表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

217/364

そして夜は明けた


 ジノーファが左手の手刀をイスファードの首筋に叩き込むと、彼は意識を失ってそのまま床に倒れた。ジノーファはそれを見下ろすと、「はあ」と一つため息を吐く。それから彼は聖痕(スティグマ)を消した。


 ジノーファの放つプレッシャーが消えたのを見計らい、ユスフが彼に近づいて鞘を差し出す。彼はそれを受け取ると、そこへ剣を収めた。そして決死隊の兵士たちの方へ視線を向ける。彼らは皆、顔色を失っていた。


「降伏しろ」


 ジノーファが静かにそう命じると、彼らは次々に武器を手放した。ジノーファが一つ頷くとクワルドが命令を出し、イスファードを含め決死隊の兵士たちを連行させる。さらにクワルドはこう命じた。


「王宮内に入り込んだ他の賊の鎮圧も急げ! イスファードを捕らえたことを喧伝させるのだ!」


 この指示は的確だった。この時点で他の決死隊の抵抗はまだ続いていたが、イスファードの捕縛が伝えられると、彼らは次々に投降したのである。


 こうして、北アンタルヤ軍の強襲作戦は失敗した。イスファードがイスパルタ軍の掌中に落ちた事も含め、戦いの趨勢は決したと言っていい。だがジノーファはすでにその先のことを考えていた。


「陛下、イスファードの事ですが……」


「彼は殺さない。使い道がある。自決などもさせないよう、しっかりとした監視を頼む」


「はっ……。それで、地下牢へ入れますか?」


「…………塔の一室へ」


 少し悩んでから、ジノーファはそう答えた。塔の一室とは、要するに高貴な身分の者を捕らえておくための部屋だ。窓には鉄格子がはめられているが、内装は相応に整えられており、居心地はそれほど悪くない。まあ、中に押し込められる人間の心情まではどうしようもないが。


 ジノーファの指示を受け、クワルドは深々と一礼した。それから二人はさらに幾つか打ち合わせをする。その中で、クルシェヒルの外にいる北アンタルヤ軍に降伏勧告するのは、夜が明けてからということになった。焦らして彼らの不安を煽るのと、敵兵が夜陰に紛れて四散してしまうのを避けるためだ。


「クワルド、後は任せた。わたしは部屋へ戻る。鎮圧が完了したら教えてくれ」


「はっ。ラグナ卿。陛下のこと、お願い申し上げる」


「うむ、任されよ」


 クワルドに後のことを任せると、ジノーファはユスフとラグナと、それからラヴィーネを連れて自分の部屋へ戻った。ユスフに手伝ってもらって鎧を脱ぐと、彼はようやくほっと一息ついた。


 軽食の用意を頼んでから、ジノーファは用意してあった水差しの水を飲む。氷とレモンの浮かぶ水が、舌と身体に心地よい。ユスフやラグナもその水を美味しそうに飲み干した。ちなみに氷は魔道具を使って製氷されている。


 水を飲んでから、ジノーファは手紙を書き始めた。まずはダーマードに宛てた手紙で、誘引作戦の再開を指示した。イスファードを捕らえた以上、北アンタルヤ軍が脅威になることはない。であれば目下最大の脅威は魔の森であり、防衛線を決壊させないための措置である。


 もう一通はマルマリズにいるシェリーとマリカーシェルに宛てた手紙だ。イスファードが率いてきた北アンタルヤ軍を降伏させれば、クルシェヒルが敵軍の脅威にさらされることはほぼ無くなる。それでジノーファは二人と、そして子供たちをクルシェヒルへ呼び寄せるつもりだった。


 また、旧来のアンタルヤ王国の領土に加え、新領土を加えた広大な国土を統治する拠点として、マルマリズは少々東に偏りすぎている。また都市としての機能を見ても、クルシェヒルの方が王都に相応しい。それでジノーファとしては近い将来に遷都をする、つまりイスパルタ朝の王都をマルマリズからクルシェヒルへ移すつもりだった。


 妻子を呼び寄せるのは、その布石でもある。遷都の時期はスレイマンらと相談する必要があるが、恐らくは北アンタルヤ王国をどうにかした後になるだろう。とはいえ今後、政の中心はクルシェヒルになる。当然、ジノーファの本拠地もここになるから、家族は呼び寄せてしかるべきだ。


