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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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アースルガムのサラ2


「……裏の系図をそのままにしておくことはできません。何とか回収する必要があります。回収が無理なら、闇に葬らねばならない。マドハヴァディティアの手に渡るようなことだけは、絶対に避けなければなりません」


 少々思い詰めた様子で、サラはそう語った。仮に裏の系図が表に出たとして、すぐに思いつく不都合は彼女以外の王家の血筋の存在だろうか。この場では“彼”とするが、マドハヴァディティアが“彼”を擁立してアースルガムを再興させれば、アースルガム解放軍には激震が走るだろう。


 最悪、解放軍は内部分裂を起こし、彼らを中心とした情報網も破綻しかねない。百国連合と本格的に事を構える際に内側から呼応することも期待できなくなるだろう。イスパルタ朝にとっては確かに痛手だ。


 確かに何か手を打つ必要があるだろう。ただそれでもやはり、サラがクルシェヒルを離れる必要性について、ジノーファは疑問だった。


 なるほど確かに、マドハヴァディティアが“彼”を擁立したら厄介だ。しかし王位継承順位や王朝の正当性について、“彼”はサラに及ばない。つまり彼女を擁立すれば、その時点で「アースルガムの再興」という大義名分はイスパルタ朝のものになる。


 だから“彼”が擁立されることよりも、サラが死んでしまうことの方が、イスパルタ朝にとってはリスクが大きい。それを考えると、やはりジノーファは彼女のルルグンス法国行きには反対だった。それで、彼はこう提案した。


「……誰か人に任せてはどうだろう。例えば、姫の手紙をベルに預けることもできる」


 そしてベルノルトからアースルガム解放軍のしかるべき人間に事情を説明し、系図のことを頼むのだ。しかしサラは首を横に振った。


「裏の系図のことは、本当に信頼できる者にしか頼めません。……解放軍の指揮を取っているのはアーラムギールという男ですが、彼が本当にわたしの知っているアーラムギールなのか、それさえも分からない状況です。それを確かめるためには、わたしが行くしかありません」


 そう言って、サラは思い詰めた様子で俯いた。そしてもう一度、「わたしが、行くしかないんです」と呟く。彼女の話を聞き、彼女の様子を見て、ジノーファは何となく事情が分かったような気がした。


 サラはもともと、五人家族だった。彼女の他に両親と、兄と姉が一人ずつ。しかし国から脱出して、イスパルタ朝へ亡命することができたのは彼女一人だけだ。


 父王と兄王子は逃げるわけにはいかなかった。この二人が逃げれば、マドハヴァディティアの追跡は厳しいものになる。だから二人は誰の目にも明らかなように死ななければならなかった。


 王妃と姉王女には、マドハヴァディティアの後宮で生きるという道もあった。しかし彼女らはそれを望まなかった。二人は自決する道を選んだ。将来的に自分たちが人質として使われることを怖れたためである。


 そして彼ら四人は、末の妹であるサラに「イスパルタ朝へ亡命するように」と言った。だが彼女は激しく反発。「せめて母上と姉上も一緒に!」と求めたが、その二人は静かに首を横に振った。


『私たちは馬に乗れません。馬車を使えば、足が遅くなる上に、見つかりやすくなります。あなた一人でお行きなさい』


 いくら兄王子ではないとはいえ、アースルガムの王族が逃れたとなれば、マドハヴァディティアは追っ手を差し向けるだろう。それをまくためにも、亡命の際には馬を走らせる事になっていた。そして護衛の騎兵に混じって馬を走らせることができるのは、父王と兄王子を別にすればサラだけだった。


 加えて、亡命のための道のりは強行軍になることが予想された。王妃と姉王女は、おそらくそれに耐えることができない。途中で追いつかれてしまうだろう。だがサラは兵士たちの訓練に混じってダンジョン攻略までしている。乗馬の件と合わせて、これまで母と姉はあまりいい顔をしてこなかったのだが、しかしこの非常時においてそれが彼女に亡命の扉を開こうとしていた。


