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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
大アンタルヤ王国

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見えるモノ、望むモノ


 ジノーファは現在、南アンタルヤ王国への遠征を計画している。その一方で誘引作戦を継続しつつ、北アンタルヤ王国を牽制することを、ネヴィーシェル辺境伯家とバラミール子爵家に命じた。そのことをダーマードから聞かされると、メフメトはたちまち顔をしかめた。そしてこう不満を口にする。


「では、当家は表層域でモンスターと戯れていろ、と。そう言うことですか、父上」


「口を慎め。メフメト」


「ですが父上。これは北への備えを理由にして、我が辺境伯家を遠征から遠ざけたとしか思えませぬ」


 遠征でネヴィーシェル辺境伯家が活躍すれば、当然恩賞して新たな領地が与えられるだろう。また辺境伯家の名声と威光は国の内外に轟くことになる。ジノーファはそれを嫌ったのではないか。メフメトにはそう思えてならない。


 もともとその建国の成り立ちからして、イスパルタ王国では貴族の力が強い。そして一方で王家の力は弱い。今はロストク帝国との関係のおかげで盤石に見えるが、その実態は結局のところ膨れた泡だ。


 ジノーファはそれを自覚しているのだろう。予算を優遇し、近衛軍の強化を急いでいることからそれが分かる。軍事力がなければ身を守れないと思っているのだ。そんな彼であるから、大貴族がさらに力を付けることは望むまい。


 そしてイスパルタ王国で大貴族と言えば、その筆頭は他でもないネヴィーシェル辺境伯家である。ジノーファにとっては目障りであるに違いない。だから誘引作戦や北アンタルヤ王国への備えにかこつけて、遠征から排除したのだとメフメトには思える。だがそんな息子を、ダーマードはこう言って宥めた。


「そうは言うがな、メフメト。では我ら以外の誰に、北への備えを任せるというのだ?」


「それは……」


 メフメトは言葉に詰まった。ネヴィーシェル辺境伯家とバラミール子爵家が遠征加わるとして、北アンタルヤ王国への備えはどうしても必要だ。では、例えば近衛軍の一隊がこの地へ代わりに来るとしたらどうだろうか。


 とてもではないが、心穏やかではいられないだろう。敵国への備えとは名目で、他に何か別の目的があるのではないか。その懸念を拭いきれない。まして他の貴族の兵ともなれば、本質的に侵略者と変わらないと言って良い。


 だが遠征に加わりつつ、さらに備えの兵も置くというのは、流石に無理だ。負担が大きすぎる。私貿易で稼いだ富が丸ごと吹き飛びかねない。ともすれば、それでも足りないことすらあり得るだろう。


「それに、だ。仮に新たな領地を得たとしても、それは飛び地となる。治められんことはないが、面倒だ。それなら、今は粛々と陛下の後背を守りつつ信任を得、来たるべき北への遠征の際に先鋒を仰せつかったほうが良い」


 ダーマードはそう話したが、メフメトはまだ不満げな顔をしている。頭では「父の言うとおりだ」と思いつつ、感情が納得しないのだ。遠征という輝かしい活躍の舞台から遠ざけられた。それはジノーファがネヴィーシェル辺境伯家を疎んでいるからだ、と思えてならないのである。


「それよりも、お前を呼んだ理由だが……」


 メフメトが納得していないのを承知しつつ、しかしそれを無視してダーマードは話を進めた。彼が息子に命じたことは二つ。一つはジノーファからも命じられた通り、イスパルタ軍の遠征の事を、決して北アンタルヤ王国には漏らさないようにすること。情報統制をしっかりと行い北の動きを制御することも、私貿易の目的の一つである。


 そしてもう一つは誘引作戦を継続するにあたり、その費用の一部を北アンタルヤ王国にも負担させよ、というものだった。いくら勅命とは言え、ダーマードも北のためにタダ働きをするつもりはない。加えて、金を使わせることで北アンタルヤ軍の動きを鈍らせようという思惑もある。もっとも、金貨で支払ってくれるとは限らないが。


