謁見と嘆願書
大統暦六四四年十二月の中頃。統一戦争の事後処理をおおよそ終え、さらに三つの布告を立て続けに出してから、ジノーファはルルグンス法国からの使節団に謁見した。後回しにしてしまった感はあるが、使節団からも不満は出ていないという。精力的に情報を集めているというので、もしかしたら彼らとしてはもっと時間が欲しかったのかも知れない。
「謁見が遅れて申し訳ない。ヌルルハーク法王猊下はご健勝だろうか?」
「はっ。女神イーシスの恩寵も厚く、法王猊下は健やかにお過ごしでございます」
ちなみにヌルルハーク四世は肥満体質なので、本当に健やかなのかは疑問が残る。ともかくジノーファとルルグンス法国使節団の謁見は和やかに始まった。最初に、団長にして全権大使のブルハーヌ枢機卿がジノーファの即位と統一戦争の勝利について祝いの言葉を述べる。彼はこう言った。
「ジノーファ陛下におかれましては、アンタルヤ王国の国王として即位なされましたこと、また統一戦争を収めて祖国に安寧をもたらされましたこと、謹んでお祝い申し上げます。陛下のように強く、また賢い王が即位されたとなれば、イスパルタ朝の繁栄は約束されたも同然でございましょう」
「うん、ありがとう。ブルハーヌ枢機卿から祝ってもらえて、わたしも嬉しい」
「ははっ。つきましては心ばかりの品を持参いたしました。ご笑納いただければ幸いに存じます」
そう言ってブルハーヌは絢爛豪華な献上品をジノーファの前に運び込ませた。ちなみにその中には、貢納金たる金貨五〇〇〇枚も含まれている。二度手間を省いたとも言えるが、献上品を水増ししたようにも見えて、ジノーファは内心で苦笑した。
ただそれを抜きにしても、献上品の絢爛さは目を見張るものがある。ジノーファがまだ王太子であった頃、ルルグンス法国は新年の挨拶の際にやはりこうして献上品を用意していたものだが、彼の記憶にある献上品と比較しても、これらの品々は金のかけ方が違うと一目で分かる。
それだけルルグンス法国がイスパルタ朝やジノーファとの関係を重視している、ということなのだろう。だがジノーファは内心、素直に喜べなかった。法国は近年、国土を大きく減らしている。それにも関わらず、こうして以前と比べても豪華な献上品を用意した。その負担は相当なものであっただろう。
そしてその負担を負わされたのは、言うまでもなく法国の民だ。割高な税率、負わせ高の悪習、さらには度重なる寄付の無心。ジノーファは法国の実情を以前よりも詳しく知っている。僧職者が民衆から無理矢理に金を集める様子が目に浮かんで、彼は胸が痛んだ。
「……見事な品々だ。喜んで頂戴しよう」
とはいえまさか、「いらない。持って帰れ」と言うわけにもいかない。ジノーファは良くできた笑みを浮かべて献上品を受け取った。一方でブルハーヌは得意げな笑みを浮かべている。法国の底力を示した、とでも思っているのだろうか。だがそれは民衆の悲嘆と諦念の上に成り立っている。彼はそれを分かっているのだろうか。
(分かっていない、のだろうな……)
ジノーファは内心でそう呟いた。分かっているのなら、このようには笑うまい。ルルグンス法国において、枢機卿と言えば雲上人だ。民衆のことに興味を持っていなかったとしても不思議ではない。自分はこうなってはいけない、とジノーファは思った。
さて、形式的な挨拶が終わると、献上品はひとまず脇へ寄せられた。それからジノーファはブルハーヌとあれこれ言葉を交わす。ブルハーヌはクルシェヒルの賑わいに感心して見せ、さらにロストク帝国との交易にも興味を示した。
「最近では、ヴァンガルでも北方の珍品を目にするようになりました。聞けば、それらの品々はウファズを介して来たとか。これからイスパルタ朝はますます栄えましょう。陛下の先見の明には、ただただ感服するばかりでございます」
「ああ。ロストク帝国のダンダリオン陛下も、交易には強い関心をお持ちだ。両国で手を取り合い、共に繁栄していけば良いと思っている」
「素晴らしき展望と存じます。ですがアンタルヤ王国の伝統的な友好国といえば、一にも二にも、我が法国でございます。我が国のこともお忘れなきよう、どうかお願い申し上げます」