『サラ、あなたは私たちの希望よ。さあ、行きなさい』


『ごめんなさい、サラ。あなたに辛い道を選ばせてしまって。でも、愛しているわ』


『姉上ぇ、母上ぇ……!』


 サラは涙を流して二人に抱きついた。二人は揃って彼女の頭を優しく撫で、それから後ろに控える男に視線を向けた。


『ヴィハーン。サラのこと、お願いしますね』


『この身に代えましても、必ずや姫様をクルシェヒルのジノーファ陛下のもとへお連れいたします』


 ヴィハーンと呼ばれた初老の男は静かに、しかし固い決意を胸にそう応えた。彼はサラが幼いときから面倒を見てきた執事であり、今回彼女と一緒にイスパルタ朝を目指すことになっていた。


『時間がない。さあ、早く行くのだ』


『父上、母上、兄上、姉上!』


『姫様。さあ、お早く!』


 半ば引きずられるようにして、サラは城を後にした。彼女は馬にまたがり、東を目指した。護衛には騎兵ばかり五〇騎がつけられた。アースルガムのような小国にとっては決して少なくない戦力だ。そして彼女が出奔した二日後、アースルガムはその短い歴史に幕を下ろした。


 予想されたことだが、マドハヴァディティアはサラ一行に追っ手を差し向けた。その手を逃れる中で、護衛は一人また一人と数を減らした。ついに護衛はヴィハーンただ一人になってしまったが、それでも彼らはルルグンス法国へたどり着いた。そして二人は法都ヴァンガルのイスパルタ大使館へ駆け込んだのである。


 そこからクルシェヒルまでは、何の危険もない安全な旅だった。サラは一国の王女として大切に扱われた。彼女は馬車に乗り、たくさんの護衛に守られて、クルシェヒルを目指した。そしてジノーファに謁見して亡命が認められ、以降、王宮に一室を与えられてそこで暮らしている。


 サラがイスパルタ朝に亡命してからおよそ一年後、ヴィハーンが病に倒れた。彼の容態は急速に悪化し、そのまま回復することはなかった。そして病の床に伏してから九日後、彼はクルシェヒルの地でその生涯を終えた。


『姫様、申し訳ありませぬ。どうか、アースルガムの再興を……!』


『爺や、死ぬな! 爺や!』


 サラはひとりぼっちになってしまった。皆、彼女を残して逝ってしまった。今やアースルガムの再興は、ただ一人彼女の肩に負わされた。その重みを分け合える相手もおらず、彼女はただひたすら一人でそれを背負い続けている。


 もしも姉王女が一緒に亡命していたら、サラは姉の後ろに隠れて大人しくしていただろう。もしもヴィハーンが生きていたら、裏の系図のことは彼に任せたに違いない。しかし彼女の周りには、この件で頼れる者がもう一人もいない。「わたしが、行くしかないんです」とは、つまりそう言うことだった。


 ただジノーファに言わせれば、それは気負いすぎというものである。確かにサラはアースルガム王家のただ一人の生き残りだ。しかしだからといって、アースルガム再興のために彼女が何もかもしなければならないわけではない。現に、解放軍の活動に彼女は何も関わっていない。


 サラがまずするべきこと、それは健やかに暮らすことだ。彼女が生きてさえいれば、アースルガム再興の希望は潰えない。最も大切なのはそこである。彼女に求められていることがあるとすれば、それは結婚して子供をもうけることだ。次の世代が生まれれば、再興計画は長期的な展望を描くことが出来るようになる。


 ただそれを今のサラに言っても、彼女は納得しないだろう。今の彼女は、言うなれば使命感にせき立てられている。それでジノーファはこう妥協案を出した。


「では、そのアーラムギール卿に総督府まで来てもらうのはどうだろう。そこで要件を話せばいい」


 総督府なら、そこはまだイスパルタ朝の国内である。サラの身の安全に大きな問題はない。無論、彼女の要件は伏せてアーラムギールを呼び出すことになるが、最大の支援者の呼び出しだ。彼もイヤとは言わないだろう。


