顛末2
召喚令状を携えた近衛の使者が訪ねてきたとき、ダーマードは率直に言って驚いた。心当たりがなかったのだ。とはいえ、召喚令状によって呼び出されたからには、急いでマルマリズへ向かわなければならない。ダーマードはすぐに支度をして、馬に飛び乗った。
召喚令状とは、国王がある人物に出頭を命じる際に用いられる公式な令状のことである。「出頭を命じる」と聞くと剣呑なイメージを持つかも知れないが、実際には粛正などのために用いられたことはほとんどない。ちなみに罪人として扱う場合には、逮捕令状が出されることになる。
例えば、国としてある学者の意見を聞きたい場合に、学者に対して召喚令状が出されることになる。出頭する場合には近衛軍から護衛が付き、道中の旅費も国が負担することになる。ただし学者が出頭を拒否した場合、学者は罪に問われることになる。
そのような訳でこの時点ではまだ、ダーマードはそれほどの危機感は抱いていなかった。ただオズデミルにも召喚令状が出されていると聞き、急がなければとは思っている。バラミール子爵領よりネヴィーシェル辺境伯領のほうが、マルマリズから見て遠いのだ。恐らくオズデミルの方が先にマルマリズに到着しているのだろう。
(私貿易のことであろうな)
近衛の兵士らに護衛されて馬を走らせながら、ダーマードは出頭を命じられた理由についてそうアタリを付ける。オズデミルと一緒に呼び出されたと言うことは、それ以外に考えられない。誘引作戦の事かも知れないが、改めて二人から聞くようなことはないはずだ。
(遠征が近いはず……。遠征となれば物資がいる。北をどうするか、その辺りの事か)
遠征は恐らく、四万から五万の規模になるだろう。それだけの兵を動かすとなれば、当然それを養うために大量の物資が必要になる。だが国内の生産能力がいきなり増大することはない。優先順位を設ける必要があり、そして優先されるべきはもちろん遠征だ。北アンタルヤ王国へ回す物資は少なくなる。
(これを機にいっそ……)
いっそ、私貿易の窓口を閉じてしまってもいいかもしれない。ダーマードはふとそう思った。補給線を切られれば、北アンタルヤ王国は急速に自壊を始めるだろう。そこへ、いま誘引作戦を行っている戦力をぶつける。北の国土の三分の一くらいはたやすく切り取れるだろう。メフメトの手前、あまり表には出さないが、ダーマードにも領土的な野心はある。それはオズデミルも同じだろう。
あるいは今回の謁見の際に提案してみるのもいいかもしれない。ダーマードはそう思った。誘引作戦のおかげで、イスパルタ王国に近い側の防衛線は安定している。切り取ってもそれほど負担は増えない。なにより南北アンタルヤ王国から同時に領土を切り取れば、イスファードに対してもガーレルラーン二世に対しても、相当な衝撃を与えられるだろう。
(陛下は防衛線のことを重く見ておられる。そのことを絡めれば……)
ネヴィーシェル辺境伯家で管理する割合が増えれば、防衛線の安定度は増す。さらに誘引作戦を行う出城を、もう一つ築くこともできるだろう。その辺りの事を説明すれば、攻め込む許可を得られるかも知れない。
北アンタルヤ王国は反発するだろうが、南アンタルヤ王国との休戦交渉を持ち出せば黙らせることは可能だ。ただし交渉の主導権を握るのはイスパルタ王国だが。ダーマードはそんなことを考え、内心でニヤリと笑みを浮かべた。