ブルハーヌが冗談めかしてそう言ったが、彼の内心は逼迫していたと言っていい。何しろこれまでアンタルヤ王国がルルグンス法国と友好的な関係を維持していたのは、ひとえにロストク帝国と敵対していたからである。東に矛先を向けるため、西を友好国で固めていたわけだ。
しかしジノーファが王位に就いたことで、周辺情勢は大きく変化した。今やイスパルタ朝とロストク帝国は強固な同盟関係にある。そしてそれはすなわち、ルルグンス法国との関係を維持していく必要性が薄れたことを意味していた。
それどころか、「東が安定したのだから、今度は西に勢力を伸ばそう」と考えるかも知れない。実際、イスパルタ朝の西にあるのはどれも小国ばかり。「喰えるモノなら喰ってしまえ」と考えてもおかしくはない。そしてその場合、真っ先に併呑されるのはルルグンス法国だ。
いや、ルルグンス法国を侵略するのがイスパルタ朝であるとは限らない。法国はこれまでに何度も、さらに西の国々から侵略を受けている。そしてその度にアンタルヤ王国の力を借りて撃退してきた。だがイスパルタ朝と疎遠になれば、今後助力を得られるか分からない。つまり法国にとって、イスパルタ朝との友好関係を維持することは死活問題なのである。
「ははは、うん、そうだな。法国とも是非、友誼を維持したいものだ」
ブルハーヌの内心を知ってか知らずか、ジノーファは軽やかに笑ってそう応えた。ジノーファの返答にイヤなモノは感じず、ブルハーヌは内心で安堵の息を吐く。だが彼にとって本当に大変なのはここからだ。彼は胃が痛みそうになるのを堪えながら、しかし顔にはにこやかな笑みを浮かべてさらにこう言った。
「おお、恐悦至極に存じます。しかしながら陛下、両国の間には近年わだかまりがございます。法王猊下はそのことにいたく心を痛めておられ、わたくしもこうして陛下と謁見が叶いましたからには、是非ともそのわだかまりを解くための一助になりたいと、そう考えている次第でございます」
「ふむ。わだかまりとは一体何のことだろうか? わたしには法国と法王猊下に含むところはない。わだかまりと言われても、心当たりが思い浮かばぬのだが……。フスレウ、卿には何か心当たりがあるだろうか?」
「いえ、某にも皆目見当がつきませぬ」
ジノーファから話を振れられたフスレウは、一瞬迷惑そうな顔をしてそう答えた。ジノーファが「心当たりはない」と言っているのに、まさか彼が「知っている」と言うわけにはいかない。それで一種演技じみたやり取りになったわけだが、その流れのままさらにジノーファはこう言った。
「ブルハーヌ枢機卿。わたしも廷臣たちも、卿のいうわだかまりには心当たりがない。一体何のことなのか、教えてもらえないだろうか?」
「さ、さすれば、貴国に割譲された我が法国の国土と、毎年納めることになっている貢納金のことでございます」
「あれは、法国が我がアンタルヤ王国を侵略したために、その賠償として取り決められたモノのはず。むしろ両国間のわだかまりを解くための措置で、それが新たなわだかまりとなることなどあるはずがないではないか」
「ジノーファ陛下、一つお間違えいただきたくない事なのですが、ザールジャングらが行いましたあの侵略は、決して我が法国の意思ではないのです。むしろ彼らが暴発して勝手に行ったことに過ぎませぬ」
ブルハーヌは腹に力を込めてそう力説した。実際、枢密院でアンタルヤ王国への攻撃が決まったわけではない。むしろ結論が出なかったために、ザールジャングらの行動を黙認することになったのだ。そしてその後の戦後処理においても、彼らのいわば私戦であったことが確認されている。
ザールジャングら三名の枢機卿は、すでに法王の名の下に処刑されている。ルルグンス法国としてはすでにけじめは付けている、という立場だ。そして「国家の意思として行われた侵略ではないにも関わらず、国土を割譲しこの先もずっと貢納金を払い続けるのはあまりにも惨い」とブルハーヌは主張した。
「前王ガーレルラーン陛下のお怒りはもっともであると考え、法王猊下もあの約束に同意なさいました。ですが今、前王陛下はお隠れになり、こうして新王陛下がご即位なさいました。そしてジノーファ陛下は法国との友誼を是非維持したいと仰いました。
