決着の夜2
「陛下、敵が侵入しました。やはりイスファードも来ているようです」
クワルドにそう耳打ちされ、ジノーファは目をつぶったまま小さく頷いた。敵が現われたのは王宮の外れにある監視塔。彼らはやはり、隠し通路を使って侵入してきた。
実のところ今回の迎撃作戦に関して、監視塔の一階部分に兵を直接配置することも検討されていた。そこで迎え撃ってしまうのが、最も味方や王宮への損害が少なく済むであろうからだ。
しかしそうしてしまうと、敵は待ち伏せを見た瞬間に襲撃作戦の失敗を悟るだろう。彼らは一目散に逃げ出すに違いない。雑兵しかいないのであればそれでも良いのだが、襲撃作戦にはイスファード自らが出張ってくる可能性が高いと思われていた。
それで迎撃作戦の目的としては、第一は当然ジノーファを守ることだが、第二にイスファードの捕獲もしくは殺害が掲げられている。だがイスファードが襲撃作戦に加わっており、その上で開始早々に作戦の失敗が分かった場合、決死隊は最優先でイスファードを逃がすだろう。
隠し通路は狭く、そして長い。隠し通路内で遅滞戦闘を展開された場合、イスファードの身柄を抑える事は難しい。それで彼らをもっと深く誘い込むために、監視塔ではあえて手を出さないことにしたのだ。
ただし当然ながら、監視は行わせていた。暗がりに数人、隠密衆を忍ばせておいたのだ。さらに少し離れた場所から、望遠鏡などを使っての監視もさせている。クワルドからの報告は、そういう者たちの報せを受けてのものだった。
さらに少し待つと、今度は敵が行動を開始したとの報告が来た。報告によれば、敵の数はおよそ一五〇名。五〇名ずつ三組に分かれて行動しているという。現在、王宮の警備に動員されているイスパルタ兵は、全部で二〇〇〇を越える。さらに続々と応援が駆けつけてくるはずで、戦力的には何ら問題ないはずだった。
(最大の懸念は、わたしがここにいること、かな……)
ジノーファは内心で自虐気味にそう呟いた。襲撃作戦におけるイスファードの狙いは、ほぼ間違いなくジノーファの首だ。であれば、彼は安全な場所に隠れているのが一番であるはず。だが彼はこうして鎧を身につけ、自ら敵を迎え撃とうとしている。
当然、ジノーファが前にでることには反対があった。クワルドなどはその急先鋒で、「ベッドに括り付けておけ!」とまで言ったらしい。だが今回はジノーファも退かなかった。彼はこう言ってクワルドを説得した。
『いくら決死隊を誘導すると言っても、その先にエサがなければ彼らも損害を覚悟で脇道にそれるだろう。多数の兵を配置することも考えれば、やはり謁見の間に追い込むのが一番良い。だが謁見の間に主がいないでは、格好がつかないだろう?』
クワルドが引き下がったのは、ジノーファの言葉に道理を認めたから、ではない。何を言っても聞かないと思ったのだ。それで深々とため息を吐いてから、ジノーファが謁見の間で敵を待ち受けることを認めたのだった。
『ただし! くれぐれも危険な真似は謹んで下さいますように!』
『分かっている』
クワルドの念押しに、ジノーファは神妙な顔をしてそう応えた。もっとも、クワルドはまた大きなため息を吐いていたが。信用ならん、と思ったらしい。
ジノーファが陣頭に立つことにしたのは、そうするべきと思ったから、ではない。そうしたいと思ったからだ。
イスファードが自分に強い敵愾心を抱いていることを、ジノーファは聞き及んでいる。彼自身としては納得のいかない部分もあるのだが、しかしこれまでのことを振り返ればそういうものだと思わざるを得ない。ねじ曲げられた運命は複雑に絡まり合い、もはやほどくことはできなくなっているのだ。
そして、そうであるならやはり、イスファードは自らこの襲撃作戦に臨むだろう。そして自分の命を狙ってくるに違いない。ジノーファはそう確信していた。だからこそ彼はこれを人任せにはできなかった。自らの運命である。自分の手で決着を付けたかった。
