表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

223/364

北方出兵1


 北アンタルヤ王国との降伏交渉をまとめ、フスレウがクルシェヒルに帰還した。交渉がほぼジノーファの意図した通りにまとまったことは、彼もすでに早馬の報告で承知している。だがフスレウから正式に報告を受け、合意文書を受け取ることで、その合意は初めて効力を発揮するようになるのだ。


「フスレウ、ご苦労だった」


「ははっ」


 謁見の間で合意文章を受け取ると、ジノーファはフスレウをねぎらった。それから向こうの様子を彼に尋ねる。聞けば、ファティマが着ていたドレスは数年前に流行った型のもので、装飾品もあまり身につけていなかったという。


 北アンタルヤ王国も国家の面子を守るために手は尽くしているはずだし、その痕跡はそこかしこに見られた、とフスレウは言う。しかしだからこそ、彼の目にはかの国の窮乏が明らかだった。


「そう、か」


 フスレウの話を聞き、ジノーファは少し困ったような顔をした。北アンタルヤ王国の窮乏の原因の一つは私貿易だ。塩をはじめとする物資を足下を見て売りさばき、金貨を巻き上げたことは間違いなく彼らを追い詰めた。


 そして私貿易はジノーファの指示の下に行われていた。だから北アンタルヤ王国窮乏の責任の一端は彼にある。彼はそのことを自覚していたから、嘲笑を浮かべるわけにもいかず、曖昧に苦笑したのだ。


 ただその一方で、私貿易が行われていなかったら、北アンタルヤ王国はもっと早く滅んでいただろう。その場合、滅ぼしたのはガーレルラーン二世のはずで、彼は血みどろの粛清を行ったはずだ。


 それを思えば、最も犠牲の少ない未来にたどり着いたと言うべきで、少々の窮乏は必要な犠牲だったと言っていい。とはいえ北アンタルヤ王国は併合されるわけだから、この先も貧しいままでは都合が悪い。この地域が防衛線の維持を担う、その最前線であることに変わりはないのだから。


 そのための対策は、実のところすでに考えてある。この後、ジノーファは魔の森の問題に取りかかることにしている。動員する兵の数は、現在の計画ですでに十万以上。もちろんこの全てが同時に動くわけではないが、それでも十万という数にはインパクトがある。


 この十万を超える兵はもちろん戦力だが、同時に消費者でもある。北アンタルヤ王国の貴族たちには「最大限の協力」を約束させているが、それで全ての物資を賄えるわけではないだろう。諸々現地で調達する必要があり、その際にきちんと金を支払えば、この地域の経済も回り始めるに違いない。


 また計画では兵士たちを順次交代させながら作戦を継続していくことになる。交代した兵士には長ければ一ヶ月程度の休みを与える予定で、その際に彼らが街へ繰り出すなどすれば、また金が落ちることになる。


 まあ、経済振興はあくまでついでだ。本命はあくまでも防衛線の手当てであり、可能なら魔の森を沈静化することである。そしてそのためにはグズグズしている余裕はない。フスレウとの謁見を終えると、ジノーファはすぐに軍を動かした。


 ジノーファはハザエルに命じて一万五〇〇〇の兵を動かした。これはいわば先遣隊ということになる。ちなみに、この内五〇〇〇は北アンタルヤ軍の捕虜が編成されて組み込まれている。彼らには、一時防衛線で戦った後、故郷へ帰すことが約束されていた。


 さてハザエルには総司令官たるジノーファが到着するまでの間、防衛線を掌握して受け入れ準備を進めることが求められた。また彼の仕事はそれだけではない。彼には誘引作戦を実行して、モンスターの圧力を殺いでおくことが求められていた。


 先遣隊の指揮官としてハザエルが選ばれたのも、誘引作戦が大きな理由だった。彼は再統一戦争(ジノーファの西征は後の時代にそう呼ばれた)の前、ダーマードらと協力して誘引作戦を行っている。この時にはロストク軍から参謀らが招かれており、ハザエルは彼らから直接手ほどきを受けている。その経験と知識を買われたのだ。