「メフメト、返事はどうした」


「父上……。父上は、辺境伯家に栄光を取り戻そうとは、お考えにならないのですか……? 我らにはその資格があるのではありませぬか……?」


「……過去の栄光にしがみついていては、足下が疎かになるぞ。まずは現実を見ろ。今の辺境伯家はイスパルタ王国の臣下なのだ。それをはき違えるな」


 父と子の視線がぶつかってこすれる。火花が散る前に引き下がったのは、メフメトの方だった。


「……ご指示の通りにいたします」


 表情を消してそう答え、メフメトは一礼した。それを見てダーマードは満足げに「うむ」と頷き、それからメフメトを下がらせる。息子の背中を見送ると、彼は小さくため息を吐いた。


 メフメトの言う「辺境伯家の栄光」。それがつまり過去の王権であることは、明言しなかったとはいえ、ほぼ間違いないと言って良い。要するに、先ほど彼は父親に対して謀反をほのめかしたのだ。


 アンタルヤ王国が三つに割れるのを見たからなのか、それともジノーファという英雄の姿を見たからなのか。今こそネヴィーシェル辺境伯家が独立する絶好の機会であると、そして自分ならそれが出来ると、メフメトはそう思っているらしい。


(いや、そもそもは……)


 今の情勢が彼の野心を育てたのだとして、その種となったのは何だったのか。それは恐らく、ネヴィーシェル辺境伯家に秘匿された、あの王笏であろう。あの王笏がメフメトに王権という夢を見せたのだ。そして今、彼はその夢を実現できると考えて始めている。


 だがダーマードに言わせれば、それは実現する可能性のない夢だ。むしろうっかり独立などしようものなら、北アンタルヤ王国と同じ運命をたどるだろう。メフメトにはそれが見えていないらしい。


(釘は刺した。愚かな真似はするまい)


 ダーマードは心の中でそう呟いた。メフメトにも言ったとおり、今のネヴィーシェル辺境伯はイスパルタ王国の貴族であり臣下なのだ。さらに防衛線を担い、スレイマンが宰相を務めている。十分な名声と実力を持っているのだ。今はむしろそれに相応しく振る舞い、周囲に付け入る隙を与えないことこそが重要であろう。


 もう一度ため息を吐いて気持ちを切り替えると、ダーマードは溜まっている書類を手に取った。誘引作戦のため、戦力を増強するための書類だ。ダーマードが二〇〇〇、オズデミルが五〇〇で、合計二五〇〇を増員することになっている。


 この戦力で防衛線を固め、流れてきたモンスターに対処する。さらにローテーションを組み、前線と後方で兵を入れ替えながら作戦を行えば、兵士一人一人の負担も小さくなるはずだ。


 また、これで誘引作戦に動員される戦力は七五〇〇になった。仮に北アンタルヤ軍が東に動いたとして、十分に対抗できるだろう。オズディール城に籠もれば、そう簡単に負けることはない。後詰めの援軍が来るまで、十分に時間を稼げるはずだ。


 もっとも、すぐに増員するわけではない。近衛軍が撤収するのと同時に、ダーマードらも一度兵を退くことになっている。誘引作戦で戦った兵士たちを休ませるためだ。さらに一部の兵士については入れ替えを行う。


 そちらの書類はまた別にあるので、それもまた決裁しなければならない。ただこうして十分に準備をしておけば、近衛軍が撤収した後でも、危なげなく誘引作戦を続けられるだろう。


(まずは……)


 まずはイスパルタ王国を強大にすることが肝要。ダーマードはそう考えている。そして強国となったイスパルタ王国の中で、大きな発言力を確保する。そうすることでネヴィーシェル辺境伯家は、国の内外から一目も二目も置かれるようになるのだ。


 王権を取り戻すなどという夢物語より、こちらの方がよほど堅実で現実的な方針だろう。そもそも小国の王よりも大国の大貴族のほうが、実質的な権力は強い。それを思えば、王権にこだわる必要などないのだ。


 ダーマードはそう考えていた。しかしメフメトの考えは違った。彼はあくまで王権にこだわったのである。大貴族として発言力を強めていくのは良い。だがダーマードはその先を考えていない。彼にはそれが少々不満だった。


(父上は、なぜ……)


 なぜ、臣下の地位に甘んじようとするのか。いや、ダーマードだけではない。歴代のネヴィーシェル辺境伯家当主たちは、これまでずっと臣下の地位に甘んじてきた。王笏を秘匿して守りつつ、しかし決定的な行動は避けてきた。アンタルヤ王国の建国以来、幾度か好機があったにもかかわらず、だ。


