル「カツラは女の命!」




