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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国

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232/364

帝国、動く2


「陛下。此度、遠征軍はアイフェルン山地を越えなければならぬ、と私は考えます。遠征軍がアイフェルン山地を越えて初めて、帝国は新たな国土と貿易港を保持することができ、それによって国を富ませることができるのです。確かにアイフェルン山地を越えるのは難事でしょう。ですが兵を出すそもそもの意義を忘れてはなりませぬ」


 ジェラルドはそう熱弁を振るった。新たな国土や貿易港を得たとして、それを統治していくのは彼だ。それで彼の言葉には重みがあった。


「しかし、皇太子殿下。そうは仰いますが、現実問題、いかにして遠征軍にアイフェルン山地を越えさせるのですか? 遠征軍は最低でも七万、ともすれば十万を超える規模が想定されています。しかも通るのは人馬だけではありませぬ。物資を輸送する荷車も通さねばならぬのです。それが可能なルートが、果たしてあるのでしょうか?」


 立ち上がってジェラルドにそう質問したのは、直轄軍で兵站を扱う部署の士官だった。現場を知っている人間なだけあって、その指摘は現実的だ。机上の空論をもとに作戦を立案され、それで苦労するのは現場の人間なのだ。


 とはいえジェラルドも現場を知っている人間である。何の論拠もなしにアイフェルン山地越えを口にしたわけではない。彼は「これを見て欲しい」と言って、用意してきた地図を広げる。そこにはアイフェルン山地を越えてロストク帝国からイブライン協商国へ向かうためのルートが記されていた。


「遠征軍にアイフェルン山地を越えさせるためのルートだ。蛇行しているため最短距離とはいかないが、十万の大軍だろうともこれでアイフェルン山地を越えられるはずだ」


「ジェラルド。こんなもの、いつ調べた?」


 ダンダリオン一世が若干呆れ気味にそう尋ねる。彼が知る限り、これは初めて見る情報だ。しかも最初はランヴィーア王国経由で遠征軍を送るつもりだったので、ともすればこの情報は日の目を見ることなく終わったかも知れない。だがジェラルドはこう答えた。


「現在の戦争が始まってから、協商国は帝国側への警戒が緩みましたので、その隙を突きました。ただそれでも、地図が完成したのはつい最近ですが。地図の完成前に遠征軍を送ることも想定していましたが、どのみち将来的には必要になるだろうと思い、探索を行わせました」


 それを聞き、ダンダリオン一世は「で、あるか」と呟いて一つ頷いた。どのみち貿易港を得ても、アイフェルン山地を越えられなければ国内に貿易路を持つことができない。ジェラルドは遠征のためだけでなく、それも見越して探索を決断したのだ。


 ともかく、これでアイフェルン山地を越えるためのルートは見つかった。そしてこのルートは今後、商隊が行き来するためにも使われるだろう。ただし、現時点でこのルートはまだ道にはなっていない。それでジェラルドは大軍を通すことで同時に道も造ってしまえと考えていた。


「道と言っても、さすがに舗装するつもりはありません。工兵隊を先行させれば、ある程度切り開いた状態にするのは難しくないはずです」


「強引ではあるが、今後のことを考えれば合理的か……。すでに始めているのか?」


「御意」


 ダンダリオン一世の問い掛けに、ジェラルドは恭しく一礼してそう答えた。ダンダリオン一世は息子の手回しの良さに苦笑したが、必要であることは確かなので、そのことについてあれこれと言いはしなかった。その代わりに彼が口にしたのは別の懸念である。


「だが、兵站はどうする? アイフェルン山地を越えて補給線を維持するのは、少々難儀であるぞ」


「現在、道を切り開くのと同時に、ルートの要所要所に物資を備蓄しています。これを回収しながら進めば、一ヶ月はもつはずです」


 アイフェルン山地を越えることで補給線が貧弱になるのはジェラルドも分かっているのだろう。少し言いにくそうにしながら彼はそう答えた。ただし彼としても、それ以外に何も考えていないわけではない。