(すっかり牙を抜かれたか)


 メフメトとしては、そう思わざるを得ない。大貴族と呼ばれることに満足し、そこで足を止めてしまったのだ。家を存続させるのは大願のためであるはずなのに、いつの間にか家の存続そのものが目的になってしまっている。


(やはり……)


 やはり、自分が成さねばなるまい。メフメトはそう思った。歴代の当主たちにその能力がなかったとは言わない。だがその気概を持っているのは自分だけだ。ネヴィーシェル王家の栄光を、自分が取り戻すのだ。あの王笏を振るう姿を想像し、彼の気持ちは高揚した。


 そもそも、昨今の情勢はまさに一〇〇年に一度の好機ではないか。ジノーファは遠征を計画しているが、まさかたった一度の遠征で南アンタルヤ王国を滅ぼしてしまえるわけではあるまい。遠征が成功しても失敗しても、戦いは続く。そして彼の目が東へ向けば向くほど、マルマリズは手薄になるだろう。


 そこを強襲するのだ。マルマリズを落とし、王妃マリカーシェルと王太子アルアシャンの身柄を押さえる。そしてこの二人をカードにしてロストク帝国と交渉し、ネヴィーシェル家をイスパルタ王国の国主と認めさせるのだ。


 不可能とは思わない。ネヴィーシェル辺境伯家はもともと、この地域に強い影響力を持っている。そもそもイスパルタ王国の建国すら、辺境伯家が音頭を取って成し遂げたのだ。その意味では、ジノーファなど担がれた神輿に過ぎない。


 一度ネヴィーシェル辺境伯家が蜂起すれば、多くの貴族がその旗の下に集まるだろう。メフメトはそれを疑っていない。ロストク帝国と国内の貴族たちの双方から支持を得られれば、ネヴィーシェル家が王権を確立することも難しくはないだろう。


 ただ、メフメトは決してジノーファを侮ってはいない。特に彼のもとには近衛軍がいる。クワルドはジノーファに忠誠を誓っているから、蜂起に際しては近衛軍が最大の障壁になるだろう。


 無論、王妃マリカーシェルと王太子アルアシャンの身柄を押さえていれば、近衛軍の動きを掣肘することはたやすい。ただこの二人を取り逃がした場合、速やかにジノーファを討たなければならない。彼の首を落とさない限り、特にロストク帝国はネヴィーシェル家の王権を認めないだろう。


 そのためにはやはり戦力が必要になる。メフメトが目を付けているのが、北アンタルヤ王国だ。イスファードもジノーファを討つためなら喜んで兵を出すだろう。さらにジノーファが死ねば、イスパルタ王国と北アンタルヤ王国が手を結ぶのに何の障害もなくなる。そして両国が力を合わせ、南アンタルヤ王国を打ち倒すのだ。


 その時、イスパルタ王国の国土は五〇州を越えていることだろう。北アンタルヤ王国も国土を増やしているだろうが、経済的な疲弊と混乱はそう簡単に収まるまい。つまりイスパルタ王国が優位な立場となる。


 隙を見て沿岸部を奪うことは容易だろう。そうやって再び内陸に押し込み、その上で塩の供給を断つのだ。そうすれば北アンタルヤ王国は急速に枯れる。あとは枯れ木を蹴り倒すかの如くに併合してしまえば良い。そのあかつきには、イスパルタ王国は一二〇州を越える大国になっている。


 クルシェヒルを落とせば、かつてアンタルヤ王家に献上した、ネヴィーシェル王家の王冠も取り戻すことができるだろう。その王冠を被って王座に就き、大国となったイスパルタ王国の上にあの王笏を振るうのだ。それこそがネヴィーシェル家の悲願であり、それを叶えてこそ苦渋を舐めさせられた先祖の仇を討てるというものだ。


(いかんな。思考ばかりが先走る)


 胸中で少々自嘲気味にそう呟き、メフメトはニヤニヤしながら顎先を撫でた。想像することは楽しいが、実現させなければ意味はない。だが今の彼はネヴィーシェル辺境伯家の世子という立場。辺境伯家の実権を握っているのはダーマードであり、その彼にさし当たって蜂起の意思は乏しい。


(どうする、奪うか……?)