やがて慌ただしい足音が、甲冑の鳴り響く音が、徐々に謁見の間へと近づいてくる。ジノーファは目を瞑ったままだが、剣の柄尻を抑える彼の手が僅かに動いた。そしてついに謁見の間の二枚扉が蹴り破られた。
「見つけたぞ、道化ぇぇぇぇええええ!!」
イスファードのその叫び声を聞いて、ジノーファはゆっくりと目を開けた。彼がイスファードの顔をはっきりと見たのは、およそ十年ぶりのことである。昔から端正な顔つきをしていたが、今やすっかり貴公子だ。
両親の内、似ているのはやはり母親であるメルテム王妃の方だろう。ただ印象はずいぶん違う。ジノーファは彼女の冷たくすました顔しか知らないが、イスファードは目に激情を宿し顔をいびつに歪めている。つり上がった口の端が示すのは、歓喜か、それとも憎悪か。その両方が混ぜこぜになっているようにジノーファは感じた。
イスファードらが謁見の間に突入してくると、クワルドはすぐにさっと手を上げた。それを合図にして、配置されていた兵士たちが動く。ジノーファとイスファードの間に盾と槍を構えた三〇人ほどの兵士たちが割り込む。さらにその後ろ、ジノーファのすぐ近くには、ラグナとユスフがそれぞれ得物を手に陣取った。
それだけではない。謁見の間にはさらに二〇〇名以上の兵が配置されており、彼らもまた動いていた。訓練通り、隊列を組んで左右に展開する。少々縦に深くはあるが、ジノーファを中心として鶴翼の陣が敷かれたような格好だ。
そのイスパルタ兵の素早い動きと、四倍以上の敵を見て、イスファードは思わずうなり声を上げた。周囲を見渡した彼の視線は、謁見の間の一番奥、玉座に座るジノーファに止まる。玉座は三段ほど高くなった場所に置かれており、そのおかげで間に人がいても彼の顔が見えたのだ。それでイスファードは彼に向かってこう叫んだ。
「誰の許しを得てそこに座っている、道化! 分不相応であるぞっ! 名誉にも手打ちにしてやるゆえ、そこから降りてこい!」
「わたしは前王ガーレルラーン陛下よりこの国を託されたのだ。分不相応といえども、放り出すわけにはいかない」
「戯れ言を! この国は俺のモノだっ。生まれた時からそう決まっている。貴様のような道化とは違う! この俺こそが、この国の真の王なのだっ!」
「……自分こそが真の王だというのなら、隠し通路など使うべきではなかった。これではまるで盗人だ」
自らの発言に矛盾を認めながら、ジノーファはそう切り返した。彼は歴史書に通じている。歴史上、英雄や名君と呼ばれた者たちが隠し通路を使って敵の城を攻め落とした例は、枚挙に暇がない。また彼自身、抜け穴を造ってバイブルト城を再奪取している。
だから隠し通路を使うのは王者として相応しくない、というのは矛盾した言い分だったと言って良い。要するに当てこすりや嫌味の類いだった。ジノーファの内心には、やはり面白くない感情があったのだろう。
一方のイスファードはジノーファの言葉を聞いて平静ではいられなかった。このように待ち伏せされたということは、襲撃作戦を完全に見抜かれたということ。そしてジノーファは罠を張った。獲物を、いや盗人を捕らえるかのように。彼の目にはそう映った。
「ふざ、けるなぁぁぁぁあああ!!」
盗人と指摘された瞬間、イスファードは逆上した。だがそうしてなお、彼の立場はあまりにも滑稽だった。必勝を期した襲撃作戦は逆手に取られ、こうして危機的な状況に陥っている。真の王を名乗る声は大きかったが、その実、中身はなにも伴っていない。
それどころか指摘されたとおり、今の彼は盗人の方に近かった。ジノーファはガーレルラーン二世から正式に国を譲られたが、イスファードはそれを奪おうというのだから。それも隠し通路を使ってこそこそと。
この策を思いついた時、イスファードはこれこそが真の王の用いる策であると信じて疑わなかった。アンタルヤ王家の秘匿された隠し通路。それを使って王国と王座を奪還するのだ。積み重ねられた歴史と受け継がれてきた血統の両方が、彼を王として迎えようとしている。彼はそのようにさえ感じていた。
