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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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交渉妥結


 百国連合とイスパルタ朝の和平交渉は、少なくとも後者にとっては、おおよそ順調に進んでいると言って良かった。その要因の一つは、百国連合軍の増援がマドハヴァディティアの思うように集まらないことにあった。


 最初の決戦で味方が敗北したことを聞くと、オリッサ平原を目指していた西方諸国の各部隊はそれぞれ選択を迫られることになった。そしてある部隊はさっさと踵を返して国へと帰り、またある部隊は足を止めて陣を張って情勢がどう変化するのかを見守った。


 いずれにしても、積極的にマドハヴァディティアの下へ合流しようとする部隊は少なかった。負け戦に巻き込まれるのは御免。そう思ったのだろう。それだけ緒戦の敗北の衝撃は大きかったのだ。


 あるいは西方諸国においてマドハヴァディティアの権威がしっかりと確立されていなかったため、と言えるかもしれない。百国連合が樹立され、西方諸国の王たちは形の上では彼に膝を屈して臣従を誓った。しかし心の中では、マドハヴァディティアを「王の中の王」と認めてはいなかったというわけだ。


 それもある意味では当然なのかも知れない。マドハヴァディティア率いるヴェールールが大きく伸長したのはここ十年のことだ。彼がまだ小国の王であったころを覚えている者は多い。そういう者たちからすれば、彼が「王の中の王」を名乗るのは増長としか思えなかったに違いない。


 またそもそも西方諸国においては国の勃興が激しい。盛強を極めた国が瞬く間に滅ぶことも、ここでは珍しくない。ヴェールールがそうならないとどうして言えるだろうか。むしろこの敗戦こそがヴェールール凋落のきっかけとなるかも知れぬ。そう考えた者は多かっただろう。


 そう言うことも含め、様子見に回った者が多かったのだ。それどころか中には「負けてしまえ」とさえ考えている者もいたかもしれない。群雄割拠の乱世でこそ、下克上は成り立つ。ヴェールールとマドハヴァディティアに取って代わるには、まずは現在の秩序が破壊されなければならないのだから。


 マドハヴァディティアは孤立していた、と言えるだろう。彼自身がその事実を、惨めさと共に噛みしめていた。西方諸国において自分の力がまだ絶対のものではないことを、彼は思い知らされたのだ。


(気に入らぬ……!)


 マドハヴァディティアは何度も胸中でそう吐き捨てた。だがどれだけ気に入らないとしても、現実は現実として受け入れなければならない。現実を無視しても、待っているのは破滅だけである。そしてどれだけ苦い現実であろうとも、それを飲み下すだけの器量を彼は確かに持っていた。


 その上で、彼は苦い現実を飲み下すだけでは終わらなかった。彼は同時に復讐を堅く決意していたのである。自分を虚仮にする者どもには、骨の髄までも思い知らせてやらねばならぬ。彼はそう思い定めていた。


 そして彼のそういう想いこそが、和平交渉を前向きに進める要因になっていた。つまりさっさと交渉をまとめてイスパルタ軍にはお引き取り願い、誰にも邪魔されることなく百国連合内の引き締めを行いたかったのだ。


 幸い、彼の直轄軍とも言うべきヴェールール軍は無傷である。すでに彼の手元にあり、すぐにでも動かすことが可能だ。物資に多少の不安はあるものの、連合域内ならば大丈夫だろう。ただ悠長に交渉を引き延ばす余裕はない。マドハヴァディティアは交渉をなるべくはやくまとめるよう指示していた。


 一方でイスパルタ軍にもあえて交渉を決裂させる理由はない。交渉が順調に進むのなら、そのまままとめてしまうだけだ。ただそれでも、交渉がまとまるには数日の時間を要した。それは双方に譲れない一線があったからだ。


 百国連合側は領土の割譲についてはかたくなに拒んだ。「猫の額ほどの土地でも譲り渡しはしない」という姿勢で、結局最後はイスパルタ側が折れた。もっともこれは、ルルグンス法国への言い訳のためにわざとごねた側面が強い。最初から土地を得られるとは思っていなかったので、折れることに抵抗は少なかった。


