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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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オリッサ平原の戦い


 百国連合の盟主、「王の中の王」を名乗るマドハヴァディティアが、ルルグンス法国に対して宣戦を布告した。同時に彼は連合諸国に対して兵を挙げるよう通達。オリッサ平原をその集結地点に定めた。


 その命令に従いオリッサ平原に集まった百国連合軍の将兵たちは、しかし「戦争はまだ始まっていない」と思っていた。オリッサ平原は、国境際とはいえまだ百国連合の域内だ。そこへ集結したからと言ってルルグンス法国へ攻め込んだ事にはならない。


 要するに彼らは、オリッサ平原に敵が現われるとは思っていなかった。敵がいるのはもっと東で、それも今頃は突然の宣戦布告に驚いているに違いない。イスパルタ軍はまだ法国に到着もしていないはずで、つまり自分たちを脅かす存在はいない。彼らはそう思っていたのだ。


 それを慢心と咎めるのは、あるいは酷なことなのかも知れない。この時点ですでにイスパルタ軍が法国国内に進駐しているなど、普通は考えない。常識的に考えて、このときのイスパルタ軍の動きはあまりにも早すぎた。


 ただ、やはり百国連合軍の将兵たちは油断していた。彼らは「自分たちは攻める側だ」と思っていて、自分たちが攻撃されることは少しも想定していなかった。彼らは斥候を出すなど、周辺の警戒を全くしていなかったのだ。


 その怠慢が、彼らにとって最悪の結果を呼び寄せることになる。彼らはイスパルタ軍の接近をまったく探知できなかったのだ。


 もちろん、攻撃されるその瞬間まで気付かなかったわけではない。オリッサ平原は見晴らしが良いし、百国連合の将兵たちもただ静かに座ってマドハヴァディティアの到着を待っていたわけではない。特に暇つぶしと食料の確保をかねた狩猟は頻繁に行われていて、つまりオリッサ平原周辺での人の動きは比較的活発だった。


 最初にイスパルタ軍の接近に気付いたのも、狩りの獲物を求めてオリッサ平原の東へ足を伸ばしていた者たちだった。鹿かウサギでも狩るつもりだった彼らは、しかしそこで堂々たるイスパルタ軍の陣容を目にして度肝を抜かれた。そして慌てて馬首を翻し、敵の接近を味方に報せたのである。


 これが最初に弓矢が放たれる、およそ三時間前のことだった。この僅かな時間的猶予を、しかし百国連合軍は必ずしも有効に使うことができなかった。部隊間の情報の伝達と意思の疎通が、あまり上手く行かなかったのだ。


 イスパルタ軍を発見した兵士たちは、まず自分たちが所属する部隊(ある小国の軍)の陣に走り込み、そのことを報告した。報告者たちの中に比較的身分の高い者がいたおかげで、その部隊では報告は真剣に受け止められ、ただちに迎撃の準備が始められた。


 さらにこの報告は他の部隊、つまり他の小国や都市国家の軍にも伝えられた。しかしその受け止め方は様々だった。半信半疑ながらも迎撃の準備を始めたところはまだ良い方で、中にはその報告を全く無視した部隊もあった。「敵がこんなところにいるはずがない」と思い込んでいたのである。


 また独自に斥候を出して情報の真偽を確認させた部隊もあった。そして真実であることが確認されてから慌てて準備に取りかかったのだが、手間取ってしまった分、しっかりと準備できたとは言いがたい。それでも、何もしなかった部隊よりはマシだった。


 ただ、準備を行ったとはいえ、それは所詮部隊ごとでの話でしかない。つまりそれぞれの部隊をどう配置し、全体としてどう隊列を組むのか。そういう話がまったく抜け落ちていたのである。


 これは時間的な猶予がなかったこともあるが、それ以上にまとめ役がいなかったことが大きい。要するに指揮系統がはっきりしていなかったのだ。それで、それぞれの部隊は独自に隊列を組んで敵を迎え撃つより他になかった。


 そしてついに、イスパルタ軍が目視できる距離まで近づいて来た。事ここに至れば、「敵見ゆ」の報告を信じなかった部隊も慌てて動き始める。そのいかにも混乱した様子はイスパルタ軍からもはっきりと見えた。