後から思えば、呑気なことを考えていた、と言うべきであろう。とはいえこの時はまだ、ダーマードは出頭を命じられた理由を知らない。まさか息子のメフメトが謀反を企んでいるなど露ほども考えてはいなかったから、それも仕方のないことだろう。
マルマリズに到着すると、ダーマードはすぐに王統府に呼び出された。オズデミルも同様だ。少しだけ二人で話す時間があったが、やはり私貿易の事だろうと言うことになった。それから二人はジノーファの執務室へ向かった。
(はて……)
部屋の中に入ると、ダーマードは内心で首をかしげた。少し、空気が重い。室内にいるのは、ジノーファとクワルドとユスフの三人。ジノーファは机に向かうようにして椅子に座っており、机の左右にユスフとクワルドが立ったまま控えている。
ユスフがそうしていることは特別おかしくはない。ただその位置にクワルドが立ったままというのは、少々珍しい。さらに彼は帯剣している。武官なのだから帯剣していてもおかしくはないが、この親子の表情が険しいのがダーマードには気になった。
「ネヴィーシェル辺境伯ダーマード、参上いたしました」
「バラミール子爵オズデミル、参上いたしました」
「二人とも、良く来てくれた」
ダーマードとオズデミルが揃って一礼すると、ジノーファはいつもの調子でそう言った。そしてジノーファは視線だけ動かしてユスフに合図する。ユスフは一つ頷くと、用意してあったトレイを両手で持ち上げた。それを見てから、ジノーファは二人にこう告げる。
「二人を呼んだのは、見てもらいたいものがあったからだ。ただ、あいにく一つしかない。二人で一緒に見てくれ」
ジノーファがそう言うと、ユスフが前に進み出る。そして二人にトレイを差し出した。そこに載っているのは、言うまでもなく例の手紙だ。手紙の表に書かれた宛先と、息子の筆跡を見てダーマードが顔色を変える。手を伸ばして手紙を取り、裏返して差出人を確認し、彼は顔色を失った。
「陛下、これは……!?」
「まずは読んでくれ。話はそれからだ」
ジノーファの声は相変わらず穏やかだった。しかしダーマードもオズデミルも、心中は穏やかではない。何かの間違いであって欲しいと思いつつ、二人は手紙を貪るように読んだ。読み進めるごとに二人の顔から血の気が引いていく。
やがて二人はすっかり蒼白になった顔をジノーファに向けた。その目には怯えの色が浮かんでいる。ジノーファはそれが哀れに思えた。一方のクワルドとユスフは、いつでも二人を制圧できるよう、内心で準備を整える。彼らは二人の一挙手一投足を見逃さないよう、目を光らせた。
「陛、下……」
「言いたいことがあれば、聞こう」
ジノーファがそう言うと、ダーマードは咄嗟に口を開いた。しかし言葉が出てこない。オズデミルも同様だ。二人は混乱していた。彼らにとってこの事態は全く寝耳に水で、何をどう弁解すれば良いのかさえ分からない。その様子を見て、ジノーファの方から二人にこう尋ねた。
「二人は、この件を承知していたのか?」
「誓って何も知りませぬっ! ま、まさかメフメトが、このような……! へ、陛下、これは何かの間違いで……」
「しょ、承知も何も、全くの初耳でござる……!」
ダーマードとオズデミルは平伏してそう答えた。それを見てジノーファは一つ頷く。それから彼はクワルドの方へ視線を向けた。クワルドは小さく頷くと、平伏する二人に厳しい口調でこう問いただす。
「だが、いくらネヴィーシェル辺境伯家の世子とはいえ、メフメトが単独でこれほど大それたことをしでかすとも思えぬ。ダーマード卿、これは卿の差し金ではないのか?
