北方出兵3
魔の森を沈静化させるためのイスパルタ軍の作戦は、すでに第二段階の山場を越えていた。防衛線には四つの出城が完成しており、再統一戦争前にイスパルタ王国が築いたものを含めれば、全部で五つの出城が交代でモンスターの誘引と殲滅を行っている。
いつどの出城が作戦を行うのか、そのシフトを作っているのはリゼ城に置かれた参謀部である。前線からの報告をもとに、クワルドが中心となって計画が作られ、最終的にジノーファが承認する格好である。
前線での指揮を取っているのはハザエル。誘引作戦に関しては彼が一番経験豊富だからだ。四つの出城にはそれぞれ担当の将軍がいるわけだが、彼らはまずハザエルのもとでその指揮の仕方を学んでいる。それを鑑みても、やはり彼以外の適任者はいないだろう。
そしてシュルナック城でクルシェヒルとのやり取りを担当し、主に補給の分野で采配を振るっているのがカスリムだ。前線に出ることのない地味な仕事だが、「各方面に顔つなぎができる」と本人はむしろ喜んでいた。彼が爵位と領地をもらった時には、その人脈が大いに役立つことだろう。
さて、四つの出城が築かれ、誘引作戦は一挙に加速した。イスパルタ軍は十万を超える兵を投入し、それを順番に交代させながら戦っている。おかげで兵の損耗は少ない。消費人口が増えたことで北アンタルヤの経済も急速に回復しつつある。代わりに本陣の業務は膨大なモノになっているが、人材を鍛える意味もかねて、ジノーファは仕事を減らすことは考えていなかった。
報告によれば、討伐されたモンスターの累計総数はすでに六〇万を越えている。まさに無尽蔵とも言える数で、最初に聞いたときにはジノーファも喜ぶより先に薄ら寒いものを感じた。一体、どれだけのモンスターが魔の森にはいるのだろうか。
もっとも、最近ではようやく誘引されるモンスターの数が減ってきたという。その報告を受け、ジノーファはいよいよ作戦の第三段階を見据えて動き始めることにした。つまり魔の森に存在するダンジョンの攻略である。
ジノーファはまず北アンタルヤの貴族たちに対し、魔の森に存在するダンジョンの情報の提供を求めた。彼らは積極的な攻略こそ行っていなかったが、長年にわたり魔の森と境を接し続けてきたのだ。であれば浅い位置の探索くらいはしているはずで、ジノーファはその情報を求めたのだ。
その結果、比較的近い場所になんと五つものダンジョンがあることが判明した。ただしそのどれも、攻略はほとんど行われていない。内部のマッピングも進んでおらず、ほぼ手つかずと言っていい。
「聞くところによれば、それでも攻略を行おうとした時期はあったそうです」
調査を行った参謀の一人は、ジノーファにそう報告した。北アンタルヤが魔の森と向かい合ってきたその歴史は長い。その中で抜本的な解決を目指した有力者は何人もおり、ダンジョンの発見もその流れのなかでのものだ。だがこれまでのところ、それ以上の成果は上げられていない。
理由は幾つかある。第一に、そもそも人を送り込むことが困難なのだ。また一カ所だけを攻略してもあまり意味はない。五カ所全てを攻略する必要があるが、いかに有力者とはいえ一人の貴族にそれは荷が重い。足並みを揃えようとしても、基本的に利が出る事業ではなく、結局調整がつかずにそのまま流れてしまったことも多いという。
だが今回は事情が違う。今回事に当たろうとしているのは、地方の有力者ではない。一国の王が総力を挙げて挑もうとしているのだ。しかもすでに、魔の森のダンジョンについては攻略の経験と実績がある。動員できる戦力もこれまでとは桁違いで、「これならば沈静化に成功するのではないか」と北アンタルヤの貴族たちの間でも評判だった。
「……それで、参謀部としてはどう攻略していこうと考えている?」
「まずはダンジョンの正確な位置について確認します」
それが分からなければ攻略のしようもないので、確認は当然だ。そして位置が確認できたら、今度は土魔法などを駆使して道を整備する。行き来をしやすくするためだ。これはロストク軍の作戦やアヤロンの民を移住させたときの経験がもとになっている。そして道ができたら、いよいよ戦力を送り込むことになる。
「攻略の鍵となるのは、収納魔法です。収納魔法を使えば、少ない人員でも効果的な攻略が行えます」
その言葉にジノーファも一つ頷く。それは彼自身にも経験のあることだし、アヤロンの民やロストク軍の攻略を見ても明らかである。だがその攻略方法には決定的な弱点がある。それは収納魔法の使い手が少ないことだ。
今回の作戦では、当初からダンジョンの攻略が最終的な戦略目標とされていた。そのために収納魔法の使い手が必要になることは分かっていたので、動員できる限りの使い手が集められている。
だがそれでも、その人数は十人ほど。アヤロンの民から収納魔法の使い手を派遣してもらえばもう少し人数を揃えることは可能だ。だがそれだと、今度は現在行われている魔の森のダンジョンの攻略が疎かになる。短期間ならともかく、長期間の派遣は現実的ではない。
