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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国

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北方出兵2


 メルテム王太后はシュルナック城の客間に滞在していた。客間と言っても、彼女のような貴人を満足させられる部屋ではない。降伏交渉はまとまったのだし、何ならファティマと一緒にエルビスタン公爵領へ戻っても良かったのだが、彼女はそうせずにシュルナック城に留まった。ジノーファに会うためである。


 ただ彼女はジノーファが来てすぐに会うことはしなかった。自分の方から出向くことを良しとしなかったのだ。彼女はアンタルヤ王国の前王妃であるから、それもあながち不敬とは言えない。ただジノーファの方もまず片づけるべき仕事を優先したため、二人の面会は彼がシュルナック城へ到着してから五日後のこととなった。


「母上、お久しぶりです」


「そなたに母と呼ばれる謂われはありません」


 ぴしゃりとそう言われ、ジノーファは思わず苦笑した。それを見てメルテムは不快げに眉をひそめる。そして苛立たしげにこう尋ねた。


「何がおかしいのです?」


「いえ、父上にも『愚か者』と言われたことを思い出しまして」


 ジノーファがそう答えると、メルテムはさらに嫌そうな顔をした。「似たもの夫婦」とでも言われたかのように思ったのかも知れない。顔を背ける彼女に、今度はジノーファの方がこう尋ねた。


「カルカヴァン卿から、母上はわたしに用があるとお伺いしています。一体どのようなご用件でしょうか?」


「……イスファードのことです。本当に、命を助けてもらえるのでしょうね?」


「はい。ですが現時点で命以外のものは約束できません」


 ジノーファの回答を聞き、メルテムはピクリと眉毛を動かした。要するに命を容赦されたイスファードが、しかしこの先どのような待遇で生きていくことになるのかはまだ分からない、ということだ。


 貴族として遇されるのか、それともどこかに幽閉されるのか。幽閉されるとしてそれは地下牢なのか、それともどこかの屋敷なのか。そう言った事柄は一切未定である、とジノーファは答えたのである。


「イスファードはアンタルヤ王家に連なる血筋。そなたがガーレルラーン陛下の後継者を名乗るのなら、相応の待遇を受ける資格があるはずです」


「ですがイスファード陛下はアンタルヤ王国に叛旗を翻した謀反人として、ガーレルラーン陛下より王家を追放されています。わたしとしては、この認識を踏襲せざるを得ません」


 ジノーファがそう応えると、メルテムは表情を歪めた。イスファードはただ単に「降伏した国の王」というわけではないのだ。そうであったならジノーファも厚遇することができただろう。しかしそれ以前に彼は簒奪を企てた謀反人なのだ。である以上、イスファードの仕置きはそれを前提としたものとしなければならない。


 アンタルヤ王国に敵対したという意味では、ジノーファも同様ではないか。メルテムの内心にはそういう気持ちがあっただろう。しかし彼女はそれを抑えた。結局のところ、イスファードの処遇は彼の胸一つなのだ。


「では、わたくしが引き取りましょう。それで良いですね?」


「それは難しいでしょう。母上の影響力は大きい。そのもとにイスファード陛下がおられれば、必ずや良からぬ事を考える者が現われます。そうなっては、お二人とも危険です」


 ジノーファは淡々とそう答えた。良からぬ事、つまりイスファードを旗頭にしての謀反は、彼の命を容赦すると約束した以上、当然想定するべき事柄だ。そしてイスパルタ朝を安定させるためには、なんとしても防がなければならない。そのためにもメルテムとイスファードを一緒にしておくことは受け入れられなかった。


 加えてもう一つ、ジノーファには別の意図もあった。いかに王家から追放されようとも、イスファードがガーレルラーン二世の実子であることは変わらない。つまりジノーファとしては、この先彼に好き勝手子供を作られては迷惑なのだ。御落胤があちこちにいては、それだけ火種を蒔かれるようなもの。これもまた警戒しなければならない。