そしてオズデミル卿。バラミール子爵家が代々ネヴィーシェル辺境伯家と昵懇の仲であるのは周知のこと。今回のことも共謀しての事ではないのか?」
「だ、断じて! 断じてそのようなことはありませぬ! な、なぜ我らが陛下に叛旗を翻さなければならぬのですか!?」
「左様にございます。ダ、ダーマード卿よりそのような話を持ちかけられたことは一度たりともございませぬ。まして共謀など、全く思いもよらぬことでございますっ!」
ダーマードとオズデミルは必死になってそう主張した。彼らはジノーファを見上げて縋るような視線を送る。ジノーファは改めて二人にこう尋ねた。
「では、この件はメフメトの先走りだと、そういうことか?」
「……少なくとも、私が指示したことではありませぬ」
「私も、全くなにも知りませんでした。まさか、メフメト卿がこのような……」
二人ははっきり、自分たちは無関係だと答えた。全ての責任をメフメトに押しつけたとも取れるが、この場合それが真実だ。実際にメフメトが一人で行った事なのだから。唯一誤解があるとすれば、メフメトも少なくとも現時点では、本気で謀反を起こす気はなかったと言う点か。だがそれを指摘できる者はこの場におらず、代わりにクワルドが別の点をこう指摘した。
「ですが、陛下。ダーマード卿はネヴィーシェル辺境伯家の当主として、オズデミル卿は私貿易の窓口の責任者として、全くの無関係というわけではありますまい。少なくとも監督責任はあるはず。『知らなかった』で済まされる問題ではありませぬぞ」
まったくその通りであり、ダーマードとオズデミルは顔を悲壮に歪めた。責任ある立場にある以上、「知らなかった」では済まされない。本当に知らなかったのだとしても、ジノーファが責任を追及するならそれを負わねばならない。
だがジノーファにそうするつもりはなかった。ダーマードとオズデミルに責任を取らせるとなると、最低でも二人には当主の座を退いてもらうことになる。両家には混乱が起こるだろう。遠征を控えた今、ジノーファにとってそれは不都合だ。
また仮に混乱が起こらなかったとしても、事情が事情だ、北アンタルヤ王国との私貿易は窓口を閉じることになる。補給線を切られ、北アンタルヤ王国は急速に困窮するだろう。そのためにイスファードが自暴自棄になったり、防衛線に影響が出たりするのは、やはりジノーファにとって望ましくない。
国内の引き締めを優先し、遠征を遅らせるというのも一つの手だろう。イスパルタ王国はアンタルヤ王国の流れを汲む。つまり貴族の力が強い。そのなかでネヴィーシェル辺境伯家とバラミール子爵家が失策を犯した。王家の側から見れば、両家の力を奪う好機だ。
だがその国内の混乱を、ガーレルラーン二世がどう見るか。好機と見て兵を差し向けてくることは、十分にあり得るだろう。そうでなくとも東からの圧力が減れば、南アンタルヤ王国はそのぶん北への圧力を強める。私貿易を打ち切られ、北アンタルヤ王国がそれに抗し得るとは思えない。つまりイスパルタ王国が国内を固めている内に、南アンタルヤ王国が北伐を完了してしまうかも知れないのだ。
(それだけならまだいい……)
ジノーファは内心でため息を吐いた。ガーレルラーン二世が北伐を完了させた場合、南アンタルヤ王国の国土は八〇州に達する。ガーレルラーン二世がかつての力をほぼ取り戻す形だ。彼は北の叛徒どもを粛正し、それをもって国内を粛然とさせつつ、その一方で王家の力を伸長させるだろう。
王家の力だけを見れば、かつてのアンタルヤ王国を越えるに違いない。二六州のイスパルタ王国にとっては、いよいよ荷の重い相手だ。そうなれば、これまで以上にロストク帝国を頼ることになる。
イスパルタ王国はロストク帝国の属国となるだろう。もっとも、属国だからといってそう酷いことにはならないだろうとジノーファは思っている。彼の正妃であるマリカーシェルは炎帝ダンダリオン一世の娘。王太子アルアシャンは炎帝の孫で、さらに皇太子ジェラルドの甥だ。
少なくともこの代までは、ロストク帝国もイスパルタ王国をそれなりに扱ってくれるだろう。その先のことは、その時代に生きている者たちが考えればいい。ジノーファはそう思っている。