「混乱しているな」


 敵の様子を見ながら、ジノーファはぽつりとそう呟いた。その隣でベルノルトは大きく頷く。初陣である彼の目にも、一部の敵部隊が見せる混乱した様子は一目瞭然だった。しかしその一方で、迎撃準備を整えている部隊もある。


 そして敵の布陣の仕方は、素人目にもバラバラだ。まるで子供が何も考えずに部隊の配置を決めたかのようである。そのチグハグな様子が、全体として敵の準備が整っていないことを如実に示していた。


「ヴェールールの旗が見当たりませぬ。まだ来ていない様ですな」


 ハザエルの言葉にジノーファが頷く。ヴェールール軍、つまりマドハヴァディティアがオリッサ平原に到着していれば、敵はもう少しまとまった様子を見せていただろう。しかしどうやら、彼はまだこの場にはいない。百国連合軍にとっては致命的、と言っていいだろう。


 逆を言えば、イスパルタ軍にとってはまたとない好機だ。わざわざこれ以上時間を敵に与える必要性を認めず、ジノーファは全軍に攻撃を命じた。銅鑼が鳴り響き、イスパルタ軍の将兵が鬨の声を上げる。


 ベルノルトは馬上で手綱を強く握りしめた。心臓がうるさいぐらいに高鳴っている。緊張でどうにかなってしまいそうだった。これから戦が始まるのだ。


 さて、イスパルタ軍は兵を主に四つの集団に分けていた。左翼、右翼、前衛、本陣である。兵力はそれぞれ二万。オーソドックスな陣形と言っていい。ちなみにルルグンス軍一万は五〇〇〇ずつ両翼に配置された。


 戦闘が始まると、まず前衛と両翼が前進を開始する。イスパルタ軍が動き始めても、百国連合軍の動きは鈍い。イスパルタ軍が大軍であることも含め、どの部隊がどう戦うべきなのか、戸惑っているのだ。中にはじりじりと下がる部隊まであり、実際の戦闘が始まる前から、百国連合軍の戦線は崩壊気味だった。


 イスパルタ軍にとってはつけ込むべき好機でしかない。両翼と前衛は手当たり次第に敵を蹴散らした。百国連合軍のそれぞれの部隊は、多くても五〇〇〇に満たない。さらに士気が高いとも言えぬ。単独で抗し得るはずもなく、あっという間に押し込まれた。


 味方を助けようとする殊勝な部隊もあったが、しかし連携が上手く行かない。かえって各個撃破された。それでも戦えた部隊はまだ良い方で、中には何も出来ずに蹂躙された部隊もあった。


 要するに、百国連合軍は組織的な抵抗ができていなかった。言い換えれば、それぞれの部隊が独自の判断で行動している。そして戦況は圧倒的に不利だ。その上、降伏を判断する者がいない。そうなると、勝手に遁走に移る部隊が出てくるのは自明だった。


「味方が後退します!?」


「奴らめっ、まだ戦っておらんではないか!」


「おのれぇ、我々を捨て駒にする気か!?」


 一つの部隊が逃げ出すと、それを見た周囲の部隊も続々とそれに続いた。望まぬ殿を押しつけられては堪らない。そう思ったのだろう。百国連合軍は雪崩を打ったかのように崩れた。


「勝ちましたな」


 ハザエルが呟いたその言葉に、ジノーファは表情を緩めずに頷いた。そんな彼に、ベルノルトが焦った様子でこう頼み込む。


「父上、わたしも戦わせて下さい!」


 ベルノルトにとって今回の戦は初陣だ。ただ見ているだけなど我慢できない。是非とも自分で戦って手柄を上げたかった。そうでなければ、何のためにここにいるのか分からない。だがジノーファは苦笑を浮かべてこう言った。


「趨勢は決した。あえて戦う必要はないと思うが……」


「そんなぁ、父上!」


 ベルノルトが悲壮な顔をする。それを見てジノーファは困ったように苦笑を深めた。ベルノルトの気持ちも分かる。だがこの状況でさらに兵を動かす必要がないのは明らかだ。それでジノーファは息子を説得しようと思ったのだが、そこへハザエルがややわざとらしくこう声を上げた。