「イスファード陛下の処遇については、正式に決める前に母上にも相談いたしましょう。その時にご意見を聞かせて下さい」


「……いいでしょう。必ず相談するのですよ」


 少々不満げではあったが、メルテムはそう言ってジノーファの提案を受け入れた。そして彼女が納得したのを見て取り、ジノーファは話題を変える。彼もまた、メルテムに用があるのだ。


「ところで母上。一つお伺いしたいことがあります」


「なんです?」


「わたしの出生についてです。何かご存じありませんか?」


「そなたの両親のことは、わたくしは何も知りません。まだ赤子であったそなたを連れてきたのは、ガーレルラーン陛下でした。『ダンジョンで拾った』と言っていましたが、それもどこまで本当か……。わたくしが知っているのはそのくらいです」


 あまり興味もない様子で、メルテムはそう答えた。ただ、嘘を言っているようには見えない。それでジノーファもそれ以上のことは聞かず、静かに一礼して礼を言った。それからまた別のことをこう尋ねる。


「それと今後のことですが、母上はどこで暮らすおつもりですか? 何でしたら、クルシェヒルに離宮を用意いたしますが……」


「不要です。公爵家の別邸を用意してもらうことになっています」


 それを聞き、ジノーファは内心で「おや」と思った。なんとなくだが、彼女はクルシェヒルに戻ってくるのだろうと思っていた。だがそうはせず、このまま公爵領で暮らすつもりらしい。


(いや、おかしくもない、か……)


 クルシェヒルはジノーファのお膝元と言っていい。そこで暮らすことを、メルテムは嫌ったのだろう。ジノーファのほうにあれこれ関わる気はないが、彼女はそう受け取らなかったのかも知れない。


 それに彼女は先ほど、「イスファードを自分が引き取りたい」と言った。だが暮らす場所が決まっていなければ引き取りようがない。それでジノーファが来る前に今後の生活の拠点を決めておいたのだろう。そしてそのタイミングで用意できる場所と言えば、公爵家の別邸くらいしかない。


(だが、これでは……)


 これではますます、イスファードを北アンタルヤに戻すことはできなくなった。ファティマがいてメルテムがいてカルカヴァンがいる。ここにイスファードを戻せば、ほぼ確実に反乱が起こるだろう。本人たちがそれを望まなくとも、周囲がそう動く。そしてジノーファの周囲もそれを強く警戒するだろう。


 下手をすれば、今度こそ本当に北伐を行わなければならなくなる。今回、ほとんど血を流すことなく降伏させることができたというのに、それが全て無駄になるのだ。馬鹿らしいにもほどがある。


 それだけではない。今、イスパルタ軍は防衛線の手当てをしている。北伐によって北アンタルヤが混乱すれば、防衛線にまで影響がでるだろう。つまり今こうして軍を動かしていることも無駄になりかねない。


 イスパルタ朝は短期間の内に大きくなった。これからは時間をかけて内側を固めていかなければならない。加えてロストク帝国との関係もある。イブライン協商国とランヴィーア王国の延々と続く戦争に、ダンダリオン一世もそろそろ我慢の限界だろう。そして帝国が軍を動かすときには、イスパルタ朝も兵を出さねばなるまい。


 イスファードの命を助けることは約束した。それは守らなければならない。だがそれを次の混乱の火種とするわけにはいかないのだ。そのことを堅く胸に定めながら、ジノーファはメルテムとの面会を終えたのだった。



 □ ■ □ ■



 メルテムとの面会を終えると、次の日、ジノーファはシュルナック城から出陣した。そこからさらに北上し、彼が次に入城したのはリゼ城。リゼ城から防衛線まではおよそ一日の距離で、今後、イスパルタ軍の本陣はこの城に置かれることになる。


 さてリゼ城には先遣隊を率いるハザエルからの報告が届いていた。その報告によると、北アンタルヤ王国の防衛線はかなり疲弊した状態だったという。人も装備もボロボロで、「よくぞ今日まで耐えたものだ」と彼はいっそ感心していた。


 それでハザエルがまずしなければならなかったのは、怪我人の治療だった。だが先遣隊が持っていた薬やポーションはすぐに底をついた。ちょうどダーマードが送ってきた物資が間に合ったので危機的な状況だけは避けられたが、それでもすでに八割方を消費してしまっているという。


