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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国

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222/364

妃と手紙


「マリカーシェル殿下。シェリー殿下がいらっしゃいました」


「まあ、お義姉様が? すぐにお通しして、カミラ」


 カミラからシェリーの来訪を告げられると、マリカーシェルは顔をほころばせてそう命じた。先触れがあったわけではないが、シェリーは良くこうして気軽にマリカーシェルのもとを訪ねる。マリカーシェルもシェリーが相手なら気楽におしゃべりすることができて、彼女が来るのを心待ちにしていた。


 シェリーが案内されて客室に現われると、マリカーシェルは立ち上がって彼女を迎え、ソファーを勧めた。二人はそれぞれソファーに座ると、まずは他愛もないおしゃべりに興じる。それからシェリーはこう話を切り出した。


「……ところで昨日、ジノーファ様からお手紙が届きました。マリカーシェル様のところにも来たのではありませんか?」


「はい、お義姉様。今もちょうど、読み返していたところなんです」


 マリカーシェルはそう言って、ジノーファからの手紙をシェリーに差し出した。シェリーも自分のところへ来た手紙を取り出して彼女に渡す。そして二人はそれぞれの手紙に目を通した。


 書かれている内容は二通ともおおよそ同じだった。ただ、マリカーシェルの手紙には「ルドガー将軍らロストク軍の将兵をねぎらってやって欲しい」と書かれており、シェリーの手紙には「マリーと子供たちをよろしく」と書かれている。そのせいで、手紙を読み終えたマリカーシェルはちょっとむくれていた。


「これでは、わたくしまで子供扱いされているようです」


 そう言って唇をとがらせるマリカーシェルを見て、シェリーは楽しげに笑い声を上げた。一児の母になってもまだ、マリカーシェルのそういうところは変わらず子供っぽい。ただそれは彼女の美徳だとも思うので、シェリーもジノーファもそれを指摘しないでいるのだった。


 むくれるマリカーシェルを宥めながら、シェリーはもう一度手紙に視線を落とす。そこにはイスファードと北アンタルヤ軍を捕虜にしたことが書かれている。「次はいよいよ魔の森だ」とも書かれており、すでにジノーファの中では北アンタルヤ王国の併呑が既定路線となっていることが窺える。


 まあ、それも当然ではあろう。だいたい、北アンタルヤ王国を残して置いてどうするのか。アンタルヤ王国を再統一してこそ、ジノーファは自らの権威と権力を確たるものとできるのだ。だがそれには少なからず軋轢を伴う。それはイスパルタ朝国内だけの話ではない。国の外においても、軋轢は生じるだろう。


「お義姉様? どうかなさいましたか?」


「……マリカーシェル様。ジノーファ様はもう間もなく、アンタルヤ王国の再統一を成し遂げられるでしょう。そのことをマリカーシェル様はどう思われますか?」


「喜ばしいことだと思います。……あの、違う、のでしょうか?」


「いいえ、喜ばしいことです。これでようやく、混乱していたアンタルヤ王国も落ち着くでしょう。……ですが、それを喜べない者もいるのです」


 シェリーは真剣な顔をしてそう告げた。彼女の頭に真っ先に浮かぶのはロストク帝国の、それも皇帝ダンダリオン一世の周囲にいる者たちのことだ。シェリーがそのことを告げると、マリカーシェルはいぶかしげな顔をした。


「あの、どうしてでしょうか? 帝国とイスパルタ朝は同盟国です。同盟国が安定するのは、喜ばしい事ではないでしょうか?」


 マリカーシェルはそう尋ねた。彼女のその純粋さが、シェリーにはまぶしい。


「イスパルタ王国は最初、わずか二六州の国土しか持っていませんでした。ロストク帝国の八八州と比べれば、いかにも少ない。つまり帝国にとってイスパルタ王国は、いわば舎弟のような存在だったのです」


 ところがジノーファが南アンタルヤ王国を継承したことで、イスパルタ朝の国土は七六州へ一気に膨れ上がった。この時点ですでに、版図に関してはロストク帝国とほぼ肩を並べた、と言っていい。


 だというのに、この上さらにイスパルタ朝は北アンタルヤ王国まで呑み込もうとしているのだ。北アンタルヤ王国を併呑すれば、その国土は一〇六州となる。ロストク帝国を越える国土を持つことになるのだ。