 三通目の手紙は、マルマリズにいるルドガーに送る手紙だ。北アンタルヤ軍の脅威が無くなった以上、ロストク軍をマルマリズに留めておく必要はもうない。これまでの協力に感謝を述べた上で、帝国へ帰還してもらうことになる。二通目の手紙の中に、特にマリカーシェルのほうからも、ロストク軍の将兵を労ってやって欲しいと頼んでおかなければならないだろう。


 四通目は、ダンダリオン一世への手紙だ。イスファードを捕らえた経緯を説明し、さらに今後の見通しについても書く必要があるだろう。援軍を含めたこれまでの支援に感謝し、近いうちに礼をしたいと書き添えねばなるまい。


 さて、ジノーファが一通目の手紙を書き終えたところで、ちょうど軽食が運ばれてきた。大皿に盛り付けられているのはケバブだ。明らかに三人分より多いが、ラグナもいるので実際にはこれでちょうどいい。ちなみにラヴィーネの分も別に用意されていた。


 ジノーファは一旦手を止めて用意されたケバブに手を伸ばす。濃い目に味付けされた肉と新鮮な野菜の相性は抜群だ。ラグナやユスフも気に入った様子で、三人は和やかに談笑しながら軽食を楽しんだ。


「……それにしても、陛下がイスファードを斬らずに済ませたのは意外でした」


「そうだろうか?」


 ユスフの言葉に、ジノーファは小さく首をかしげた。彼としては殺さずに済むのならそれが一番良いと思っていたし、また生かしておけばこそ使い道もある。彼は最初からそのつもりでいた。だからこそうっかり殺してしまわないよう、最初は聖痕(スティグマ)を使わずにいたのだ。


 だがユスフはジノーファがイスファードを斬ると思っていたようだ。もしかしたら他の者たちもそうなのかも知れない。そう思うと、ジノーファは少し心外だった。だがユスフは苦笑しながらこう言葉を続ける。


「いえ、あれだけ敵意をむき出しにされたら、不愉快に感じて当然のはずです。その上、だまし討ちじみたことまでされました。手打ちにできる機会が目の前にあるだからいっそ、とは思われなかったのですか?」


「それはまあ、憎まれるのは面白くなかったさ。だがそれとこれとは別問題だろう?」


「普通なら、一緒くたに考えそうなものですけどねぇ」


 ユスフはまたそう言って苦笑を浮かべた。実際、イスファードなどはその典型だろう。彼は何もかもを同列においた。言い方をかえるなら、彼は私情を政治に持ち込みすぎたのだ。その顛末がアレなのだろう、とユスフは思った。


「……それはそうと陛下。あやつの使い道とは、一体何なのだ?」


 そう尋ねて話題を変えたのはラグナだった。前述したとおり、ジノーファはイスファードに利用価値があると考えて彼の身柄を確保した。そのことは謁見の間でも明言していたし、それを聞いていたラグナが興味を持つのは当然だろう。興味があるのはユスフも同じで、彼もジノーファに視線を向ける。彼は口の中のモノをのみ込んでからこう答えた。


「もちろん、北を併合吸収してアンタルヤ王国を再統一するためのカードだ。……二人は今後、誰が北で最も発言力を持つと思う?」


「それは……、エルビスタン公爵でしょう」


 ユスフの答えにジノーファも頷く。エルビスタン公爵カルカヴァンはシュルナック城に留まっており、今回の南進には同行していない。そしてイスファードは捕らえられ、ジャフェルも討ち取られた。となれば、カルカヴァンが最大の発言力を持つようになるのは想像に難くない。


「わたしもそう思う。だがカルカヴァンは海千山千の古狸だ。彼を相手に交渉しても、こちらの思い通りにはいかないだろう。だから彼以外の二人を交渉のテーブルに引っ張り出す」


「二人、というのは?」


「ファティマ王妃とメルテム王太后だ。あの二人なら、イスファードをエサにすれば必ず食い付く」


 そしてファティマとメルテムが協力すれば、カルカヴァンを排除することも可能だろう。仮に排除できなかったとしても、有力な対抗馬になることは間違いない。つまり北アンタルヤ王国は分裂する。イスパルタ朝としては両者を天秤にかけつつ、より有益と思える方と交渉を行えばよい。