 イスパルタ軍にとっての譲れない一線とは、「勝ったのはイスパルタ軍」という立場を明確にすることと、「この交渉はあくまでも百国連合を相手にしたもの」という形式だった。


 一つ目はともかく、二つ目をどうして譲ってはならないのか、ベルノルトは分からなかった。疑問を口にする息子に、ジノーファは優しく微笑みながら逆にこう尋ねた。


「百国連合が相手でないのなら、いま我々は一体誰を相手に交渉していることになると思う?」


「それは……、ヴェールール、でしょうか?」


「そうだね。つまり百国連合の他の国は、締結された条約とは無関係ということになる」


 賠償金を取るにも、相互不可侵条約を結ぶにも、それぞれ個別に交渉する必要がある。それでは面倒なので、百国連合という大きなくくりにまとめたわけだ。そして同時に、マドハヴァディティアに「連合をまとめろ」と圧力をかけることにもなる。


 もっとも、これはマドハヴァディティアにとっても悪い話ではない。イスパルタ朝がヴェールールを百国連合の盟主と認めた、とも受け取れるからだ。彼の権威を高めるための格好の材料になるだろう。


 ただし、これは同時に毒でもある。イスパルタ朝との取り決めを巡り、百国連合内に反対意見が生じたとき、マドハヴァディティアにはそれを黙らせて従わせる責任がある。それができなければ、彼の権威は低下し、百国連合も空中分解するだろう。


 それを回避するためには、連合内に味方が必要だ。そしてその味方は当然、イスパルタ朝との取り決めを守る立場を取ることになる。つまり親イスパルタ派だ。マドハヴァディティアは親イスパルタ派と手を組まなければ、連合内で立場を守れなくなる。今後、イスパルタ朝やルルグンス法国とは戦いにくくなるだろう。


 もちろん、そう上手く事が運ぶとは限らない。だがどういう形であれ、マドハヴァディティアの影響力が低下すれば、イスパルタ朝にとっては御の字だ。そういう毒を、ジノーファは交渉に含ませていたのである。


「すごい……! そんなところまで考えて……!」


 ベルノルトは感嘆していたが、ジノーファとしてはあまり自慢する気にはなれなかった。こんなもの、策と呼ぶにはあまりにも大雑把過ぎる。ジノーファ自身でさえ、「たぶんそれほど上手くはいかないだろうな」と思っている。まあ、調略を継続することで少しは結果が出るだろう。


 さて、百国連合とイスパルタ朝の交渉は全部で四日間に及んだ。双方とも交渉を早くまとめることを望んでいたが、その一方で時間をかけなければ形式が整わないこともある。四日という時間は、つまりそういうことだった。そして交渉の結果、合意された内容はおおよそ以下の通りだ。


 一つ、百国連合は賠償金として金貨五万枚と遊牧民の騎馬五〇〇〇頭を支払う。

 一つ、百国連合はルルグンス法国及びイスパルタ朝と五年間の相互不可侵条約を結ぶ。

 一つ、百国連合とイスパルタ朝は通商条約を結ぶ。なお、条約の内容は別途協議する。


 大雑把にまとめると、百国連合とイスパルタ朝は以上の三点を合意した。金貨五万枚というのは大金だ。百国連合各国の財政は圧迫されるだろう。さらに遊牧民から馬を集めなければならない。全体的な出費はさらに増えるだろう。


 ちなみに遊牧民の騎馬を求めることにしたのは、ジノーファのアイディアだった。遊牧民の馬はイスパルタ朝でも評価が高い。それでこの機会にその馬をまとまった数手に入れ、イスパルタ朝の国内で増やせないかと彼は考えたのだ。


 少し先の話になるが、この馬の生産は主に新領土で行われた。そしてこの地方は名馬の産地として知られていくようになる。ジノーファはこの産業を興した人物としても歴史に名を残した。