 装備の方も、紙一重だった。まともな装備は主力のほうに取られてしまったらしく、「山賊の方がまだマシな武器を使っているに違いない」とハザエルは書いている。「剣は鈍器に成り果て、防具はみなひび割れてしまっている」とも書いてあるから、よほど壮絶な状態だったのだろう。


 まともに戦える装備ではないので、ハザエルはやはり先遣隊の予備の武器を放出した。しかしこれもやはり足りない。「医療品を含め、早急に次の補給を願う」と彼は報告書のなかで要請していた。


 ちなみに、そのような状況でも今日まで防衛線が耐えられた理由の一つについて、ハザエルは魔法を上げている。表層域では魔法が使える。それが医療品や装備品の不足を補っていた、と言うわけだ。「イスパルタ軍の今後の作戦においても、魔法をどう使いこなすかが重要になる」とハザエルは書いていた。


 ハザエルの報告書を読むと、ジノーファはすぐに補給物資を彼のもとへ送るよう指示を出した。本隊のための分が少なくなってしまうが、それは仕方がない。ジノーファはさらに兵站計画部の士官を呼び、放出した分の埋め合わせを命じる。ただ命令を受けた仕官は少々難しそうな顔をした。それを見てジノーファはこう尋ねる。


「どうしたのだ。予算が厳しいのか?」


「いえ、予算は問題ありません。ですが早急に用意するとなると、北アンタルヤで集めることになります。肝心のモノがあるかどうか……」


 士官は言葉を濁した。医療品にしろ装備品にしろ、十分な量を供給できているのであれば、防衛線がこのような状況になることはなかったはずだ。そしてモノがなければ金があっても意味がない。


「小官も、北アンタルヤの補給体制を知悉しているわけではないのではっきりとしたことは言えません。ですが、シュルナック城で聞いた限りでは生産能力そのものが払底しています。


 その上、主力が決戦のために国内の物資を根こそぎ集めていました。先遣隊にはその物資も持たせていますから、それで足りないとなると、北アンタルヤでの調達は難しいと考えざるを得ません」


「……仕方がない。シュルナック城からクルシェヒルへ伝令を走らせろ。第三陣の前に、補給部隊を組織させる」


 ジノーファはそう命じた。同時に、本隊の中から特に回復魔法を使える者を集め、彼らを特別に部隊として編成。補給物資と一緒に防衛線へ送った。これで医療品の不足を一定程度補えるだろう。


 さて、ハザエルからの報告書には誘引作戦のことも書かれていた。彼はすでに表層域に出城を築き、誘引作戦を決行したという。物資に不安を抱える中ではあったが、東方ではダーマードが同じく誘引作戦を行っていることもあり、やれると判断したそうだ。実際、戦果は上々であると書き送ってきている。


 これまでに行われた戦闘は二回。討伐されたモンスターの数は一万弱。もっともこれは回収された魔石の数なので、「実際には一万を越えるだろう」とハザエルは書いている。損害は許容範囲内。「今後は出城を補強しながら作戦を続ける」と書かれている。その報告を読んでからジノーファは一つ頷き、そしてクワルドにこう尋ねた。


「クワルド、どう思う?」


「ひとまず第一段階は順調、と言うことでしょう。ダーマード卿に誘引作戦を再開していただいた甲斐がありましたな」


 クワルドの言葉に、ジノーファも小さく笑って頷く。それから二人は地図を広げ、今後のことを話し合った。


 まずハザエルが出城を築いたのは、東西に伸びる防衛線の、真ん中よりもやや東寄りの場所だ。これはさらに東でダーマードが誘引作戦を行っており、その効果を期待してのことである。あまり近すぎては出城を築く意味がないが、あまり遠すぎて対処仕切れないほどのモンスターを誘引してしまっても困る、と言うわけだ。


 当初の予定では、さらにあと三つ、出城を築くことになっている。ハザエルが築いた出城の西に二つ、東に一つだ。ただハザエルが誘引作戦を開始したことで、さらに西の方でもモンスターの襲来する頻度と数が減ってきているという。ならば急いで出城を築く必要はない、というのがクワルドの意見だった。