「ふむ。何というか、まどろっこしいことを考えておるのだな……。手っ取り早く、武力で屈服させてはどうなのだ?」


「防衛線がなければ、それでも良いのだけどね」


 ラグナの指摘に、ジノーファは苦笑を浮かべながらそう答えた。イスファードを捕らえたことで、クルシェヒルの外にいる北アンタルヤ軍は降伏せざるを得なくなるだろう。つまり北アンタルヤ王国にはもうまともな戦力は存在しない。そうであるなら、武力でその国土を平らげるというのも、確かに一つの選択肢ではある。


 だが北アンタルヤ王国には防衛線がある。もちろん防衛線を手薄にしたり、あまつさえ空にしたりしてしまうようなことは、人の世そのものを危険にさらす禁じ手だ。しかしいよいよ進退窮まれば、北アンタルヤ王国の貴族たちはその禁じ手を打つだろう。自分たちの土地や財産、命を脅かす存在が侵略者であろうがモンスターがであろうが、彼らにとって違いはないのだから。


「まこと、厄介な存在であるな。魔の森は」


「本当にね」


 憮然としたラグナの言葉に、ジノーファも肩をすくめて同意する。本当に、魔の森は厄介だ。だが厄介だからこそ利用できる。ジノーファはそうも思うのだ。


 さて軽食を食べ終えると、ジノーファは二枚目の手紙に取りかかった。そして彼が四通の手紙を書き終えた頃、彼の部屋にクワルドが現われた。任された事後処理が終わったことを報告するためだ。


「王宮内に侵入した敵兵は、全て討ち取るか捕らえるかしました。武装解除も完了しております。死体の始末やバリゲードの撤去などに今しばらく時間がかかりますが、明日の昼前までには全て完了する見込みです」


「ご苦労だった。味方の損害は?」


「軽微です」


 クワルドがそう答えるのを聞いて、ジノーファは満足げに頷いた。これが完全な奇襲であったなら、ジノーファが討ち取られるのはもちろん、王宮も焼け落ちていたかも知れない。その場合、非戦闘員を含めて多くの者が死んでいただろう。そうならずに済んで、ジノーファはほっと胸を撫で下ろした。


「陛下。まだ外の敵がどう動くのか分かりませぬ。気を緩めるべきではないでしょう」


「そうだな。引き続き警戒してくれ」


 ジノーファは真剣な顔をして頷き、クワルドにそう命じた。結局この夜、クルシェヒルの王宮は眠らなかった。そして翌朝、外にいる北アンタルヤ軍に対して降伏を求める使者が出された。使者はジノーファの書状と、イスファードの甲冑一式、そして彼の剣を一緒に携えて行った。


 クルシェヒルの王宮が眠らなかったように、北アンタルヤ軍もまた昨夜は眠らずに朝を迎えていた。イスファードら決死隊が王宮に突入してからずっと、彼らは城門が開かれるのを待っていたのである。


 彼らは一晩中、その時を今か今かと待っていた。しかし待てども待てども城門は開かれない。襲撃作戦の失敗が頭をよぎり、焦りばかりが募っても彼らはじっと待ち続けた。だがついに空が白んできても、クルシェヒルの城門が開かれることはなかったのである。


 夜が明けたのを見て、北アンタルヤ軍の幕僚たちは襲撃作戦の失敗を悟った。しかも決死隊は誰一人として戻ってきていないのだ。想定しうる限り、最悪の結果である。幕僚たちは緊急に軍議を開いたが、イスファードとジャフェルを欠いていることもあり、何一つとして結論は出せなかった。


 クルシェヒルの城門が開き、イスパルタ軍の使者が北アンタルヤ軍の陣にやって来たのは、ちょうどそんな時だった。北アンタルヤ軍の幕僚たちは降伏を求める書状より、イスファードの装備一式の方に衝撃を受けた。彼が捕らえられたことを受け入れざるを得なかったからである。


 襲撃作戦は失敗した。あまつさえ、副将ジャフェルは討ち死にし、国王イスファードは捕らえられた。北アンタルヤ軍は頭を失ったのである。いかに手足が無傷であろうとも、これでは戦えるはずもない。彼らは降伏するより他になかった。


