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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
外伝 誰がために鐘は鳴る

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240/364

第一王子ベルノルト


 クルシェヒルの王宮はにわかに騒がしくなっていた。はるか西方において、大軍が催される気配があるからだ。彼らが矛先を向けるのはイスパルタ朝の友好国たるルルグンス法国。いや、ともすればイスパルタ朝の国内さえ踏み込んでくるかも知れない。


 それを見過ごすわけにはいかない。ジノーファはすぐに動いた。ハザエル元帥に命じて近衛軍五万の動員を進めさせ、さらに新領土のロスタム総督に命じて二万の兵と遠征のための物資を用意させている。また彼は法国に使者を出し、一万ほどの兵を用意しておくことを勧めた。


 合計すると、ジノーファが動かす事にした戦力は八万ほどになる。イスパルタ朝が今の形になって以来、久しく動かす事のなかった規模だ。しかもジノーファ自身が親征するという話も出ており、特に近衛軍が俄然活気づいていた。


 無論、遠征の準備自体は粛々と進んでいる。しかし訓練や演習と比べ、その熱量は明らかに違う。慣れていない者、特に再統一戦争を経験していない兵士らなどは、その熱に浮かされがちだ。そして何を隠そう、第一王子ベルノルトもまたその一人だった。


 ベルノルトは今年、十五歳になる。ダンジョンの攻略は行っているが、まだ初陣は迎えていない。だが十五歳と言えば、そろそろ初陣を迎えてもおかしくない年齢だ。父王たるジノーファが初陣を飾ったのも同じくらいの年齢で、彼はそのことも意識していた。


 もちろんベルノルトも、初陣のために戦を起こして欲しいとは思わない。だが戦が近いのであればこの機会に、という思いは募る。そんなとき彼は父王の執務室に呼ばれ、そして尋ねられた。


「ベル、初陣を飾りたいか?」


「はい、父上。是非!」


 目を輝かせながら、彼はそう即答した。身を乗り出す息子の姿を見て、ジノーファは苦笑を浮かべる。そして彼にこう言った。


「戦場など、酷いものだぞ。モンスターと戦うのと、人同士が戦うことは違う。戦などない方がよい」


「はい。分かっています、父上。ですがわたしは早く一人前になりたいのです。王家の男子たる者、どうして初陣も迎えずして一人前になれましょうか?」


 ベルノルトのその言い分を聞き、ジノーファは苦笑を浮かべたままさらに肩をすくめた。本当に分かっているのだろうか。いや、分かっていないのだろう。だがことさら言い聞かせたとして、それで伝わるようなことでもない。


 それにベルノルトが言っていることも正しいのだ。戦のない時代であれば、初陣を迎えずとも後ろ指を指されることはあるまい。だがその機会があるにも関わらずいつまでも先延ばしにしていては、確かにいつまでたっても半人前と見なされてしまうだろう。彼も王家の人間である以上、それは許容できない。


「分かった。お前も連れて行こう。そのつもりでいなさい」


「はい! ありがとうございます、父上」


 喜色も露わに一礼する息子の姿を、ジノーファはなんとも言えない表情を見つめた。子供が無事に育つのは喜ばしい。ましてベルノルトは彼の長子だ。思い入れは大きい。そして今その子に、彼は初陣を許したのだ。


(この子は、生きて帰ってこられるのだろうか……?)


 ジノーファはふとそんなことを考えた。無論、負けるつもりはない。だが何が起きるのか分からないのが戦場だ。イスパルタ軍が勝利したとして、味方の戦死者がゼロになることなどあり得ないのだ。そしてベルノルトがその一人になる可能性もまた、ゼロではない。


 思い出すのはジノーファ自身の初陣のこと。あの初陣で、ガーレルラーン二世は彼を殺すつもりだった。今にして思えば、偽りの王子であった彼を殺すためだけに、ガーレルラーン二世はあの戦を起こしたのだろう。そして真の王子たるイスファードに輝かしい初陣を飾らせるつもりだった……。


 もちろん、ジノーファにベルノルトをどうこうするつもりなど全くない。だが戦の本質とは、たぶん本来そういうモノなのだ。裏から手を回し、陰謀を巡らせ、他者を蹴落とし、己だけが勝ち残る。敵と戦うだけが、戦ではない。


