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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国

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戦後体制


 クルシェヒルに帰還すると、ジノーファはまず再統一戦争の論功行賞を行った。真っ先に名前を呼ばれたのはクワルドで、彼には元帥号と近衛軍最高司令官の称号が与えられた。もっとも、現在においても彼はジノーファの代理として近衛軍全体を統率している。実情に見合う職権を与えられただけとの見方もでき、あまり大きな驚きはなかった。


 次に名前を呼ばれたのはカスリムだった。彼が二番目に名前を呼ばれたことで、謁見の間には小さなざわめきが広がった。彼がジノーファに従ったのは、ガーレルラーン二世が崩御したあとのことだったからだ。いわば外様とも言える彼だが、ジノーファは彼をこう讃えた。


「新領土の総督であったころからの働き、またわたしに従うようになってからの働き、全てにおいて満足している。それで、卿には新領土から二州を与え伯爵に叙するという約束だったが、新領土から四州を与え侯爵に叙するものとする」


 ジノーファがそう宣言すると、謁見の間に大きなざわめきが広がった。カスリム自身も驚いてジノーファを見上げている。四州と言えば貴族が有する領地の中では大領と言って良く、侯爵位と合わせれば押しも押されもせぬ大貴族だ。エルビスタン伯爵家よりも大きいと言っていい。


 この報償にはもちろん、幾つかの思惑が含まれている。第一に、約束以上のものを与えることでカスリムの忠誠心を勝ち得る。大貴族が国王に忠誠を誓うのだから、ジノーファの権力基盤は強固になると言っていい。


 またこれは、いわゆる南北アンタルヤの貴族らに対するメッセージでもあった。「外様であるからと言って差別はしない」というメッセージだ。旧来のイスパルタ王国の貴族だけを優遇するようなことはしない、とジノーファは伝えたのである。


 また新領土に貴族を置くことで、そこの統治をより深めるという目的もあった。ルルグンス法国がその領地を返せと言えば、カスリムは猛烈に反発するだろう。つまりそれだけイスパルタ朝の支配が強まるのだ。


 加えて、新領土からカスリムに土地を与えたので、その分総督が治める領地は減っている。つまり総督の権力がそれだけ弱まったのだ。いずれ総督職は撤廃されることになるが、これはその足がかりとも言えるだろう。


 さて、その後も論功行賞は続いた。新たに土地を得たのは統一戦争の最初期からジノーファに従った貴族たちだけで、その土地は主にバイブルト城とエルズルム城の東側から与えられた。


 その地域の貴族たちは直接ジノーファと敵対してしまったし、また彼がクルシェヒルを掌握した後になかなか挨拶に来なかったので、幾らか土地を削られてしまっている。その分の土地を配分したのだ。


 その他の貴族らに対しては、主に宝物や金貨が下賜された。これは彼らが戦ったのが主に防衛線であったからだ。要するに新たな土地を獲得する戦いではなかったので、土地は配分されなかったのである。


 ただし、ジノーファは吝嗇ではなかった。手持ちの資金を使い切る勢いで宝物や金貨をばらまいた。おかげで王宮の宝物庫は一部の歴史的資産を残してほぼ空になったし、マルマリズから運ばせた軍資金も底をついている。


 財務官僚などは顔面を蒼白にしていたが、しかしジノーファは気にしなかった。そもそも、これだけ大判振る舞いして宝物庫が空になるだけで済んだのだから、それ自体が驚くべき事だ。良港を幾つも有するアンタルヤ王国の経済の底力を見せつけた、と言っていい。


 ちなみにラグナらアヤロンの民に対しても、ジノーファは金品の下賜という形で恩賞を与えている。というより、彼らはネヴィーシェル辺境伯領の領民なので、それ以上のことはできなかったとも言える。ただしジノーファとしてはこれで済ませるつもりはなく、本命は後日のお楽しみということになった。


 さて論功行賞を終えると、ジノーファは時を置かずに幾つかの布告を出した。一つ目は天領における関所の撤廃。イスパルタ王国の基準を全国へ広げた格好である。イスパルタ朝は元来、経済の分野で大きな潜在能力を持っている。これにより人とモノの行き来がしやすくなり、商業が発展することが期待された。