「やや! 陛下、あれをご覧ください。いまだに抵抗を続けている部隊がございますぞ。あれを叩けば、我が軍の勝利は決定的になりましょう!」


 そう言ってハザエルが指さす先には、確かにまだ抵抗を続ける敵部隊があった。数としては二〇〇〇ほどだろうか。それを見てベルノルトが顔を輝かせる。とうとうジノーファは肩をすくめてこう言った。


「分かった、分かった。ではベルノルト、卿に命じる。一隊を率い、抵抗を続ける敵部隊を叩け」


「御意!」


 ベルノルトが満面の笑みを浮かべながら、馬上で敬礼した。ジノーファは息子に一つ頷いてから、一人の将軍を傍に呼ぶ。クワルドの長子、エクレムである。彼は本陣にあって一万の兵を任されていた。


「エクレム、息子を頼む」


「ははっ。ベルノルト殿下の初陣を、必ずや勝利で飾ってご覧に入れます!」


 ベルノルトとエクレムは、ただちに本陣より出撃した。その背中を見送りつつ、ジノーファはハザエルにこう言った。


「ハザエル。あまり息子を甘やかしてくれるな」


「ははっ。出過ぎた真似をいたしました」


 ハザエルは大げさに一礼してそう応えた。言葉は殊勝だが、仕草は芝居じみている。それを見て、ジノーファはやれやれと言わんばかりにため息を吐くのだった。


 さて、念願叶って出撃したベルノルトだったが、馬上にあって彼は気持ちがとても急いていた。現時点においても、イスパルタ軍は圧倒的に優勢である。彼が排除を命じられた敵部隊も、いずれ別の味方が退けるだろう。ジノーファが言っていた通り、このまま彼が何もしなくても勝利は揺るぎない。


 だがそれでは、ベルノルトは初陣にあって手柄を立てることができない。だから誰かが獲物を横取りしてしまう前に、それを叩いてしまいたかった。彼は武功が欲しいのだ。それを誰にも渡したくなかった。


「殿下、急いては事をし損じますぞ」


 放っておけば単騎で駆け出しそうなベルノルトを、エクレムはそう言って宥めた。そして不満げな王子に、彼はさらにこう言い聞かせた。


「麾下の主力は歩兵です。歩兵の足に合わせなければなりません。無駄に走らせれば、接敵する前に息が上がってしまいます。それでは勝つものも勝てませぬぞ!」


「だが!」


「大丈夫です。このタイミングなら十分に間に合います」


「……」


 ベルノルトはまだ不満げな顔をしている。それを見てエクレムは内心舌打ちをもらしたくなった。ベルノルトは功名心が逸って視界が狭くなっている。このままでは手柄ほしさに無謀な行動に出かねない。


(その時には……)


 ジノーファから直々に「息子を頼む」と言われているのだ。その時には、殴ってでも止めなければなるまい。エクレムはその覚悟を決めた。だが彼が強硬手段を取ることはなかった。ベルノルトの後ろに控えていたメフライルが、彼にこう言ったのである。


「殿下。エクレム将軍は私たちが生まれる前から近衛軍で兵を率いておられた方です。陛下の御信任も厚い。ここは将軍にお任せしましょう」


「……分かった」


 ベルノルトはようやく頷いた。それを見てエクレムは内心で安堵の息を吐く。仮にベルノルトがこの初陣で手柄を立てられなかったとしても、それは大した問題ではない。味方は勝利をほぼ確実にしており、ベルノルトに活躍の場がなかったとしても、そのために彼の資質が疑問視されることはあり得ない。


 だから武功がなかったとしても、「良い経験をされましたな」とか「良い勉強になりましたな」とか、そう言われるだけである。それも好意的な評価だ。もしかしたら「陛下はなかなか過保護でいらっしゃる」とか言われるかも知れないが、それも決して悪い意味ではない。


 ではどうなるとまずいのかというと、それはベルノルトが失敗した場合だ。ジノーファの第一王子として、良くも悪くもベルノルトは注目を集めている。その彼が初陣で失敗を犯したとなれば、そのことをあげつらう者が必ずや出てくるだろう。下手をすれば、愚将のレッテルを貼られることにもなりかねない。


 かつてイスファードは初陣で敗北を喫した。そしてその敗北はその後も彼につきまとって彼を苛んだ。彼の運命をねじ曲げた、大きな要因の一つと言っていいだろう。エクレムとしては、ベルノルトに同じ轍を踏ませるわけにはいかない。