「……下がりなさい」


 言っておきたいことは山ほどあった。だがジノーファはそれを呑み込んだ。いくら言葉を尽くしても、今のベルノルトはそれを理解できないだろう。それでジノーファは彼を下がらせた。


「はっ。失礼いたします」


 一礼してから退出する息子の背中を、ジノーファはじっと見つめて見送った。ジノーファの初陣は彼の運命の転換点となった。ベルノルトにとってもそうなるのだろうか。もしそうなら彼にとって良い方向へ転がって欲しい。彼はそう願わずにはいられなかった。


 さて、一方のベルノルトは父王の執務室を後にして廊下を歩いていた。彼の心は浮き立っている。此度の戦は大きい。動員される味方は八万以上で、しかも遠くルルグンス法国まで、いやともすればさらにその西まで赴くことになる。


 しかも先ほどのジノーファの話しぶりからして、親征になることはほぼ間違いない。それを含め、近年稀に見る大遠征である。その大遠征で、ベルノルトは念願叶って初陣を迎えられるのだ。これで勝利を収めれば、「輝かしい初陣を飾った」と胸を張れるだろう。


(そうだ、これでわたし一人前になれる……!)


 ベルノルトは早く大人になりたかった。はやく一人前になって、王の子ではなく、何者かになりたかった。



 ○●○●○●○●



『王位を望んではなりません』


 ベルノルトにそう言い聞かせるのは、主に母であるシェリーだった。


『なぜですか? なぜわたしは王位を望んではならないのですか?』


 ベルノルトがそう尋ねたのは当然のことだろう。それに対し、シェリーはこう答えた。


『あなたには自由が与えられているからです。この上、王位まで望んではなりません』


 ベルノルトは同じ事を父王のジノーファにも尋ねた。そして彼もシェリーと同じように答えた。きっと二人であらかじめ話し合い、どう答えるべきかを考えていたのだろう。いずれにしても両親の答えが食い違わなかったことで、ベルノルトはその理由を受け入れることができた。


 では王位の代わりに与えられた自由は、一体どのようなものだろうか。ジノーファもシェリーも、そのことについては彼に答えを教えてはくれなかった。「学びなさい」。二人は異口同音にそう言った。子供に勉強させるための方便だったのではないかと、ベルノルトは疑っている。


 年を重ね、勉学に励むにつれ、ベルノルトは徐々に自分の置かれた立場というものを理解するようになった。ベルノルトはジノーファの第一王子である。しかし王太子ではない。王太子として冊立されたのは、異母弟の第二王子アルアシャンだった。


 アルアシャンが王太子に選ばれた理由は極めて政治的だった。彼の母たる正妃マリカーシェルが炎帝ダンダリオン一世の末姫にして、現ロストク帝国皇帝ジェラルド四世の妹だからだ。


 イスパルタ朝にとってロストク帝国は大恩ある恩人にして、また最大の同盟国だ。さらに帝国は一一九州の国土を誇る大国であり、そして精強な兵を揃えている。東に位置するこの大国との関係をこじらせないことは、イスパルタ朝にとって安全保障上極めて重要であり、そうである以上王太子としてアルアシャンが冊立されることは自明だった。


 アルアシャンは生まれてすぐに王太子になった。彼が次のイスパルタ王になることはすでに定められており、そして求められてもいる。言い方を変えれば、彼にそれ以外の自由はない。


 そのことに気付いたとき、ベルノルトは「王位の代わりに与えられた自由」について、その意味や価値が少し分かったような気がした。アルアシャンは王以外にはなれない。しかしベルノルトは王以外なら、何にでもなれる可能性がある。


 そう考えたとき、ベルノルトはかえって恐ろしくなった。何にでもなれるというが、しかしでは何者になれば良いのだろう。そして何かになるということは、今は何者でもないということ。王子と呼ばれてはいても、それは結局ジノーファの子供であるということで、彼自身が評価されているわけではない。


 要するに、自分は半人前なのだ。ベルノルトはそう結論するしかなかった。実際、初陣もまだで、何か仕事を任されているわけでもない。聖痕(スティグマ)を得るどころか、成長限界もまだ遠く、半人前であることは本人を含め、誰の目にも明らかだった。


 だからこそ、ベルノルトは早く一人前になりたかった。一人前になって、早く何者かになりたかった。そうでなければ、自分が何も持っていない、空っぽの人間であるように思えて恐ろしかった。


(でも、何者になれば良いのだろう……?)