 相互不可侵条約はどうしても必要だった。これは百国連合にとっても、イスパルタ朝にとっても、である。ただ百国連合は当初二年を主張した。しかしイスパルタ朝が国土の割譲を諦める代わりに五年を呑ませたのだ。


 ただ、五年の期間がきっちりと守られるかは不透明だ。百国連合が二年を主張したと言うことは、二年あればまた東征するだけの準備が整うと考えたからだろう。となれば条約を反故にして動く可能性はある。


 もっとも、この手の条約破りはある種「お約束」だ。そういうものだと考えて警戒していれば、不意を突かれることはないだろう。今回、イスパルタ軍が百国連合軍の機先を制することができたように。


 三つ目の通商条約については、百国連合側は当初これを拒んだ。「今する話ではない」というわけだ。いま通商条約を結べば、自分たちに不利な内容になる。そう思ったのである。


 実際、ジノーファはイスパルタ朝に有利な条約を結ぶつもりだった。それが勝者の権利というものである。百国連合側も最後まで抵抗したのだが、国土の割譲を断固拒否した手前、この点では譲らざるを得なかった。


 またそこにはマドハヴァディティアの意向も関係していた。通商条約を結ぶと言うことは、大国イスパルタ朝が百国連合を一目置く勢力として認めるということだ。この際、実は捨てざるを得ないと判断し、彼は名を取ることを選んだのである。


 そして、交渉がまとまり合意文書が作成された。後は調印を行うだけである。その段階になって、百国連合側からある提案がなされた。


 曰く「調印は〈王の中の王〉マドハヴァディティア陛下と〈大王〉ジノーファ陛下が直接行われてはどうか」


 要するに、マドハヴァディティアがジノーファに会いたいと言っているのだ。イスパルタ軍の幕僚たちは暗殺の危険性を指摘したが、最終的にジノーファは会談に応じることにした。断っても調印に不都合はない。しかし断れば、「逃げた」と言われるだろう。面子を守ろうとすると、こういう面倒が多い。


「父上! マドハヴァディティアが父上を〈大王〉と認めましたっ!」


 百国連合側の申し出について知ると、ベルノルトは興奮した様子でそう話した。一方でジノーファは苦笑を浮かべている。彼は息子の肩に手を置きながらこう話した。


「ベル。多分だけど、マドハヴァディティアはわたしを〈大王〉とは呼んでいないよ」


 そもそも〈大王〉というのは正式な称号ではないし、ジノーファが自らそう名乗ったこともない。ある時から徐々にジノーファをそう呼ぶ人間が増えてきた、というだけのことだ。そもそも彼自身、そう呼ばれることをあまり好んではいない。


 そんな、いわば俗称でしかないものをなぜわざわざ持ち出したのか。それはマドハヴァディティアが〈王の中の王〉という称号にこだわっているからだ、とジノーファは思っている。


 そしてマドハヴァディティアを〈王の中の王〉と呼ぶのに、ジノーファをただの〈王〉とすれば、イスパルタ側の強い反発を招くことになる。ともすれば「侮辱された」として戦端が開かれることになりかねない。それを避けるための苦肉の策が〈大王〉なのだ。向こう側の担当者も苦労したのだろうな、とジノーファは苦笑した。


(それにしても……)


 それにしても、マドハヴァディティアは「なぜジノーファに会いたい」などと言い出したのか。交渉がまとまったこの段階で何か仕掛けて来るとは考えにくい。であれば、本当にただの好奇心か。


(まあ、この機会だ)


 ジノーファとしても、マドハヴァディティアという人物には興味がある。せっかくむこうが「会いたい」と言っているのだ。この機会に顔を見ておくのも悪くない。彼はそう考えて悠然と構え、調印の日を待った。


 そして調印の日。ジノーファは日が十分に高くなってから、両軍の真ん中に設けられたテントに向かった。護衛は騎兵ばかりを五〇。これは事前に取り決めておいた数である。そしてその中にはベルノルトの姿もあった。


 繰り返しになるが、ベルノルトはこの戦が初陣である。この先、彼がどれほどの戦場を経験するのか分からないし、また将としてどれほどの器を持っているのかも不明だ。しかし彼は王子である。「できない」では済まされないこともあるだろう。