「防衛線で戦う為には、魔法をいかにして戦術に組み込むのかが鍵になります。また出城にしても、やみくもに土塁を盛り上げれば良いというモノではありません。諸々、まずは将兵に経験を積ませる必要があるでしょう。


 まずは二万ほどの兵を出して、ハザエルの下で戦わせてはいかがでしょうか? その後は、順次兵を交代させながら作戦を続けます。その後、クルシェヒルから補給物資が到着するのを待って、作戦を第二段階へ移せばよろしいかと」


 クワルドの意見に、ジノーファは一つ頷いて賛成した。ただし一点、彼はクワルドにこう確認する。


「兵を順次交代させると言うが、それはもともと防衛線にいた、北アンタルヤ兵を含めての話だな?」


 まずジノーファそう尋ねると、クワルドは少し嫌そうな顔をした。イスパルタ軍だけで動員数はすでに六万を越えている。これを交代させながら戦わせるだけでも大変なのだが、さらに北アンタルヤ兵を含めるとなると、仕事の量はさらに膨大になる。どうやらそれを嫌ったようだ。


 だがジノーファはこれを譲らなかった。降伏交渉で合意した内容では、防衛線の指揮権はすでにイスパルタ軍に移っている。そうである以上、そこで戦っているのはすでにジノーファの兵だ。扱いに差をつけることは、してはならない。


「人手が足りませぬ」


「北アンタルヤの貴族たちから、人員をリゼ城に送ってもらおう。協力の一環だ」


 なんならそのまま近衛軍の事務方として雇い入れても良い、とジノーファは言った。この機会に人材を確保してしまうつもりらしいと察し、クワルドは苦笑を浮かべた。


 それだけではない。さらにジノーファは、この機に防衛線の指揮系統を一本化してしまうつもりだった。これは作戦を進める上で必要なことだったし、さらに将来を見据えてのことでもある。もっとも、クワルドはなすべき仕事の量を想像して頬を引きつらせていたが。


 ジノーファが北アンタルヤに大軍を投じたのは、危機的状況にあった防衛線を手当てし、さらに可能ならば魔の森を沈静化するためである。しかし彼はこれを契機として、北アンタルヤをより強く掌握しようとしていた。


 大軍を自在に動かし、物流を意のままにし、各地の貴族に号令を下す。これは王でなければできないことだ。ジノーファは誰がこの国の王なのか、知らしめようとしていたとも言えるだろう。


 さて、クルシェヒルに頼んだ補給物資が到着するまでの間、戦闘は三十回を越えて行われた。その内、何度かはジノーファも陣頭に立ち、実際に剣を振るってエリアボスクラスを屠っている。危険だとする反対意見は多かったが、彼はそれが国王の、そして聖痕(スティグマ)持ちの務めだと言って押し通した。


 これらの戦闘によって討伐されたモンスターは、全部で十三万を超えた。ダーマードが管轄する出城では誘引されるモンスターが減り、そのため戦闘の回数を減らしたとの報告もあった。防衛線全体の負担もかなり軽減されており、また将兵の練度も高まっている。


「そろそろ、かな?」


「はっ。そろそろでございましょう」


 ジノーファはクワルドと相談し、作戦を第二段階へ進めることを決めた。つまり二つ目の出城を築くのだ。二つ目の出城は、一つ目の出城の東側に築かれることになった。


 そしてちょうどこの頃のことである。シャガードがリゼ城へやって来て、ジノーファへの謁見を求めた。


ハザエル「戦力と言うより、怪我人の集団だな。これは……」

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― 新着の感想 ―
[一言] >『ダンジョンで拾った』 ジノーファはドロップ肉だった!?(肉じゃない(肉ではあるけど)) ガーレルラーンに聞けていたとしても同じはぐらかされ方しかしなかった気がします。ひとつだけの質問枠…
[一言] あれ、珍しく6回目の投稿がありゅ…?(期待大)
[一言] 「ダンジョンで拾った」 ん?  シャガード 来たか!
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