だが全てを逆手に取られた今、その高揚は一転してむなしいモノになった。隠し通路は要素の一つに過ぎず、彼は決して選ばれたわけではなかった。そして盗人と呼ばれ、イスファードはついに現実を突きつけられたのである。彼は心に痛撃を喰らった。しかしここへ来て諦めることなど、できようはずもなかった。
「殺せっ、あの道化を殺せ!!」
イスファードはそう叫んだ。彼と共にいるのは、もとより死を覚悟した者たちばかり。四倍以上の戦力差にもひるまず、彼らは玉座とジノーファを目掛けて突撃した。ジノーファを守るイスパルタ兵もすぐにそれに対応する。たちまち、激しい剣戟の音が謁見の間を満たした。
イスファードと決死隊はひたすら前を目指した。彼らの正面には、およそ三〇人のイスパルタ兵が立ち塞がっている。彼らはこれにぶつかった。決死隊は五〇名。ここだけみれば彼らの方が数は多い。彼らは激しく圧した。
「囲め!」
クワルドが指示を出すが、少し遅い。決死隊は前面の敵に穴を穿っていた。もちろん三〇人のイスパルタ兵を完全に排除したわけではない。だが穴をこじ開け、そこから数名が飛び出した。その中にはイスファードの姿もある。
「イスパルタ王、覚悟ぉぉぉおおお!」
飛び出した者たちの内、三人ほどがジノーファ目掛けて飛びかかる。ジノーファはスッと目を細めたが、彼が動くよりも先にユスフとラグナが動いた。
「無礼者!」
「退けい!」
ユスフが素早く矢を放って一人を射貫く。そしてラグナは一人を漆黒の大剣で斬り捨て、もう一人を漆黒の大盾で弾き返した。突き飛ばされた決死隊の兵士がイスファードの足下まで転がってくる。それを見て彼は顔を歪ませた。
「どこまで俺を苛立たせる!? 貴様が今日この日まで生きてきたこと、それ自体が間違いなのだ! あの日に死に損なったお前を、今日俺が殺してやる!」
「……なぜそこまでわたしを憎む? 貴方に憎まれる謂われはないぞ。むしろ世間一般には、わたしこそが貴方を憎むべきではないか」
ジノーファはずっとそれが不思議だった。不愉快だった、と言ってもいい。これまであまり表には出さなかったが、彼の中には当然そういう気持ちがあった。
二人の因縁は無論、ガーレルラーン二世の後継者問題に起因する。だが王太子の地位を失ったのはイスファードではない。ジノーファだ。イスファードはむしろ取って代わった側であり、ジノーファは全てを失って国を追われた。
その事実を踏まえれば、イスファードがジノーファを憎む理由はない。憎しみとは奪われた側の人間が抱く感情であり、その意味で言えば確かにジノーファがイスファードを憎む方が自然だ。
もっともその後の推移を見れば、ジノーファはアンタルヤ王国を受け継ぎ、イスファードは謀反人の烙印を押されている。さらにジノーファは戦場でイスファードを打ち破ったこともある。それがイスファードの謀反に繋がったことも考えれば、彼がジノーファを憎む理由がないわけではない。
だがイスファードがジノーファを敵視しているのは、彼がイスパルタ王国を建国する以前からの話だ。彼はジノーファを「道化」と呼んで憚らなかったし、対抗意識を隠し切れていなかった。その頃から憎悪を抱いていたのだ。
イスファードは有利な立場にいるのだから、普通ならジノーファのことなど無視していただろう。実際、炎帝ダンダリオン一世に気に入られていたとはいえ、当時の彼はアンタルヤ王国の王太子が歯牙にかけるような存在ではなかった。彼が何をしたところで、それでイスファードの地位が危うくなるようなことは、起こりうるはずもないのだから。
少なくともジノーファはそう思っていた。だからこそ、イスファードが自分を激しく敵視していると聞いたときには、内心で困惑したものだ。その理由が思いつかなかったからである。だがイスファードの捉え方は違った。
「憎まれる謂われがない、だと……。ふざけるなよ……。俺が今まで、どれほどお前に苦しめられてきたと思っている!?」