「解放軍は今、大切な時期です。アーラムギールを呼び出してその活動が滞れば、元も子もありません。わたしがヴァンガルまで行くのが、一番効率的です」


 サラは首を横に振りながらそう答えた。アースルガム解放軍はできたばかりの組織だ。内部で固まっていない部分も多いと聞く。その状態で陣頭指揮を取るアーラムギールを呼び出せば解放軍全体の活動が滞る、というのは十分にあり得る。


 アースルガム解放軍が機能不全に陥るのは、本末転倒であるし、イスパルタ朝にとっても面白くはない。それを避けるためには誰かがヴァンガルまで直接赴く必要がある。そして事が事だけにアーラムギール本人を確認してからでなければ要件を話すことはできず、それが可能なのはサラだけである。要約してまとめると、それが彼女の言い分だった。


(理論武装はしてきたらしい……)


 ジノーファは内心で苦笑した。確かにサラの言い分には一理ある。ただ根本的な話として「裏の系図よりもサラ本人のほうが重要度が高い」ということを、よりにもよって本人が理解していない。いや理解しているのかもしれないが、納得していない。


「もちろん、わたしであることを明かしてヴァンガルへ行くつもりはありません。変装するつもりです。サラシを巻いて胸を潰せば、小柄な少年に見えるはずです。むしろ年齢を偽るという意味では、その方が良いかもしれません。髪も短くしてしまえば、女だと気付く者はいないでしょう」


 同時に、「サラ王女が病に倒れた」と噂を流すのだという。そうすれば彼女が表に出てこなくても不審に思う者はいない。そもそもマドハヴァディティアも、まさかサラ本人がヴァンガルへ姿を見せるなど思ってもみないだろう。彼女はそう語った。


「……なぜ、そこまで?」


「ですから、それは裏の系図を……」


「はっきり言おう。系図のことだけなら、姫を行かせることはできない。イスパルタ朝にとっては、系図よりも王女殿下ご自身の方が大切です」


 ジノーファがそう明言すると、サラの顔から表情が抜け落ちた。彼女は睨むように鋭い視線をジノーファに向けるが、彼は目をそらさずにそれを迎え撃つ。先に視線を逸らしたのはサラの方だった。彼女はうつむき加減になり、やがて絞り出すようにしてこう言った。


「……わたしはもう、わたしだけが安穏としていることに、耐えられません……!」


 それを聞き、ジノーファはやっとサラの気持ちを知ることができたような気がした。アースルガムの再興は、ただ一人サラの双肩にかかっている。しかしそのために、彼女は剣を取って戦うことも、泥水を啜ることも求められてはいない。それどころか彼女はこの王宮で一国の姫として遇され、ともすれば祖国にいた頃よりも恵まれた環境で安楽な生活をしている。


 託された願いの重さに比べ、あまりにも不釣り合いな現状だ。サラはそう思っているのかも知れない。彼女も艱難辛苦を好んでいるわけではないだろう。しかしそれを与えられた方が、心情的には均衡を保ちやすいのではないか。ジノーファにはそう思えた。


 それでも、祖国の再興を完全にイスパルタ朝任せにしなければならない状況なら、サラも亡国の姫の立場に甘んじていたのだろう。しかし西方においてはアースルガム解放軍が活動を続けていた。彼女の同胞たちが戦い続けているのだ。その状況で自分だけ何もしないでいることに、彼女はもう耐えられなかった。


「陛下、お願いいたします。どうかヴァンガルへ行くことをお許し下さい」


 サラは跪いてそう請願した。彼女が裏の系図のことで動くべき理由はない。あったとしても薄弱だ。しかし彼女はもう、何もしないでいることはできないのだ。何かしたいと、彼女はそう願ったのだ。


「分かった、いいだろう。許可する」


 ジノーファがそう言った瞬間、ベルノルトは思わず父王の顔を見た。うんざりして折れた、というようには見えない。それどころか彼の顔には薄く微笑みさえ浮かんでいた。


「ベルもいいね?」とジノーファは尋ねたが、彼が許可を出したのに、ベルノルトが「ダメだ」と言えるはずもない。父王の意図が分からず、釈然としないものを感じたままベルノルトは一つ頷いた。