「収納魔法の使い手が少ないのはどうしようもありません。なのでまずは二つのダンジョンのみを集中的に攻略します。活性化以前の水準に戻るかは分かりませんが、それでも効果はあるはずです」
参謀はそのように説明した。五つのダンジョン全てを本格的に攻略するには、収納魔法の使い手が増えるのを待つしかない。しかしその間、手をこまねいて見ているわけにもいかない。それでまずは二つに絞って戦力を集中投下する。それが参謀部の方針だった。
「それは、かえって危険じゃないかな?」
しかしジノーファはその方針に疑義を唱えた。限られた戦力を集中投下する、という考え方は分かる。しかし放置される三つのダンジョンは、戦力が揃うまでの間、スタンピードを繰り返すことになる。
実際、誘引作戦を行っている現在においても、何度かスタンピードは起こっている。出城があり、また戦力的にも余裕があるので防衛線に問題は出ていない。
だがダンジョン攻略のためのパーティーが移動中にスタンピードが起こったらどうか。少人数の彼らは瞬く間にモンスターの大群に呑み込まれるだろう。貴重な収納魔法の使い手を失うことになりかねない。
「二つのダンジョンを重点的に攻略するのは良いとして、残りの三つを放置してしまうのは良くない。多少なりとも攻略を行わせて、スタンピードを抑制しないと……。上層に限定して、エリアボスの討伐のみを行わせる、というのはどうだろう?」
「……上層なら基本的に日帰りが可能ですから、一つのパーティーが一体のエリアボスを討伐すると言う形なら、収納魔法の使い手がいなくても意味のある戦力投入ができるかと思います。数が必要になりますが、そちらは問題ありません。ただ、上層に限定するとはいえ、事前にある程度の範囲を探索する必要がありますが……」
「マッピングだけなら、アヤロンの民から使い手を借りることもできる。その方向でもう一度検討して欲しい」
「了解しました」
報告を行っている参謀は真剣な顔をしてそう応えた。結果として、二〇〇を越えるパーティーが組織された。人数にして一二〇〇名以上である。もちろん、これらのパーティーが連日休みなしで攻略を行ったわけではない。だが攻略それ自体は切れ目なく継続された。そのおかげもあり、少なくとも魔の森の浅い位置では、スタンピードが起こらなくなった。
さて、五つのダンジョンの攻略が始まるまでに、累計で七五万に届こうかというモンスターが討伐された。そしてアヤロンの民から収納魔法の使い手が十名派遣され、いよいよダンジョンの攻略が始まった。
まず行うべきはマッピングだ。事前に集めた情報の中には、ダンジョン内部の地図情報も多少は含まれていたが、しかし絶対量がたりない。要するに狭い範囲の探索しか成されておらず、まずはこの範囲を広げることに力が注がれた。
マッピングが始まると、参謀部は計画の細かな点について、修正を加えるようになった。比較的浅い位置に採掘場が見つかったり、エリアボスが出現する大広間の数に偏りがあったりするなど、新たに考慮するべき情報が入手できたからだ。
「この採掘場には、是非とも人を送り込むべきだ!」
「だがそのためには、収納魔法の使い手が必要になる。このダンジョンは最低限の攻略に留める予定だったじゃないか」
「これだけの情報が新たに分かったというのに、初期の計画に固執するなど愚か者のすることだ! 今後の安定的な防衛線の維持を考えれば、この採掘場は重要な財源になる!」
「我々がするべきは金の心配ではなく、いかに効率的に戦力を運用するのか、それを考えることのはずだ」
「そう言う意味では、こっちのダンジョンの方が、大広間の数が多い。ここは通常のパーティーを送り込むだけでいいだろう。むしろそっちのダンジョンの探索範囲を広げるべきだ」
「こんな端っこのダンジョンに収納魔法の使い手を多数費やすなんて、効率が悪すぎる! 魔の森の沈静化が第一目標なんだぞ!?」
計画は何度か手直しされた。ジノーファに提出された案によると、収納魔法の使い手を送り込むダンジョンは全部で三つになっている。エリアボスの討伐は通常のパーティーに任せることで、ある程度人数をばらけさせても大丈夫だと判断したらしい。
ちなみにダンジョンの攻略にはジノーファも参加した。彼は聖痕持ちにして収納魔法の使い手。自分こそが先頭に立つべきと強弁したのだ。クワルドなどは大いに渋い顔をしたが、収納魔法の使い手不足は深刻で、彼も最終的には折れた。
「ただし! ラグナ卿と同じパーティーでお願いしますぞ!」
それがクワルドの出した条件で、ジノーファはそれを了解した。このパーティーにはユスフも加わっていて、「明らかに過剰戦力だった」と彼は書き残している。
二人の聖痕持ちがあまりに簡単にモンスターを蹴散らしてしまうので、彼らはなんと中層にまで進出してしまった。もともとは上層の探索範囲を広げることが攻略の目的だったのだが、知らず知らずのうちにより深い階層へ足を踏み入れてしまっていたのだ。