全身を震わせながら、イスファードはそう叫んだ。一方のジノーファは困惑した様子である。本当に心当たりがないのだ。それを見てイスファードはさらに苛立った。そして苛立ちのままに彼はこう叫ぶ。
「何をしようとも、どこへ行こうとも貴様の影がつきまとう! それでも死んでいたのであれば捨て置けたのだろうが、お前は図々しくも生き延びていたっ。うんざりだ! お前を殺さない限り、俺が解放されることはないっ!」
初陣で敗北を喫し、あまつさえ捕囚の身となったこと。それはイスファードのその後の人生に大きな影を落とすことになった。その醜態がジノーファの活躍と比べてあまりに対照的だったからだ。
それからというもの、イスファードは何かにつけてジノーファと比較された。そして何をしても、ジノーファより下に見られた。「ジノーファ様ならもっと上手くやる」、「ジノーファ様が本当に王太子であったなら良かったのに」、「お前は大したことがない」。そう言われ続けてきたのだ。
ジノーファがもう死んでいたなら、あるいははっきりと比べられる結果が事実その通りなら、イスファードも我慢することができたかもしれない。だがジノーファは生きていたし、比べられたのは単純には比較できない事柄だった。中にはジノーファがしていないことについてさえ、イスファードは劣っているとされたのだ。
言ってみればイスファードは実在する虚像と比べられ続けてきたのだ。彼の後ろには常にその虚像がつきまとった。何をしても虚像は膨らむばかり。イスファードからすれば、堪ったものではない。
少なくとも王太子として冊立されたとき、イスファードはジノーファに憎しみを抱いてはいなかった。このとき彼の胸にあったのは、「本当に自分は王子だった」という安堵感と、「奪い返してやった」という優越感だ。
しかし初陣で敗れて以降、イスファードはジノーファに苦しめられ続けた。それは言いがかりにも等しい被害者意識だったが、しかし他でもない彼にとっては唯一の真実だった。のし掛かる虚像は、彼にとってはこれ以上ない重荷だったのだ。
それでも、イスファードには虚像を振り払う機会があった。ジノーファがイスパルタ王国の建国を宣言した時だ。直接ジノーファを打ち倒すことができれば、彼はこれまでの評価を覆せるはずだった。
しかし彼は負けた。王命を無視して出撃した挙句、同士討ちという最悪の形で敗北を喫したのである。その結果、「やはりイスファードはジノーファに及ばない」という評価は確たるものとなり、さらに彼は王太子の地位を失った。
謀反を起こしたのは、「このままでは王になれないと思ったから」、というただそれだけの事ではない。ジノーファは国を興して王となった。名実共に彼の下に置かれることに、イスファードは耐えられなかったのだ。
イスファードにとってジノーファは「哀れな道化」でなければならなかった。そしてイスファードは道化を踊らせる側でなければならなかった。その関係性が崩れた時、イスファードの憎しみはたがが外れたのである。
「死ねっ! 死んで俺の踏み台となれっ。それが道化に与えられた、相応しい役回りというものだっ!」
イスファードはそう叫んで剣の切っ先をジノーファに向けた。彼の周囲には四人の決死隊がいて、前後に二人ずつ分かれて主を守っている。周囲にはすでに何十人ものイスパルタ兵がいて彼らを取り囲んでいるのだが、タイミングが掴めないのか動けずにいた。クワルドさえも、なかなか命令を下せずにいるのだ。謁見の間には一種独特な空気が流れていた。
その空気の中でも、ジノーファは泰然としていた。憎まれ睨まれ殺意を向けられても、彼は動じることなく玉座に座っている。色めき立っているのはむしろ周囲の者たちで、ラヴィーネさえも牙をむき出しにして敵を威嚇している。そのなかで彼の声は静かに響いた。
「……そうか。貴方は成長限界に達したのだな」
その瞬間、イスファードの顔から表情が抜け落ちた。
ユスフ「うわ、クリティカル……!」