 もちろん、彼は万事に対して一人で当たらねばならないわけではない。ジノーファもそうだが、ベルノルトの周りには彼を補佐する者たちがいる。彼らの助けを借りて事に当たれば良い。


 だが頼りっぱなしというのも良くない。自分で何一つ判断できないのであれば、それは傀儡と何ら変わらないだろう。無論、あまりに酷い判断を下すくらいなら傀儡になってしまったほうが良いが、今はまだそのように見限る段階ではない。


 では適切な判断を下すために必要なものは何か。それは幾つかあるだろう。そしてその一つは間違いなく経験だ。そしてジノーファはベルノルトに色々な経験をさせてやりたいと思っていた。


 そこへ、今回の話である。ジノーファとマドハヴァディティアが顔を合わせ、その上で調印だけして終わりということはまずない。記録には残らないかも知れないが、何かしらの話し合い、つまり会談になるだろう。


 百国連合の事実上の盟主と超大国イスパルタ朝の国王が会談するのである。その場に同席することは、きっとベルノルトにとって得がたい経験になるだろう。何かを学べとは言わない。だが何かを感じてくれれば、とジノーファは思っていた。


 ただ、ベルノルトが会談に同席することには反対意見もあった。やはり暗殺の可能性を捨てきれない、というのが理由だ。その時、ジノーファは苦笑を浮かべながらこう指摘した。


『おいおい、わたしは行くんだぞ?』


『だからこそです、陛下』


 暗殺の危険性を指摘した幕僚は、渋い顔をしてそう答えた。万が一、ジノーファが暗殺されてしまったとする。当然、交渉は決裂だ。イスパルタ軍は全軍が死兵と化して復讐戦を挑むだろう。全体の指揮はハザエルが執ることになる。だが死兵と化した狂人の群れを一つにまとめ上げるための象徴は、ベルノルトでなければならない。


『もしも陛下と殿下を同時に失うようなことがあれば、元帥以下全ての将兵が無傷であっても、イスパルタ軍はもはや戦えませぬ。本国へ撤退せねばならぬでしょう。その場合、後ろから食い付かれて大損害を被ることになります。ルルグンス法国もまた、マドハヴァディティアの手に落ちるでしょう』


 そのような事態を避けるためにもベルノルトは伴うべきではない、と言うのがその幕僚の意見だった。


 加えて、警備上の理由もあった。事前の話し合いで、調印式に連れて行ける護衛は五〇人までと決まっている。ベルノルトを連れていけば彼の警護もしなければならず、相対的にジノーファの警護は手薄になる。


 このように諸々反対意見は出たものの、最終的にベルノルトは会談に同席することになった。マドハヴァディティアがこの段階で暗殺を企てる可能性は限りなく低い、というのが幕僚たちの共通認識だったのだ。


 それに、ベルノルトはアルアシャンではない。ジノーファとベルノルトが二人揃って暗殺されてしまったとして、それでもまだ本国にはアルアシャンがいる。イスパルタ朝の基は揺らがない。例え一時百国連合の勢いが強まるとしても、最終的には必ずやこれを圧倒することができる。その見通しがあったのだ。


 まあ、そんなわけで。ジノーファはベルノルトを伴い、調印のために両軍の真ん中に設けられたテントへ向かった。テントの西側には、すでにヴェールールの旗がたなびいている。どうやらすでにマドハヴァディティアは到着しているらしかった。


メフライル「次回、社会科見学」

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― 新着の感想 ―
[良い点] マドハヴァディティアはさすが群雄割拠の諸国をまとめただけあって強かですね。予想外の事をが起きてもダメージを最小にしただけでなく、それを利用して国内を安定させようとする。ガーレルラーン二世も…
[一言] やっぱり戦争するにしても調略するにしても、直接隣接していないと、相手に圧力が掛けにくいな。 百国連合が纏まっていると壁としても使いにくいし。
[一言] マドハヴァディティアが国内で劣勢になったらアッサリ戦国時代到来だからな(笑)
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