であれば、もう十分ではないでしょうか? 是非、我が国に旧来の国土を回復させ、また貢納金の負担を取り除いて下さいますように。さすれば両国の友誼は永遠のものとなりましょう」
「ふむ。そして法王猊下のご心痛も和らぐ、ということか」
「ははっ。陛下におかれましては、どうぞ歴史に残る英断を下されますように……」
ブルハーヌはそう語って恭しく頭を垂れた。「賠償はもう十分にしたはず。ガーレルラーン二世も死んだことだし、もういいだろう」。法国側の主張は、要するにそう言うことだ。
とはいえ、イスパルタ朝にはイスパルタ朝の言い分がある。先の侵略はザールジャングらの私戦とされているが、そもそもそれはルルグンス法国の面子を慮ってそうしたに過ぎない。六万の大軍がアンタルヤ王国へ攻め込むのを見過ごした以上、それが法国の意図であったことは暗黙の了解として認識されている。
長年の友誼を踏みにじったのは法国の側であり、それを棚に上げて「賠償はもう十分にした」などという主張は到底受け入れられない。その上、「このままでは両国の関係に響くぞ」とほのめかすような主張はまことに聞き苦しい。特にフスレウなどは当時南アンタルヤ王国の官僚だったので、そういう思いが強かった。
「ブルハーヌ枢機卿の言いたいことは分かった。だがわたしとしては、新領土を返還したとして、それで法王猊下のご心痛が取り除かれるとは思えない」
不愉快な想いは、ジノーファも内心で覚えていたはず。だが彼はそれを表に出さずに穏やかな声で、しかし毅然とした態度でそう応えた。ブルハーヌも彼が二つ返事で要求を容れるとは思っていなかったのだろう。顔色を変えず、こう尋ねた。
「それは、どういうことでしょうか?」
「ユスフ。アレを」
ブルハーヌには直接答えず、ジノーファはユスフにそう命じた。ユスフは一礼して下がると、すぐに台車を押して戻ってきた。台車には書類が山積みされている。ユスフが台車をブルハーヌのすぐ隣につけると、ジノーファは彼にこう言った。
「読んでみると良い」
そう促され、内心で首をかしげながらも、ブルハーヌは台車に載せられた書類を一枚手に取り目を通す。すると、たちまち彼の表情が強張った。そしてさらに二枚三枚と読み進める内に、彼の顔からはいよいよ血の気が引いていく。そんな彼にジノーファはこう告げた。
「それは、総督府に届けられた、新領土の民衆からの嘆願書だ。全てに『法国へは戻りたくない。このままイスパルタ朝の一部にしておいて欲しい』と書かれている」
嘆願書にはその理由もまた書かれていた。曰く「税率が安くなり、負わせ高もなくなった。僧職者の強引な寄付の取り立てもなくなり、法国にいた頃より生活は格段に良くなった。以前のような生活にはもう戻りたくない」。
それを読み、ブルハーヌは言葉を失った。中には「もしもまた法国に戻されるのであれば、土地を捨ててイスパルタ朝へ逃れる覚悟だ」と書かれているものさえある。一体何が起こっているのか、彼は理解できなかった。
「……嘆願書はそれだけではない。連日総督府より届けられ、今では一室を埋め尽くさんばかりになっている」
ジノーファはブルハーヌにさらにそう告げた。彼の言葉は大げさではない。実際、それくらいの量の嘆願書が総督府を介してクルシェヒルの王宮へ届けられているのだ。読み書きのできない農民が、なけなしの金をはたいて代筆を頼み、書いてもらったものも多い。それくらい彼らは必死だったのだ。
「陛下、その、これは……!」
「仮に新領土を法国へ返還すれば、嘆願書を書いた民衆はそれを不満に思うだろう。これが新たな火種となることは明白。法王猊下はその扱いに苦慮されるだろう。それでは猊下の悩みは深まるばかりだ」
言葉を失ったブルハーヌに、ジノーファは淡々とそう語った。実際、ルルグンス法国が旧国土を回復したとして、国民の半分以上がそれを望んでいなかったことになる。法国の情勢は極めて不安定になるだろう。内乱が起こっても不思議ではない。ジノーファの言うとおり、ヌルルハーク四世は回復した国土のために頭を悩ませることになる。
いや、ヌルルハーク四世が頭を悩ませるだけなら別に良いのだ。だが内乱が起こればそれでは済まなくなる。嘆願書からは「僧職者の強引な寄付の取り立て」に民衆が不満を溜め込んでいる様子が窺える。彼らは宗教国家としてのルルグンス法国そのものに不満があるのだ。内乱はいわば宗教革命の様相を呈するだろう。