「同時にランヴィーア王国から買い上げることを想定しています。向こうは占領地を確保していますし、フレイミースもいる。渋るかも知れませんがイヤとは言わないでしょう」


「ふむ。であれば、今からフレイミースに使者を送って、物資を備蓄させておくか。今から準備させておけば、もう一ヶ月分くらいは何とかなるだろう」


「イスパルタ王国にも協力させましょう。物資の提供程度のことはやってもらわねば」


 高官の一人がそう発言すると、頷く者が幾人かいた。どうあってもイスパルタ王国を巻き込みたいらしい。要請に応じさせることで、改めて立場を明確にしたいのか。ともあれ遠征の途中で物資が尽きるのは絶対に回避しなければならない。それでダンダリオン一世も苦笑しつつ、「あまり頼り切らぬようにな」とだけ言って、方向性だけは了解した。


 それからさらに、諸々の事柄が話し合われる。やはりアイフェルン山地を越えるには入念な準備が必要と言うことで、実際に軍を動かすのは来年になりそうだ。ともすれば春先まで待たねばならず、なかなか上手くはいかない。


「準備のために時間を取れる。そう考えることにしましょう」


「で、あるか。では、ルートのこともある。今後、遠征計画はジェラルドが中心となって進めるように」


 ダンダリオン一世がそうまとめる。異論は出ない。唯一、ジェラルド本人が驚いたような顔をしていたが、「無理だ」とは言わず立ち上がって粛々と一礼した。


 ダンダリオン一世の下知があった後、ジェラルドは全力を挙げて遠征計画に取り組み始めた。このたびの遠征計画は普通ではない。何しろアイフェルン山地を越えることを前提としている。その上、簡易的なものとはいえ道を通そうとしているのだ。これだけですでに国家事業と言っていい。


 当然、その計画を遂行するには大変に難儀である。だがジェラルドはそれを行った。問題は次々に起こったが、彼はそれを的確に解決していく。その事務処理能力は圧巻の一言だった。


 そして大統暦六四五年四月十日。ロストク帝国はイブライン協商国に対し、正式に宣戦を布告した。これまでも援軍は出していたが、あくまでも戦争の主体はランヴィーア王国という立場だったので、正式な宣戦布告はまだしていなかったのだ。


 同時に、イブライン協商国へ宣戦布告したことを、ランヴィーア王国にも通達する。同盟国であるし、なにより戦争の当事国だ。話を通しておくのは当然である。


 ロストク帝国の通達に対し、ランヴィーア王国の反応はやはり芳しくなかった。できれば余計な手出しはしないで欲しい、というのがかの国の本音だろう。ただこのとき、ランヴィーア王国はまだ時間があると思っていた。


 ロストク軍の移動ルートについて、ランヴィーア王国は遠征軍が自国の領内を通ることに難色を示している。当然、具体的な協議はなされていない。ロストク帝国がこの対応に不快感を抱いていることは明白だが、しかしだからといって協議もなしに「ロストク軍を通過させろ」と迫ってくることはあり得ない。


 そうである以上、ロストク軍の移動ルートは一つしかない。つまりイスパルタ王国を経由するルートだ。ランヴィーア王国を経由するルートに比べ、かなり大回りになる。移動だけでもかなりの時間を要するだろう。


 ただ一つ不安な点があるとすれば、それはロストク軍の詳しい編成が分からないことだ。正式な移動ルートは当然としても、どれほどの戦力を動かすのかさえ明らかにはされていない。ランヴィーア王国国内を通らせなかった意趣返しなのだろうが、何も分からないのは少々不気味だった。


「補給線も長大になる。二万も援軍を出しているのだし、兵はあまり多くはないのではないか?」


「いや、あの炎帝がそんな中途半端なことをするものか。軍を催す以上は、単独で協商国を征服するくらいのことは視野に入れているはずだ」


「兵站もイスパルタ王国にある程度を負担させれば、補給線の負担は軽くなる。大軍を動かすと思っておいた方が良かろう」


「……イスパルタ王国を経由することで、かえって補給線の負担が軽くなるか。動きを縛るという意味では、いっそ国内を通らせた方が良かったかも知れぬ」


「だがそれでは、すぐに先遣の二万と合流されてしまう。ともすれば帝国主導で決戦を行うことになるぞ」


「それでは、これまで何のために戦ってきたのか、分からんな。ともかく、ロストク軍の行軍に時間がかかるのは確実なのだ。南回りにさせることで、時間は稼いだ」


「その間に、どこかのタイミングで決戦を挑む。それしかあるまい」


「うむ。戦後のことも考えれば、ここで帝国に主導権を渡すわけにはいかぬ」


 ランヴィーア軍はおおよそそのように考えていた。彼らはこれまでイブライン軍との睨み合いと小競り合いを続けていたが、いよいよ尻に火がついてきた格好である。決戦のため、ランヴィーア軍は部隊の集結を開始した。