 無論、これは容易な作戦ではない。前回の誘引作戦とは異なり、いわば激戦地のど真ん中で作戦を決行することになる。困難な作戦になるだろう。だがこれをしなければ防衛線の負担は軽くならない。人の世はいつまでもモンスターの脅威にさらされるのだ。当然のことながら、これを放置することはできない。


 それに誘引作戦が上手く行けば、魔の森に存在するダンジョンを攻略できずとも、定期的にモンスターを間引くことで、防衛線の維持に一定の目途が立つ。国家運営の観点からしてこれは重要だ。ハザエルもその意義は十分に理解しており、彼と彼が指揮する兵たちの士気は高かった。


 誘引作戦のため、ジノーファがハザエルに与えたのは兵士だけではなかった。ジノーファは彼にダーマードへの手紙を託していた。私貿易を停止してからも、ダーマードはポーションをはじめとする軍需物資の備蓄を続けていた。手紙はその物資の放出を命じるもので、これによりハザエルは潤沢な物資を使えるようになる。


 またフスレウの交渉と前後して、ジノーファに命じられた通りダーマードらも誘引作戦を再開している。これによりモンスターは一定程度間引かれているはずで、ハザエルが行う作戦の難易度は下がるものと考えられた。


 さらにジノーファは、とっておきの切り札を先遣隊に預けた。言うまでも無い、聖痕(スティグマ)持ちのラグナだ。さらに数名のアヤロンの民が彼に同行する。ハザエルは当然として、近衛軍の中には以前の誘引作戦で彼の戦いぶりを見知っている兵も多い。彼らが語るラグナの輝かしい武勇伝は、兵士たちに作戦の成功を確信させていた。


 実際、ラグナの役割は重要だ。誘引作戦では多数のエリアボスクラスのモンスターが襲来することが想定されている。飛び抜けて強力なモンスターは、ただ一体で防衛線を突破しかねない。ラグナに期待されているのはこれを潰して回ることで、彼の働きに作戦の成否がかかっていると言っても過言ではないだろう。


 その反面、個人に負わせるにはあまりにも大きな負担であり、また責任だ。同じ聖痕(スティグマ)持ちとして、ジノーファは少々心苦しい。だが結局のところ、それが聖痕(スティグマ)持ちの宿命なのだろう。本人の意思や資質に関わりなく、特別視され、特別な働きを期待されるのだ。


 もっとも、ラグナ本人はいたって自然にそれを受け入れている。彼はジノーファにこう語ったものだった。


『できる者が、できる事をするのは、当然のこと。アヤロンの里では、そうやって生きてきた。なに、できないことはせんさ』


 能力の出し惜しみは死に直結する。しかもそれは個人の問題ではなく、コミュニティ全体の問題。それがアヤロンの民の考え方なのだろう。多くを期待されるのは、多くを行うことができるからでもある。ラグナの姿はジノーファの目にも輝かしく、そして頼もしかった。


 さて、先遣隊の出陣に先立ち、ジノーファは将兵らに訓示を語った。その中で彼はこの戦いが「アンタルヤ大同盟以来受け継がれてきた我らの使命」であることを強調し、「他でもない、同胞を守るための戦いである」と宣言した。そして彼はさらにこのように語る。


「諸君が剣を向けて戦うべき敵はモンスターである。その剣を、防衛線で今も戦い続けている戦友に向けてはならない。まして無辜の民を害することなど、言語道断である!」


 防衛線には、当然ながら今も戦いそこを守っている者たちがいる。彼らにしてみれば、自分たちこそ人の世を守ってきた守護者、という自負があるだろう。そうでなくとも「自分たちこそが先任」という意識は間違いなくある。後から来た者たちにでかい顔をされては面白くあるまい。


 だがイスパルタ軍の将兵にしてみれば、彼らは敗戦国の兵士でしかない。加えてハザエルの着任後、防衛線は彼の指揮下に入ることになる。両者の間で衝突が起こるのは避けられまい。そして何もしなければ亀裂は深まり、やがては決定的な破局に至る。それは防衛線の決壊に繋がり、何のために兵を出したのか分からなくなるだろう。