そしてその革命に、イスパルタ朝は勇んで介入してくるに違いない。彼らは解放者、あるいは改革者を名乗って法国へ乗り込んでくる。法国の民衆はイスパルタ軍を歓呼して迎えるだろう。
こうなればルルグンス軍に抵抗する術はない。法国は丸ごと、イスパルタ朝に併合されることになる。さらにこれは宗教革命であるから、法王と枢機卿は居場所を失うことになる。尊崇の対象から一転、憎悪の的になって石を投げられるのだ。良くて国外追放、普通ならば処刑されるに違いない。
ザールジャングらのように、自分も生きたまま火刑に処せられるのだろうか。その時の様子を思い出し、ブルハーヌは背筋が寒くなった。そんな彼にジノーファはさらにこう告げる。
「わたしとしても、我が国の民であることを望む者たちの願いは尊重したい。そのことをどうか法王猊下に説明してもらえないだろうか?」
「……陛下のお考えは、よく分かりました。ですが、その、首尾良く納得していただけるかどうか……」
ブルハーヌは言葉を濁した。彼としても、あの嘆願書を見せられては、旧国土の回復は無理だと理解せざるを得ない。だが何の成果もなしにヌルルハーク四世を説得できるのか。それもまた彼には難しいと思われた。
「では、貢納金については、来年からこれを廃止しよう」
ジノーファがあまりにも簡単にそう言ったので、ブルハーヌは思わず彼の顔をまじまじと見てしまった。ついでに言えば、イスパルタ朝の廷臣たちも驚いた様子で彼の方を振り返っている。誰もが驚く中、ジノーファはさらにこう言葉を続けた。
「その代わりと言ってはなんだが、一つ提案がある」
「な、なんでございましょう?」
ブルハーヌは身構えた。どんな交換条件を突きつけられるのかと思ったが、ジノーファの提案は彼の予想しないものだった。両国の通商条約をこの機会に見直し、ロストク帝国並のものを結び直したいというのだ。
「卿はさきほど北方の珍品に興味を示していたが、通商条約を結び直せばさらに多くの品々を手に入れやすくなる。法国にとっても利のある話だと思うが、どうだろうか?」
ジノーファは毎年の貢納金をタダで捨てるつもりは毛頭なかった。むしろそれをエサにして通商条約を結び直す。それができれば、毎年の貢納金程度はすぐに回収できる。それが彼の考えだった。
そういうジノーファの意図をブルハーヌがしっかりと理解していたかは分からない。だが彼としても手ぶらで帰るわけにはいかない。何かしらの成果が必要であり、貢納金の廃止というのはそれにピッタリだった。
「は、ははっ。まことに良きお話と存じます。ぜひそのようにいたしましょう。両国の友好を願うジノーファ陛下のお心、必ずや法王猊下にお伝えいたしますっ」
そう言ってブルハーヌは平伏した。それを見てジノーファも満足げに頷く。その後、もう少し話をしてから、使節団との謁見は終わった。
「陛下、どうして貢納金を廃止されたのですか?」
ジノーファが執務室へ引き上げると、紅茶を用意しながらユスフがそう尋ねる。それに対し、ジノーファは苦笑しながらこう答えた。
「法国には良港があるから、さらに西に向かう足がかりにもなるだろうしね。それと、不満の矛先をイスパルタ朝に向けさせないため、かな」
貢納金がなくなったとして、法国の民の生活が楽になることは残念ながら恐らくない。その分、法王や枢機卿をはじめとする、僧職者らの使うお金が増えるだけだろう。しかしだからこそ、法国は「貧困の原因がイスパルタ朝にある」とは言えない。
また交易が盛んになれば人の行き来も多くなる。新領土の様子はより詳しく法国の民衆へ伝わるだろう。その時彼らはどう思うのか。不満の矛先を法国政府へ向けるのは、それほど難しくないはずだ。ともすればイスパルタ軍の待望論さえ生まれるかも知れない。
「将来的に法国を征服するための布石、ですか……!?」
ユスフが驚いた様子でそう尋ねる。だがジノーファは曖昧に笑うだけではっきりとは答えない。今その意思がないとしても、種だけは蒔いておく。そう言うことなのだろう、とユスフは思った。
ユスフ「ま、ざっとこんなもんよ」