「部隊を集結させるように」との命令は、ロストク軍二万を率いるフレイミースのもとにも届いていた。その命令を受け取り、彼は微妙な顔になった。彼はロストク軍がアイフェルン山地を越えてくることをすでに知っていたのである。


(ま、知らないフリをするしかないな)


 フレイミースは胸中でそう呟きつつ、彼は麾下の部隊に出陣の準備を命じた。同時に、ダンダリオン一世から頼まれていた物資も持って行くことになる。おかげで、二万の部隊にしては不釣り合いな物資の量になった。


 さて、一方のロストク軍である。ロストク帝国は今回、十万の大軍を動かした。この全てが直轄軍というわけではない。一部は傭兵も雇っている。ただ直轄軍が中核となっているのは間違いなく、その精強さは疑いない。


 総司令官は皇太子ジェラルド。彼が中心となって計画を進めたのだから、これ以外には考えられない人選である。ただし表には出なかったものの、一抹の不安を感じていた者が多かったのもの事実だ。


 ジェラルドの事務処理的な手腕は確かに優れている。その手腕は大軍を組織し運用する際にも十全に発揮された。だが事務処理の能力が高いからと言って、それが勝利に結びつくわけではない。戦場で兵を指揮するには、呼吸というか、ある種の勘が必要なのだ。そしてダンダリオン一世はその勘がずば抜けて優れていた。


 仮に軍を率いているのがダンダリオン一世であったなら、兵士たちは出陣のその瞬間から必勝の確信を抱いていただろう。だが今回、彼は戦場に出ない。兵士たちは多少なりとも不安を抱えて出陣した。


 これはダンダリオン一世が名将であり、そして聖痕(スティグマ)持ちであったことの弊害と言えるだろう。彼がずば抜けて優秀であったために、いざ世代交代の時を迎えると、それだけで周囲は不安を感じてしまうのだ。このとき後継者の資質やこれまでの実績は関係ない。それどころか人格さえ無視される。人によっては自分の全てを否定されたように感じるだろう。


 似たような境遇にあってイスファードは過敏に反応した、と言っていい。そのために彼は自滅してしまったのだ。一方でジェラルドは周囲の空気を察しつつ、意図的にそれを無視した。


『兄貴はあれでなかなか図太いからな』とは第二皇子シュナイダーの弁だが、確かにジェラルドは無視することで目を背けたわけではなかった。むしろ覚悟を決めて向かい合ったのだ。結局のところ、周囲に認められるには結果を残すしかない。だが同時に、炎帝ほど認められることはないだろう。彼はそのことを悟りきっていた。


『不満がないわけではない。だがそういうモノだと割り切ってしまえば、楽にはなれる』


 後年、ジェラルドは妃のツェツィーリアにそう語ったと言う。割り切ってしまえるあたり、シュナイダーの言うとおり図太いのだろう。あるいはその図太さが彼とイスファードの最大の差だったのかもしれない。


 まあそれはそれとして。ジェラルド率いるロストク軍は、事前の計画通りアイフェルン山地へと突き進んだ。綿密な計画と事前の準備のおかげで、彼らは順調にアイフェルン山地を進んだ。もちろん、平地と比べれば行軍速度は下がる。だがそれを差し引いても後世の歴史家が絶賛する順調さだった。


 ロストク軍の行軍が順調だった理由の一つは、事前にルートの各所に物資を配置しておいたからだ。おかげで、本隊は比較的身軽な状態で移動できた。荷物が少なかったおかげで、トラブルも少なかったわけである。


 こうした準備のおかげで、ロストク軍は僅か五日でアイフェルン山地を越えた。そしてこの想定を越えた神速は、ランヴィーア王国とイブライン協商国の双方の度肝を抜いた。どちらともロストク軍は南回りのルートで来るモノと思っており、それを前提として計画を立てていたのだ。