 さらに二つ目の布告で、ジノーファは主に北アンタルヤの防衛線を今後は近衛軍が中心となって維持していくことを宣言している。そして全国の貴族たちに対し、毎年一定額の拠出金を出すよう求めた。


「アンタルヤ大同盟以来、防衛線をもって魔の森とモンスターの南下を防ぐことは、この地を治める王家と貴族たちにとって、命よりも重要な使命である。各々はその責任を全うするように」


 布告の中でジノーファはそう求めた。拠出金は貴族たちにとって新たな負担となる。おおよそ年間収入の一割ほどか。そのことに眉をひそめた者は多い。だが反対する声は大きくなかった。


 一つにはイスファードとカルカヴァンの、かつての専横がある。防衛線の維持を名目に際限なく搾り取られるくらいなら、毎年一定額の拠出金を支払う方がまだマシ、というわけだ。


 さらにこの布告に逆らえば、アンタルヤ貴族としての責任を果たしていないと言われるだろう。その瞬間、王家に付け入る隙を与えることになる。歴史的な背景を鑑みれば、逆らいたくても逆らえなかったのだ。


 そして三つ目の布告で、ジノーファは貴族たちに軍縮を命じた。「近衛軍が防衛線を維持する以上、領内の治安を維持する以上の戦力は必要ないはずである」というのが国の言い分だった。


 合わせて爵位毎に保有できる戦力の上限も発表された。北アンタルヤで公表されたものと同じで、これで全国に同じ基準が適用されたことになる。ただしすぐには難しいだろうと言うことで、五年の準備期間が設けられた。


 この布告にははっきりと抗議の声が上がった。これは貴族が持つ兵権への干渉であり、実質的にそれを取り上げるに等しい。また先に北アンタルヤで公表されたこともあり、あたかも懲罰であるかのように受け止められたのだ。まあ、懲罰うんぬんの半分以上は言いがかりだが。


「だいたい、必要以上の戦力を保持して卿らは一体何と戦おうと言うのだ?」


「そ、それは無論、外敵でございます」


 まさか「王家です」と答えるわけにはいかず、貴族たちは言葉を濁した。そこへジノーファはさらにこう踏み込む。


「では外敵とは何だ? 防衛線は近衛軍が守る。ロストク帝国は大切な同盟国だし、イブライン協商国が攻め込んで来ることは考えにくい。ルルグンス法国が兵を挙げたとして、まず被害を受けるのは新領土、つまり天領だ。卿らが戦うべき外敵など、どこにもいないではないか」


 そのように言われては、貴族たちも引き下がるより他になかった。もっとも、軍縮を行えばその分の予算が浮くのは事実なのだ。その分を拠出金に回せば、負担が増えることは避けられる。それに皆で一斉に軍縮すれば、相対的な戦力差は変わらない。ただし王家の戦力は突出することになるが。


 こうして三つの布告は全国に適用されたわけだが、二つ目と三つ目の布告について、ネヴィーシェル辺境伯家は除外された。辺境伯領は魔の森と接しており、辺境伯家は代々防衛線を守ってきたからだ。そしてその役目は現在も続いている。となれば「今後は近衛軍が……」という論は成り立たない。


 実は布告を出す前、王宮内には、この機会にネヴィーシェル辺境伯家から防衛線の指揮権を取り上げてしまうべき、という意見もあった。ちょうどメフメトの一件もある。確かに今ならばそれも可能であっただろう。


「……いや、止めておこう。そこまで追い詰めるべきじゃない。ここはむしろ、信任を表明するべきだ」


 歴代の辺境伯家当主も、現在の当主であるダーマードも、防衛線の維持に関しては良くやっている。特別瑕疵があるわけではないというのに指揮権を取り上げてしまえば、不満が残るのは想像に難くない。


 ただし、ネヴィーシェル辺境伯家が以前のままでいられるかと言えば、そうではない。なぜなら派閥の他の貴族は、布告に従わなければならないからだ。そうすると、彼らに辺境伯家を支援する余裕はなくなる。