問題は、ロストク帝国の目が今はイブライン協商国へ向いている、ということだ。さらに言えば、二正面作戦も避けたいと考えているに違いない。つまり南アンタルヤ王国と正面切って戦うことを、帝国は望んでいないのだ。思うような援助を得られず、今度はイスパルタ王国が身をすり減らすようなことになりかねない。
幸い、謀反は計画だけで、実害は出ていないのだ。今は外に打って出るべき。スレイマンの件を終えてから、ジノーファとクワルドは改めて話し合い、その結論に達していた。だからクワルドもここでダーマードとオズデミルを強く咎めないのは承知している。
ただ、せっかく強く出られる機会なので、クワルドが責任を追及しつつジノーファが穏便に済ませる、という形にすることにした。これでダーマードもオズデミルも、ジノーファに恩義を感じてくれるだろう。そのためにも、クワルドはさらにもう一歩踏み込んだ。
「陛下。ここは取り潰しも視野に入れ、厳罰をもって臨むべきと考えます。一罰百戒。これをもって国内は粛然といたしましょう。陛下がお優しいことは無論承知しておりますが、時には厳しいところを見せることも必要ですぞ」
ダーマードとオズデミルが顔面を蒼白にする。謀反の計画が明るみに出たのだ。御家の取り潰しを視野に入れるのは当然だろう。だがそれを主張したのがクワルドというのは大きな問題だ。彼はジノーファに信頼され、さらに近衛軍という国内最大の軍事力を握っている。彼が取り潰しを強硬に主張すれば、それが採用される可能性は無視できない。
「陛下! 我々は決して……!」
「謀反を起こす気など、微塵も……!」
弁解の言葉を口にしようとする二人を、ジノーファは軽く手を掲げて止めた。彼らは口を閉じたが、しかし目で必死に訴えかける。そんな二人に、ジノーファは小さく頷く。そしてあえて軽い口調で、彼はダーマードにこう言った。
「ダーマード。父親である卿には辛いことかも知れないが、メフメトはどうやら気が狂ったようだ」
「っ!」
「いつ正気に戻るかも分からない。大領と防衛線に責任を持つネヴィーシェル辺境伯家の世子としては、不適当ではないだろうか?」
「おっしゃる、通りかと存じます……」
「メフメトを廃嫡せよ。また、彼の長子を卿の養子とした上で、新たに辺境伯家の世子とすることを認める」
「ありがたき、ありがたき幸せにございます……!」
感涙を目に浮かべながら、ダーマードは頭を下げてそう言った。事実上、無罪放免と言っていい。オズデミルも彼の隣で安堵の息を吐いている。そこへさらに、ジノーファは信じられないようなことを言った。
「ダーマード、メフメトは静養させよ。病死などすることがないよう、面倒を見てやるといい」
それを聞いたとき、ダーマードは流石に耳を疑った。「死なせるに及ばず」。ジノーファはそう言っているのだ。彼は咄嗟に言葉が出なかったが、代わりに別の者が声を上げた。クワルドである。
「陛下、それはなりませぬ! メフメトは病死させるべきであると、強く主張いたしますぞ!」
「クワルド。まだ実害は出ていないのだ。それにわたしは、親に子を殺せとは、命じたくない」
苦悩が滲む声で、ジノーファはそう応えた。実に彼らしい。クワルドはそう思った。だがそれでも、これだけは何としても翻意してもらわねばならぬ。そう思って彼は口を開きかけた。だがその時、執務室の中にすすり泣く声が響いた。
「ううっ……、うっ、うう……」
泣いていたのはダーマードだった。彼は滂沱の涙を流している。言うまでもなく、ジノーファの温情に感激してのことだ。それを見てクワルドは口を閉じた。これでダーマードは、いやネヴィーシェル辺境伯家はジノーファに絶対の忠誠を誓うだろう。それでいい。そう思ったのだ。
「オズデミル。卿にはこれまで通り、私貿易の窓口を務めてもらいたい。ダーマードと協力して、しっかりとやって欲しい」
「御意にございます」
やはり感激の滲む声で、オズデミルはそう応えた。それを聞いて、ジノーファは満足げに頷く。そしてユスフに命じ、メフメトの手紙を回収させる。それを受け取ると、ジノーファは机の引き出しから着火用の魔道具を取り出す。
「あっ」と声を上げたのは誰であったのだろうか。ジノーファは手紙に火を付けると、灰皿の上でそれを燃やした。手紙が燃え尽きるのを見届けると、ジノーファは平伏する二人へ最後にこう声をかけた。
「二人とも、今日はご苦労だった。いっそうの忠義と献身を期待する」
ユスフ「陛下らしい」