 まずランヴィーア王国だが、前述したとおり彼らはロストク軍が来る前に決戦を挑むつもりでいた。だがその準備が整う前にロストク軍が来てしまった。一方でランヴィーア軍は集結が完了せず、動くに動けない。結果としてロストク軍の動きを、指を咥えて見ているだけになった。


 だがそれでも、ロストク軍は彼らにとって味方である。攻撃されないだけまだマシだった、と言わなければならない。より悲惨な状況に追い込まれたのは、イブライン協商国だった。


 協商国は宣戦布告の前から、ロストク帝国が本格的な参戦の意思を固めたことを掴んでいた。そしてランヴィーア王国経由の行軍ルートが使えなくなったことも、彼らは掴んでいた。となれば、ロストク軍の取り得る行軍ルートは、イスパルタ王国経由のルートしかない。


 それでイブライン協商国は、イスパルタ王国側の国境近くに、ロストク軍を阻むための部隊を配置した。その数、なんと三万。尤も、三万を新たに動員したわけではなく、その大部分は他所からの引き抜きと配置換えだ。ランヴィーア軍が各地に配置していた部隊を集結させるのに合わせて、彼らはその配置換えを行った。


 つまり、南西に配置した三万でロストク軍を足止めしつつ、ランヴィーア軍を決戦によって撃破。しかるのちにロストク軍を押し戻す、というのが協商国の方針だったわけだ。それが実際に可能であったのかはともかくとして、彼らはそういう展望を描いていた。


 だがロストク軍はアイフェルン山地を越えて現われた。その瞬間、南西に配置した三万は丸ごと遊兵になった。さらにランヴィーア軍に合わせてイブライン軍も各地の部隊を集結させている最中であり、要するにロストク軍十万を迎え撃つだけの戦力が存在しない。


 この瞬間、ロストク軍は圧倒的な戦略的優位を得たと言っていい。そしてそれこそがジェラルドの狙いだった。そのために彼はランヴィーア軍に具体的な行軍ルートを告げず、またアイフェルン山地を躓くことなく越えられるよう、心血を注いだのである。全ては敵も味方も騙して、この状況を作り出すためだった。


「征け。たいらげろ」


 ジェラルドは短くそう命じた。ほんの十日ほどの間に、イブライン軍は瞬く間に各個撃破された。そして南西に配置されていた三万が、慌ててロストク軍を追いかけ、しかし戦力差は如何ともしがたく敗北を喫した時、戦争の趨勢は決したのである。


 後年、退位した後にダンダリオン一世はこの遠征についてこう語っている。


『兵を率いる者が果たすべき責任とは何か。それは第一に兵を飢えさせないことであり、第二に落伍者を出さずに兵を目的地へ連れて行くことである。逆を言えば、食わせられないほどの兵を集めてはならないし、目的地へ連れて行くことが難しいのなら兵を動かしてはならないのだ。


 余がアイフェルン山地を越えようとしなかったのはこのためである。つまり協商国を下すだけの戦力を揃え、その上で山地を越え、さらに飢えさせることなく戦わせるのは難しいと判断したのだ。この判断は間違っていなかった、と今でも思っている。


 だがジェラルドはそれをやった。無論、情勢がそれを可能にしたという見方もできる。協商国国内にはすでにランヴィーア軍の占領地が確保されており、山地を越えることさえできれば兵站の心配は少なかった。


 だがそれは結果論でしかない。ジェラルドは時勢を見極め、準備を進めて条件を整え、そして見事に一大事業を成し遂げた。余がなしえなかったことを成し遂げたのだ。この一事をもって、ジェラルドの将器が余に勝っていることは明白である』



ダンダリオン「リップサービス込みだからな?」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ジノーファの客分時代の滞在から王国統一までですか、、、こう書くとイブラインって武闘派のロストク含む二国相手によくこんな期間持ちましたね まあ実際戦争自体は長かったんでしょうがジノーファが建…
[気になる点] 帝国と王国の仲がものすごく悪化していきそうだけど大丈夫かな… イスパルタ朝と政権交代はどうにでもなるけど占有地の扱いとか頭の弱そうなフレイミース殿下とか
[良い点] リップサービス込みだからな?に笑いました
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