「まことですか!?」


 一方でサラは満面の笑みを浮かべている。そんな彼女をジノーファは優しげな目で見ている。その目が、やけにベルノルトの印象に残った。


 その後、幾つかの注意点を話し合ってから、ジノーファとサラの話し合いは終わった。今にも踊り出しそうな足取りで部屋を後にするサラを見送ると、ベルノルトは小さくため息を吐く。そしてジノーファにこう尋ねた。


「父上、どうしてお許しになられたのですか?」


「ガルガンドーを出奔したときのことを思い出したよ。……ダンダリオン陛下も、こんな気持ちだったのかな」


 ジノーファはどこか楽しげにそう応えた。「ガルガンドーを出奔したとき」というのは、彼が王になるべくアンタルヤ王国へ戻ることを決意したときのことだ。その時のことを思い出したというのだから、これにはベルノルトの方が驚いた。


「サラにも、父上のような使命があると、そうおっしゃるのですか?


「ベル。わたしには、成すべき使命など一つもなかったよ」


 苦笑を浮かべながら、ジノーファはそう答えた。あの時、ジノーファが国を興すことにしたのは、防衛線を維持するのに旧来の方法では限界が来ているように思えたからだ。だがそうする責任が彼にあったわけではないし、まして誰かに命じられたわけでもない。彼がやらなければ、恐らく他の誰かがやっただろう。ジノーファはそう思っている。


「混乱や犠牲は少なくなったはずだと思ってはいる。まあ、それくらいの自負はある」


 苦笑を浮かべたまま、ジノーファはさらにそう語った。彼は確かに歴史的な偉業を成した。だが彼でなければならない理由はなかった。彼がそれをしたのは、自分でそう決めたからである。


 ジノーファにはサラもまた同じであるように思えたのだ。彼女には、アースルガム再興のため、象徴となる以外に求められていることはない。強いて言うなら結婚して子供をもうけることが求められているが、それも今すぐにというわけではない。だから彼女にはヴァンガルへ行くべき理由も使命もない。


 しかしサラはそれを望んだ。望まずにはいられなかったのだ。例えせき立てられるようにしてであったとしても、彼女はそれを自分で望んだのである。


「ですが父上。現実問題としてリスクが大きいのではありませんか?」


「そこは代表者の手腕に期待しよう」


 ベルノルトが懸念を示すと、ジノーファはニヤニヤと笑いながらそう切り返した。弔問団の代表者とは、つまりベルノルトのことである。あっさりと問題を丸投げされて、彼は顔を引きつらせた。


「それに、理由がないわけじゃない。サラ姫が直々に足を運んで用事を頼んだとなれば、解放軍の士気は高まるだろう。一時の情熱も下火になっている頃だろうし、そういう意味ではちょうど良いよ」


 サラがヴァンガルへ行くことの意義を、ジノーファはそう語った。一方でベルノルトの表情は渋いままだ。


「演説をさせるわけにもいかないでしょうに」


「ではその辺りの事も含めて、代表者の手腕に期待する」


 ベルノルトはますます渋い顔をする。藪蛇だ、と彼は思った。


ベルノルト「王子といえども中間管理職。上司のムチャ振りが酷い……!」

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― 新着の感想 ―
[一言] ベルノルトにとっても成長の糧になるといいですね
[良い点] これは賢王ですわ、そして非情になれるような余裕のある風格も出てきて良くも悪くも両王の在り方に感化された気がする。 [一言] さて、王女は大国の王子と共に復興をすることとなった。また、王…
[良い点] ジノーファにとってみたら、サラ王女は駒の一つでしかなく、あると助かるが無くすと絶対困るというほどではない。旗頭は他にも探せばいそうだし、そんなものなくても最悪イスパルタ軍が力押しでマドハヴ…
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