 そこでジノーファは今も防衛線で戦っている者たちを「戦友」と呼び、率先して彼らに敬意を払った。下の者たちがそれに倣うことを期待してである。また戦友であるなら味方であり仲間だ。その意識があるなら、個々の衝突は仕方が無いとしても、そのために亀裂が深まることは避けられるだろう。


 またジノーファは「無辜の民」にも言及している。戦勝国の兵士が敗戦国の民に無体な真似をするのはありふれた話だ。しかしジノーファとしては、それを容認することはできない。今後の統治に差し障るし、何より感情的に受け入れる事ができないのだ。それで彼はこう言葉を続けている。


「もしも無辜の民に暴行や略奪を働く者がいれば、地位や家柄、武功に関わりなく、わたしは必ずや厳罰を以て臨む。また取り締まるべき立場の者がそれを見逃した場合、わたしはその責任を問うだろう。王の口に二言はない!」


 この訓示により、イスパルタ軍の軍規は粛然とした。もちろん、ジノーファの忌避する行為がまったくされなかったわけではない。だが彼の宣言通り、北アンタルヤの住民に無体な真似をした者は厳罰に処された。


 件数自体も少なく、「イスパルタ兵は皆、礼儀正しかった」とする記録も多い。おおむねジノーファの望んだ通りになった、と言って良いだろう。


 さて、ハザエル率いる先遣隊が出陣すると、王宮ではすぐに本隊の編成が開始された。予定では、本隊は五万とされている。近衛軍が二万、貴族から集める戦力が二万、北アンタルヤ軍の捕虜が一万だ。総司令官はジノーファだが、クワルドが実質的な指揮をとることになる。


 また本隊には兵站計画部の仕官が数十人単位で同行することになる。補給態勢を現地で整えるためだ。先遣隊にも兵站計画部の仕官は多数同行しており、まずは彼らが下準備をすることになる。


 また本隊が出陣した後には、後詰めの第三陣が編成されることになっている。これを率いるのはカスリム。おおよその編成は本隊と同じで、第三陣をもって北アンタルヤ軍の捕虜は全員が祖国へ帰還することになる。


 第四陣、あるいは第五陣については、必要に応じて編成されることになっているが、現在のところは白紙だった。そもそも、第三陣までに十万を超える戦力が動員されている。ジノーファとしても、第三陣までに防衛線維持の目途を付けたいと思っていた。


 さて本隊の編成が始まると、ジノーファは主にクルシェヒル以北の貴族たちに対して、兵の準備をするように命じた。これらの貴族は、一度決戦に遅れるという大失態を犯している。その失敗を埋め合わせるべく、彼らは全面的に従うことをジノーファに誓った。


「脅した甲斐がありましたな」


「少し利きすぎのような気もするけれど……」


 ニヤニヤと笑うクワルドに、ジノーファは苦笑しながらそう応えた。ジノーファには貴族たちの反応が少し過剰にも思える。だがクワルドはそうは思わなかった。


 アンタルヤ王国の貴族は伝統的に自主自立の気風が強い。しかしそれが許されているのは、彼らがしっかりと責任を果たしているからだ。王家が介入する口実を与えてこなかったから、と言い換えても良い。


 だがクルシェヒル以北の貴族たちは失態を犯した。敵を素通りさせた挙句、決戦に遅れるという大失態である。王家から「頼りない」と言われても仕方の無い所業で、要するに付け入る隙を与えてしまったのだ。


 しかもアンタルヤ王国は激動期にある。再統一をほぼ確実にしたジノーファの権威は強力で、抑えている天領は間違いなく歴代最多。つまり国王の力がとても強いのだ。下手を打てば家を取り潰されかねない、と貴族たちは危機感を持っている。


 そんな中で犯した大失態。挽回のチャンスが与えられたのなら、彼らは脇目も振らずそれにかけるだろう。クワルドはそういう認識なのだ。


 まあ、それはそれとして。ジノーファはクルシェヒルに貴族たちの兵を呼び寄せたわけではなかった。どのみち北へ向かうわけであるから、クルシェヒルへ呼び寄せては二度手間になる。それで、本隊が北へ向かう道中にそこへ合流する、という形になった。