「舎弟と思っていた存在が、急速に力を付けて自分たちを凌駕してしまったのです。そのことを快く思わない者は必ずいます」


 それに、為政者ならば十年後のことを考えるはずだ。十年後、ジノーファは国王として最も脂の乗った時期だろう。一方、ダンダリオン一世は退位しているはずで、ジェラルドが帝位についているはずだ。


 その時、両国の力関係はどうなるだろうか。確かなことは言えない。だが逆転していたとしてもおかしくはない。逆転まで行かずとも、ほぼ対等になっていることはほぼ間違いないだろう。


 だが今ならば、例え国土を上回ったとしても、ジノーファはまだ国内を掌握しきれていない。軍事力においてもロストク帝国に分配が上がるだろう。であれば今、圧力をかけるべきと考える者が出てきてもおかしくはない。


 露骨に横やりを入れてくることは、さすがにないだろう。だがロストク帝国がイスパルタ朝を見る目は確実に変わる。それも、このままでは悪い方向へ。例えばウファズの借用など、無理難題を言いつけてくるかもしれない。


 ジノーファに、そしてイスパルタ朝にそれを跳ね返す力はあるだろうか。できないことはないだろう。だが一歩間違えば両国間の緊張を高めることになりかねない。


 そうなればジノーファは困るだろうし、現状ダンダリオンもジェラルドもそのようなことを望んでいるわけではないだろう。シェリーの話を聞き、マリカーシェルは不安げに眉をひそめた。


「まあ、どうすれば良いのでしょうか?」


「基本的には、ジノーファ様にうまく舵取りしていただくしかありません。ですがジノーファ様は今、北アンタルヤ王国と魔の森のことで手一杯なはず。せめてそちらが一段落するまでは、余計な手出しを防げればと思うのですが……」


 真剣な顔で話し合った末、二人はそれぞれダンダリオン一世に手紙を書くことにした。最初に援軍についての感謝を述べ、これからの見通しなどについて簡単にまとめる。こちらはジノーファがより詳しいものを送っているはずなので、二人は話のとっかかりとして触れる程度に留めた。


 本題となるのは、ジノーファが魔の森で戦うと聞いた、という部分である。この点についてマリカーシェルは自分の心配を書き連ねた。「魔の森とはモンスターが次から次へと現われる、地獄のような場所だと聞いている。ジノーファ様は聖痕(スティグマ)持ちであるし、滅多なことは起こらないと思うが、しかし万が一ということがある。心配で仕方がない」といった具合だ。心配なのは本当で、手紙を書いている最中、彼女は思わず涙をこぼしてしまった。


 そしてさらにこう続ける。「直轄軍には魔の森で活動している部隊があると聞く。それを援軍として送って欲しい。それが無理なら、もう一度ルドガー将軍を派遣してもらえないだろうか。直轄軍は精強だとイスパルタ朝でも評判で、それが叶えば自分も安心してジノーファ様の武勇を祈ることができる」。


 さらにマリカーシェルは母親であるアーデルハイトにも手紙を書いた。内容は似たようなものだが、この手紙の中で彼女はさらに不安な心情を吐露している。そしてアーデルハイトの方からもダンダリオン一世に援軍の件を掛け合って欲しいと頼んだ。


 一方シェリーの方は、それほど感情に訴える書き方はしなかった。ただやはり、防衛線に対して戦力的な支援をしてもらえないかと頼んでいる。それがロストク帝国の国益に繋がることを、シェリーは次のように説明した。


 曰く「ロストク帝国にとって、イスパルタ朝はただ単に大洋への玄関口というだけの存在ではない。一〇〇州を越えるその国土は、そのまま巨大な市場としての可能性を秘めている。だがこの市場の隣にはイブライン協商国があり、帝国が進出を躊躇えばその分だけ協商国が踏み込んでくるだろう。


 だが一度防衛線が決壊すれば、市場としての魅力は大きく損なわれるに違いない。また交易路がモンスターの脅威にさらされれば、両国間の物流は途絶えてしまうだろう。そうなれば帝国の国益は大きく損なわれるものと考える」