 要するに大げさなことを言えば、ベルノルトの将来はこの初陣の戦いぶりにかかっているのだ。もっとも、エクレムは特別懸念を抱いているわけではない。普通に戦えばまず間違いなく勝てるだろう。そう思っていた。


 第一に数が違う。標的とした部隊と麾下の兵だけを比べてみても、前者は約二〇〇〇、後者は一万。およそ五倍の戦力差だ。さらに敵はすでに戦線崩壊しているが、味方の他の部隊にはまだまだ余裕がある。


 また事前に集めた情報によると、西方諸国における兵の大半はいわゆる農兵。常備兵(職業兵)の割合は多くても二割と言われており、兵の質においても味方が勝っている。よほどの事がない限り、負けることはあり得ない。


 実際、接近してくるエクレムの部隊に対し、敵部隊はすでに腰が引けている。それでも彼らが逃げ出さないのは、背後の多量の物資を抱えているからだ。恐らく、何とかそれを持ち出そうとしているのだろう。


 イスパルタ軍としては、それを看過することはできない。イスパルタ軍の目的は敵戦力の撃破ではなく、敵が集めた物資を抑えることだからだ。それで戦場の他の場所では、すでに別の味方が敵の物資を確保するなり燃やすなりしている。後は前方の敵部隊が持つ物資を抑えれば、イスパルタ軍としては目的を達したと言えるだろう。


「殿下、今です!」


「うん、全軍突撃!」


 エクレムに促され、ベルノルトは麾下の部隊に突撃を命じた。その瞬間、彼らは解き放たれた矢の如く、怒濤の勢いで敵に襲いかかった。敵も最初は持ちこたえたが、しかし圧力が違う。たちまち突き崩された。


 その様子にベルノルトは興奮していた。そして堪えきれなくなり、彼はとうとう飛び出した。エクレムもそれを止めない。ただし、しっかりと護衛をつけた。その中にはメフライルの姿もあって、後は彼が上手くやるだろう。


 ベルノルトらの一団を見送ってから、エクレムは一隊を動かして敵の物資を確保させた。思った通り牛車などを用いて運びだそうとしていた様子だったが、結局それも間に合わず、作業に当たっていた敵兵らは慌てて逃げ出した。残していく物資に火をかけることもしない。それを見てエクレムは命令の不徹底を感じ取った。


 逃げる敵兵の背中に向かって、弓矢が射かけられる。ただし本気ではない。十本にもみたぬ矢がまばらに飛んで、全て地面に刺さった。エクレムも逃げる敵兵をことさら追えとは命じなかった。


「終わったな。後は殿下だが……」


 エクレムが奪取した物資を眺めながらそう呟くと、そこへちょうどベルノルトらが戻ってきた。見たところ、損害を被った様子はない。ただなぜかベルノルトはちょっと不機嫌そうな顔をしていた。


 聞けば、逃げる敵を追おうとしてメフライルに止められたという。そのせいで彼自身は一人の敵兵も討ち取ることができず、どうやらそのせいで拗ねているらしかった。それを聞き、エクレムはあえて笑い声を上げてこう言った。


「結構なことではありませんか、殿下。私も此度の戦では一人も討ち取っておりません。それは将の仕事ではないのです。殿下は見事、初陣でそのことに気付かれましたな」


 何と答えて良いか分からず、ベルノルトは顔をしかめる。その後ろではメフライルが声を押し殺して笑っていた。



エクレム「思ったより子守が楽だった」


~~~~~~~


というわけで。

今回はここまでです。続きは気長にお待ち下さい。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 王族だけど王には成れないという微妙な立場のベルノルトの苦悩や焦りがよく伝わってきて面白かったです。ある意味廃嫡後のジノーファやイスファードの子供に近い立場なんだろうけど、両親からの愛は惜し…
[一言] うーむ。若さ故の未熟というか。 シェリーや古参の臣下に死を前提とした父王の初陣を聞いていたとしても、それでも父に戦場に出る事を願う子供達というのがなんとも。 ジノーファ以外ならキレててもおか…
[一言] 数週間ぶりに気まぐれでお気に入り作者の新作小説眺めてたら外伝が始まってる、だと...!?新月先生は外伝を描かない人だと思っていましたが嬉しいです( ˘ω˘)good... 今回の外伝の主…
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