もっとも、だからといって彼らが苦戦した訳では全くない。上層も中層も彼らにとっては大して変わらなかったので、そこに足を踏み入れたことに気付かなかったのだ。むしろ放っておけば、彼らは下層にまで足を伸ばしていただろう。
そうせずに彼らが攻略を切り上げた理由の一つは、質の良い採掘場を見つけたからだった。そのことを報告するために戻ったのだが、その際、採掘場の近くで倒したモンスターの魔石を鑑定した結果、そこが中層であることが分かったのである。
「あの辺は、中層だったのか」
「うむ。そう言えばエリアボスが、多少手強かったような気もするのである」
ジノーファとラグナはそんな会話を交わした。二人と同じパーティーにいたメンバーはその言葉に深く頷いた。傍から見ている分にも、差があったようには思えなかったのだ。どれも一方的な蹂躙で、「モンスターが気の毒に思えたのは初めてだ」とあるメンバーは書き残している。
またこのときジノーファらが見つけた採掘場は、参謀部で少なからぬ議論を巻き起こした。つまり積極的に人を送り込むべきと考える者たちと、中層なのだから今は攻略を控えるべきと考える者たちがいたのだ。結局このときは後者の論が採られたのだが、この採掘場もまた将来的に防衛線維持のための重要な財源となることが期待された。
なお、ジノーファはこのとき以外にも何度かダンジョンに潜り、それぞれめざましい成果を上げた。ユスフが成長限界に達したのもそんなときで、彼らはドロップ肉のステーキを焼いてお祝いした。
さて、ダンジョンの攻略が進むにつれ、誘引作戦はその頻度を減らしていった。人員を送り込んでいる時に誘引作戦を行うことはできないし、またそもそも誘引できるモンスターの数が減ってきたからだ。それは魔の森が沈静化してきていることを示しておりそして、イスパルタ軍の作戦の終わりが近いことを意味していた。
もちろん、現在の作戦が終了したあとも、出城を用いた誘引作戦や五つのダンジョンの攻略は継続される。そうして初めて、魔の森を鎮めておけるからだ。
魔の森にはまだ手つかずのダンジョンが多数あるはずで、そういうダンジョンは今後もスタンピードを起こす。その分は間引かなければならない。しかしそのために十万を超える戦力は必要ない。要するに戦力の撤収を考える時期が近づいてきていたのだ。
そのことにある種の懸念を表明したのはファティマだった。彼女が懸念したのは防衛線の維持について、ではない。主に北アンタルヤの経済に関することである。
イスパルタ朝に降伏する前、北アンタルヤ王国の経済は破綻寸前だった。生産能力は払底し、金貨も底をつきかけている。その危機的状況を回復させたのが、イスパルタ軍の活動だ。十万を超える兵士が北アンタルヤで消費活動を行うことで、この地域の経済はひとまず回復したのである。
またイスパルタ軍を目当てに、イスパルタ朝の他の地域からも商人が集まった。彼らの活動もまた、北アンタルヤの経済を回すのに一役買っている。ただいずれにしてもその中心には、十万を超える将兵という巨大な需要があった。
要するに、イスパルタ軍に強く依存した経済活動だったわけだ。そしてイスパルタ軍に依存した経済の回復はその産業構造を歪にした。要するに軍需品優先の産業構造になってしまったのだ。それなのにイスパルタ軍が撤収したらどうなるか。今度はモノが余ることになる。モノを作っても売れず、また不況になることをファティマは懸念したのである。
「なんとか経済をソフトランディングさせて欲しい」。ファティマの要望は要するにそう言うことだった。彼女の意見書を読み、ジノーファは「なるほど」と感心する。確かにこれは対策を講じるべき問題だった。
ジノーファはクワルドらと相談し、イスパルタ軍の撤退時期をあらかじめ周知することにした。そうしておけば、商人たちが余分な在庫を抱え込むことはないだろう。撤退後の商売について考える時間も取れるはずだ。
また全軍を撤退させるのではなく、一部を残して誘引作戦とダンジョンの攻略を継続させることにする。それ自体は必要な事だし、一部が残ればその分の需要も残ることになる。加えて、ジノーファの息のかかった戦力を残すことで、この地域に睨みを利かせることもまた目的の一つだった。
さて、イスパルタ軍の作戦の終了が近いことが周知されると、北アンタルヤの貴族たちの間でにわかに緊張が高まった。作戦が終了すれば、いよいよ北アンタルヤ王国が正式にイスパルタ朝へ併呑されることになる。再統一戦争は終結し、戦後の仕置きが行われるのだ。
そして大統暦六四五年十一月二五日。ジノーファは本陣を置いたリゼ城に北アンタルヤの貴族たちを参集させた。そして居並ぶ貴族たちを前に、いよいよ仕置きが公表される。彼らは厳粛な面持ちでそれを待った。
ラグナ「上層と中層の違いが分からん」
ジノーファ「分かる」
ユスフ「分かりません!」