 またイスパルタ朝にとってもロストク帝国は重要な交易相手だった。八〇州を越える国土を持ち、情勢が安定している帝国は市場として魅力的だ。また北海のさらに北から仕入れられる交易品は、ウファズでも人気が高い。この品を求めて、さらに遠方からも船が来るようになった程だ。そしてこの逆もまた然りだ。


「両国は手を取り合ってこそ、お互いに繁栄することができるのです」


 シェリーは手紙の中でそう力説した。特に北方の交易品はロストク帝国が一手に独占していると言っていい。そしてそれが集まるのは言うまでもなく帝都ガルガンドー。南方からの交易品を北海のさらに北へ送る拠点となるのもガルガンドーだ。つまり南北間の交易が盛んになればなるほど、ガルガンドーは存在感と重要性を増すのだ。


 そうである以上、両国間の活発な交易は是が非でも維持されなければならない。活性化した魔の森はその大きな障害である。よって防衛線に援軍を出すことはロストク帝国の国益に資する。それがシェリーの主張だった。


 もちろんシェリーもマリカーシェルも、実際に援軍が送られてくることはないと思っている。ダンダリオン一世は援軍要請をはね除けるだろう。だがそれ以上のことには躊躇いが生じるはず。


 また魔の森のことで手一杯であることが伝われば、ロストク帝国もイスパルタ朝をそれほど危険視はしないはずだ。何しろイスパルタ朝はこの先もずっと、魔の森と向き合って行かなければならないのだから。


「これで、本当に大丈夫でしょうか?」


 手紙を書き終えると、マリカーシェルは不安げにそう尋ねた。そんな彼女に、シェリーは少し困った顔をして微笑んだ。大丈夫かどうかなど、彼女には分からない。彼女の本分は細作であって、政治に長けているわけではないのだ。


 二人のやったことはまったく的外れなのかも知れない。だが何もしないでいることは、それもまた苦しいのだ。だからマリカーシェルのところへ来たし、二人で手紙を書いた。それがジノーファのためになると信じて。


「……ダンダリオン陛下なら、わたし達の言いたいことを察してくださるでしょう」


 シェリーはただそう答えた。結局のところ、イスパルタ朝とロストク帝国の関係は、ジノーファとダンダリオン一世の信頼関係に大きく依存している。それを前提に考えれば、両国関係がすぐさま悪化することはないだろう。


「ところでマリカーシェル様。やっとジノーファ様がクルシェヒルへ呼んで下さいましたね」


「はい。あちらへ行けるのが楽しみです」


 マリカーシェルは笑みを浮かべてそう応えた。ジノーファは王都をマルマリズからクルシェヒルへ移すという。それに伴い、彼は二人と子供たちをクルシェヒルへ呼び寄せることにしたのだ。


 もっとも、今すぐにクルシェヒルへ向かうわけにはいかない。マルマリズに駐留しているロストク軍の帰還にともない、簡単ながらも式典が開かれる事になっている。マリカーシェルはジノーファの代理として、そこへ出席しなければならないのだ。


 また引っ越しのための準備も必要である。荷物の運搬もそうだが、それより大変なのは移動そのものだ。まさか王家の一家を野宿させるわけにはいかない。道中どこに泊まるのか、その際の警備はどうするのか、手配するべき事は山ほどある。


 またクルシェヒルにおいても、受け入れの準備を整える必要がある。これまでいわゆる後宮にいたのはメルテム王妃ただ一人だったが、その彼女もおよそ二年前から北アンタルヤ王国で軟禁されている。


 つまり後宮はこの二年間、主となるべき人がいない状態だったのだ。もちろん最低限の手入れはされているが、行き届いていない箇所も多い。こちらの準備を整えるためにも、やはり時間は必要だ。


 実は、シェリーはまた自分だけ先にクルシェヒルへ行こうかと思っていた。その方が諸々も受け入れ準備もしやすいだろうと思ったからである。ちょうど彼女がマルマリズに来たときをなぞる格好だ。


 しかしそれにマリカーシェルが異を唱えた。「ずるい」とむくれたわけである。周囲の者たちにも、側妃とはいえジノーファの妻なのだからある程度の格式は必要だと言われ、シェリーは引き下がった。