『王位を望んではなりません』


 ベルノルトはそう言い聞かせられて育った。では王位の代わりに何を望めば良いのだろう。彼はまだ、その答えを見つけられずにいた。



 ○●○●○●○●



「そうですか……。ベルの、あの子の初陣が決まりましたか……」


 ジノーファからベルノルトの初陣について聞き、シェリーはしみじみとそう呟いた。あらかじめ相談を受けていたこともあり、彼女に驚いた様子はない。だがその一方で、手放しで喜んでいるようでもなかった。


 シェリーはジノーファの一つ年上だから、今年で三四歳になる。もっとも彼女の容貌は若々しく、三十路を越えているようには見えない。濡羽色の長い髪は十年前と変わらず艶やかだ。昨年、二人目の娘を出産したのだが、身体の線はほっそりとしていて美しい。たぶん二十代の半ばと言っても通じるだろう。ただ醸し出す包容力だけは、年相応かそれ以上だった。


 ちなみに娘の名前はロクセラーナと言い、シェリーはこれで四人の子供を産んだことになる。三人目の子供は六年前に生まれた。男子で、エーミールと名付けられている。


 余談を続けると、シェリーの子供のうち上の三人、ベルノルトとエスターリアとエーミールは全てロストク風の名前を付けられている。王位の継承順位が低いことを暗に示した格好だ。


 まあベルノルトの場合は、生まれた時にはまだイスパルタ王国は影も形もなかったので、継承順位うんぬんは直接は関係ないのだが。もっともこの場合は、「ロストク帝国で生きていく」というジノーファの決意の表れでもあったので、アンタルヤ王国に関わりを持たないという点では意図が共通していると言っていい。


 エスターリアの場合は、アルアシャンがまだ生まれていなかった。下手にアンタルヤ風の名前を付けると、ロストク帝国内に穿った見方をする者が現われかねない。僅かであっても帝国との関係をこじらせかねない要素は避ける。そういう意図があった。


 エスターリアが生まれ、アルアシャンが生まれた。その次に生まれたのは、マリカーシェルの次男フェルハトだった。アルアシャンに万が一のことがあった場合には、彼が王位を継ぐことになる。


 フェルハトの次に生まれたのがエーミールだ。王家にとっては四人目の男子となる。最初から王位継承順位が低いことは自明だ。だがここでアンタルヤ風の名前を付ければ、「ジノーファは彼を王位に就けたがっている」などという噂が流れかねない。いらぬ憶測をよばないためにも、ジノーファは彼にロストク風の名前を付けたのだった。


 エーミールの次に、マリカーシェルが長女ミフリマーフを産んだ。その次に生まれたのがロクセラーナである。彼女が男であったなら、間違いなくロストク風の名前が付けられただろう。だが女の子であったし、誰がどう見ても彼女が王位に就くことはほぼない。もう良いだろうということで、アンタルヤ風の名前が付けられたのだった。


 子供の名前にそこまで気をつかわなければならないのは、ジノーファの権威がいまだロストク帝国に大きく依存していることを示している。いや、ジノーファの権威と言うよりは、イスパルタ朝の権威と言うべきか。


 ジノーファは希代の英雄である。聖痕(スティグマ)持ちであり、一代にして巨大な王国を築き上げた。彼の名声は、ともすれば現ロストク帝国皇帝ジェラルド三世よりも大きく、そして高い。彼の御代に限って言えば、よほどの事がない限りイスパルタ朝は揺るがないだろう。帝国との同盟も、絶対に必要というわけではない。


 だがジノーファの次の時代はどうか。強力な支配者の反動が、その次の時代に現われるというのは、歴史的に見て珍しいことではない。ジノーファの死後、新領土やイブライン自治区、あるいは北アンタルヤで独立の機運が高まらないとは言えない。それを避けるためにはイスパルタ朝という国家の権威を高め、維持しなければならないのだ。