 というより、心情的に受け入れられないだろう。「拠出金を出しているのに、なぜこの上、個別の支援までしなければならないのか」というわけだ。


 しかし辺境伯家単独では、防衛線の維持は難しい。できないことはないだろうが、大きな負担だ。やはり支援は必要で、そうなると支援するのは能力的にも道義的にも王家と言うことになる。


 実際には、集めた拠出金の一部をネヴィーシェル辺境伯家に配分する、という形になるだろう。この変更は大きな意味を持つ。王家から金をもらうのだ。逆らいづらくなるのは言うまでもない。


 つまり結果として、ネヴィーシェル辺境伯家に対する統制も強まっていると言える。だからこそ辺境伯家が防衛線を今後も守り続けることに、大きな反対意見は出なかった。形はどうあれ、王家の影響力は増す。ならば形式にこだわる必要はないのだ。


 こうしてネヴィーシェル辺境伯家は二つ目と三つ目の布告の適用から除外されたわけだが、辺境伯家には王家から個別の要請がおこなわれた。その要請とは要するに「アヤロンの民を王家直属の臣民として引き取りたい」というものである。


 とはいえ、彼らをクルシェヒルに移住させることはジノーファも考えていない。むしろこのまま防衛線の近くに留まり、魔の森のダンジョンの攻略に尽力して欲しいと思っている。


 ではなぜ「王家直属の臣民に」などと言い出したのかというと、そこはやはりラグナの存在が大きい。聖痕(スティグマ)持ちである彼を、このままダーマードの部下のような形にしておくのは、あまり良くないと考えたわけだ。同じく聖痕(スティグマ)持ちであるジノーファの威信に傷がつくのではないか。そう考える者が一定数いたのである。


 また、再統一戦争の恩賞として、アヤロンの民には金銭しか与えられていない。ラグナはよく働いてくれたし、また防衛線では収納魔法の使い手たちにも世話になった。何か他にも、名誉と実利を与える必要があると思われたのだ。


 加えてアヤロンの民がネヴィーシェル辺境伯領の領民のままだと、彼らを辺境伯領の外へ出すのが難しくなる。ジノーファとしては将来的にアヤロンの民の数が増えたら、北アンタルヤ地方にも移住してきてもらって、同じく魔の森のダンジョンの攻略に尽力してもらいたいと思っている。「王家直属の臣民に」というのは、その布石でもあった。


「アヤロンの民を王家の直属にできれば、収納魔法の使い手を王家で多数確保できます。また使い手を増やしていく上でも、彼らの協力は必須。これを辺境伯家に抑えられたままというのは、近衛軍としてもあまり面白い状況ではありませんな」


 クワルドはそう語った。スレイマンも同じような趣旨の発言をしている。あるいはこれこそが真の目的であったのかも知れない。収納魔法の使い手は魔の森でのみ活躍するわけではない。通常のダンジョン攻略でも大きな力は発揮する。今後、国力を底上げする上でその数が重要になってくるのは明らかだった。


 ダーマードはそういう王宮の考えをおおよそ見透かしていただろう。だが彼は特別反対することなく、粛々とその要請を受け入れた。


 一つにはやはりメフメトの一件がある。ネヴィーシェル辺境伯家としては、王家の意向に逆らいづらいのだ。それにアヤロンの民は辺境伯領から移住させられるわけではない。魔の森のダンジョンの攻略もこれまで通り続けられる。ラグナを取られることを除けば、あまり大きな影響はないのだ。


 税収の面では、確かにマイナスだろう。だがアヤロンの民が治める税など、たかが知れている。攻略で得られるドロップ品は辺境伯領内で流通するのだし、ある意味それで十分なのだ。


 またダーマードはすでに自身の庶子セリムをアヤロンの民のところへ送り込んでいる。繋がりはすでに十分太い。独自に収納魔法の使い手の育成も始まっており、どうしても確保しておかなければならない人材ではなくなっていた。


 国とネヴィーシェル辺境伯家の話し合いの結果、防衛線近くに設けられるアヤロンの民の住居地は、王家が一〇〇年単位で借り上げることになった。そしてその分はアヤロンの民が税という形で王家に支払う。ただし再統一戦争の功績により、今後十年はその税を免除された。