 ジノーファが三万の兵を率いて北上すると、クルシェヒル以北の貴族たちは領軍を率いて次々と双翼図のもとへ集った。ジノーファは彼らと謁見して和やかに話した。これにより、彼らが犯した大失態は一応許されたことになる。あとは防衛線でしっかりと戦えば、蒸し返されることはない。それでジノーファは彼らにこう告げた。


「卿らの兵は経験豊富な古兵揃いと聞く。アテにさせてもらうぞ」


 さて、五万の兵を率い、ジノーファは一度シュルナック城へ入った。シュルナック城は今後、防衛線で作戦を展開するイスパルタ軍の、後方の拠点として使われることになる。ジノーファ率いる本隊は長居せずに北上するが、第三陣以降はまずはこの城を拠点とすることになるだろう。


 また本隊に同行していた兵站計画部の士官の内、半分ほどはシュルナック城に留まることになる。北アンタルヤと南アンタルヤのほぼ中間に位置するこの城は、まさに補給線のへそと言っていい。彼らはここで補給線全体に目配りすることになるのだ。


 シュルナック城ではカルカヴァンがジノーファを迎えた。カルカヴァンはどこか憑きものが落ちたような顔をしていた。温厚な顔、というわけではない。ただ欲や野心のようなものを感じないのだ。


 カルカヴァンは宰相として北アンタルヤ王国の中枢にいた男だ。同時にクルシェヒルの中枢に居た男でもある。当然あれこれと知悉しており、今後はシュルナック城でイスパルタ軍との調整役を担うことになる。


 一つ間違えば新体制を腐らせる毒ともなり得る男だが、野心と権力への執着が消えたのなら、使って危険な事もないだろう。実際、カルカヴァンは万事を淡々と処理していく。だからなのだろうか。彼の仕事ぶりを見ることができたのは短い時間だったが、改めて彼の有能さが際立っているようにジノーファには思えた。


 その男が、一度だけ生身の感情を見せた。ジノーファと補給線のあれこれを確認していた時のことである。諸々の相談が終わると、カルカヴァンはおもむろに跪きジノーファにこう懇願した。


「国のこと、民のこと、そして家のこと。全てジノーファ陛下にお任せいたします。御意のままに仕置きを成されますように。ただ一つ、我が娘のことだけは、どうかご温情を賜りたく……。娘に何か咎があれば、それはこの私の咎となさいますように。何卒、何卒……」


 ジノーファはファティマを無下には扱わないと約束した。実際、彼女のおかげでジノーファは降伏交渉をほぼ望んだ通りにまとめることができたのだ。その分に報いることはしなければならない。ただ現状、どういう形で報いるかはまだ決まっていない。一部にはジノーファの側妃にするという案も出ているが、さてどうなるか。


「……ところで、そのファティマ殿下は今どうされているのだ?」


「娘は交渉の後、体調を崩してしまい、今は領地で療養しております」


 疲れが出たのでしょう、とカルカヴァンは言った。その言葉にジノーファも頷く。彼女は公爵領の代官を務めつつ、私貿易の責任者も任され、さらには物資の配分を通じて国内の貴族の調整役も担っていたと聞く。


 その上さらに最近では、降伏交渉をまとめることさえしたのだ。大変な仕事量であったことは想像に難くない。この機会にゆっくりと休んで欲しいとジノーファは思った。


 さて、シュルナック城にはカルカヴァンの他にもう一人、ジノーファのことを待っていた人物がいた。前王ガーレルラーン二世の妃にして、イスファードの実母。王太后メルテムである。


 今となってはジノーファの出生の秘密を知る唯一の、少なくとも可能性が極めて高い人物だ。ジノーファは彼女との面会に臨もうとしていた。



ジノーファ「壮大な自作自演をやらかした気がする」

ユスフ「謀略なんてそんなもの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 210:別れ の真ん中くらいにごにょごにょ、まさかイスファードではなくて・・・
[一言] 調整薬→調整役 では ないのでしょうか?
[一言] ファティマが体調不良 なるほど となると北アンタルヤとの真の融和は次世代になるかも、それもわりとおめでたい方向で。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