 父を殺して当主の座を奪うことを考え、メフメトはさすがにそれを否定した。歯がゆさは感じているものの、彼は決して父を憎んでいるわけではない。むしろ尊敬していると言って良い。それどころかまずは父にこそ、王権の栄光に浴して欲しい。メフメトはそう願っているのだ。


 とはいえこのままでは、ダーマードが決断するよりは早く情勢が動いていってしまう。ダーマードが引退してメフメトが当主となる頃に、イスパルタ王国を取り巻く情勢がどう変化しているのか。現時点でそれを見通すのは難しい。


 だがイスパルタ王国の力が弱まれば、ネヴィーシェル辺境伯家の発言力も弱まるだろう。国外の勢力と結ぶとして、王権を得られる見込みは小さい。逆にジノーファの力が強まれば、辺境伯家の蜂起に同調する者が少なくなる。それを考えれば、やはり今のバランスが理想的なのだ。


 そうなると、まずはダーマードをその気にさせるのが先決であろう。そしてそのためには、少々の外圧も用いねばなるまい。つまり北アンタルヤ王国だ。実際に北アンタルヤ軍が動いたとなれば、そして彼らを味方として計算できるのであれば、ダーマードも考えを変えるに違いない。


(教えてやるか……?)


 イスパルタ軍が南アンタルヤ王国へ遠征することを、北アンタルヤ王国に教えてやるのはどうか。メフメトはそう考えた。そして同時に、東へ誘う。「今ならイスパルタ王国は空だ。ネヴィーシェル辺境伯家が味方する。対価はイスパルタ王国の王権」と、囁くのだ。


 無論、それをきっかけに北アンタルヤ軍が動くとは、メフメトも思っていない。まずは謀略を疑うだろうし、そもそも動くだけの余裕があるとも思えない。しかし実際に遠征が始まれば、北アンタルヤ王国への圧力は減る。イスファードもそれを見れば、メフメトが言っていたことが本当であったと理解するはず。


 その時、イスファードはどう思うか。ネヴィーシェル辺境伯家を信用できると考えるだろう。メフメトが欲しいのはそれだ。信用して寄ってくる相手を利用するのはたやすい。北アンタルヤ王国を手駒にするのだ。彼らの兵を戦力として計算できるなら、ダーマードも勝算有りと思うに違いない。


 ダーマードの心が決まったなら、後は話が早い。イスパルタ軍の矛先を南アンタルヤ王国へ向けたままにしておき、次の好機を見定め、北アンタルヤ軍を差し招く。マルマリズを強襲し掌握すれば、王権は確保したも同然だ。


 不安があるとすれば、今回の誘いにイスファードが乗ってしまった場合だ。誘っておいて、まさか「本気ではありませんでした」とは言えない。まして敵対などしようものなら、金輪際北アンタルヤ王国を利用することはできなくなるだろう。


(その時は……)


 その時は、何としてもダーマードを説得しなければなるまい。一度時勢が動いたなら、人の手でそれを押しとどめることはできないのだ。乗るのか、乗らないのか、選ばなければならない。そして「乗らない」ことを選べば、一生涯王権には手が届かないだろう。


 そんなこと、メフメトには我慢できない。だからもし、ダーマードがどうしても決断しないというのであれば、その時には……。


(大願成就のためだ……)


 メフメトは胸中でそう呟いた。ネヴィーシェル家はその日のために、一貴族の立場に甘んじてきた。


(叶えねばならぬ。取り戻さなければならぬ)


 そのためならば、全てが許される。メフメトはそう信じて疑っていない。



ダーマード「五寸釘刺しとこ」

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― 新着の感想 ―
[一言] >ダーマード「五寸釘刺しとこ」 刺さってないです、閣下 糠に釘?
[良い点] ヒャッハー新鮮な更新ダァ! [一言] 滑稽なまでに身の丈にあってない野心ですね!!シェリーとマリカーシェルに被害が出たら隣の帝国様も怒りそうなものなのですがきっとボケてるのでしょう
[一言] メフメトくぅん……。帝国の支持はどうやって得るんだい?信用できる相手(ジノーファ)が見返り(貿易港)を用意したから友好的なのであって、敵国と内通して自らの王を手にかけ、王妃を人質にするような…
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