 アヤロンの民にとっても、王家直属の臣民になることにはメリットがある。まず単純に税が安くなる。まあ、これは安くなるようにジノーファが決めたわけだが。さらに王家が後ろ盾となることで、他の貴族からの干渉をはね除けることができるようになる。


 そもそも、イスパルタ朝においてアヤロンの民は弱小勢力だ。しかし聖痕(スティグマ)持ちがおり、収納魔法の使い手を多数抱え、旨みは大きい。術数権謀には慣れておらず、放っておけばあっという間に食い散らかされかねない。王家で囲い込むのには、それを防ぐという意味もあった。


「ほう、では今後は、文字通り陛下が我らの王となるわけか」


 事情を説明されると、ラグナはそう言ってニヤリと笑った。アヤロンの民にとって魔の森から救い出してくれた恩人と言えば、それはジノーファだ。ゆえに、ジノーファに仕えることにわだかまりはない。むしろ収まるべき場所に収まったと考える者が多く、アヤロンの民の士気は高まった。


 さて、そうこうしている内に年が変わった。大統暦六四五年の始まりである。年が明けて半月ほどすると、新年の挨拶のために貴族らがクルシェヒルに集まり始める。その中には旧北アンタルヤ王国の貴族らの姿もあった。


 諸々、彼らも忙しい時期であろう。新年をゆっくりと祝うことなどできていないに違いない。それでも彼らは新年の挨拶に来た。そしてジノーファも来なくて良いとは言わなかった。むしろそう言われたら、彼らは大いに困ったことだろう。


 つい最近まで敵であった者たちの挨拶を、ジノーファは和やかに受けた。彼らが献上した品々は、以前の水準からして決して高価とは言えなかったが、ジノーファは喜んでそれを受け取った。そして懇ろに言葉をかけて彼らを安心させたのである。


 エルビスタン伯爵家からも新年の挨拶のための使者がきた。使者としてクルシェヒルを訪れたのはシャガードだった。彼は新しく家令に任命されたのだ。前任者はカルカヴァンと一緒に隠居したという。そしてシャガードが使者となったのは、当主であるファティマが身重のため動けないからだった。


「ファティマ殿の具合はいかがだろうか?」


「医師の見立てでは、そろそろ産み月が近いとのことです」


 ジノーファの問い掛けに、シャガードはそう答えた。ジノーファは笑顔を浮かべて一つ頷くと、子供の性別には触れず、ただ「身体を労るように伝えて欲しい」とだけ述べ、シャガードも平伏してそれに応じた。


 アヤロンの民も、ラグナが代表して新年の挨拶に来た。もっとも、この時点ではまだ彼らは「王家直属の臣民」にはなっていない。ただそうなることが確定しているので、ダーマードと一緒という形で挨拶に来たのだ。


 ラグナが献上したのは、アヤロンの民の伝統工芸品と大量のピンクソルト。すべてダンジョン由来の品で、彼は今後も精力的にダンジョン攻略に取り組むことを誓った。


 一月の末頃、新領土の総督であるロスタムもまた新年の挨拶に訪れた。挨拶を受けた後、ジノーファは彼としばし談笑する。すると話題は自然とルルグンス法国の事になった。


「こう言ってはなんですが、法国にも少々困ったものです」


 ロスタムがそう言うと、ジノーファも苦笑を浮かべた。クルシェヒルには最近まで、ルルグンス法国の枢機卿が滞在していた。法王ヌルルハーク四世の大使として訪れていたのである。その要件とは言うまでもなく、新領土と貢納金についてだった。


ユスフ「陛下は、宵越しの金はもたねぇ!」

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― 新着の感想 ―
[一言] おぉ!前話と合わせて、今までモヤモヤしてた部分が色々と払拭されてく…なるほどなるほどぉ 甘すぎる政治スタイルに不安があったけど、それだけじゃないところもちゃんとあってよかったw まあ、それで…
[一言] やっぱラグナはトレードか。 国内で力示しちゃったし流石にダーマードのところに置いたままはちょっとね…。 法国くんは前王亡くなって調子に乗りつつあるから、現実見せてあげるのかな? あんだけ怖が…
[良い点] シャガードさんの努力が遂に報いられたか
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