 無論、そのためにジノーファはあれこれと手を打っている。中央集権化を進めて、王家と国家の力を強めてきた。だがあまり強権的になりすぎるわけにもいかない。それで国家の権威を担保する後ろ盾として、ロストク帝国との同盟が重要になってくる。要するにジノーファが帝国との関係維持に腐心しているのは、自分のためというより次の世代のためなのだ。


 閑話休題。話を戻そう。ジノーファからベルノルトの初陣を告げられ、シェリーの胸中は複雑だった。子供がいつまでも子供のままでないことは、彼女も分かっている。ましてベルノルトは王家の長子。無理矢理にでも一人前になってもらわねば困る。初陣はそのためにどうしても必要だろう。


 だが一人の母親として、彼女は息子が戦場へ赴くことを喜ぶ気持ちにはなれなかった。もちろん戦場へ行くからと言って、ベルノルトは最前線で戦うわけではない。彼は王子だ。まずは後方で趨勢の行方を見守ることになるだろう。仮に動くことになったとしても、彼の周囲には護衛が大勢つくに違いない。


 しかしながらそうではあっても、戦場というのは苦しい場所だ。何より命の危険がつきまとう。行軍も含め、戦に行くことは王宮で生活するのとはまったく違う。肉体的にきついのは当たり前。不便で、不衛生で、大変なことばかりだ。そう言う想いを、子供にさせたいと思う母親はいないだろう。


「シェリー、大丈夫かい?」


 シェリーの思い詰めた表情を見て、ジノーファは彼女にそう声をかけ、そっと肩を抱き寄せた。シェリーは内心で「しまった」と思いつつ、しかし逆らわずに彼に身体を預ける。するとたちまち不安が抑えられなくなり、彼女はジノーファの胸に縋り付いた。


「……行かせたく、ないかい?」


「……正直に言えば、はい、行って欲しくないです。でも、止めません」


 ジノーファの胸に頬を寄せたまま、シェリーはそう答えた。ベルノルトは王子だ。しかし王にはなれない。それは彼がシェリーの息子だからだ。そのことは少なからず、彼女にとって負い目となっている。


 もちろんシェリーは自分の子供を王位につけたいなどとは少しも思っていない。しかしベルノルトはどうだろうか。国王(ジノーファ)の長子でありながら王にはなれないことを、彼は口惜しく思っていないだろうか。


『王位を望んではなりません』


 シェリーはそう言い聞かせてベルノルトを育てた。そうである以上、彼が羽ばたくのを妨げてはならない。例えそれが愛のゆえであろうとも、引き留めたり、過剰に囲って守ってやったりするようなことは、してはならないのだ。シェリーはそう思い定めていた。


「必ず、連れて帰ってくるよ」


「はい、ジノーファ様。信じております」


 ジノーファの言葉に、シェリーは彼の腕の中で頷いた。強張っていた彼女の身体から、ふっと力が抜ける。ジノーファはその背中を撫でながら、ふとおどけた調子で愛する妻にこう尋ねた。


「ところでシェリー。わたしのことは、心配してくれないのかい?」


「……まあ、自分の息子に嫉妬でございますか?」


 ジノーファの腕の中、くすぐったそうに身じろぎしながら、シェリーはそう問い返した。彼女の声音はもう沈んでいなくて、明るく楽しげだった。それでジノーファも彼女を抱きしめながら、楽しげにまたこう聞き返す。


「嫉妬していると言ったら、どう?」


「幾つになっても可愛らしい御方、と言って差し上げます」


「それは良かった」


 二人は揃って笑い声を上げた。そしてひとしきり笑ったあと、シェリーがジノーファにこう声をかける。


「ジノーファ様、愛しておりますわ。……どうか、ご無事で」


「うん、ありがとう」


 二人はそっと口付けをかわした。


ベルノルト「イチャつくなら子供の目のないところでやりやがれ」

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― 新着の感想 ―
[一言] 続きが読めること嬉しいです! 他作の外伝(世界再生GAMEとか)も読みたいのだけど期待できるのかな
[気になる点] >現ロストク帝国皇帝ジェラルド四世の妹だからだ。 →「236話 筆を置く前に」では「ジェラルド三世」となっているのですが、どちらが正しいのでしょうか?
[一言] 待ってました! 今後も楽しみに更新お待ちしてます!
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