 そんなわけで。二人がジノーファと再会できるのは、もう少し先になりそうである。



 □ ■ □ ■



 イスファードを捕虜とし、北アンタルヤ軍主力を無力化すると、ジノーファは新領土のロスタムのもとへ使者を出した。新領土には現在、一万八〇〇〇の戦力が駐留している。この内一万五〇〇〇は前王ガーレルラーン二世が配置した兵であり、「これを帰還させよ」というのが要件だった。


 理由は主に二つ。一つはそれらの兵を故郷へ帰してやるためだ。彼らはこれまで二年以上にわたり、異国の地で任務を果たしてきた。幸いにして大きな戦闘はなかったが、仲間の一部がカスリムと一緒に祖国へ帰還したこともあり、彼らの間で望郷の念が強まっていたのだ。その報告を受け、ジノーファは部隊の撤収を決めたのである。


 もう一つの理由は、戦力を確保するためだ。イスパルタ朝はこれから、防衛線を維持して魔の森と向き合って行かなければならなくなる。そのために必要なのは十分な戦力であり、兵の帰還に合わせてジノーファはそれを確保するつもりだった。


 もちろん、ジノーファとしても帰還してきた兵をそのまま防衛線に送るつもりはない。まずは十分な金を与えた上で家に帰らせるつもりでいる。その後、改めて兵を募るつもりで、その時また彼らが応募してくれる可能性は高いと見込まれていた。ちなみに数が足りなかった場合は、仕方が無い、徴兵することになるだろう。


 なお、ジノーファはカスリムが連れてきた一万の兵についても、同様に十分な金を与えた上で故郷に帰すことにした。また戻ってきてもらいたいというのが本音な訳だが、幸いにして彼らの戦意は高い。戦力として十分に計算できそうという話だった。


 閑話休題。ジノーファは新領土の一万五〇〇〇人を全員必ず帰還させよ、と命じたわけではなかった。この中には家に戻っても居場所のない者や、結婚するなどして現地に残ることを希望した者たちもおり、彼らは希望通り新領土に残ることになった。その数はおよそ二〇〇〇。よって撤収してくるのは一万三〇〇〇ということになる。


 またジノーファは使者を通じて兵士らを帰還させるよう命じる一方で、改めて現地で兵を集めるようにもロスタムに命じた。その数、まずは一万。新領土における常備兵とする計画だった。


 新領土はもともとルルグンス法国の一部であり、そして法国の兵は弱兵と言われている。一万集めたからと言って役に立つのかという意見もあったが、ジノーファはそれほど心配していない。


 以前、ガーレルラーン二世が法国に侵入した蛮族を追い払ったことがある。その際、彼は法国の兵も指揮したのだが、兵は粘り強く戦ったと聞く。であれば法国の兵が弱いのは指揮官の問題であり、兵の資質の問題ではない。ロスタムが鍛えれば十分に使い物になるだろう。


 それに彼の手元にはアンタルヤ兵が五〇〇〇いる。これが新領土における戦力の中核になるだろう。それを合わせて考えれば、合計で一万五〇〇〇の戦力は決して馬鹿にできない。新領土を抑え、さらに西方へ睨みを利かせるのに十分な戦力と言えるだろう。


 またこれで、前王ガーレルラーン二世が新領土に配置した兵はほぼ撤収が完了する。新領土の兵はすべてロスタムの子飼いであり、つまりジノーファの手足と言っていい。彼はまた一つ新領土の支配を強めたのだ。


 こうして、ジノーファは北を睨みつつ、国内の掌握を進めていく。それはイスパルタ朝が真の大国となるために必要な事で、アンタルヤ王国が分裂したからこそできる事でもある。そして再統一が完了し、彼が国内を完全に掌握したあかつきには、この国は以前と違う形をしているに違いない。



マリカーシェル「涙は、大人の女の武器……!」

シェリー「武器にするには、意識的に流せるようにならなければいけませんわ」

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[気になる点] ロストク帝国からみれば今はよくてもジノーファ亡き数世代後を考えると 亡国の引き金にもなりうる厄災の種を自ら育てているようなモノですよね。 近い将来で考えても炎帝亡き後に聖痕持ち二人の大…
[一言] この統一戦争の終着の際に、どの辺りまで中央集権が出来るかで未来が変わるかね?
[良い点] マリーが泣いたくだりで思わずホッコリ笑いが漏れた この作品の女性キャラはみんな良い子かよ……
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