 こうして北アンタルヤ軍は降伏した。将兵およそ二万五〇〇〇は丸ごと捕虜になった。ただジノーファに彼らを過酷に扱うつもりはない。北アンタルヤ王国を吸収して再統一が成れば、彼らを故郷に帰すつもりでいる。そのことは彼らにも伝えられ、そのおかげもあって武装解除は粛々と行われた。


 ハザエルが北アンタルヤ軍の武装解除を行っている間、ジノーファは執務室にスレイマンらを集めて今後のことを話し合っていた。まずジノーファが書いておいた二通の手紙について説明する。誰も反対する者がいなかったので、手紙はそのまま送られることになった。


 次に話し合われたのは、「北アンタルヤ王国への対応をどうするのか」という事である。まず口を開いたのはクワルドだった。彼は最初に簡単な現状確認をしてから、さらにこう説明を続けた。


「敵は主力を丸ごと失い、一方我が方の主力は無傷です。ですが北アンタルヤ王国の平定は決して楽観できる状況ではありません。武力をもって踏み込み、敵が徹底抗戦を選択した場合、防衛線の維持は後回しされるでしょう。その場合、言うまでも無く防衛線決壊のリスクが高まります。我が軍にとっても望ましいことではないでしょう」


「武力を用いての平定に、クワルドは反対なのか?」


「反対はいたしません。ですが相当上手くやらなければ、我々は手痛いしっぺ返しを喰らうことになります」


 その説明に、ジノーファらは揃って頷く。彼らが最も警戒しているのは、防衛線が決壊してモンスターが領土内に侵入してくることだ。イスパルタ朝としても荒廃した土地を手に入れても意味はないし、また表層域の拡大は何としても阻止しなければならない。


 それで、むしろ北アンタルヤ王国としてはそれをカードにして、瀬戸際外交を仕掛けて来るものと思われた。そしてその陣頭に立つのは、百戦錬磨のカルカヴァン。タフな交渉になるのは明らかだった。


「北は平定せず、このまま残して置くという選択肢もあります」


 クワルドの次にそう述べたのはフスレウだった。北アンタルヤ王国はイスパルタ朝以外とは国境を接していない。また内陸国であり、特に塩を外部からの供給に頼らざるを得ない。このような要素を考えれば、仮に北アンタルヤ王国を存続させたとしても、属国化してイスパルタ朝の制御下に置くのは難しくない、というのが彼の考えだった。


「防衛線の維持には手間と金がかかります。彼らがそれを担ってくれるのであれば、このまま任せてしまうのも一つの手でしょう」


 フスレウは続けてそう語った。あるいはそれこそが、カルカヴァンの思い描く落し処かも知れない。ただジノーファとしては、防衛線を人任せにするのは不安が大きい。イスパルタ朝として管理したいというのが彼の考えだった。


「ではやはり、北を平定するより他にありませんな」


 スレイマンが思案げにそう呟く。ジノーファは一つ頷いてから、いよいよ腹案を披露した。つまりファティマとメルテムを交渉のテーブルに引っ張り出す、という案だ。相手がカルカヴァンでなければ、交渉はイスパルタ朝のペースで進めることができるだろう。


「なるほど……。悪くありませんな」


「同時に、他の貴族たちも調略いたしましょう。カルカヴァンを孤立させるのです」


「どのみち、兵を動かすにも時間がかかります。それを背景に交渉を進めるのも良き案かと」


 反対意見が出なかったことで、まずはその方向で進めることになった。ジノーファはスレイマンらと話し合い、ファティマとメルテムに送る書簡をしたためる。同時に北アンタルヤ王国の貴族のうち何人かにも手紙を送ることにした。


「それで陛下、どのようにしてお二人と接触なさるおつもりですかな?」


「適任者がいる。シャガードに働いてもらおう」


 ジノーファは悪戯っぽく笑ってそう答えた。



ユスフ「眠い……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ジノーファやダーマードは何故か評価してるみたいだけど、カルカヴァンが有能だとは思えないのですが。 イスファードに対する指導もできず、命令無視を押し通され、ストッパーと見込んだ甥にはアクセルを…
[一言] 正直個人的には公爵家は潰すべきだと思うがね。 作者さんも言う通り、イスファードも憐れな人生だったよね。 始めから真っ当に王城で王族として育てられていれば、名君になる可能性も有っただろうに…
[一言] シャガード、しっかり覚えられてた。 彼も歴史に名を残しそうですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